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『最後に一言よろしいでしょうか。――あなたの事が嫌いでした』  作者: NEA_


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第4話 王太子の選択


 大広間の前の廊下は、いつもより少しだけ空気が張りつめていた。

 扉の向こうからは、楽団の演奏がかすかに聞こえてくる。


 春の舞踏会。

 王家に近い貴族たちが集まる、ただ華やかなだけではない場だ。


 その大きな扉の前で、ティファイナは静かに待っていた。

 王太子ライオネルの婚約者として、彼と並んで入場するためである。


 隣では、侍女のアンナが最後の確認をしていた。

 ドレスの裾を整え、髪飾りの角度を見て、小さくうなずく。


「お嬢様、私は大広間には入れません。ここでお待ちしています」


 ティファイナは穏やかに微笑んだ。


「ええ。ただの春の舞踏会よ。私は王太子の婚約者として、隣で笑っているだけ。席のトラブルも収めたし、大丈夫よ」


 その言葉に、アンナは一瞬だけ何か言いたげにした。

 だが、何も言わなかった。


 もう席の問題は処理した。

 北部の面子も、王太子の顔も、ぎりぎり守った。

 これ以上、何か起きるはずがない。


 そう思いたかった。


 その時、奥の廊下から足音が近づいてきた。


 ライオネルだった。


 いつものように自信に満ちた顔で、胸を張って歩いてくる。

 だが、その腕にはすでに、ミリア・ローデリアが絡みついていた。


 アンナが息をのむ。

 ティファイナも、静かに目を見開いた。


 ライオネルは、扉の前で待つティファイナを見た。


 見たはずだった。


 けれど、声をかけることはなかった。


 まるでそこに誰もいないかのように、ミリアを連れたまま、扉の前へ進んでいく。



 大広間には、華やかな音楽が流れていた。

 天井からは大きなシャンデリアが光り、壁際には色とりどりの花が飾られている。


 貴族たちはそれぞれの席で談笑しながら、王太子の入場を待っていた。


 少し下げられた北部侯爵の席も、今日は特別に目立つよう整えられている。

 テーブルには、エルトライン公爵家から贈られた特別なワインが置かれていた。

 専用台まで用意され、見た目の格は十分に保たれている。


 北部侯爵は満足そうにグラスを傾けていた。


「ティファイナ様の手配は見事だ。我々の顔も立つ」


 その時、王太子の入場を知らせるファンファーレが鳴った。


 大広間の重い扉が、ゆっくりと開かれる。

 誰もが扉へ視線を向けた。


 次の瞬間、広間の空気が変わった。


 入ってきたのは、ライオネルだった。


 だが、その隣にいるのは、王太子の婚約者であるティファイナではない。


 ミリア・ローデリアだった。


 ライオネルは扉の横で待っていたティファイナに声もかけず、完全に無視して、ミリアと並んで大広間へ入ってきたのだ。


 開かれた扉の入り口に、ティファイナだけが一人、取り残されていた。


「なっ……!?」


 北部侯爵が思わず声を上げる。


 ざわめきが広がった。


「なんだ、あれは……?」


 ただ隣を歩いているだけではない。


 ミリアのドレスは、王家の者しか身につけられないはずの深い王家の青だった。

 さらに胸元には、本来なら王太子妃となる女性に贈られるはずのアクセサリーまで輝いている。


 それが何を意味するのか、広間にいる貴族たちにはすぐに分かった。



 ライオネルは周囲の戸惑いに気づいていなかった。


 むしろ、自分たちの愛が注目されているのだと勘違いし、誇らしげに広間の中央へ進んでいく。


 隣のミリアは、恥ずかしそうにうつむいていた。


 だが、その目だけは違う。


 ちらりとティファイナを見る瞳には、はっきりと勝ち誇った色があった。


 私の勝ちよ。


 そう言っているような目だった。


 ティファイナは、入り口から静かに歩き出した。

 ざわめく広間の中を、まっすぐに進む。


 そして、広間の中央で立ち止まった二人の前に立った。


「殿下。ここは公の場です。なぜ、子爵令嬢がその服で殿下の隣に?」


 声は静かだった。

 怒鳴ってはいない。

 責め立ててもいない。


 けれど、その問いに込められた重さに、周囲の貴族たちは息をのんだ。


 ライオネルは、そんな空気など少しも読まず、爽やかに笑った。


「ティファイナ。ちょうどいい、君にも皆にも聞いてほしかったんだ」


 そう言って、彼はミリアの肩を抱き寄せた。

 ミリアは恥ずかしそうに身を寄せる。


 だが、ティファイナを見る目だけは笑っていた。


 ライオネルは、広間中に聞こえる声で告げた。


「私は、ミリアを愛している」


 音楽が止まった。


 広間が、凍りついたように静まり返る。


 その中で、北部侯爵が握りしめたグラスにヒビが走った。


「ティファイナ、君はいつも政治や書類ばかりで、私を癒やしてくれなかった。だがミリアは違う。彼女の素直さこそが、私を支えてくれる」


 誰も言葉を発しなかった。


 王太子が、王家の舞踏会で、正式な婚約者を前に、別の令嬢への愛を語っている。


 それがどれほど大きな意味を持つのか。

 周囲の貴族たちには分かっていた。


 ティファイナは静かに問う。


「殿下。ご自分が何を仰っているか、おわかりですか」


 ライオネルは堂々と笑った。


「君は私を慕い、尽くしてくれた。だから、私の幸せを受け入れてくれるはずだ」


 貴族たちの顔が青ざめていく。


 ティファイナをこんな形で捨てれば、国が真っ二つに割れる。

 エルトライン公爵家を敵に回す。

 彼女を頼っていた多くの貴族たちも、王太子のもとから離れる。


 だが、ライオネルは何も気づいていなかった。


 そして、ついに言ってはならない言葉を口にした。


「皆の前で宣言しよう。ティファイナ! 私は君との婚約を破棄し、ミリアを選ぶ!」



 完全な静寂が落ちた。


 誰も動かない。

 誰も声を出せない。


 ミリアだけが、うれしそうにライオネルの胸に顔をうずめていた。


 勝った。


 そう思っている顔だった。


 ティファイナは、無表情で二人を見つめていた。


 涙はない。

 怒鳴りもしない。


 ただ静かに、一歩、前へ出る。


 ライオネルは、ティファイナが泣くと思っていた。

 自分を失いたくないとすがると思っていた。


 だから、ティファイナの右手が鋭く振り上げられたことに、気づくのが遅れた。


「パアアァンッ!!!!!」


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