境界の真実と、過去と未来の分たれ
窓の外の乳白色の光が、次第にその密度を増していた。
車窓の向こう側に広がっていた薄氷のような大地はすでに姿を消し、まるで巨大な雲の渦の真ん中を突き進んでいるかのように、世界の輪郭そのものが境界の光の中に溶け込んでいく。
「……先生」
ルカは手帳を抱きしめるようにして、静かに問いかけた。
「ここは『境界』なんですよね。……この先には、何があるんですか? 僕たちの旅は、どこへ向かっているんですか?」
ヴィンセントは静かにカップを置き、組んだ両手の上にあごを乗せた。
「……境界とは、時間の分岐点だ」
ヴィンセントの瞳が、車窓の乳白色の光を反射して青く澄む。
「この世界の滅びは、すべてが消え去って無になることで終わるのではない。過酷な『忘却』と『消滅』の果てに……過去のすべての記憶と熱量が集留し、新しい世界へと芽吹くための『境界の扉』が存在するのだ」
「新しい世界……! じゃあ、その扉をくぐれば、また色があって、音楽があって、人が生きている世界に行けるんですね!?」
ルカが身を乗り出して尋ねると、ヴィンセントは優しく、けれどどこか寂しげに首を横に振った。
「……行けるのは、お前だけだ、ルカ」
「え……?」
ルカの全身の血が凍りついた。
「な……なにを言ってるんですか、先生。お前だけって……一緒にいくに決まってるじゃないですか! 料理は僕で、紅茶は先生でしょう!? ふたりで一緒に新しい世界へ行って、また手帳にたくさんの記録を——」
「ルカ」
ヴィンセントの声は、静かで、圧倒的な絶対性を持ってルカの言葉を遮った。
「私は『過去』そのものなのだ」
ヴィンセントは自らの漆黒のコートの胸元を、大きな手で優しく撫でた。
「我が肉体、我が知識、我が羽ペン……そのすべては、滅び去った旧世界の記憶と調和の上に成り立っている。いわば私は、過去の記憶を完璧に保存し、次の世代へ受け渡すための『器』に過ぎん」
ヴィンセントは目を細め、目の前に座る幼き弟子……いや、いまや立派な「記録者」となった少年を愛おしそうに見つめた。
「未来へ進むことができるのは、まっさらな眼差しで世界を見つめ、新しい光を描き留めることができる『未来の存在』……すなわち、お前だけなのだ。過去の遺物である私が境界を超えれば、新しい世界の芽吹きそのものを歪めてしまう」
「そんな……! そんなの嘘だ……!」
ルカの瞳から、ボロボロと大粒の涙が溢れ出した。
「嫌です! 先生がいなきゃ嫌だ! ひとりになんてなりたくない! 僕が迷子になったら、誰が叱ってくれるんですか!? 先生が迷子になったら、誰が手を引いてあげるんですか!?」
ルカはテーブルに突っ伏し、長衣の袖を固く握りしめて子供のように声を上げて泣いた。
ヴィンセントは立ち上がり、ゆっくりとルカの脇へと歩み寄った。
そして、不器用で、けれど暖かな大きな手で、ルカの頭を力強く、優しく撫でた。
「……泣くな、へっぴり腰。……お前はもう、ひとりでも絶対に迷子にはならん。私がお前に教えられることは、すべてお前の中に根付いている」
ヴィンセントの手袋から伝わる体温。 それは、あの日冷え切った荒野でルカの手を取ってくれた時から、何ひとつ変わらない、世界で一番温かい師匠の熱だった。




