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『最後に一言よろしいでしょうか。――あなたの事が嫌いでした』  作者: NEA_


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第3話 甘い花の香り


 王宮の奥にある国王の執務室は、静まり返っていた。

 机の上には、今日も山のような書類が積まれている。


 国王はその一枚に目を通していたが、やがてゆっくりと顔を上げた。

 その前に立つライオネルは、自信に満ちた笑みを浮かべている。


「ライオネル。ティファイナ嬢とは、うまくやっているか?」


 国王の問いに、ライオネルは迷いなく答えた。


「ええ、父上。何も問題はありません。ティファイナは私を深く慕っておりますから」


「……」


 国王は黙って、息子の顔を見つめた。


 底の浅い笑顔だった。


 国王は短く息を吐いた。


「そうか。ならばよい」



 王宮庭園の東屋には、甘い花の香りが満ちていた。

 春の花が咲き乱れ、白い柱には細かな蔓が絡んでいる。


 人目につきにくいその場所で、ミリアは少しうつむき加減に座っていた。

 寂しそうに微笑む横顔は、いかにもか弱い令嬢そのものだった。


「わたくしがどれほど殿下をお慕いしても……舞踏会では、わたくしはただの客人です」


 ライオネルが、心配そうに顔をのぞき込む。


「ミリア?」


 ミリアはすぐには顔を上げなかった。

 少しだけ沈黙を置いてから、胸の奥を打ち明けるように言う。


「わたくしは王宮に控えの間さえいただけない、しがない子爵令嬢。殿下のお隣に立てるのは、身分の高いティファイナ様だけ。……それが、少し羨ましくて」


 その目には、うっすらと涙が浮かんでいた。


 ライオネルは一瞬で心を動かされた。

 自分を慕う可憐な令嬢が、身分の差に苦しんでいる。

 そう思ったのだ。


 彼は愛しいものを守るように、ミリアの肩を力強く抱き寄せた。


「馬鹿なことを言うな。私が誰を特別に思うかは、私が決めることだ」


「でも、ティファイナ様が……」


「ティファイナは私を慕っている。私の幸せなら、受け入れるはずだ。……舞踏会で示そう。君が、私にとって特別だと」


 ミリアはライオネルの胸に顔を埋めた。

 その陰で、彼女の口角が歪にあがる。


「殿下……」



 王宮に用意されたティファイナの控えの間では、静かな時間が流れていた。


 机に向かうティファイナは、いくつもの書類に目を通している。

 舞踏会に関する確認事項、貴族家への連絡、王宮内の手配。

 どれも放っておけば、小さな火種になりかねないものばかりだった。


 そこへ、扉が勢いよく開く。


 アンナが足早に入ってきた。

 いつも落ち着いている彼女にしては、歩き方がわずかに速い。


 手には、何通もの封筒の束があった。


「お嬢様、至急のご報告が。殿下が勝手に手配させていた舞踏会の招待状を、発送直前で止めました」


 ティファイナは顔を上げた。


「勝手に? 招待客のリストはすでに確定しているはずよ」


 舞踏会の招待客は、家格、立場、過去の出席実績、王家との関係を見て決められる。

 思いつきで増やしていいものではない。


 アンナは机まで歩み寄り、封筒の束を置いた。


「ローデリア子爵令嬢の差し金です。彼女が自分の友人たちも舞踏会に呼びたいと殿下にねだり、殿下が追加の招待状を十二通も用意したのです」


 ドンッ、と鈍い音が部屋に響く。


 封筒の束は、ただの紙ではない。

 王太子の名で用意された招待状。

 これが正式に発送されれば、受け取った側は王家から招かれたものとして振る舞う。


 止めるのが遅れれば、取り返しがつかなかった。


 アンナの声に、わずかに怒りが滲む。


「そもそも、ティファイナ様の婚約者として、殿下はあまりにも――」


 ティファイナの声が、静かに割って入った。


「アンナ。口が過ぎますよ」


 強い声ではない。

 だが、冷たかった。


 アンナはハッとして、すぐに頭を下げる。


「……失礼いたしました。ですが、このリストをご覧ください」


 ティファイナは封筒の束から名簿を取り出し、一つずつ名前を追った。

 そして、すぐに問題点を見抜いた。


「……十二通のうち、半分は本舞踏会に招待される家格に達していないわ。それに、この令嬢は昨年の夜会で公の場でありながら泥酔し、スキャンダルを起こしたはずよ」


 アンナは小さくうなずく。


「はい。こんなリストのまま正式に招待状を出せば、王家の序列と威厳が完全に崩壊します。しかし、殿下の招待状を完全に止めてしまえば、王太子の顔を潰すことに……」


 最悪だった。


 招待すれば、王家の秩序が崩れる。

 止めれば、王太子の面子が潰れる。


 発送前とはいえ、すでに王宮内の人間が動いている。

 ここで握り潰せば、王太子の命令をティファイナが止めたという話だけが広がる。

 そうなれば、ライオネルだけではなく、王家そのものの統制まで疑われかねない。


 しかも原因は、ライオネルの浅はかな思いつきと、ミリアのわがままだ。


 普通なら頭を抱える場面だった。


 けれど、ティファイナはすぐに新しい紙を引き寄せた。



 ティファイナのペンは速かった。


 迷いなく、別の案内状を書き上げていく。

 文面は丁寧で、失礼がない。

 だが、本舞踏会とは明確に別物だと分かるように整えられていた。


「本舞踏会の前日に行われる、『若年令嬢のための交流茶会』。彼女たちにはそちらへの招待状として振り分けるわ。王太子殿下からの『特別のご配慮』という名目でね」


 アンナの目が、すぐに理解したように動いた。


「それなら『殿下の招待状』という顔は立ちますし、格式の高い本舞踏会への侵入は防げますね」


「ええ。王家の催しに呼ばれたという事実があれば、ミリア様のご友人たちも不満は持たないでしょう」


 王太子から招かれた、という形は残す。

 だが、場所は本舞踏会ではない。


 若い令嬢たちの交流を目的とした茶会なら、多少家格が足りなくても角が立ちにくい。

 むしろ、将来の社交経験として扱える。


 厄介な失敗を、別の催しにすり替える。

 王太子の顔を潰さず、王家の格式も守る。


 ティファイナは、ほとんど一瞬でその落としどころを作っていた。


 アンナは深く一礼する。


「すぐに関係各所へ手配してまいります」



 夜。

 王宮での手配を終えたティファイナは、エルトライン公爵家へ戻っていた。


 私室は静まり返っている。

 昼間の騒がしさが嘘のように、廊下の足音も遠い。


 ティファイナは窓辺に立ち、夜空に浮かぶ冷たい月を見上げていた。


「……」


 次から次へと持ち込まれる身勝手な振る舞い。

 王宮の秩序を守るための、終わりのない尻拭いと調整。


 誰かが騒ぎを起こすたびに、誰かがそれを収めなければならない。

 そしてその役目は、いつもティファイナのもとへ回ってくる。


 怒りはなかった。

 悲しみもない。


 ただ深い疲労と諦めだけが、その横顔に張り付いていた。


「……はぁ」


 吐き出された大きなため息が、窓ガラスを白く曇らせた。


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