アオハルデッドライン 7
アオハルデッドライン
7
「あ、あの……っ、好きです……!!つ、付き合ってください……!!!!!」
ガバッ、と頭を下げる黒髪の女の子を振り返って、帝は突然の告白に動揺する素振りもなく立ち止まった。たまたま一人だった下校前の校門の所で、沈む夕日が鮮やかに二人の影を作り出す。肩から斜めにかけた鞄を少し直して、帝は両手をポケットに突っ込んだ。
「悪い、今あんまそういうの考えらんねぇから他当たって」
「……っ滝山くん」
中学くらいから一気に伸びた背丈と、母親譲りの迫力系美人な顔立ちも相まって帝は非常によくモテた。特に何故かは知らないがクラスでも大人しい感じの女子に人気があり、時たまこうして告白される事があるのだ。
目の前の女の子も、大人しそうな黒髪のボブヘアーにメガネを掛けたクラスのなかでも目立たない子だった。
「……かっ、上条くんには関わらないほうがいいよ」
「あ?」
「私二ツ川中だったから知ってるの、上条くんは……関わった人全員を破滅させる、……オム・ファタールなんだよ」
二ツ川中学とは、遼介とユウキが通っていた中学だ。地区内では中盤くらいの偏差値の学校で、久留米高等学校の生徒の大半はこの中学から入学している。
「……何ファタールか知らねぇけど、あんまりそういうのはべらべら他人に喋るもんじゃねぇぞ」
「滝山くんは知らないんだよっ……!!上条くんに関わって、っ、どれだけの人が大変な目に遭ったか!!」
あっそ、とさほど興味も示さずに帝は踵を返した。正直聞く気は全く無かったし、どうせ振られた女の腹いせだろうなくらいに思っていた。
「あ、あれ、帝今帰りなのかい?」
物凄くわざとらしい偶然を装ったような声に、帝はジト目で振り返ってため息を吐いた。明後日の方向を見ながら頬を紅潮させ、モジモジと近付いてくる拓真を小突いてやる。
「てめぇ見てたろ」
「ご、ごめんちょっと気になって……!!」
「出歯亀してんじゃねぇよ」
まだ後ろの方で帝の背中をじっと見つめている女生徒が気になるのか、拓真は振り返りつつも歩みを緩めた。
「……オム・ファタールって何だ」
「オム・ファタール……?」
一瞬怪訝な顔をした拓真だったが、合点がいったようで直ぐに饒舌に話し始める。
「あぁ、ファム・ファタールの男性系だね。ファム・ファタールっていうのは男を破滅させる女の人の事さ……だからその、オム・ファタールは周囲を破滅させる男って意味だよ」
「周囲を……破滅させる男……」
「どっちもフランス語だけど、帝フランス語に興味があるのかい?」
「ねぇよバーカ」
解説を聞いているうちにバカバカしくなった帝は、早々に話を切り上げた。男を破滅させる女、はまぁわからないでもないが男を破滅させる男などいてたまるものかという思いがあった。
そもそもあんなぽややんとしている能天気なユウキが男を誑かして手玉に取るような事をする筈がない。
「くだらねぇ与太話聞いちまったな」
「何か言われたのか?告白されてたみたいだけど」
「……別になんでもねぇよ」
「そう?あぁ、それでこの間言ってたゲームのことなんだけど……発売日が決まったみたいでさ!一緒にやる?」
こういった拓真の子犬みたいな言動は、しばしば帝を翻弄する。まるで雨のなかで拾い上げた捨て犬みたいな言動で寄ってくるのを、帝は満更でもなく思っていた。
「良いけど、お前ん家でやんの?」
「うん……帝が嫌じゃないなら」
「俺呼んで大丈夫か?お前の母ちゃん、不良が家に来たってぶっ倒れちまうかも知れねぇぞ」
「ちゃんと友達だよって言うよ」
そのひと言の重みがどれほどのものか、帝にはわかる。今まで友人を作ることも叶わずひとりぼっちだった拓真が母親に友人として帝を一番初めに紹介する、という行動の重みを。だからこそ大丈夫かと気遣う帝の優しさに、拓真はしっかりと言葉を返したのだ。
「……帝は僕の友達です、って」
「……あっそ」
「ちょっ、何だよその反応……!!」
待てよ!と追いかけてくる拓真から逃げるように、帝の足はどんどん速くなる。正面から夕暮れの空を切るように風が吹いて、帝の赤く染まった耳が拓真には見えた。
(素直じゃないなぁ……)
ぶぇっくしょん!と派手に教室内に響き渡るようなくしゃみをした葵は、唸り声を上げながら今日も今日とて、拓真の机の上で自由気ままに両手を伸ばしてへばりついている。
「……花粉症か?もしかして」
「ぞう"な"んだよ"ぉ"〜!!鼻水がどま"らな"い"ぃ"」
「ティッシュ使う?」
「あ"り"がと"う"お前い"い"奴だよ"な"ぁ"!!」
ずびびびび、と鼻水を啜る葵に、拓真は持ってきていたポケットティッシュをそのまま譲った。目も鼻の下も真っ赤にしている葵の姿は流石に憐憫を誘ったようである。
「そーいや、ユウキは〜??いなくね?」
鼻をかみ終えてスッキリした葵がキョロキョロと教室内を見回したが、ユウキ一人だけリュックはあるのに本人の姿はない。昼休みだというのに何処へ行ったのだろうか。
「上条くんなら高畑に屋上に呼び出されてたよ」
「……高畑?」
声をかけてきてくれたのは、日直の女子生徒だった。黒板消しを持ったまま彼女は困ったように眉を顰める。
「ほらあのさぁ、先週来たばっかの英語の先生!」
「あぁ〜!えーごの先生がユウキに何の用事なんだろ?」
「えー?!佐々木知らないの?上条くん高畑に何か目ぇ付けられてるって噂じゃん」
日直の女子生徒が少し引き攣った顔でそう言うと、それまで黙っていた遼介の周りの空気が変わったのが帝にはわかって、机に伏せていた顔を上げた。
「ユウキが〜!?帝じゃなくて!?」
「お前な、わざとか?わざと俺を怒らせてんのか??」
いきなり会話に巻き込まれた帝が不機嫌そうな低い声で告げると、葵は己の失言を笑って誤魔化した。
「確かに……堀越や帝みたいな派手なタイプに目をつけるならともかく、何でユウキなんだろう」
拓真も疑問に思ったのか首を傾げてそう呟いたが、女子生徒にも真相はわからないようでさぁ、と肩をすくめる。
「ユウキも困ってるなら言ってくれたっていいのになぁ!」
「お前の口が羽より軽いからじゃねぇの?」
「ひっでぇー!!俺そんな口軽くねぇもん!!」
と、葵と帝がいつものような軽口を叩き合っていた、その時だった。不意にどん!という不気味な音と共に、何か黒いものが窓の上から下に落下していくのが見えて、複数名の女子が悲鳴を上げ教室内が騒然とする。
「い、今の何!?」
「遼介ッ窓開けろ!!」
帝の言葉に遼介が窓を開けて下を覗き込んだ。カラスじゃねぇの?と冷やかし半分で窓側に駆けつけて窓を開けた男子連中は、下に広がっていた光景に腰を抜かして情けない悲鳴を上げる。阿鼻叫喚の教室内で、遼介は舌打ちをひとつしてその場から駆け出した。
「何だよあれ……っひ、人!?」
「どう見ても人だろ……っ誰か先生呼んでこい!!」
帝がそう叫ぶと、泣きじゃくっていた女生徒の一人が転がるようにして教師を呼びに職員室へ向かった。
教室の真下にある中庭の植木に、だらりと四肢を投げ出したようにして倒れているのは間違いなく人である。遠目ではあるが、頭部からは血が流れているのか赤黒い血溜まりがあるのが見えた。
「なぁあれ……高畑先生じゃないかな」
拓真の言葉に帝の脳裏には先日告白してきた女生徒の言葉が蘇る。"オム・ファタール"、周囲を破滅させる男。
(……ばかやろ、んなわけあるか!!)
ぶんぶんと首を横に振ってその考えを吹き飛ばすと、帝は遼介の後を追いかけるように教室を出ていく。屋上への階段を数段飛ばしながら駆け上がり、鍵のかかっていない扉を思い切り押すとそこには俄には信じがたい光景が広がっていた。
ふわりと頬を撫でたのは、春にしては冷たい風だった。ユウキは、駆けつけた遼介の腕のなかで気を失い固く目を閉じている。対する遼介は、足音に気付いたのかゆっくりと帝を振り返った。
「……帝……」
「ユウキは、無事なのかよ」
「あぁ……気を失ってるだけだ」
何があったんだ、とか、どうしたんだ、とかいう言葉は一つも帝の口からは出せなかった。遼介の雰囲気がいつもとは少し違うような気がして、帝は意味もないのに一歩後ろに下がってしまう。
「すまない、騒ぎになる前に保健室に運びたいんだが」
そう言うと遼介は気を失ったユウキを軽々と背負って、屋上から出て行こうとした。すれ違って堂々と屋上から退場しようとする遼介に帝は我に返る。
屋上の冷たく強い風に煽られる髪を気にも留めずに、帝は必死に遼介の目の前の壁に手をついて彼を制止した。
「……帝?」
「説明、することがあんだろ……っ」
真剣に射抜いてくる整った帝の瞳の奥に宿ってしまった疑念がある。そんなはずはないと否定したいが、目の前の状況はそうさせてくれない。ならばどうか、遼介の口からきっぱりと違うと否定して欲しかった。
「どうしてユウキが屋上にいんだよ、っ、下に落ちたのは高畑なんじゃねぇのか!?どーなってる、ちゃんとわかるように説明しろよ……っ!!」
「……俺にだってわからない……それに駆けつけたときにはユウキはもう気を失っていた」
屋上へ続く扉の前で睨み合う遼介と帝を追いかけてきたのであろう葵と拓真の二人が、階段の踊り場で張り詰めた空気を感じ取って立ち止まる。
「ちょっ、何やってんだよ二人とも……っ!!」
一瞬遅れて即座に二人の間に入る葵とは違い、冷静にその場に留まった拓真の鼻先にふわりと、嗅いだことのない花のような香りが漂った。強烈な匂いではない、どちらかと言うと残り香のような薄っすらとした芳香に拓真は眉を顰める。
(……香水の匂いじゃ、ない)
(この中に香水をつけてる奴はいないはずだ)
付けているとすればおしゃれな翔太くらいで、一見不良で素行の悪い帝は下に弟たちがいる為なのか香水の類は付けていない。葵はどちかというといつも畳のような、祖父母の家のような匂いがするし、遼介は柔軟剤のせっけんみたいな匂いがする。ユウキはホワイトムスク系の柔軟剤の香りだ。
(じゃあ、誰の匂いなんだ……?)
辺りを見回してみたが、ここに辿り着いている女生徒などいない。勿論教員もいないので、今この場にいるのは自分たち5人だけだ。拓真がもっと意識を集中させようとしたその時、遼介が遮るように言った。
「通してくれ、ユウキを保健室に運びたい」
「あ、あぁ……」
「おい!まだ話は終わってねぇぞ……!!」
葵が間に入ったことでスタスタと階段を降りてきた遼介に、拓真は思わず道を開ける。ユウキを背負ったまま強引に質問から逃れようとする遼介の背に、帝は鋭い視線を投げかけた。挑発するようなその言葉に遼介は振り返る。
「……それは、ユウキを保健室に運ぶよりも大事な話なのか?……そうなんだとしたら話をしよう」
ぶつかり合う二人の視線は一歩も互いに譲らない。見かねた葵が二人を交互に見ながら口を開いた。
「お、おいりょーすけ……?喧嘩すんなって、お前ら一体どーしちゃったの?」
葵の動揺した言葉にはぁ、と深く一度だけため息を吐くと遼介はわざわざ階段を数段登って帝の肩をぽん、と叩いた。
「人が上から落ちて動揺してるんだ、帝。今のお前は冷静じゃない、そうだろ?」
「……お前、俺が冷静さを欠いてんな質問したと思ってんのか……?」
「動揺したんだよな?」
畳み掛けるような遼介の口調は、もうそれ以上は踏み込んでくるなというある種の壁の如く帝の追求を拒んだ。一瞬その鋭い視線に怯んだ帝に踵を返して、遼介は再び静かに階段を降りて行ってしまう。
「ちょっ、待てよ〜俺も行く!」
慌てて葵が二人を追いかけていった後、帝はぎり、と歯噛みするとそのまま屋上の扉を思い切り足で蹴り上げた。
「っ、何もねぇわけねぇだろ……!!ふざけんな……!!」
「み、帝……」
それは時に眩い閃光のように、記憶の奥の端っこからチカチカと脳内に侵食する。指先一つ動かせない泥濘に頭まで浸かってしまったみたいな感覚のなかで、ユウキは事更にゆっくりとその瞼を開けた。
「……ユウキ、目が覚めたか?」
「りょーちゃん……」
視界に映ったのは保健室の天井と、心配そうに覗き込む遼介の姿だった。虚ろな目をしたユウキの額に手を当てると、遼介は安心させるように微笑んだ。
「葵には今飲み物を買ってきてもらってる、ここには俺以外に人はいない」
「……俺……どうしちゃったの、……?」
「倒れたんだ。心配ないよ家まで送る」
「りょーちゃん」
か細く柔らかい声が、縋るように遼介の名前を呼ぶ。遼介はその声に応えるようにしてユウキの手を握りしめた。
遼介が己のために何かを必死に隠している事を、ユウキは薄々気がついていた。だがその"何か"を暴いてしまえば、全てが崩壊してしまうような気がしてユウキは口を噤む。
ユウキの人の良さを表すような優しい垂れ目の縁からつ、と一筋涙が零れ落ちて、遼介は祈るように握りしめた手を自分の額に押し付けた。
「……お前のせいじゃない」
「せんせ、は……?」
「お前は何も知らなくていい……っ」
「りょーちゃん……っ、一人で全部……背負わないでよ……」
お願いだよ、と告げるユウキのその目を、遼介は片手を覆い被せて塞ぐ。昔からそうだった、遼介がその仕草をすればユウキはまるで魔法に掛かったみたいにして意識を失う。
『やくそくする……っ、俺が!ユウキを絶対まもるって!!』
『ほんとに……?』
『ゆびきりげんまんうそついたらはりせんぼんのーますっ』
『ふふ、……やくそくだよ……りょーちゃん』
幼い頃からずっと、ユウキを守るために生きてきた。周囲が女性だらけの環境で育った遼介の中でユウキは唯一出来た弟のようだった。幼稚園でユウキのくせっ毛を馬鹿にして泣かした奴は殴って倍以上に泣かせたし、小学校でユウキを女みたいだと笑った奴は鬼ごっこで再起不能になるまで追いかけ回した。
「……ユウキ……っ」
別になよなよしているわけではない、ユウキはどちらかと言うと男臭いところもあるのを遼介は知っている。女の子の代わりにしているわけでもない。
遼介の中ではユウキは、最早"ユウキ"という一つのカテゴリーなのだ。彼以外にそれは存在し得ない、ユウキを今までもこれからも守り続けるのが己の役目だと思っている。
「そない思い悩むんやったら、ユウキに何重にも掛けとるフィルター外したれよ」
「っ、翔太」
いつの間にいたのか、保健室のドアを開け放ったところに翔太が腕を組んで立っていた。いつも剣呑としている三白眼は、射抜くように遼介を見つめている。
「お前、ユウキに幽霊が絶対に見えへんようにフィルター掛けとるやろ……それも何重にも」
「……知ってたのか」
「俺を誰やと思ってんねん」
いくら霊感がほぼゼロに等しいとしても、これだけ周囲に影響を及ぼす遼介と共にいて何も見えないのはおかしいと翔太は気が付いていた。むしろ遼介がユウキの一番近くにいる事によって強烈なフィルターが掛かって、ユウキには幽霊が全く感知出来なくなっているのだ。
「……高畑せんせーは救急車で運ばれてったで。まぁ骨くらいは折れとるかも知れんけど、意識はあったみたいやから全治一ヶ月とかその辺やろな」
「そうか」
「呪いかそれは」
静かにそう聞いた翔太に遼介が答えるより一瞬先に、葵の走ってくる足音が近付いてくる。
「ショータお前何処行ってたんだよ!」
「まぁちょっとな、野暮用や」
「あ!遼介、頼まれてたスポドリ買ってきたぞ〜!」
葵の手から遼介がスポーツドリンクを受け取ったのを見た翔太は、ドアに寄りかかっていた姿勢を変えて背を向ける。校舎内に数個自販機があるが、スポーツドリンクを売っているのは一番遠い体育館の側の自販機しかない。
わざわざそこに葵を行かせたのは、時間を稼ぐためだろう。何かしらの見せたくないか聞かせたくないものがあった、と仮定して翔太はヒラヒラと手を振って別れる。
この騒ぎでは授業どころではなさそうだと翔太はそのまま屋上へ向かおうとしてふと、そのドアが開いているのに気が付いた。誰か先約がいるのかと覗けば、そこにはフェンスに背中を預けて帝が立っていた。
(可愛い奴やなぁ)
(めちゃくちゃ落ち込んではるやないか)
後ろから吹く風に煽られて、柔らかな茶髪が靡く。歩いてくる翔太の姿を視界に捉えた帝は微動だにしないまま、その長い指で乱れた髪を梳いた。
「みかちゃんたら、授業サボるなんて不良やねぇ?」
「おめーも同じだろーが」
「これでタバコ吸ってたら停学間違いなしやで」
「吸わねぇよんなもん」
翔太はからかうような軽いニュアンスで会話しながら、何処までも広がる青い空を見上げるように屋上のフェンスを両手でがし、と掴んだ。
「……おかしいと思わねぇの」
「何がぁ?」
「屋上のフェンスには何処も穴が開いてる形跡はねぇ、フェンスの高さは2メートルくれぇはある……普通に考えて誰かが突き落とすのなんざ不可能だ」
あぁそれを確かめるために屋上に残っているのかと、翔太はちらっと帝に視線をやった後ふぅん?と気のない返事をした。きちんとワックスで散らした金色に近い色素の薄い翔太の髪が屋上の強い風に揺れる。
「……てめぇで登って落ちねぇ限り、高畑のやろーが屋上から落ちるなんてありえねぇ」
「鋭い推理やな。探偵になったらええんとちゃう?」
「俺は死神になる気はねぇな」
「それ誰の事言うてんの?東の名探偵?名探偵の孫?」
「探偵なんてみんなそうだろ」
ち、と吐き捨てるように言うと、帝はそれ以上はぐらかすなと真っ直ぐに翔太を見つめて来た。息を呑むほど迫力のある垂れ目に、翔太はため息を一つ吐くと微動だにしない帝の上に移動して覆い被さるように肩口のフェンスを掴む。
「……あれ、動揺せぇへんの?」
「してどうなる」
「ちゅ~したろって思ったんやけどなぁ」
「お前俺をおちょくってんのか?」
「これは秘密やで?」
こそ、と翔太は片方の唇の端を上げて帝の顔に唇が触れるギリギリのところまで近付く。少しでも動けば触れてしまえる距離で、翔太は囁いた。
「上条ユウキは呪われとる」
「……は?」
お前何言ってんだと言うより先に、翔太の薄い唇が帝のふっくらした唇に僅かに触れて直ぐに離れていく。
「ちょっ、てめ、おい……!!」
まさかキスをされるとは思っても見なかった帝が一瞬の間を置いて顔を赤らめるのを満足気に見て翔太は己の指を唇に当てて踵を返した。
翔太の読み通り、教師が転落事故を起こした事で昼休み後の授業は全て自習となり遼介、ユウキ、葵、翔太、帝の5人がいない教室の中ではひそひそとまことしやかな噂話が繰り広げられていた。
「やっぱり上条くんてさ……」
「あの噂本当だったんだ……こっわぁ……」
「ねぇ、しょーたも危なくない!?最近ずっとあの人たちと一緒にいるじゃん〜!!」
気にはなるのにその話の輪には入れずにいた拓真は、机の上でノートを広げて自習していた手を止める。帝は頭を冷やすから先に教室に戻れと言うので教室に戻ったが、このまま何もせずに手をこまねいていて良いのだろうか。
あの日、ずっと孤独だった自分に諦めず手を差し伸べてくれたのは遼介なのに。
「あ、……あのさっ」
拓真はガタガタと椅子を鳴らして立ち上がると、噂話をしていた女子生徒たちの中に入っていった。嫌われてしまっても構わないと、その時思った。冷たい視線も容赦のない言葉も、遼介たちの為ならば耐えられる。
「……その噂話、詳しく聞かせてもらえないかな」
「え……?」
「どうしてユウキは、そんな風に言われてるんだ……?二ツ川中学で何があったのか、知りたいんだけど」
怒られると思って身構えていた女生徒たちは戸惑いながら互いに顔を見合わせると、噂で聞いただけだよ?と前置きをしてから声を潜めて話し始めた。
「中学2年の夏ぐらいに、上条くん上級生の女子の一人から気に入られてすっごいしつこくアピールされてたんだって。家にまで押しかけて熱烈だったから直ぐに噂になったみたいなんだけど、そしたら一週間も経たないうちに様子おかしくなっちゃってその先輩」
「駅のホームから飛び降りて自殺しようとして病院送りになったらしいよ?」
「……飛び降り、自殺……」
その話が本当だとするならば、今回の高畑の件と酷似している。ユウキに近付くと飛び降り自殺してしまうだなんて、そんな話があるだろうか?
考え込んで口元に手をやった拓真に何を思ったのか女生徒たちは更に話を続けた。
「上条くんてちょっと中性的なとこあるじゃない?男の子にもモテてたらしくてさ、修学旅行で告った子が居たらしいんだけど……その子も様子おかしくなっちゃったって」
「何だっけ、上条のことわかってあげられるのは俺だけ……みたいなこと言って、手首切って救急車呼ばれたって話」
やばいよね、と恐れに支配された彼女たちの表情を見て、拓真は早々に話を切り上げてお礼を言うと、自分のリュックを手に持って帝を探しに行こうと教室を出た。
「っあれ……」
だがその時すでに帝は、校舎内にはいなかった。鞄を置いて早退してしまったらしいと教師から聞いて、拓真は残された帝の黒い斜めがけ鞄を見つめる。
後で届けてやろうと帝の分の鞄を持ってホームルームを終えた拓真に、保健室から走ってきた葵が声をかけた。
「拓真ー!それ帝の鞄!?」
「う、うんそうだけど」
「りょーすけとユウキのやつ、俺責任持って届けとくな!」
「じゃあ頼んだ」
いやー、なんか保健室に先生たち押しかけてきて事情聞かれてさぁ〜と葵は特に何かを気にしている様子もなく話し始めるので、拓真は周りに聞かれはしないかとヒヤヒヤする羽目になった。
「何かよくわかんねぇけどりょーすけが全部何とかした!」
「そ、そうなんだ……」
「だから拓真は、帝のこと頼むわ」
「お、れ?」
驚いた様子の拓真に、葵はにかっと太陽のような笑顔で笑いかけるとその丸まった背中をぺしんと叩いた。
「あいつ素直じゃねぇけど、拓真には心開いてるとこあるから……お前なら大丈夫だよ」
「そうかな」
「何だよ自信持てって!だってお前といる時の帝、眉間のシワ少しマシになってる気ぃするもんな」
遼介とユウキの分の荷物も持ちながら、葵はそんな嬉しい言葉を拓真に掛けてくれる。心の奥がじわりと温かくなるような気がして、拓真は目を伏せた。
翌日、遅刻ギリギリにやってきた帝といつも通りの遼介とユウキの空気は最悪だったと言える。肝心なところは我関せずなのか、こんな時に翔太は遼介にも帝にも近寄ろうとはしなかった。昨日鞄を届けた時、随分と帝は憔悴しているような顔をしていたのを思い出して拓真は下唇を噛み締める。
6人のそんな重苦しい空気をぶち壊したのは、昼休みに帝の席へといつも通りやってきた葵だった。
「なぁ!ちゃんと話しようぜ?何か行き違いみてぇなのあると思うし」
丁度遼介たユウキは購買に向かったのか席を外している今がチャンスと葵は帝に仲直りを提案する。
帝は眉間に深く皺を寄せて片足を椅子の上に乗せると、机の前を塞ぐ葵を睨み上げた。
「……話し合おう?俺は話し合おうとしたのに拒否ったのは向こうだろ」
「み、帝……」
「話すことなんかなんもねぇよ」
いつになくイライラした様子の帝が葵から顔を逸らして、乱暴に音を立て椅子から立ち上がると、何処かへ行ってしまおうとするのを当の本人の葵が引き止める。振り払おうとする帝の事を、葵は許さない。
「っ、てめ」
「りょーすけはさ、いつだって俺らの手を拒んだり離したりしなかったよ。なぁ、今度はさ……俺等があいつの手、離さないでいてやる番なんじゃねぇの?」
そのあまりに真っ直ぐな、そばかすのついたあどけない葵の純真な表情と言葉は帝の動きを止めてしまう。昨日の女生徒たちの話を思い出しながら、拓真は慎重に言葉を選びつつゆっくりと口を開いた。
「理由があるんだとしたら、俺たちはちゃんと巻き込まれる覚悟をしなくちゃならない。何があったとしても、遼介たちの手を……振りほどかない覚悟を」
「……拓真……」
「それが出来たなら、遼介のあの意固地な顔をぶん殴りに行こう。一人で悩んでんじゃねぇよって」
それは昨晩ずっと一人で思い悩みながら拓真が出した結論だった。遼介が自分たちに何か隠し事をしているというのならばそれは、巻き込みたくないからだ。
そうだとするならば、自分たちは覚悟をすべきだろうと冷静に判断する拓真の言葉に帝は根負けして椅子に舞い戻る。
「帝はさ……悔しいんだよな。自分は何だってあいつら二人の事、守ってやる覚悟があったのにそれを無下にされたような気がして」
「……んな高尚な理由じゃねぇよ」
「だから、それも含めてちゃんと話し合おう」
はい、と拓真は戸惑うことなく帝へ向かって片手を差し出した。傷も豆もない滑らかで綺麗なその拓真の手を、帝は深くため息を吐いた後でぐ、と掴む。
「後悔すんじゃねぇぞ」
「わかってる」
「あったりまえじゃん!」
三人が決意を固めたその時、購買から遼介とユウキが帰ってきた。話があると口火を切った葵に、遼介は面食らったような顔をして拓真と帝を見つめた。
「……ユウキは教室に残っててくれ」
「っだから、それを止めてやれつってんだよ」
ユウキ一人を教室に残そうとする遼介へ、帝は厳しい声で告げた。帝の大きな手が遼介の手首をしっかりと掴んで離さない。この手が何か、とてつもなく壮大な秘密を抱え込んでいるのなら話してほしいと思う。そして、きっとそれは自分だけでなくユウキも同じはずだと。
「ユウキが、てめぇにおんぶに抱っこで守られて満足してると思うか……?泣いてるとこお前だって見たろーが……っ、何も知らされねぇユウキの苦しみを、っわかってやれよ……!!」
帝は知ってしまった、ユウキの心の奥底にしまい込んで決して誰にも言ってこなかった気持ちを。いつも心配そうに遼介を見守る、ユウキの優しい目の中に宿る強い気持ちを。
「……みかちゃん……」
震えるような声で、ユウキはそう帝の名前を呼んだ。
「立ち入れねぇ絆があんのも認めるよ、俺だってんな野暮な真似がしてぇわけじゃねぇ……っ、でもな、……話さねぇって事は、……信用してねぇってことだろ」
帝の言葉に、遼介は瞳を揺らしてそこで初めて動揺を見せた。遼介にとって"話さないこと"は"守ること"で、それは決して信用していないからではない。だがそう言う風に帝に言われて初めて、遼介は苛立ちの理由を理解した。
「わかった、場所を移そう」
ここは人が多すぎると判断して、遼介は踵を返し教室から出ると今は使われていない放送部の部室へと向かう。廃部になって間もない放送部の部室は完全防音で、内側から鍵が掛けられるようになっていた。
全員が入ったのを確認して鍵を閉めると、遼介は意を決したように息を吐いて拳を握りしめる。
「……何処から話せばいいかわからないから……その、支離滅裂な部分があったとしても許してほしい」
一言そう断りを入れると、遼介はその場に無造作に並べられたままのパイプ椅子の一つに腰掛けた。長くなるのだと判断して、残りの4人もそれぞれパイプ椅子へと座る。
「ユウキは、人の負の感情を増幅させる体質を持ってる」
to be continued




