音を失った風と、静寂の街
穏やかな裁縫の時間が過ぎて数時間後。
窓の外の景色が、ゆるやかに変化し始めていた。
それまで続いていた果てしない灰色の荒野が終わり、車窓の向こうに、異様な形状をした巨大な建造物の群れが姿を現し始めたのだ。
「……先生、見てください。何かすごい形をした建物がたくさん見えます」
ルカが窓ガラスに顔を近づけて声を上げた。
そこに広がっていたのは、かつて世界のすべての「音」と「音楽」が集まっていたとされる、奏楽都市の廃墟だった。
街全体がまるで巨大な「楽器」のように設計されていた。 住宅の屋根には無数の真鍮製の風鈴や音管が取り付けられ、街の通りには巨大なハープのような弦が張り巡らされている。広場の中央には、天を突くほどの巨大なパイプオルガンの塔が鎮座していた。
かつては、風が吹き抜けるだけで街全体が美しく壮大な交響曲を奏で、人々は歌と音に包まれて暮らしていたことだろう。
だが——今のその街は、恐ろしいほどの「沈黙」に包まれていた。
カタトコ……と列車が速度を落としながら街へ滑り込んでいく。
窓の外では、荒野の激しい夜風が吹き荒れ、建物の風鈴やパイプオルガンの管を激しく揺らしていた。だが、どれほど金属や木が激しく擦れ合おうとも、音というものが一切響いてこないのだ。
風鈴は無音で揺れ、弦は無音で震え、パイプオルガンの管はただ空しく風を通すだけ。
「……音が出ない?」
ルカは首をかしげた。
「風があんなに強く吹いてるのに……鈴の音も、金属の音も、何ひとつ聞こえません」
「当然だ」
ヴィンセントがコートを羽織り、真鍮のボタンを留めながら静かに言った。
「世界から『色』が消え、『言語』が蒸発した。そして次にこの世界から奪われつつあるのが……『振動』という概念なのだ」
「音という、概念……?」
「そうだ。物質が衝突し、空気が震えて耳に届く……その物理現象そのものが、世界の滅びによって骨抜きにされている。故に、どれほど器物を叩こうとも、音が生まれることはない。……ここは、世界で最も美しい歌を失った、沈黙の都市だ」
列車が「シューッ」と無音に近い排気音を漏らし、奏楽都市の中央駅へと滑り込んだ。
音を失った世界。それは、先ほどの「言葉を失った大図書館」とはまた違う、理不尽な静寂と孤独が支配する場所だった。




