線画に宿る音色と、車内に響く称賛
「さて、ルカ。お前が音のない世界で描いた『旋律』を見せてもらおうか」
ヴィンセントが胸ポケットから、いつもの「藍色の羽ペン」を取り出した。
インク瓶の黒い水面にペン先が浸され、真鍮ランプの光が藍色の羽を静かに照らし出す。
ルカはソファーの上で姿勢を正し、卓上に自分の手帳を広げた。
今日のページには、先ほど『奏楽の塔』でルカが夢中で描き上げたスケッチと、そこに添えられた文章が残されていた。
ルカのスケッチは、圧巻だった。
見上げるほど高いパイプオルガンの塔、静まり返った鍵盤、そしてその無音の空間を縫うように描かれた、幾重もの光の波線。線の太さ、強弱、そして交差のリズムによって、見ているだけで頭の中に澄んだ交響曲が流れ込んでくるかのような、不思議な躍動感に満ちていた。
そしてその横には、ルカのまっすぐな筆致でこう書き添えられていた。
『音が出なくなっても、世界には目に見える旋律がたくさんあった。 僕たちの列車が鳴らすカタコトという音は、失われた街に勇気をくれる一番綺麗な音楽だ』
ヴィンセントは無言で手帳を見つめた。
羽ペンを持った手が、ぴたりと動きを止めている。ランプの橙色の光が、彼の厳格な横顔と、少しだけ見開かれた深い瞳を照らし出していた。
車内に訪れる、静かで愛おしい沈黙。
足元からは、列車が奏でるカタトコという規則的なリズムが心地よく響いている。
ヴィンセントは静かに息を吐くと、羽ペンの先をインクに濡らし、ルカのスケッチのすぐ下の余白へと向けた。
カリカリ、カリカリ……。
澄んだ音を立てて、藍色の羽ペンが紙の上を滑る。
書き終えたヴィンセントは、静かにペンを置くと、手帳をルカへと押し戻した。
「手帳を確認しなさい、ルカ」
ルカはおそるおそる手帳を手元に引き寄せ、ページを見つめた。
そこには、赤線による修正などひとつもなく、ヴィンセントの流麗で力強い筆致で、こう書き添えられていた。
——『音なき世界から旋律を紡ぎ出し、絵として昇華させたその感性、極めて見事なり。 お前が描いたこの線は、言葉や音を超えた、我が列車最大の『楽譜』である』
そして、その文章の末尾には、ヴィンセントの几帳面な文字で、はっきりとこう付け加えられていた。
——『よくぞ描いた、我が最高の弟子ルカよ』
「……あ……っ」
ルカの瞳から、ぽろぽろと大きな涙がこぼれ落ちた。
手帳の羊皮紙に涙の粒が滲み、小さな丸い染みを作る。だが、ルカは拭おうともせず、その文字を何度も、何度も撫でしめた。
「へっぴり腰」でも「弟子」でもなく、師匠がルカを自分の対等なパートナーとして、そして「最高の弟子」として心から認めてくれた言葉だった。
「……ありがとう、先生……! 僕、もっとすごい記録を残します……! どこまでも、先生と一緒に行きます……!」
「……泣くな、へっぴり腰。涙で手帳のインクが滲むぞ」
ヴィンセントは呆れたように言いながらも、自分の大きな手でルカの頭をぽんぽんと優しく撫でてくれた。その手袋の温もりが、涙で濡れたルカの心を、どこまでも優しく包み込んでいった。




