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アオハルデッドライン 9




 


 アオハルデッドライン





 


 9









 ユウキが白いバンに連れ去られた少し前、図書室へ本を返却しに来ていた拓真と葵は足を止めた。

「なぁ……あれ……高畑せんせーじゃね?」

「え?」

 葵の言葉に拓真は、図書室の窓から見える学校裏の駐車場に視線をやった。駐車場には白いバンが1台止まっており、そこにグレーのスーツ姿の男が一人立っている。

 クセの強い黒髪を無理やり撫でつけたようなその髪型や背格好がとても高畑浩介に似ていると葵は首を傾げた。

「幾らなんでもまだ先生は病院だろ……?学校の屋上から落ちたんだぞ?骨折してるし、全治一ヶ月って言ってた」

「えー?でもめっちゃ似てね?」

 両足を骨折している人が数日で退院など出来るはずないと笑う拓真だったが、突然漂ってきた匂いに表情がピタリと変わった。あの時、屋上へ向かう途中で嗅いだ匂いと同じ匂いが漂ってきたのだ。

「……高畑先生だとして、っ……図書室まで匂いが漂ってくる事があるか……?」

「匂い?俺花粉症だからわかんねぇな……」

「"葵"、ちょっと先生に話しかけよう」

 拓真はそう言うと振り返って図書室を出ようとした。その腕を咄嗟に葵がぐっと掴んで、信じられないものを見るように大きな目を見開く。

「……あ……あれ……」

「え?」

 葵がごくりとツバを飲んで指を差した先を釣られて見た拓真は、思わず上げそうになった悲鳴を咄嗟に噛み殺した。

 図書室の窓にベッタリと張り付き、恨みがましく目を血走らせカクカクと妙な方向に首を傾げながら高畑浩介が図書室の中の自分たちを見ている。

 最早その形相は、人間のものではなかった。

「っ、先生……!!」

「どういう事だよっ、何でこっち見てんの!?」

 窓1枚を隔てているはずなのに、その恐ろしさに葵はぶるりと身震いした。先程よりも濃くなった匂いに堪らず拓真は腕で鼻先を塞ぐと、葵の腕を掴んで図書室を出ようとした。

 何か、とてつもなく危険なことが起ころうとしているのではないかと思った。今は頼れる遼介も、帝も翔太もいない、自分たちだけで何とかこの危機から逃れなくては。

 その時図書室の入り口で拓真の足元に突然、パサ、と音を立てて本が落ちた。入り口にあった新刊コーナーの一角に置かれていた本だと、拓真はその本に手を伸ばす。

「……日本呪術史……」

「何それ?」

「呪術に関することが書かれた本、だな」

 丁度真ん中程のところで左右にページを開く形で伏せられるように落ちた本を拾い上げて本を閉じようとした時、拓真の目にある一文が飛び込んできた。





 "強い執着は時に人を鬼へと変える"

 "鬼は、指先から真っ黒に染まり目を血走らせ、そして末期になると強大な力を得て、二度と人へは戻れない"

 "例外はない"




「……っまさか」

 拓真が振り返って窓の所に張り付いている高畑浩介を見れば、彼の指先は墨の中に突っ込んだかのように真っ黒に染まっていた。

「鬼になったっていうのか……!?」

「拓真、っ、何か聞こえてくる……!!」

「葵……!?」

 ドクン、と心臓が波打って葵は堪らず耳を塞いでその場にしゃがみ込んだ。砂嵐のようなザーという音が聞こえてきたかと思うと突如チャンネルが合ったかのように、葵の耳にノイズ混じりの声が聞こえてくる。

 







『上条ユウキは俺のものだ』

『俺のものだ』

『俺だけが、上条をわかってやれる』






 それはユウキの危機を葵が感じるには十分すぎるほどの、悍ましい声だった。声が途切れて葵が振り返ると、窓に張り付いていた高畑浩介は何事もなかったかのように駐車場にある白いバンへと乗り込んで車を発進させる。

「っ、拓真……俺、何か嫌な予感する……っ」

「あぁ……俺もだ」

 拓真は拾い上げた本の一番後ろに書かれていた文字が気になって横目に見た。本の最後には執筆者と執筆に関わった者の名前が綴られている。その中に一人、"堀越 実"という名前があったのだ。

 どうにもその事が気にかかったが、今はユウキの身の安全を調べる方が先だと拓真は丁寧に新刊の棚にその本を戻すと葵と共に図書室を出た。

 図書室を出て玄関の方へ歩いていく途中で、不思議そうに首を傾げて立ち尽くしている遼介と出くわす。

「っ、遼介……!お前帰ったんじゃなかったのか!?」

「あぁ、それが変なんだ」

 拓真と葵の姿を視界に入れて、遼介は何処か不満そうに唇を尖らせた。

「俺は今日学年主任の先生に呼び出されたと思ったんだが、さっき職員室に行ったらそんな呼び出しはしてないと言われた……聞き違いだったのかな」

「……遼介、冷静に聞いてくれ」

 拓真が先程図書室で見た高畑浩介の事を話そうとした時、遼介のスマホがけたたましく鳴り響いた。

「すまん、ちょっと待ってくれ」

 帝からだと言ってスマホの通話ボタンを押した遼介の耳に飛び込んできたのは、ユウキが何者かに連れ去られたというとんでもない情報だった。

「今から俺もそっちに……!!」

『間に合うわけねぇだろとっとと警察に連絡しろ……!!』

 車の特徴とナンバーを告げた帝の着信は、恐ろしい程大きなブレーキ音と共に途切れる。唖然としている遼介の肩に、拓真は両手を置いて揺らした。

「っ、ユウキが連れ去られたのか!?」

「……俺のせいだ……っ、俺が、一人にしたから……!!」

 可哀想なほど動揺して今にも暴走してしまいそうな遼介の眼前で、拓真はパチンっと大きな音を立てて両手を叩く。人を殴ったことなどないので、音を立てて遼介の気を引くくらいしか出来る事がなかったのだ。

「ユウキを連れ去ったのは高畑先生かも知れない、俺たちさっき白いバンに乗り込む先生を見たんだ」

 必死に遼介に言葉を掛ける拓真の肩を掴んで、葵も自分が聞いたあの言葉を遼介へ教える。

「そう、先生ユウキの事を"俺のものだ"って言ってた……!ユウキに何かしようとしてるかも知れない」

「ユウキの命だけじゃない、先生の命も危ない……自責するより先に、俺たちに出来る事があるんじゃないのか……!?」

「拓真……葵……」

「遼介には、俺たちがついてる」

 その拓真の言葉に、遼介の自責の念に駆られて曇っていた瞳に光が差す。本来なら今すぐに駆けつけてユウキを攫った車を追いかけたいが、間に合わないと帝に言われた。ならば自分たちに出来るのは、ユウキを連れ去ったのが高畑先生だと仮定して何処へ向かったのかを突き止める事だ。

「……職員室に、教員の名簿がある筈だ」

「行こう」

 3人は玄関に背を向けると、職員室のある2階へと続く階段を全速力で駆け上がっていった。







 

 

 


 小さい頃から、何処か両親と距離を感じていた。上条不動産の跡取り息子として、何不自由ない生活をさせて貰っていたのはありがたかったがそこに愛情というものを感じた事がなかった。父親は仕事で不在なことが多く、日中は母親が家にいたが構われた記憶がない。

 主に勉強の事は家庭教師が、身の回りのことは雇われた使用人の人達がしてくれていた。だからユウキは、母親と一緒に遊んだ事もないし一緒に食事をしたこともない。

 ユウキの部屋は、ユウキを閉じ込める監獄だった。大きな部屋、大きなベッドに溢れんばかりの玩具が綺麗に並べられているのにそこに温度がない。

 それでもユウキには、遼介が居てくれた。彼が居なければユウキはとっくに、手のつけられない程わがままな人間に育っていただろう。

『ユウキ、今日は一緒に家でよるごはんを食べよう』

『え?でも、めいわくじゃない……?』

『めいわくなんかじゃない、今日はだって、ユウキの誕生日だろ?プレゼントも用意してるんだ……来いよ』

 味気ない豪華な食事やケーキより、遼介の家で振る舞われる温かい食事の方が何倍も大好きだった。自分の子供じゃないのに、遼介の両親も姉たちもユウキにプレゼントを用意してくれてちっとも迷惑じゃないからいつでも来いと言ってくれる。

 いつだったか、あまりにユウキが遼介の家に入り浸るのでユウキの家の使用人が遼介の母親にお金を渡そうとしたことがある。その時遼介の母親は、とんでもない金額の入ったスーツケースを使用人に突っ返した。

『そんなものを用意する暇があるなら、ちゃんとユウキに愛情を注いであげたらいかがですか?』

 入りませんそんなもの!と怒る遼介の母親の言葉に、何も言えず部屋の奥で蹲っていたユウキを遼介は抱きしめる。

『……大丈夫、ユウキのことは俺がまもってやる』

『りょーちゃん……』

『やくそくだ』

 口癖のように遼介はユウキを守ると言ってくれた。その言葉が擽ったくて温かくて、ユウキは嬉しかった。遼介が居れば他に何も要らないと思えるくらい、遼介に心惹かれていった。一緒に鬼ごっこやゲームをする時間が、ユウキにとっては掛け替えのない宝物だった。


 

(りょーちゃんあのね)

(俺だって、りょーちゃんを守りたいんだよ)

(俺にかけてくれた情の半分も返せてない)

(だからいつか、ちゃんと返したいの)





 今まで掛けられた愛情の分を、遼介に返してやりたいとユウキは思っている。心と身体を守ってくれた遼介に出来る事はもうそれくらいしかないだろうと。

 目を開けた時、見知らぬ天井が視界に入ってユウキは瞬きをした。朦朧とする意識のせいで、何があったかを思い出すのに時間がかかる。白いバンにいきなり口を塞がれて乗せられた記憶が蘇ると、ユウキはハッとして身体を起こした。

「……っ、ここは……」

 整理整頓されたワンルームのベッドの上にユウキは寝かせられていた。両手首はロープのようなものでぎっちりと縛られており、足も同じように縛られている。キョロキョロと周りを見回して誰もいないことを確認すると、ユウキは上半身を起こして足のロープを解こうと手を伸ばした。

 固く結ばれてはいるものの、手を使えば簡単に解けてしまった足のロープを放り投げて手の拘束を解こうとした時、玄関の向こうから声が聞こえてくる。

『いいんすか、車の運転ってだけでこんなに貰っちゃって……すんませんね』

『構いませんよ』

『あんたあの男の子の事どうするつもり?』

 何かしら金銭のやり取りをしているような会話に、ユウキは息を潜めて聞き入った。確かに拉致された時、車の中に一人ともう一人運転手がいたはずだ。お金で雇われた人だったのかと、冷静に分析しながら必死で手のロープを解こうとユウキは両手首を動かした。

『関係ないでしょう』

『そうもいかねぇだろう。車の運転だけで20万ポンと出して何も聞くなと言ったけどな、口止め料っていうの、普通は払うんじゃねぇのか?』

『そうですか残念です』

 酷く冷静な声がしたと思えば次の瞬間には、ビシャっと何か水のようなものが噴き出す音と共に喉元から出たくぐもったような声ともつかぬ声が聞こえてきて、ユウキはあまりの恐ろしさにびくりと震えた。

 一刻も早く拘束を解いてここから脱出しなければ、己の命が危ないとユウキは焦る心を叱咤して必死に両手首のロープを解こうと藻掻く。だが焦れば焦るほどロープは強く手首に食い込んで外れない。

 遂には玄関の戸が開く音がして、ユウキは恐怖と驚きで全身を硬直させた。ゆっくりとした動作で玄関から入ってきたのは、今現在入院中のハズの高畑浩介だった。

「っ……先生……」

 幽霊の類が全く見えないユウキには、その姿はごく普通の人間に見えている。だが玄関で靴を脱いでフローリングに上がる仕草一つとして、何処かねっとりと狂気じみていた。

「やっと二人きりになれたな」

「先生、離してください……先生のやっていることは立派な犯罪行為です……!!」

「犯罪だなんて、悪いことをいう口だ」

 近付いてくる高畑浩介から距離を取ろうと、ユウキは自由の利く下半身を使って何とか後退る。後数メートルの距離で高畑が襲いかかろうとした直前に、ユウキはぐるりとその場で横に回転してベッドから飛び降りると走って玄関へ向かおうとした。

「ぅあっ」

 だが後少しで玄関の扉に手が掛かる直前で、ユウキは髪の毛を思い切り後ろに引っ張られて崩れ落ちた。振り返って眼前に迫る高畑の、虚空を見るような興奮した顔に背筋が凍りつく。はぁ、はぁ、と耳障りな呼吸音が響いてユウキは必死になって両手を顔の前に上げ抵抗した。

「っ上条、お前が悪いんだ……お前が俺を誑かすから、だからお前のせいだ……!!」

 高畑浩介は支離滅裂な事を告げると顔の前に掲げた腕に向かって勢いよく平手を打った。じんと痛んだ腕が、この状況の絶望感をユウキに伝えてくる。

「せん、せい……っ!!嫌っ、やめてください……!!」

「お前はそうやって男を誑かしてきたんだろ!!」

 その言葉はユウキの心を抉り取るように傷つけるには十分な威力を持っていた。ずっと前から、身の回りで起きている不可解な出来事に薄っすらと気がついていたのに、怖くて遼介を問い詰めることが出来なかった自分が、心底憎い。

 もっと早くに知れていたら、もっと早くに一人になれたのに。ユウキの目尻に浮かんだ涙の粒が、零れ落ちてフローリングに染みを作る。

「そうだ……いい子だ……抵抗しないでくれ……お前が全部悪いんだよ……ッ」

 高畑が嬉々とした表情で、ユウキの着ているワイシャツに手をかけた次の瞬間だった。







 

 


 ドカッ、と重い音が鳴り響いて、高畑の身体がほんの少し浮いたかと思うと埋めきながらユウキの上から退いたのである。唖然とするユウキの腕をぐい、と引いたのは

「……みかちゃん……っ」

「てめぇの心の弱さをユウキのせいにしてんじゃねぇよクズ野郎……っ!!!」

 息を切らして駆けつけた帝だった。後ろにいる翔太は、玄関の戸のところで血を流して倒れている大学生くらいの男を眺めながら冷静にスマホで通報をしている。

 引き摺られるように立ち上がったユウキを翔太に託すと、帝は両手の拳をボキボキと鳴らして蹴られた衝撃で吹き飛んだ高畑の方へ近付いた。

「……立てよ、ぶん殴ってやる」

「どうして」

「あぁ?」

「どうして、どうして俺の邪魔をするんだァ……!!!!」

 蹴られた腹を庇いながらゆらゆらと立ち上がって、俯いていた顔を上げた瞬間、翔太と帝にはその姿が見えた。

 真っ赤に血走った目はこぼれんばかりに飛び出し、カクカクと首が不自然な動きをしながら傾いている。真っ黒な墨のようなものが指から徐々に両手全体を包みこんで、高畑の頭部の2箇所が不自然にぼこっと隆起し始めたのだ。

「……鬼や」

 呟いたのは翔太だった。何が起こっているかわからないユウキを後ろ手に庇って、自分の制服のポケットに手を入れて探った。この状況が危険だと理解した翔太は、片方の手で玄関口に無造作に置いてあったゴルフクラブを取ると、帝目掛けて放り投げる。

「そいつはもう鬼になって、戻られへん……!!"帝"、頭の2箇所が完全に角になる前に仕留めんで……!!」

「……ちっ、そういうことかよ……!!悪霊退治の次は鬼退治か!?桃太郎じゃねんだよこっちはよ」

「犬やなくて狐やけどお供にしてもらえる?」

 軽口を叩きながらゴルフクラブを構える帝と、ポケットから取り出したお札を構える翔太に、高畑は低く動物のような唸り声を上げて二人へ襲いかかる。

「上条をよこせェエエエエエ!!!!」

 低い位置から飛びかかるように跳んできた高畑の腹部に、帝はフルスイングでゴルフクラブを叩き込む。怯んだ隙に翔太がお札を貼ろうとした次の瞬間だった。

 高畑が腹の底に響くような雄叫びを上げ、突然その場にバチバチバチッと勢いよく電気が走る。ゴルフクラブを構えていた帝はその電気をもろに食らってその場で感電し、全身の筋肉が硬直し崩れ落ちた。

「っ、ぁ……」

 同じくその場にいた翔太も電撃を食らって、ガクガクと震えながらフローリングに膝をつく。

「っみかちゃん!!しょうちゃん……っ!!」

「か、かみ、かみじょ、……っ、おれの、お、おれのもの……おれの、おれのもの……っ」

 突然その場で倒れた帝と翔太の姿に、ユウキは恐怖のどん底に落とされた。高畑は意味の分からない言葉を発しながら、どんどんユウキに近付いてくる。

 愚鈍な動きでユウキのもとへ向かおうとする高畑の足を、倒れたまま意識を失いそうになっている帝が必死に痺れる手で掴んだ。

「……い、かせるか、よ……っ!!」

「と、どけ、じゃ、じゃ、邪魔だ」

「ぅ"ぁあっ……!!」

 高畑は帝を冷たい目で見下すと、もう片方の足でグリグリと帝の手を抉るように踏みつける。感電したせいで全身に力が入らない、熱くて何処か肉の焼けるような匂いが漂っていた。血管が切れたのか、帝の鼻からは出血をしておりその血がポタポタと床に垂れている。

 翔太は手にしていた札が真っ赤に染まるほど、両手の爪全部が衝撃で割れて血だらけの状態で小刻みに震えながら、口の中に溜まった血をその場に吐き捨てた。

「……待てや」

「邪魔ヲすルな!!」

「俺はまだ死んでへんぞ、ユウキをどうにかするんやったら俺を殺してから行け……!!」

「っ、しょうちゃん……!!」

 ユウキは堪らずその場から飛び出すと、睨み合う翔太と高畑の間に翔太を庇うように両手を広げて滑り込んだ。潤んだその黒い瞳がじっと、高畑を見上げる。

「もうやめて……!!やめてください!!先生……っ、これ以上みんなを傷つけないで……!!」

「っ、バカヤロ……ユウキ、逃げろ……!!」

 必死に高畑の動きを止めようと、帝がその足を抱え込む。逃げろと言われてもユウキにその選択肢は一つもなかった。今ここで逃げてしまえば、きっと翔太と帝は殺されてしまう。この場を止められるのは、自分だけだと。

「俺を殺したいなら殺せばいい……!!それが目的なんでしょう!?俺に何の価値があるのか知りませんが、そうしたいならどうぞ……抵抗なんて、しませんから」

「ユウキ……!!」

「ユウちゃん……」

 高畑の前に立ちはだかったユウキの、全身を取り巻くオーラが変わるのが翔太にはわかった。燃えるような黒い瞳が意思を宿して、覚醒するような白いベールがユウキを包みこんでいる。

(ずっと考えてた)

(ユウちゃんの体質が、もしも白水晶によるもんやったとしたら……ユウちゃん自身が白水晶の影響を受ける可能性があるんとちゃうかって)

 周りに影響を及ぼしていたその力が、自己の覚醒によって今度はユウキ自身に影響を及ぼす可能性を翔太はずっと考えていた。遼介が黒水晶の一部を自身に取り込んだのと同じように、ユウキも過去に"白水晶の一部を身体に取り込んでいた"のだとしたら。

「っ、な、なんだ」

 突如として高畑の動きがぴたりと止まった。ユウキの内なる秘めた想いが、白水晶の力に呼応するように緩やかな風となってその場を満たしていく。

 その風に触れた途端に、ビリビリとしびれていた全身が止まり帝の鼻血が止まる。翔太の真っ赤になった指先も細胞が再生するかのように見る見るうちに元に戻っていった。

「……白水晶が増幅させたんは……ユウキの中の、"癒し"の力か……」

 誰にも傷ついて欲しくない、血を流して欲しくないと願うユウキの心が白水晶によって力を得て、帝と翔太の傷を治し高畑の動きを止めている。

「せやけどあかん……限界や」

 だが一度蛇口を捻ったかのように溢れ出した力が枯渇するのは早かった。解放し続ける力が少し弱まった隙をつく形で高畑の手がユウキの首筋に触れ、喉元を締め上げる。

 常人とは違い鬼になった高畑に躊躇はなく、一気にぎゅっと気道を塞がれ息ができなくなったユウキの身体が徐々に浮いていくのがわかって、帝はゴルフクラブを握りしめた。















「……っユウキ!!!!」

















 静寂を切り裂くような、遼介の声がした。職員室から高畑の住所を探り当てた遼介たちが到着したのだ。首を絞められているユウキの姿を視界に入れた途端に、遼介を纏う雰囲気が漆黒に染まる。

「りょ……ちゃ、ん……っ」

「邪魔ヲすルな……!!!後少シで、上条は俺ノもノにナるンだ……!!」

「……その手を離せ」

 ひと言だけそう言うと、遼介は躊躇なく高畑の顔面を黒水晶の埋め込まれた手で鷲掴みにした。ズブズブとその顔面にめり込んでいく指の力に、高畑は堪らずユウキの首から手を離す。解放されたユウキの身体が意識を失って倒れ込むのを、咄嗟に拓真が支えた。

「う、ガッ……」

「何のためにユウキを狙う……!!ユウキが、あんたに何をしたっていうんだ……!!」

 語気を強めながらも遼介の手は冷静に高畑の脳髄にめり込むようにとんでもない力で頭蓋を締め上げている。思わずその光景に葵は口を手で覆い、拓真は目を逸らした。

「ち、がう、上条ガ、悪い……っ俺は、俺は誘惑されたんだ……!!!」

「そうやって、前の学校で女生徒を盗撮して問題になったらしいな」

 静かにその事実を高畑に突きつけたのは拓真だった。三人が職員室へ高畑の住所を調べに行った時に、担任の先生たちが話をしているのを聞いた。高畑は前任の高校で懲戒免職となってたった三年の月日で教員免許を再取得し、何食わぬ顔で経歴を隠して久留米高等学校へやってきたのだ。

 "鬼"になり得るには十分な理由が、高畑の心の奥底には眠っていたといえる。

「他人の心を踏みにじる行為はそんなに楽しかったか?」

「っ、……俺は……おれは、悪くない……」

 いやいやをするように首を横に振る高畑の頭蓋に指を食い込ませたまま、遼介は何処までも冷静な口調を崩さない。










 

「そうか……なら、地獄で閻魔様にそう言い訳をするんだな」

 

 

 

 

 

 







 遼介はそのまま、躊躇いなく高畑の頭蓋骨をバキン、と握力で握り砕いた。次の瞬間悍ましい動物のような断末魔を上げて、高畑はもんどり打つように部屋のフローリングに転がり暫くピクピクと痙攣した後ぴたりとその動きを止めた。

 隆起していた角は無くなり、真っ黒に染まっていた手は元の色を取り戻していたが、鬼として侵食された魂はもう元の身体へは戻らない。

「……し、んだのか……!?」

 戸惑うような葵の声に、翔太はよく見ておけと高畑の方を顎で指し示した。元通りに戻ったはずの高畑の身体が、まるで腐食したコンクリートブロックのようにボロボロと爪先から崩れていく。

「人間、鬼になってしもたら最期形も残らん……身体も魂も……そのまま消え失せるだけや」

「ちっ……後味の悪りぃ話だな」

 翔太の言葉に舌打ちを漏らすと、帝はゴルフクラブをポイッとその場に投げ捨てて制服のズボンについた埃を払った。 

  既に高畑の魂と身体は、鬼になるより以前に死んでいたと言える。遼介はあくまでもその"鬼"を破壊しただけだ、と言う翔太を見つめながら拓真は口を開く。

「救う道は、ないんだな。これが最善の方法だったんだよな……?」

「救われへん魂もある……お前ら、覚悟せぇよ。水晶に関わる以上、もっと人間の汚い所目の当たりにすんで」

 逃げるなら今だと翔太は言っているのだと、その場の全員が理解した。"巻き込まれる覚悟"を全員がした、自分たちを救ってくれた遼介やユウキ、翔太の為なら多少の怪我も厭わないと、そう思う気持ちに嘘偽りはない。

 言い淀む拓真の肩をぽん、と叩いて、葵は意を決したように噛み締めていた唇を解いた。

「上等だ」

「……葵……」

「そりゃ怖いし悲しいし、……もっと何かあったんじゃねぇかって思うよ。でもさ、そういう風に"最善の方法"っていうの?探してくヤツも絶対必要なんじゃねぇの?」

 これから先もっと大変な事態が自分たちを待ち受けているというのならば、拓真の思想は絶対に必要だと葵は語る。感情ではなく理論で、鬼へ立ち向かう人間が自分たちには必要なのだ、と。

 黙りこくったまま俯いて己の拳を見つめる遼介の肩を、帝が遠慮なく掴んで引き寄せた。

「っうわ」

「勝手に暴走しなかったとこだけは褒めてやる」

「……帝……」

「あと全力で走ったから足が痛てぇ、肩貸せ」

 ぐ、と遼介の肩を掴む帝の掌の温もりが、遼介を認めてくれているようで心がじわりと温かくなった。気を失ってしまったユウキを翔太が背負って、6人はこっそりと高畑のアパートを後にした。

 高畑浩介は突如行方不明となり、住んでいるアパートから大学生の遺体が見つかった事で警察も行方を追っているというニュースが後日、館下浦区を賑わせたのは言うまでもない。また、前任の学校での盗撮事件も明るみに出たことで高畑へのヘイトがSNSで渦巻いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 


 そうして数日が過ぎたある日。眩い程の青空が広がる5月の最終週、太陽の照りつける初夏の風に吹かれながら第42回 久留米高等学校体育祭が始まりを告げたのである。

 種目は借り物競走、50メートルを走った後に地面に置かれた札を引いた生徒たちが一斉に待機生徒たちの下へ走った。

「みーかちゃん」

「……帰れ狐野郎」

 やる気なく椅子に浅く腰掛けて、学校指定の黒いジャージのポケットに両手を突っ込んでいる帝に、嫌がらせ全開の笑顔を貼り付けて翔太が走ってくる。

 競技には出ていない葵が、何なに、何書かれてんの?と聞けば翔太はその三白眼をにんまりと綻ばせて、見せつけるようにラミネートで保護された札を二人へ見せた。

「……お母さん……?」

 札に書かれた文字を葵が読み上げた瞬間、帝は素晴らしい瞬発力で翔太の襟首を締め上げる。

「てめぇふざけんじゃねぇ……!!」

「しゃーないやろおかん言われたら俺のなかではもうみかちゃんなんやもーん」

「一発殴らせろ」

 くねくねと品を作ってふざける翔太に、帝の怒りは頂点に達しているようだ。あはは、と苦笑いする葵を他所に拓真は椅子の上で体育座りをしていじけている。

「体育嫌いなんだよ、なんでこんなものが学校の行事としてあるんだ……!!」

「おもれーじゃん!俺体育大好き〜!!」

「葵には、走る時に転倒する俺の気持ちなんてわからない……タイムも遅いし、馬鹿にされるし……っ!!」

「そんじゃあさ、終わったらカラオケでも行こうぜ」

 な?と笑いながら葵は拓真の背中をバシバシと無遠慮に叩いた。今だに奥の方で問答を繰り返して揉めている帝と翔太は放っておこうと拓真は誓う。







 



 



「みかちゃん!!しょーちゃん!!拓真、葵……!!」




 




 


 






 不意に名前を呼ばれて、4人は顔を上げた。そこにいたのは借り物競走に出場していたユウキの姿で、遼介の腕に片手を絡めて嬉々として札を振っている。

 その札には、"友達"と大きな字で書かれていた。

「……そらお呼ばれせんとあかんなぁ」

「しゃーねぇな」

「はいはいはいはい!!俺ユウキと友達だもんね!!」

「走るのかこれ!?むりむりむり!走れないぞ俺!?」

 帝が腰を上げ、嬉々としてユウキの元へ向かう葵、そして自分の札はそっちのけの翔太、速く走れないと辞退しようとする拓真の腕をユウキは掴んで走り出す。










 

「四の五の言わないっ、走るよ皆……!」

 

 

 

  

 

 





 まだ、6人の青春は走り始めたばかりである。

















 to be Continued

 

 

 

 



  

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