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アオハルデッドライン 4



 アオハルデッドライン








 4



 



 



 無事に中間テストを終え、6人の身の回りはいつもの日常が戻り始めていた。窓から吹きすさぶ風がほんの少しだけ夏の香りを運んでくるようで、遼介は窓の外を見る。

「なぁ、遼介は体育祭リレーとか出んのぉ?」

 休み時間に遠く離れた席からわざわざ葵がやってきて、教室の窓枠のところに寄りかかるようにしながらそう遼介に聞いてきた。

「……リレーか、どっちかっていうと球技のほうが得意かな」

「へぇ?中学ん時に何かやってたとか?」

「バスケ部だったよ、葵は?」

「俺サッカー部だった!ユウキはなんか部活してたか?」

 突然話題を振られたユウキは、読んでた本から顔を上げると静かに首を横に振る。

「帝は帰宅部っぽいよな!」

「てめぇ勝手に人の部活妄想すんな……!!」

 いしし、と笑いながら葵が帝をつつけば、帝は寝るために伏せていた顔を上げて怪訝な顔で葵を睨みつけた。

「じゃあ滝山は何部だったんだ?」

 話題が気になったのか拓真まで振り返って興味深そうに帝をみてくるので、帝はそっぽを向きながらその長く柔らかい髪を片手でかき上げた。

「……うっせぇ、帰宅部だよ文句あっか」

「帝って予想裏切らないよね」

「うん、帰宅部って感じだな」

「でも運動は出来そうなところが激しくムカつくな」

 と、葵、遼介、拓真の3人から好き放題言われた帝は、はぁあ!?喧嘩売ってんのか!と低い声で牽制したが最早三人には何の効き目もない。

「みかちゃん、俺と仲間だね」

「……おぉ」

 ユウキは本の間に栞を軽く挟むとそれを閉じて、帝に向けてへにゃりと笑う。遼介はそんな二人を交互に見ながら口元に優しく笑みを浮かべた。

「帝は背が高いから、バスケ部やバレー部から勧誘が来たんじゃないか?」

「山ほど来たけど断った、部活やってるよゆーなんざねぇんだよこっちは」

 中学の時には今と同じように、家族の中の機動力は自分一人だった。母親が日中夜忙しいことで弟たちに寂しい思いはさせるまいと、部活も入らずに帝は即帰宅していたのだ。

「拓真は?何か部活に入ってたりしたのか?」

「パソコン部だった。あんまり部員とは話ししてないけど、パソコン弄るのは好きだし」

 長い前髪が目にかかっているのを少し気にして耳にかけてから、拓真は照れくさそうにメガネの位置を直した。

「こう見ると皆バラッバラだなぁ〜、おもしれ〜!翔太はどうなんだろ!?気になるぅ」

「……帰宅部じゃないか……?」

「しょーちゃんかぁ……案外文系の部活入ってそう」

 葵の問いかけに拓真とユウキがそう言うと、遼介はうーんと考え込み帝はボソ、と低く呟いた。

「家庭科部とかで女に囲まれてそう」

「ほぉ~?みかちゃんの俺に対する印象ってそれなんやぁ?めっちゃ傷ついたんやけど」

 容赦なく上から帝の頭にどん、と両腕を乗せて現れた翔太は意地悪そうにその三白眼を細める。

「っ、痛てぇな離れろ……!!」

「俺の傷ついた繊細な心癒してくれへんのぉ?」

「誰が繊細だよっ!退け重てぇ……!!」

 しゃー!と威嚇する肉食獣みたいな帝をのらりくらりと躱して、翔太は心底楽しそうに笑った。いつも誰かを煙に巻くような翔太の性格とも、帝は相性が良いようだ。

「なぁ、しょーたは何部だった?中学ん時!」

「軽音部やったで」

「……軽音部……」

「意外なとこ来たな」

 エレキギターを掻き鳴らす翔太が案外すんなり思い浮かんで葵と拓真とユウキはうんうん、と思わず頷いた。ピアスや髪の色も相まってそれは相当モテただろう。

「しょーたモテモテだもんなぁ」

「モテてるというのかあれは?」

 葵の心からの賞賛の声に拓真が疑問を投げかけると、翔太はふぅんと何故か帝を見下しながら告げた。

「それ言うんやったらバレンタインのチョコレート貰った数で勝負やろ。帝はいくつやったん?」

「……ちょっと待て、俺を巻き込むな」

「聞きたいわぁ、教えてくれへん?」

 帝にダル絡みしながらその頬をつんつん、と面白そうに突く翔太を遼介は苦笑いしながら見つめる。ふざけんな、と言いたそうな帝は言わないとしつこく聞かれるであろう事を悟って、気恥ずかしそうに視線を逸らした。

「……数えた事ぁねぇが、多分30」

「うわぁあああっ、敵だ!!おい拓真!!こいつ敵だぞ!!!!!!」

「……さん、じゅう……?」

 大げさなほどガタンと音を立てて葵が叫ぶと、拓真は魂が抜けたかのように上の空で宙を見つめ始めてしまった。

「なるほど?帝が30やな、遼介は?」

「俺は何も面白くないぞ?母親と姉2人からで3つだ」

「家族愛が深いんやねぇ、ゆきちゃんは?」

「……俺はお母さんとお手伝いさんと、あと料理長、遠方にいるお祖母様からで4個かな」

 ユウキの家庭の事情を全く知らない帝と翔太、拓真と葵の4人は突然出た物凄いワードの数々に顔を見合わせる。

「お坊ちゃま……?お坊ちゃまなの??」

「……もしかして、上条って上条不動産の……一人息子!?」

「おいなんだ上条不動産って」

 帝の問いかけに、顎に手を当てて考え込んでいた様子の拓真がぺらぺらと流暢に喋り始める。

「上場企業の不動産会社だよ、この辺の土地の大体は上条不動産が所有してるって言われてるくらいでっかい会社の……社長の息子ってことだろ……!?」

「マジ!?ちょー金持ちってこと!?すっげぇ!」

 唯一この中で上条不動産の事を知っていた拓真の言葉に葵は目をまん丸にしてユウキを振り返った。

「そんな大したものじゃないよ、家は確かにおっきいけど」

「ユウキん家の前にはバラ園があるぞ」

 と、両者から次々にお出しされるお金持ち情報に最早バレンタインのチョコレートなどどうでもよくなって、翔太は首をすくめてため息を吐いた。

「はぁーやめやめ、不毛な戦いやこんなん」

「おいおめぇのチョコレートの数まだ言ってねぇだろーが」

「な、い、しょ」

 語尾にハートマークが付いているかと思うほどねっとりとそう言い放った翔太に、帝はこめかみに青筋を浮かべて気色悪りぃなやめろ!と抗議した。

「あ、そうだ翔太」

「おん、何〜?」

 じゃあなと席に戻りかけた翔太の背中に、遼介が話しかけた。学ランのポケットから取り出したのはつい先日、葵の背中に取り憑いていたモノを祓った時に使った黒水晶だ。

「割れたものをなるべく拾い集めて元に戻そうとしたんだが……すまん、一個行方がわからなくて」

「律儀やねぇ、あげるっていうたやんか」

「貴重なものなんだろ?すまない」

 なるべく破片を拾い集めて接着剤か何かで着けたのだろうその歪な黒水晶は確かに、一欠片分の穴が開いている。 

「何かで弁償は出来るか?」

「えぇって、俺が勝手に渡したもんやし壊したんはお前とちゃうやろ。……取っとき」

 形を保てなくともその黒水晶自体の力は残っている。また何かあった時に必ず遼介の力になるだろうと、翔太は黒水晶の回収をしなかった。

 席に戻ると、翔太の周りの女の子たちがスマホを覗き込んで何やら戦々恐々としている。

「どないしたん?」

「ね、しょーた見た?このニュース」

「どれ?」

 スマホを傾けて見せてくれた画面を覗き込むと、それはニュースアプリの画面でセンセーショナルなニュースが一気に一覧で並べられた一番上に件の記事があった。

「これ!幼稚園の子が行方不明になってるってニュース。めっちゃ怖くない?」

「あ!あれでしょ?幼稚園のお散歩中に消えたって、神隠しなんじゃないかって言われてるやつだよね?」

「……神隠し」

 それは高校から割と少し近い場所にある幼稚園で、散歩中に園児が忽然と消え失せ今事件事故両方の可能性を含めて捜索中であるというニュースだった。

 幼稚園の中で起きた事とあって、世間のバッシングは幼稚園に向かっていたのだが当時園児たちを引率していた保育士は計三人おり、三人とも行方不明になった園児を見失ってしまったのだと書いてある。

 翔太はまだこの時知らなかった。まさかこの事件が自分たち全員をとんでもない黒幕の渦中へ引き摺り込む事になるとは。







 

 

 

 幼稚園児である下の弟、大和の延長保育後に引き取りに向かった帝はその事件のことを幼稚園の先生から聞いていた。

「ですので、こちらでも厳重に警備は致しますが……十分に親御さんも注意をお願いします……!」

「あぁ、はい……すんません面倒かけて」

「いいえ!大和くん、今日園でその話を園長先生がしたときに"そんなやつ俺の兄ちゃんがやっつけてくれるよ!"って言ってました」

 慕われてるんですね、と笑う幼稚園の先生に帝は照れくさそうにしかながら軽く会釈した。大和は帝の足の周りでぴょんぴょんしつつ全く話を聞いていない。

「ったく、おら大和帰んぞ」

「はーい!」

 夕暮れに赤く染まる帰り道を、帝は大和の手を繋いで歩き始めようとして、目の前の見知った顔に足を止めた。

「……あ、よ、よお!」

「お前何でいんだよ、反対方向だろうが……山村」

 拓真は勢いよくあいさつをしたはいいものの、どうやって話を続けたらいいか分からない様子でモジモジしつつ帝と大和を交互に見つめた。

「いや、その……話したいことがあって、後追いかけたらここに入ってったから……その俺、言わないから……その子が滝山の子どもだってことは……!!」

「おい、盛大な勘違いしてんじゃねぇ」

「違うのか……!?」

 違うに決まってんだろ!と呆れた様子で、帝は自分の家庭の事情を歩きながら拓真へと話した。大和は兄の友人を興味津々で見上げて会話に入ってくる。

「お兄ちゃんの友だち、全然強そうじゃないねぇ」

「え"っ、いや、その……喧嘩は弱いけど!!ゲームはこう見えて強いんだよ?大和くんは好きなゲームある?」

「スマシス!!俺ね俺ね、カーミィ使ってんだ!!」

 スマシスとは大騒動スマッシュシスターズという超絶格闘技ゲームで、カーミィというのはその中でも可愛らしい色をしたモンスターの事である。

「そうなんだ、俺はクライシス使ってるよ。ランキングはSSランク」

「ぇええ!?すっげぇ!!兄ちゃんの友だちすげぇ!!」

「だろ〜?」

 大和からのゲームに対する厚い信頼を得た拓真は心底自慢げに胸を張ってから、恥ずかしくなって顔を赤らめる。帝はアホだな……と呟きつつ二人のやりとりを見守った。

「んで、俺に何か話があったんじゃねぇのか?」

「……あ、その……」

「何だ?言えよ」

 そろそろ家にたどり着く寸前で、帝は拓真を真っ直ぐに見つめた。その特徴的な垂れ目が夕日に反射して、柄にもなく綺麗だなんて思いながら、拓真は意を決して口を開く。

「……名前」

「名前?」

「な、名前で、呼んでもいいかなって」

「別に好きに呼べ、構やしねぇよ……友だち、なんだろ?」

「帝……、ありがとう」

 帝、という名前の響きを噛み締めるように拓真はぎゅっと自分のカバンを抱き締めた。帝ははぁ、とため息をひとつ吐くとすれ違いざまに拓真の肩をぽんと叩く。

「……"拓真"、また明日な」

「……っ、う、うん!!」

 じゃあねと手を少し上げて別れの挨拶をする動作一つ、拓真にとってはずっとずっと憧れてきた事の一つだ。思わずスキップしたくなるような気持ちを抱えて、帰り道を歩こうと振り返った。

「……あれ……?」

 帝の家の向かい側にある電柱の影に、うっすらと黒い影が見えた次の瞬間鼻を突くような異臭が漂う。思わず口と鼻を塞いで、拓真は早足でその場を離れようとした。

(……いる……っ……!)

 ずん、と鳩尾の辺りが重たくなる感覚がして拓真は震え上がった。背筋からはい上がってくる不快感に拓真はぎゅっと目を閉じて、居ても立ってもいられず走り出した。

 この間の葵の騒動後から、拓真には少しだけ"この世に彷徨っているもの"が見えるようになっていた。遼介と一緒にいるとそれは明確に見えるが普段一人のときはあまり鮮明には見えない。目を閉じる寸前に視界の端っこに映ったのは真っ黒に煤けたような裸足の男の足だった。

「太牙ー、飯の準備してっから大和と遊んでろ」

「よっしゃー!大和!スマシスやろうぜ!」

 一方でマンションの一室へ帰宅した帝は、母親が帰宅するまでの間ご飯を準備する等家事に追われていた。小学生の方の弟太牙が、大和を誘ってゲームをしようと言うとカーテンで遊んでいた大和から返事がない。

「やーまーとー??」

「おい大和、太牙とゲームして待ってろ」

「いたぁ!ここだ!」

 太牙はカーテンの膨らみを見つけて駆け寄ると、いつもの要領でバンッとカーテンの中から大和を発見した。だが大和はずっと、窓の外を見つめていて返答がない。

 不思議に思った帝は、料理の手を止めて急いで大和へと駆け寄った。何か誤飲したのかも知れないと思ったからだ。

「おい大和!?返事しろ大和!!」

「……手、振ってるぅ」

「はぁ?誰が」

「……おじちゃん、手、振ってる」

 大和はぼうっとしながらその小さな指で窓の外を指さす。指先に釣られてそちらを見た帝は、はっと息を呑んだ。

 マンションの向かい側にある電柱の影にこちらに向かって手を振っているものが見える。ボサボサの髪の毛に清潔感の欠片もないTシャツとボロボロのデニム所々煤けたような生理的に嫌悪を催すような出で立ちの男が、こちらに向かっておーい!と手を振っているのだ。

「ちっ、……何だありゃあ……」

 帝はカーテンをぴしゃりと閉めると、大和と太牙をベランダから引き離してから自分一人でベランダへ出た。それがあまりにはっきりと見えるので、帝はこの時この男が"生きている変質者"だと勘違いしてしまったのである。

「っおいてめぇ!!何人ん家覗いてんだ!!警察に通報されてぇのか!?」

 ドスの効いた低い声でそう凄めば、男は何とその場からふっと消え失せた。気味が悪いとは思ったものの、いなくなったならいいかと帝は窓の鍵とカーテンをしっかり閉めて大和と太牙には窓に近付くなど警告した。

 

 

 

 

 

 


 翌日、件の神隠しのニュースは学校中は愚か街中を賑わせていて遼介やユウキの耳にもそれは入っていた。

「朝からパトカーの数半端ないもんなぁ」

 葵は呑気にそういいながら、昼ごはんと思わしき購買のパンを頬がパンパンになる程詰め込んだ。遼介はその言葉にふと弁当を食べていた箸を止める。

「複数の大人の目を掻い潜って、幼稚園児を攫うのはそんな簡単なことじゃないと思うんだ」

「へ?」

「調べてみたんだが、最初に行方不明になった子どもはうちの近くの公園でレクリエーションの最中だった。あの公園は周りに木は疎らで、見通しがいいんだよ」

 不思議だと思わないか?と言われた葵は頭のうえにクエスチョンマークを浮かべたが話を聞いていた拓真やユウキには意味が通じたらしい。

「確かに見通しのいい公園で不審な車なんかが停まっていたとするなら、印象に残ってそうだよな」

「うん、それに幼稚園の先生は三人ともベテランだったって報道されてたね。そんな先生の目を掻い潜って誘拐するには、あの公園はリスクが高いかも」

 しかも連れていたのはクラス全員ではなく行方不明になった子を含めてたったの6人程だった。大勢でいたわけでもないのに子どもを見失うなどあり得る事だろうかと遼介は考え込む。一人弁当ではなくコンビニのおにぎりを食べていた帝は、思考を何処かへ飛ばしている遼介の目の前で小気味よく指を鳴らした。

「おい、正義感があんのはいいことだがな、あんまアブねぇ事に首突っ込むんじゃねぇぞ」

「帝……」

 この間ユウキを泣かしたばかりだろうと暗に言われて遼介はう、と言い淀みユウキはくすくすと笑い出す。

「帝の弟くんは大丈夫なの?」

「暫くは園でも外出は控えるみてぇだし、送り迎えは必ず俺がするから問題はねぇよ」

「何、帝弟いんの!?」

 紙パックのジュースを啜りながら葵が身を乗り出して聞いてくるので、帝は渋々答えてやる。苦労性なんだなぁ〜と目をうるうるさせた葵に髪の毛を撫でくりまわされた帝がキレて椅子から立ち上がるのを横目に、拓真は昨日自分が見てしまったものについて遼介に相談すべきか考え倦ねていた。

「拓真、どうかしたのか?」

「え?あ、あぁ……いや、何でもない」

 見間違いかも知れないし、と考えた拓真は遼介に相談するのをやめた。ペットボトルのお茶を飲みながらそのまま談笑していた時だった。

「滝山ー!滝山帝いるか!?」

「……あ?なんすか」

 突然教室に駆け込んできたのは、担任教師だった。担任は急いだ様子で帝の下へ駆け寄ると酷く真剣な顔で告げる。

「滝山、お前の弟さんの幼稚園からだ。何でも幼稚園で誘拐事件が起こったそうで、早めに迎えに来て欲しいと」

「……は……?」

「どうする、早退手続き取って帰宅する、か……っておい!!」

 担任が止める間もなく、帝はその場から鞄も持たずに一目散に飛び出して教室から出て行ってしまった。遼介は食べかけの弁当を置いて、ユウキを振り返る。

「すまん。あと頼む……!!」

「りょーちゃんっ!」

 遼介はユウキに全てを託して、帝の後を追いかけて行ってしまった。玄関口で帝に追いついた遼介は、堪らずその腕を掴んで引き止めた。

「落ち着け帝……!」

「ついてくんな!」

「……駄目だ」

「あぁ?」

 お前に関係ないだろうと、帝の目が告げている。だが遼介は少しも怯む様子なく帝を真正面から見つめ返した。

「お前を一人にしておけない、俺も行く」

「……っ勝手にしろ」

 こうなると遼介が折れないことを知っている帝は、盛大に舌打ちをするとそのまま外靴に履き替えて走り出す。その隣を遼介も並走しながら、疑問をぶつけた。

「母親に連絡は!?」

「幼稚園から行ってるはずだが、出版社は電車使っても一時間はかかる……!!俺が走るほうが速ぇ!」

 坂道を登っていつもの幼稚園までの道に出ると、既に幼稚園の前には保護者と思わしき車がずらりと並んでいた。対応に追われているらしい幼稚園の門まで走り込んだ帝は、フェンスを掴んでその場にいた幼稚園の先生へ話しかける。

「っ、滝山大和の兄です!!」

「あ、大和くんのお兄さん……っ、すみません、今大和くんを連れてきますのでお待ちください」

 暫くして全員が避難のために集まっていたホールから、先生に手を引かれた大和が姿を現した。遼介はその姿を見た途端絶句して、目を見開く。

「……遼介?」

「お兄ちゃーん!!」

 うわぁあ、と泣き出しパニックになりながら駆け寄ってくる帝の弟大和の額に数字が刻まれているのだ。どう見てもそれは悪戯書きされた跡などではないと判断して遼介は屈み込むと、大和の額に指を這わせた。

「……?お兄ちゃんだぁれ?」

「大和くん、だよね?俺は帝の友だちだ。怖かったね、よく頑張った」

 刻まれていた数字は、5。しかもその数字からは、今まで出会った幽霊の比ではない程醜悪で、据えたような物凄い嫌な匂いがする。間違いなくこれは生きている者の仕業などではないと遼介は確信した。

(何で額に数字が……?今まで被害にあった子もそうなのか?これは、……何を意味してる?)

 考えうる推測としては、順番だろうと遼介は仮定する。相手は次々とターゲットの順番を決めているのだとしたら、大和は5番目に被害に遭う可能性が高い。

「帝、何か少しでも異変があったら直ぐに俺に連絡してくれ……絶対に」

「何だよそりゃ」

 お前なんか知ってるのかと聞かれたが、遼介は犯人の姿を目撃していない。何もかもが推測の域を出ない為、安易に帝を不安にさせるようなことは言えなかった。

 帝と大和を家まで送り届けた後、遼介はスマホで翔太へと連絡を取った。

『はぁい?何やねん急に、俺の事が恋しくなったん?』

「すまない翔太、ちょっと調べてほしいことがある」

『人遣い荒いやつやなぁ、どうせ幼稚園児連続拉致事件の事やろ?』

 お前なら首突っ込むと思ってたで、と軽く遼介をからかうと翔太はぺらぺらと紙を捲る。事前に遼介の行動を先読みしたのか、既に資料を手にしているようだ。

『一番最初の事件が起きたんは保育園、児童の名前は崎原りく、次の事件は幼稚園やな。児童の名前は橘さとる、どっちも5歳の男の子や』

「全員男の子が被害に遭ってるのか」

『この事件起こる前にもう一個奇妙な事があってなぁ』

 翔太はぺらぺらとページを捲る手を止めると、いつもより少し低い声で胸糞悪いんやけど、と一言添えた。

『数ヶ月前隣町で、児童暴行殺人事件が起こってんねん』

「……児童暴行殺人事件?」

『被害者は5歳の男の子、保護者が目ぇ離した隙に攫われて暴行を加えられて死亡してしもたんやけど……その容疑者の男、警察とのカーチェイスでハンドル切りそこねて崖から落下、……被疑者死亡で事件は闇の中……らしいで』

「想像しただけで吐き気がするな」

『その被害者の男の子の額に、数字の1が血で書かれてたみたいで下手したら犯人は連続で事件起こすつもりやったんとちゃうかって警察は睨んでたみたいやね』

 翔太のその言葉は、遼介の仮説を結びつけるには十分すぎるほどの情報だった。






 




 




 幼い頃から、よく気が付く方の子どもだったと思う。両親は物心ついたときから喧嘩が絶えず、気の強い母親の言動に耐えきれなくなった父親が離婚を申し出た。下の弟の大和が2歳の時だ。私がこの子たちを育てるから!と言い切った母親の弱さもまた、帝は知っていた。

『苦労かけてごめんね』

 そう言って申し訳なさそうに笑う母親が嫌いだ。弱さを隠して、平気でいようとする顔を見るのが帝には辛かった。だから自分が、大和と太牙の母親代わりになると帝は誓ったのである。

「お兄ちゃ……」

 玄関に入ると、大和の荷物をどさりと落として帝は息を吐き出しながらその場に崩れ落ちるようにしゃがみ込んだ。

「……悪り」

「具合悪いの……?」

 気が強くやんちゃな太牙と違って、大和は振り回されやすく大人しい子だ。兄である帝の様子を伺うようにして、大和は下から顔を覗き込む。その頭を帝の大きな手が覆って優しく撫で回した。

「お前が無事で良かった」

「うん……でもお友達……大丈夫かな」

「心配すんなって……大丈夫だ」

 何の根拠もないが今は大和の心を守ってやることが最優先である。帝に頭を撫でられた大和はえへへ、と照れくさそうに笑うと呑気にお腹減った〜!と言い出した。

「何か食うか?兄ちゃんが作って…………」

 乱れた髪の毛をかき上げながら立ち上がろうとした瞬間、帝は目の前の光景に絶句する。部屋の奥、リビングの扉のすりガラス越しに人影が見えた。

「うっ」

 途端に家中に充満する強烈な匂いに帝は堪らず鼻と口を覆って、大和を後ろに隠すようにして立ち上がった。自然と息が上がり心臓がバクバクと異常なほど音を立てる。部屋の窓は朝しっかり戸締まりしたはずだ、それにここはマンションの3階でそう簡単には登ってこられるはずがない。

「お、にいちゃ」

「大和、下がってろ」

 異常な気配を悟ったのかガタガタと震え出す大和を後ろに庇いながら、帝はごくりと息を呑んでポケットに入っているスマホへ手を伸ばした。

『帝、何か少しでも異変があったら直ぐに俺に連絡してくれ……絶対に』

 ワンコールでいい、恐らく遼介にならそれだけで理解出来る筈だと帝は震える指を叱咤してスマホを操作する。リビングに見える人影はゆっくりと、だが確実に帝たちの方へ近付いてきていた。


 





『ごおー』








 




 間の抜けたような声が不気味に部屋の中に響いた瞬間、帝は弾かれるようにドアの鍵を外すと大和を抱えて家から飛び出した。ポケットから手を出した衝動でスマホが吹っ飛んだが、構ってなどいられない。

(何なんだ、っ……)

(何なんだよあいつは!!)

 自分一人だけならまだしも、幼いとは言え5歳児を抱えて走るにはかなり体力を消耗する。階段を駆け下りた帝は大和を抱っこした状態では走れないと判断してマンションの下に駐車している母親のママチャリを掴んだ。

「お兄ちゃん……っ!」

「いいか、兄ちゃんがぜってぇ守ってやるからな」

 不安そうな顔の大和をチャイルドシートに乗せてヘルメットを被せると自分もヘルメットを装着して勢いよく自転車をこぎ出す。強烈な異臭が後ろから迫ってきて立ちこぎをしながら振り返れば、自転車の背後から自分たち目掛けて走ってくる男の姿が見えた。

(あいつは……っ)

 先日窓の外で見た、電柱の影から家を覗いていた変質者だった。あれは生きている人間ではなかったのだと、帝は下唇を噛み締めて自転車のスピードを上げる。

 自転車を猛スピードで漕ぐ度にぎーぎーと軋むような音がし、その音に紛れて男の声が後ろから追いかけてきた。

『ごぉー、ごおお』

 不気味な声に煽られるように、帝は必死でペダルを踏みしめながら何処へ逃げ込むべきか思考を巡らせる。逃げても追いかけてくるのなら一体何処へ行けば良いというのか。

(ちくしょう、っ、絶望してんじゃねぇ……!!)

(考えろ、……どうすりゃ助かる……!?)

 弱気になる自分を叱咤して、帝が辿り着いたのは街の端っこに立ち並んでいる工場地帯の一角だった。平日の夕方、人はもうとっくに帰宅しており人気はない。

 がらんとした工場地帯に自転車を止め、大和をチャイルドシートから降ろすと帝はそのまま走って偶然開いていたシャッターを引き上げ転がるように中へ入り込む。

「っは、はぁ、はぁっ……」

 ヘルメットを脱ぎ捨てて詰めていた息を吐いたが、これ以上はもう走れるかどうかも怪しかった。心配そうに見上げてくる大和を何処かに隠せないかと視線を走らせる。

「大和、っ来い、こっちだ」

 大きな機械がずらりと並ぶ工場の奥にあった納品用の箱の中に大和を押し込むようにして入れると、帝は荒く息を吐きながら地面に転がっていた部品の鉄パイプを握りしめてゆっくりと立ち上がる。




 


『ごぉー』

「来いよ……大和には指一本触れさせねぇぞ」




 








 丁度その頃、学校での授業を終えたユウキと拓真、葵の三人は置いていった帝と遼介の荷物を届ける為に帝の家へと向かっていた。帝の住んでいるマンションは五階建てで部屋は三階にあると聞いていたので、階段ではなくエレベーターで向かった。

「帝ってすげぇ苦労してんだなぁ、俺らの年で下の弟とか妹の面倒全部見てるなんてさ」

 なかなか出来る事じゃねぇよなと言いながら葵はエレベーターの階数表示画面とにらめっこしている。あっという間に着いた三階で最初に異変に気が付いたのは拓真だ。

「……この匂い……」

「え?」

 この前帝を追いかけて一緒に帰った時に、不意に嗅いだあの据えたような悪臭が香った気がして拓真は怪訝そうに眉間に皺を寄せる。そしてそれは、帝の部屋に近付くほど強烈に匂いが強くなっている気がした。

「……ユウキ」

「ん?……どうかしたの?」

「遼介に、電話をしたほうがいいかも知れない」

 どくん、どくんと心臓の音が高鳴るのがわかる。背筋に走る悪寒まであの時と同じで、強烈な程の血とヘドロの混じり合ったような腐った匂いに吐いてしまいそうだった。

 周囲を見回していた葵が何かに気が付いてそれを片手で拾い上げる。シンプルな黒のシリコンケースに包まれたそれは帝のスマホだ。

「……見ろよこれ……!!」

 拾い上げたスマホを拓真とユウキに向けて見せると、その画面には遼介の電話番号が表示されていた。間違いなく帝は遼介に電話をしようとしてスマホを落としたのだ、と察してユウキは直ぐに自分のスマホで遼介へと電話をかける。

 ユウキが電話をかけている間に拓真と葵で帝の家のドアノブに手をかけ中に入った。玄関のドアは鍵がかかっておらず、中は不気味な程にもぬけの殻だ。

「っ……やっぱり臭う」

 拓真が強烈な匂いを感じている横で、葵は部屋に足を踏み入れた途端に突然キーン、と高い音の耳鳴りを体感する。

 金属のようなその耳鳴りが暫くした後、堪らずしゃがみ込んだ葵の耳にとんでもない声が入り込んできた。



『いぃち』

『にぃいい』

『さぁん』

『よぉおおおおん』





『ごおぉ』



 




『じゅうぅまでぇええ、あとぉお、いつ、つううう』








 ねっとりとしたノイズの掛かったこの世のものとは思えぬ程不快感極まる声に、葵は必死で両耳を塞いだ。

「っ、ぅ……な、んだよこれぇ……!!」

「りょーちゃん!!二人ともなんかおかしい……っ!」

 異変に気が付いたユウキが電話越しにそう言うと、遼介が何か指示したのかスマホの音量ボタンを上げると様子がおかしい葵と拓真の方へ向けた。

『聞こえるか!?二人ともすぐにそこから離れろ……!!』

「遼介……っ!帝がやばい!!」

『すぐに翔太を連れてそっちに向かう!!』

 ドアを開けたことで薄くなるどころか益々濃くなる強烈な匂いに拓真は自分の鼻と口を袖口で覆い、へたり込んだ葵の腕をユウキが掴んで立ち上がらせる。

「りょーちゃん……っ、二人は何か感じることが出来るみたい……俺はもう一人の弟くんが心配だよ……っ」

『わかった、ユウキは小学校へ向かってくれ……!!』

「任せて」

 緊急事態になったとしてもユウキは冷静に、今己が出来る事を見極める力がある。葵と拓真に遼介と合流するように告げると、ユウキは小学校へと走り出した。

(みかちゃん……っ)

(みかちゃん、無事でいて……!!

 祈るような気持ちで走っていくユウキの後ろ姿を見送った拓真と葵は互いに顔を見合わせる。家から離れた場所からも微かに匂いを感じることが出来る、これを辿ればもしかしたら帝のところへ駆けつけられるのではないか、と。

「遼介を待ってたら……匂いが消えるかも知れない」

「え?おい、拓真……!」

「佐々木はここで待機だ、遼介に事情を話して俺を追いかけてきてくれ……頼む」

「危ねぇって、大人しく待ってた方がいい……!!」

 葵は拓真も待機すべきだと引き留めたが、拓真の意思は固かった。あの時、自分が生霊に取り憑かれて帝の首を絞めてしまった後事情なんてひとつもわからないだろうに、帝は自分を無条件で許してくれた。

 その恩に、報いたい。助けたい。拓真の中に燃えるような正義感がこの時生まれていたのである。

「……行かせてくれ」

 場所を突き止めたら必ず連絡する、とスマホを掲げられて葵は悔しそうに下唇を噛み締め拓真の袖を掴んでいた手をゆっくりと離した。

「ありがとう」

「カッコつけんなよ!ぜってぇ遼介たちと行くからな!!」

「あぁ、頼んだ」

 黒い学ランの裾を翻して、拓真は匂いの元を追いかけるために乾いたアスファルトを踏み出した。









 to be continued

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 




 

 

 

 

 

 

 

 

  


 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 



 

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