足音の消えたホームと、師の迷子癖
「……自分の足音も、聞こえづらいですね」
靴底が木製のホームを踏みしめる。普段なら「ギィ、ギィ」と不吉な音を立てる腐った木板が、まるで綿の上を歩いているかのように、こもった鈍い感触しか返してこない。
ルカは真鍮ランタンを持ち上げ、周囲を照らした。
プラットホームの天井からは、ガラス製の繊細な風鈴が無数に吊り下げられていた。風を受けてカラカラと揺れているが、そこからは何の音も生まれない。まるで無声映画の一コマを見ているような、奇妙な浮遊感に眩暈がしそうだった。
「音がないというのは、これほどまでに感覚を狂わせるものか」
ヴィンセントが黒革の手袋をはめ直し、周囲の音無き街並みを見渡した。
「視覚や言葉以上に、人間は『音』によって自らの存在位置を認識している。音が消えた世界では、距離感や平衡感覚が容易に削ぎ落とされる。……ルカ、私から離れるなよ」
「はい! ……あ、でも先生」
「なんだ」
「離れるなと言った直後に、なんで反対側の袋小路へ進もうとしてるんですか?」
「…………」
ヴィンセントは威厳たっぷりに右足を踏み出した姿勢のまま、固まった。
「……ほう。この街の音響空間は、音の反射だけでなく、歩行者の空間認識をも歪めているようだな。私の聴覚的平衡感覚が、虚構の音波に誘導されたようだ」
「音が一切しない街で『虚構の音波』も何もないでしょう!」
ルカは呆れて声を張り上げた。
「駅の出口はあっちです! 巨大なパイプオルガンが見えるほうです!」
「……ふむ。お前の直感的空間認識力をテストしてやったのだ。合格だ、弟子」
「言い訳が苦しすぎます! ほら、手を出してください!」
ルカはいつものようにヴィンセントの大きな手をギュッと掴み、無音の街路へと引っ張っていった。
音を失い、静寂に沈む美しい楽器の街。
音が聞こえない恐怖の中で、ルカの手の中に残るヴィンセントの手袋の温もりと、引っ張られる重みだけが、二人が確かにここに生きているという「唯一の現実」だった。




