忘却の書架と、導きの足跡
だが、問題はそこからだった。
この大図書館は、幾重もの円環状の書架が同心円状に配置された構造になっており、どこへ進んでも同じような石造りの柱と無地の書架が続いていた。おまけに『忘却の霧』が視界を遮り、方向感覚を狂わせていく。
「……ふむ。見えてきたぞ」
ヴィンセントが自信満々に胸を張り、ケープをはためかせながら通路を右へ曲がった。
「この建築構造は、かつて王都に存在した大環状書架の幾何学配置と完全に一致している。中央の大閲覧室への最短ルートは、私の頭の中で完璧に算定されている」
「本当ですか……? なんかさっきから、同じような崩れた閲覧台を何回も見てる気がするんですけど……」
「気のせいだ。空間の同一性に惑わされるな、弟子」
……それから十分後。
ふたりは、大きな彫刻の施された木製の閲覧台の前に立っていた。
さらに十分後。
ふたりは、再び同じ閲覧台の前に立っていた。
そしてさらに十分後。
ふたりは、三度目となる全く同じ閲覧台の前に立っていた。閲覧台のフチには、先ほどルカが迷子防止の目印として挟んでおいた、手帳の切れ端がそのまま残っている。
「……先生」
ルカは足元を指差し、死んだような目でヴィンセントを見上げた。
「この紙片、僕が十分前に挟んだやつです。三回目です」
ヴィンセントは微動だにせず、腕を組んで閲覧台を凝視していた。
「……ほう。この書庫の空間幾何学は、私たちが思っている以上に高度な位相空間を構築しているようだな。歩を進めるごとに空間が歪み、起点へと位相が巻き戻されている」
「ただの迷子です!! 空間のせいにしないでください!」
ルカは耐えかねて声を裏返した。
「右に曲がって、また右に曲がって、また右に曲がったら元の場所に戻ってくるのは当たり前でしょう! まんまと円を描いてぐるぐる回ってるだけです!」
「……ふむ。お前は円環構造の美しさを理解していないようだな。幾何学において円とは最も完璧な——」
「言い訳はいいです! こっちです!!」
ルカは呆れ果ててヴィンセントのコートの袖を力まかせに引っ張った。
「僕の勘だと、あの霧が一番濃くて、奥からうっすら青い光が漏れてるあっちの小道が中央です! 先生は黙って僕の後ろをついてきてください!」
「……む。弟子が師を導くなど、我が流派の威厳が……」
「威厳より迷子脱出です! ほら、足を出して!」
ルカはヴィンセントの大きな手をぎゅっと掴み、右ではなく、左の奥へと続く暗い階段の下り道へと足を踏み出した。
ヴィンセントは「ふん、無礼なへっぴり腰め」とボソボソ捨て台詞を吐きながらも、大人しく弟子に手を引かれて重い靴音を響かせ始めた。巨躯の大魔導士が、小さな少年に手を引かれて迷宮を抜けていく——今やこの旅の「お約束」となった光景だったが、手の中に残る互いの体温だけは、冷たい忘却の霧を押し返すほどに温かかった。




