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アオハルデッドライン 2






 アオハルデッドライン









 2










 まばゆい光がカーテンの隙間から差して、山村拓真はゆっくりとその長いまつげを上げた。いつも通りの朝、それでもいつもとは違う朝。あれだけ重たく伸し掛かっていた不穏な影は消えていて、気持ちがすっきりしているのがわかる。

 ぎし、とベッドのスプリングを軋ませて起きると、学校へ行く準備をしっかり整え冷えた床をスリッパを鳴らして歩いて母親のいるリビングへと向かった。

「あら、おはよう」

 拓真の母親は専業主婦だ。幼い頃からずっと、友だちが出来ない拓真のことを心配しながらも見守ってくれた。ぼんやりしていて天然な母親にとって拓真は滅多に帰らない父親との間の大事な一人息子である。

「……拓真、朝ごはん食べる?」

「うん」

 様子がおかしい息子を心配して、続くようなら病院へ連れて行こうかと思っていた矢先学校から倒れたと連絡を受けて真っ青になった。もしかしたらこのまま、学校へ行けなくなるかも知れないとさえ思った。

 だが、目を覚ました拓真の様子は一変してどこか憑き物が落ちたような顔をしていた。母親だからこそわかる、息子に何かがあったのだと。

「……あの、母さん」

「なぁに?」

「俺……」

 言い淀んで、ふぅとため息を吐いてから意を決したように拓真は顔を上げる。






「友だちが、出来た」






 "友だちになろう"と、あの時遼介が言ってくれた。何度も手を伸ばして、暗闇から拓真を連れ出してくれた。その想いに報いたいと思っている自分がいる。

 そんな気持ちは、生まれて初めてだった。

「……そう……っ、そうなの……拓真……良かったら、いつか、お友達をお家に呼んでおいで」

「……うん」

「お母さん、美味しいお菓子用意しとくからね」

「うん」

 母親の顔が今にも泣き出してしまいそうな程、喜びに満ち溢れているのがわかった。あぁ、言って良かったと拓真は心が温かくなるような気がして、下唇を噛みしめる。

「学校、行ってきます」

「いってらっしゃい」

  

 








 





 忙しい朝は誰にでも平等にやってくる。コンロの上のフライパンに卵を落としながら、滝山帝は狭いキッチンからリビングへと声をかけた。

「おいいい加減起きろや、仕事遅れんぞ」

 低い声にんん、と反応を示してぼんやりと寝ぼけ眼を擦りつつ起き上がったのは彼の母親である。すると次々に寝室から騒がしい声が聞こえてきた。

 帝は母子家庭の長男であり、下に小学校三年生の弟と幼稚園の弟がいた。一馬力で家族を食べさせている母親は出版社の編集部でバリバリに働いており、帝は家では母親の役割を果たさざるを得ない環境にいた。

「兄ちゃん!!学校で使う絵の具どこ!?」

「あぁ?学校の道具はあれほど一箇所に固めとけつったろーが!電気つけて押し入れもう一回見ろ!」

「にいたんだっこぉ〜!!」

 ぽてぽてと歩いてきて抱っこを迫る下の弟を片腕で抱き上げると、帝はコンロの火を消して作った朝ごはんを人数分の皿の上に置く。

 ぼんやりと動き出した母親のもとに朝ごはんを持っていくと、帝は後ろで縛っていた髪の毛のゴムを解いた。

「大和幼稚園送ったらそのまま学校行くから、今日必要な書類持ったか?」

「……んー、さんきゅー……あんたがしっかり者で助かるわ」

 朝早く出かけて夜遅く帰ってくる母親は、朝が弱く中々子どもたちの面倒が見れない。幼稚園に行きたくないとぐずる下の弟大和をなだめすかし、小学生の太牙の授業で必要なもの探し出し、息つく暇もないまま学校へ行く準備をして三人で家を出るのが日常だった。

「大和〜階段まで競争しようぜ!!」

「まってぇ……!!おにいちゃんまってぇ……!!」

「おい馬鹿走んなって……っ!!」

 まだまだ子どもではしゃいでは危険なことをする太牙の首根っこを掴んで、転んで泣いた大和を片腕に抱きながら帝は家から近い幼稚園に大和を送り届け、太牙と道の途中で別れる。しっかり勉強しろよと言うと、太牙ははーい!と言いながらとんでもないスピードで走っていった。

「あ、帝……おはよう」

「みかちゃんおはよ〜」

 もうすっかり聞き慣れてしまった声に、帝は制服のポケットに手を突っ込みながら振り返る。朝から一緒なのかよと心のなかでツッコミを入れつつも二人の方向へと歩きだした。

「帝の家、この辺なのか?」

「いや……下の弟の幼稚園が近けぇだけ」

「え?みかちゃんが送迎してるの?」

 思わず返答した言葉に驚いたのか、ユウキにそう聞かれて帝は視線をそらした。家庭環境の事はあんまり人に言ったことがなかった帝はどう話してよいかわからない。

「……母子家庭なんだよ。母親は出版社で働いてて朝も夜もねぇ、俺が家のこと全部やってる」

 悩んだ末に結局全部言ってしまえたのは、心の何処かで遼介やユウキを信頼しているからだろうか。二人は顔を見合わせると、突然背を伸ばして帝の頭をポンポンしだした。

「ちょっ、何すんだ……!!やめろバカ……!!!」

「苦労してるんだな……もっと甘えていいんだぞ?」

「みかちゃん、いちご牛乳奢ってあげるね」

「いらねぇわ!!」

 遼介とユウキの二人からよしよしと慰められて、帝は顔を少し赤らめながら抗議した。どうしてかこの二人にかかると、纏っていたトゲのようなものが削れて行く気がする。

 針葉樹の立ち並ぶ煉瓦造の通学路を三人でわいわいしていると視線を感じた遼介が振り返った。見れば、そこにいたのは登校途中の拓真の姿だった。

「ぁ……」

 もしかしたら、昨日のことは幻だったんじゃないかと拓真の心に少しだけ陰が差す。もしも声を掛けて、お前なんか知らないと言われたらどうしようと、挨拶一つにも緊張して声が出ない拓真に、遼介は片手を上げた。

「おはよう、拓真!」

「あ、たくちゃんおはよ〜!」

 込み上げる気持ちは、きっと高揚感だ。今まで踏み出したくても出来なかった一歩を、拓真は勇気を振り絞って踏みしめる。大丈夫、もう自分はあの時の自分ではない。

「ぉ、はよ」

 一歩踏み出したはいいものの、近寄っていいのか戸惑っている様子の拓真にスタスタと近付いた帝が、容赦なく後ろから膝蹴りを入れた。

「うわっ!」

「声が小せぇ、もっと腹から声出せ」

「ぉ、……おはよう!!」

「ばーか、やりゃ出来んじゃねぇか」

 ふ、とニヒルな笑みを浮かべたまま、帝に押し出されるようにして拓真は遼介たちの元へと歩み寄る。泣いてしまいたくなる程、切望していた光景がそこにはあった。

「……俺……その、っ、謝っても、許されるかな……」

「え?」

「今までのことを、……みんなに謝りたくて……」

 冷たい態度で突き放してしまった事、そして男子トイレで騒動を起こしてしまった事を謝りたいと拓真は素直にそう思った。許してもらえなくてもいいから、償いたいのだと言う拓真に遼介はにか、と笑いかけた。

「大丈夫だ。今度こそ拓真の声は、届くよ」

「……ぇ」

「俺が保証する」

 不思議だった。遼介の言葉や声は、拓真の事を優しく包んで守ってくれるような気がする。ぎゅっと握りしめていた拳を、ユウキが優しく解くように触れて来た。

「一緒にいるよ、一人じゃないからね」

「……上条……」

「ユウキでいいよ」

 ふわぁ、とまるで背後に花でも咲いているかのようなユウキの笑顔に拓真は顔を真っ赤にしてこくこく頷く事しか出来ない。帝はどん、とその背中をド突いた。

「お前クラスの奴らより先に俺に謝れや、直で被害受けたのは俺だぞ??」

「……ご、ごめん」

「おぉ、その絵面やと完璧にカツアゲしとるヤンキーみたいやなぁみかちゃん」

 やっほー、とその場にやってくるなり帝の肩を組んで来た馴れ馴れしい関西弁は翔太だ。帝はげんなりした顔をしながら、翔太の手を軽く払いのける。

「ピアスばちばちに開いてるおめぇに言われたかねぇわ」

「あ、これ実はじいちゃんの形見やねん」

 しれっとした顔でそう言った翔太に、遼介とユウキは驚いた様子で振り返る。

「「えぇ!?」」

「嘘つけ、何処にんな数のピアス形見にするジジイがいんだよ。お前ら騙されすぎだろ」

「いややなぁ、ちょっとした冗談やんかじょーだん」

 帝に言われて冗談だったのかと呟いた遼介の騙されやすさに拓真は思わずぷ、と吹き出してしまいそのまま肩を震わせる。ユウキに至っては呑気に翔太のピアスをまじまじ見つめて凄いねぇと感想を述べていた。

「ユウちゃんもピアスの穴開けたいん?」

「え?俺……?うーん、ちょっと痛そうだよね」

「大丈夫大丈夫、痛いのは最初のうちだけやで、そのうち気持ち良うな、っいったぁ……!!」

 詐欺師かと思うほどペラペラ喋りたて、ユウキに妙なことを吹き込もうとした翔太の頭を帝が上からぐいっと押さえ込んで黙らせた。

「調子乗んな」

 何処までが冗談で何処までが本気なのかわからない。目の前にいて遼介の目が完全に笑っていない事を、翔太がわからないはずはないのに。怒らせたいのか?と眉間に皺を寄せる帝に、ユウキがまぁまぁと仲裁に入る。

 翔太はひぇ、とわざとらしく怯えたような声を出してから先頭の遼介に追いつくとその肩を馴れ馴れしく掴んだ。

「なぁ遼介、うちのクラスの佐々木葵いう子知っとる?」

 その問いかけに遼介は首を傾げた。佐々木葵という名前の知り合いはいないが、その名前に聞き覚えはあった。

「佐々木……?あ〜、自己紹介の時に名前は聞いたな」

「気ぃ付けや〜、ちょぉっと危ないで」

「危ない、って?」

「見たらわかる」

 和気藹々としながら学校へ辿り着くと、教室の前でふと拓真の足が止まった。俯いてしまいそうになる拓真の背中を、遼介が力強く押して2、3歩よろけた拓真が教室の中に入る。

「あ、あの」

 大丈夫だと、何故だかそう思った。遼介や帝、ユウキや翔太が居てくれる事の心強さに、拓真は勢いよく頭を下げる。

「迷惑かけてごめん……!!!」

 今までだったら絶対に出来なかった謝罪をする拓真に、教室が俄にざわついたが誰も拓真に敵意を向けてくるクラスメイトは居なかった。

「迷惑なんてだーれもかかってねぇよ、頭あげろよ」

 前方から不意に掛けられたクラスメイトの声に拓真はハッとして顔を上げ、我関せず後ろにいた帝がふぁ、と欠伸を噛み殺して教室に入ったのを皮切りに遼介たちも教室へと足を踏み入れる。

「それよか、体調大丈夫なんか?」

「え、あ……うん」

 クラスメイトに聞かれたことに答えてそこで初めて、拓真は自分がごく自然に友人たちと話せている事を噛み締めた。自身の机の椅子にドサッ、と座り込んだ帝の隣で遼介が優しく微笑んで拓真を見守っている。

「そーだよ山村さぁ!進学校出身なんだろぉ!?このクラスの平均点はお前にかかってんぞ……!!!」

「え?」

 ばん!と勢いよく自身の机を叩かれた拓真はズレた眼鏡をくい、と中指で押し上げた。机を叩いたのは同じクラスのダークブラウンの髪色をした背の小さい、くりくりと愛らしい童顔にそばかすの特徴的な少年だ。

「よくわかんねーけど、何かせんせーに言われたんだよ。クラスの平均点俺が下げたら、一週間トイレ掃除しろってさぁ〜なぁ頼むよ、平均点上げてくれよ……!!」

「そっか、もう中間テスト近いのか」

 学ランの下に白いパーカー姿の彼は名前を佐々木葵という。典型的な可愛い系の男子で、頭は悪いが話しやすく男女ともに人気がある。

「佐々木、自分で勉強するっていう気はないのか……?」

 突然話しかけられて困っている様子の拓真に助け舟を出したのは勿論遼介だった。葵は今度は遼介の机に両手をついて顔面を寄せると、子犬のような顔で目を潤ませる。

「俺がべんきょーして点数取れると思うかぁ!?無茶だ……!!無茶に決まってる……!!」

「そ、そうとも限らないと思うけど」

「お前らそんなに言うなら歴代過去最高得点教えろよ!!」

「特に成績良かったわけじゃないけど中学の時なら85くらい……かな」

 ムキになる方向性がよくわからないが、教えろと言われたので遼介は素直に歴代最高得点とやらを思い出してみる。そこまで成績が良かった方ではないが、大体平均値を行ったり来たりしていた気がした。

「85!?ふつーに頭いいじゃんか!!かみじょーは頭良さそうだし、滝山は!?」

「……おいてめぇ俺の事何だと思ってんだ」

 話を振られた帝はこめかみに青筋を浮かべながら片頬を引き攣らせて葵を見下ろす。

「類友ぉ!!」

「処すぞ猿」

「猿じゃねぇもん!!」

 と、殆ど初対面にも関わらず喧嘩を始めた二人を、翔太がまぁまぁそこら辺にしときぃ、と止めに入る。派手な髪色の三人がギャーギャーしているのでクラスメイトの目は彼らに釘付けだ。

「堀越は〜?」

 帝から点数を聞き出すのを諦めたらしい葵の矛先が翔太に向かうと翔太はあっけらかんとしながら

「あ〜、残念俺最高得点は100やねん」

「ひゃっ、ひゃくぅ〜!?」

「頭悪そうに見えるやろ?こう見えて実は首席なんよ、入学式の新入生代表挨拶しとったん覚えてへんか?」

 まぁあん時は黒髪にしてたんやけど、とつけ足す翔太に、遼介たちは開いた口が塞がらない。葵は俺の味方何処にもいねぇ!と叫びながら、拓真の机に縋り付いてその細い両手を拝むようにぎゅっと握りしめた。

「え、ちょっ……」

「なぁ、山村ぁ頭良いんだろ?俺にべんきょー教えて!」

「お、俺が!?」

「頼むよ〜!俺を助けると思って!!ね!?」

 それまで葵とみんなのやりとりをにこにこと見守っていたユウキが突然あ!と楽しそうに両手を鳴らす。何事かとみんなの注目が集まると、ユウキはふわりと笑った。

「皆でお勉強会したら良くない?放課後!」

「か……かみじょー……!!お前っ、いい奴だな!!」

 そんじゃ放課後な!!と、始業のチャイムと一緒に踵を返して全然人の話を聞いている気配すらない葵が席に戻るその一瞬、遼介は彼の背中にべったりと貼り付いている何者かを見てしまった。

「……ぁ……」

 それは恐らく人だろうと思う、両手足は枯れ枝のように細くて人だと視認できたのはボサボサではあるものの白髪が見えたからだ。翔太が言っていたのはこの事だったのかと合点がいって、遼介は思わずごくりと息を呑む。

(何だろうでも)

(あんまり危険な感じはしない、んだが)

 その証拠に、幽霊と思わしきものに貼り付かれているはずの葵には特に窶れている様子もない。人は霊に取り憑かれるとまず思考回路を遮断される、身体に不調が出て人が変わったようになってしまうのが殆どだ。

 気になりはしたものの、拓真の時のような切羽詰まったような感覚はなく遼介は様子を見るだけに留めた。






 放課後、図書室で勉強をしようというユウキの提案に従って皆で移動している最中に遼介は気が付いた。朝は枯れ枝のように細かった葵の背中に貼り付く白髪の何者かが、大きく膨らんでいる。ぎく、とした遼介の様子に気が付いた翔太が隣にやってきて、気付かれないように声を潜めた。

「見えたやろ?あれ」

「……あれは、何だ……?」

「憶測やけど、生気を吸っとるんちゃうかと思って」

 見とけよという翔太の言葉に遼介は静かに頷いた。前を拓真と一緒に歩いている葵の背中に貼り付く不気味な老人は、最早その背中を覆い隠す程に肥大化してでっぷりと太った腹を突如として細い指先で突いた。

 ぱちん、と弾けて指で突かれた腹が空気の抜けた風船のようにみるみるうちに萎んでいくと共に、得も言われぬ嫌な予感が遼介の背中に走る。

 一瞬何気なく視線をやった窓の外、グラウンドでキャッチボールをしていた野球部の硬式ボールがこちらに飛んでくるのが見えた。あれは、どう見ても間違いなくこちらへ吹っ飛んできている。遼介はとてつもない反射神経で前方を歩く二人に飛びかかった。

「……っ伏せろ!!」

「え?」 

 同時にパリン、と音がして硬式ボールが窓をぶち割って廊下へと入り遼介たちの頭上を飛んだ。

 最後尾を歩いていた帝とユウキの二人は遼介の声に立ち止まった事が幸いして無事だったようだが、拓真と葵を庇った遼介の上にはガラスの破片が振り注ぐ。

「りょーちゃん!!!」

「来るなユウキ……!!」

 駆け寄ろうとしたユウキを制止する遼介の声に反応して、帝がユウキの腕を掴んで止める。翔太は遼介の凄まじい反射神経に驚いた様子でその三白眼を瞬きさせると、すっ転んだ拓真と葵に手を貸した。

 焦った顔をした野球部の部員が2名やべぇごめん!と駆け寄ってきたのでコロコロと廊下に転がった野球ボールを拾い上げた遼介は部員へそれを返却する。

「……お、おい皆川、大丈夫かよ?」

「あぁ……二人は怪我ないか?」

 遼介の問いかけに拓真も葵もない、と答えてやや少ししてから葵が俯きながら口を開いた。

「ごめん……俺のせいかも……俺、いつも何かドジで、わけわかんねぇとこでずっこけたり、自転車に轢かれそうになったり、トラックに突っ込まれそうになったりすんの……ごめん」

 葵は酷く狼狽した様子で、遼介の制服に散らばるガラスの破片を払ってくれる。拓真はすっ転んだ拍子に落とした眼鏡の行方を捜していたので、ガラス片の中から拾い上げた翔太が渡してやった。

「なぁ、その……アクシデントが起きるのっていつ頃からなんだ……?ここ最近?」

「……ううん、中学の時に親が死んでから」

 その言葉に遼介は息を呑み、全員の顔にショックと翳りが差す。葵はいつもは能天気そうな笑顔を少し崩して俯くと、一瞬の間の後直ぐににへらと笑った。

「俺、交通事故で両親死んじゃって、今ばあちゃん家に預けられてんだ……でも全然もう気にしてねぇし、暗くしてても良いことねぇから、お前らもあんま気にしないで!」

 そう言って取り繕う葵の背後から、老人の顔が見えた。しわくちゃの顔は人間のようだが、眼球はなく黒い窪みだけが見える。歯は生えておらず、皺の寄った唇がにっこりと笑った後何か口をパクパクさせて遼介に伝えようとしていた。










(……邪魔を、するな)











 口の動きからそう告げているのだと理解した遼介は翔太と視線を合わせる。間違いなく葵は、このわけのわからない老人に取り憑かれていて、しかも命の危険に晒されているのだ。黙り込んだ遼介の側にやってきたユウキが、ポケットの中から出した絆創膏をそっと差し出す。どうやら先程ガラスのシャワーを浴びたせいで頬が切れてしまったらしい。

「ぁ……悪い」

「破片が混じってたら危ないよ、保健室行こう?」

「あぁ、お前ら先に保健室行っててくれ」

 そう言って保健室に向かおうとした遼介の首根っこを、帝が掴んだ。ぐぇ、と首が締まって振り返ればムスッとした顔の帝が呆れたようにため息を吐いた。

「てめぇ、自分が不老不死だとでも思ってんのか。無茶すんじゃねぇよ」

「帝……心配してくれてるのか?」

「っざけんな、誰がお前なんか心配するか……!!」

「ありがとう」

「人の話聞けや……!!」

 全く帝の話を聞いていない遼介が保健室へと向かうのを、ユウキが追いかけて行った。保健室にはもう養護教師はおらず、ユウキは薬品棚に置いてある消毒液と脱脂綿、それからピンセットを取り出すと遼介を椅子へ座らせた。

「ユウキ」

「人一倍怪我しやすいりょーちゃんを手当てしてきたのは誰だと思ってるんですかぁ?」

「……すまん」

 ふふ、と笑うとユウキは慣れた手つきでピンセットで脱脂綿を挟むと消毒液をつけたそれを、容赦なく遼介の頬の傷に宛てがった。

「いって、……!」

「我慢しなさい、無茶した罰です」

「わざと痛くしてんのか……?」

「当たり前でしょ、俺、怒ってるんだからね」

 ユウキは女子も顔負けの綺麗な顔をちょっぴり歪ませて、片頬を膨らませる。子どもみたいな仕草に遼介も釣られるように笑って、ユウキへ手を伸ばした。

「ちょっと、りょーちゃん」

「少しだけ」

 ユウキと一緒にいると、心が正気を取り戻すような気がする。ざわついた気持ちも自然と収まって、心の奥から温かいものが沸き上がるような気持ちに浸りながら、遼介はユウキの腰あたりにきゅ、っと抱きついた。

「もぉ……仕方ないなぁ」

 言葉の割には満更でもない顔で、ユウキは遼介をそっと抱きしめ返す。昔から続く二人だけのやりとりで、そうされる度にユウキは強く遼介に必要とされている気がして胸がきゅっとなる。暫くぎゅっと抱き締めた後、遼介は立ち上がって図書室へ行こうと二人で皆のいる図書室へと向かった。

「ユウキは、葵についてどう思う」

「どうって?」

「何か感じることはあるか?」

「……うーん……あぁ、さっき四時間目終わった後に一人でいるとこを見かけたんだけど……何か、元気がなさそうっていうか、虚ろ?な感じはしたかな」

 やっぱり空元気なのかもしれないね、とユウキが告げる。四時間目の後トイレに向かったユウキは葵の姿をちらりと見たのだが、一人だったせいもあるのか何処か心ここにあらずな感じだった。もしかして、ご両親を亡くした事で相当無理をしているのかも知れないと言うユウキに、遼介はそうかと頷いた。

(原因は間違いなく、背中のあいつだ)

(下手したら両親ももしかして……)

 朝は枯れ枝のようだったのに夕方頃になると風船のように膨らみ、それを自分で割る事で葵に何か危険が振りかかるという仕組みなのだろう。

 図書室に辿り着くと、いつもは静かなその場所がとんでもなく賑やかなことになっていた。

「ちょ、ちょっと待て、わかんないって何処から?まさかと思うけど最初の授業の範囲からわかってない?」

「あー、なんだっけきゅーとかいうやつ!?」

「……嘘だろ」

 唖然としている拓真の隣で、葵はウッキウキでわかんねぇ!と笑っている。帝が葵をからかうように、頬杖を付きながら口を開いた。

「5✕8は?」

「ちょっ、馬鹿にすんなし!!5✕8だろ!?……えーっと、さんじゅう……?」

「駄目だ山村、こいつに勉強教えるだけ無駄だぞ」

「はぁああ?!んじゃお前は出来んのかよぉ!?」

 帝にからかわれて猫のようにぴしゃー!と毛を逆立てる葵を、翔太は面白いものを見る目で見つめている。

「あ!でも8✕8はわかるぞ!!ろくじゅうし!!」

「……最早それ小学校の算数なんだよなぁ……」

「あかんわこれ、中間テストの範囲の勉強しとる場合とちゃうで。基礎がわかってへん」

 学年一位を争う秀才二人を唸らせる葵は実はある意味大物なのかもしれないと遼介は思った。図書室では静かにね、とユウキが優しく言いながら葵の反対隣に腰掛ける。

「葵は足し算はわかる?」

「わかる!その辺は担任のせんせーが教えてくれたから」

「そっか、じゃあ暗記がちょっと不得意なのかな?掛け算はね、実は覚える解答は36個だけでいいの」

「マジ!?らくしょーじゃん!!」

「覚えやすい方法で覚えようか?歌とかはどう?」

 あっという間に葵の心を掌握してしまったユウキは、まるで小学生に教えるかのように掛け算の暗記法を葵に教え始めた。流石だな……と思わず見入っていた拓真に、帝がはぁ、とため息を吐きつつ声をかけた。

「ここのきょーつーいんすうっつーのは何」

「あ、あぁ、共通因数っていうのは……」

 と、全員が何となくやる気になって勉強しているのを見つめながら、遼介も持ってきていたノートを開いた。






 




「ただいまぁ」

 ガラガラ、と引き戸を鳴らして葵は古びた平屋の一軒家へと帰宅した。中学の時に両親を亡くして以降、葵は父方の祖母の家に引き取られた。大きな日本家屋はどうやら祖父母が先祖代々守ってきた家らしく、祖父を亡くしてからも祖母は葵とここで二人暮らしをしている。

「おかえり」

「ばあちゃん、今日の夜ご飯なに?」

「近所のスーパーでひき肉安売りしてたから、ハンバーグにでもして食べようと思ってね」

「オッケー、俺も手伝うね」

 他に身よりもなく年老いた祖母の下へ引き取られることとなった葵は、負い目を感じていた。本当なら祖母は今ごろ年金暮らしで残りの人生を謳歌していたはずなのに、自分のせいで苦労をかけてしまっている。

 広い茶の間を抜けて仏間にたどり着くと、大きな仏壇には祖父と両親の3つの位牌が飾られていた。遺影も3つ、仏間の張りの部分に掛けられてこちらを見下ろしている。

 葵は仏壇の前に正座すると、リン棒と呼ばれる棒を掴んでリンを鳴らしてから両手を合わせた。

(母さん、父さん、俺、大丈夫だから)

「友だち出来たんだぁ、すっげぇいい奴ら。俺、めちゃくちゃ馬鹿だけどさぁ……頑張るからね」

 勉強はあんまり好きじゃないけど、と付け加えてから葵はえへへ、と笑って仏間を離れる。キッチンでハンバーグを作る祖母の手伝いをして、遅めの夕食を終えると風呂に入って寝室に向かおうとした。


(夜の仏間って俺ちょっと苦手なんだよなぁ)


 なるべく早足で仏間を駆け抜けて寝室に向かうと、葵は電気を付けて早々にベッドへと腰掛ける。取り出したスマホには数件通知が来ていて、そこには連絡先を交換した遼介からのメッセージもあった。

「どしたんだろ?」

 何かあったのかなと呟いてアプリを開くとそこには同じく連絡先を交換した翔太からのメッセージも届いていた。何の用事だろうと何げなく翔太の方からメッセージを開く。

「寝る前に塩水をコップ1杯飲むとすっきりすんで、……?塩水ぅ??しょっぱくね?」

 ココアとかじゃなくて?と疑問を抱えながら、遼介の方のメッセージを読んでみると何とそこにはまたしても意味のわからないメッセージが書かれていた。

「バスソルト使うと身体が軽くなるから試してみたら良いんじゃないか……?ちょっ、何?二人して塩めっちゃ勧めてくるじゃん……!!」

 最早ちょっと恐怖を感じながら、葵はとりあえずさんきゅー!と返信してから気が付いた。もう一人メッセージが来ていて、それは何と拓真からだった。





 "声かけてくれてありがと、何かわかんないとこあれば教えるから"






 何だか擽ったくなるようなメッセージに葵はふふ、と笑いを噛み殺してそのままベッドに沈み込むように身体を横たえた。スプリングが軋んで音を立てて、全身がポカポカになった気がして吸い込まれるように葵は目を閉じる。

 真っ白なモヤのようなものが視界を埋め尽くして、葵は深く深く夢の底まで沈んでいく。冷たいドライアイスの中に閉じ込められてしまったかのように身体が動かなくなると、徐々に暗くなった視界にぼんやりと何者かが映った。

(なん、だ……?)





 ずる

 ずる






 這いずるような布ズレの音に、葵は無意識にごくりと息を呑んだ。何かがゆっくり、這いずるようにして近付いてきている。逃げなきゃと思うのに足は一歩も動かなかった。

『……うぅ』

(……っ、何、誰だよ……!?)

『おち、……お……ろ』

 嗄れた老人のような声が、少しずつ少しずつ自分の方へ近付いてくる。恐ろしさで叫びたいのに声すら出ない、息も出来ないまま葵の身体は硬直した。

(く、るな)

(来るなよ……!!!)

 ずる

 ずる

 だがその願いも虚しく、遂にその何者かは葵の眼前に迫りぐい、と足を掴まれた。枝のように細いしわくちゃの手が葵の足をがっしりと掴み、その恨みがましい顔をゆっくりと近付けてくる。

 目を瞑ることすら葵には許されない、茶色くくしゃくしゃの顔には眼球がなく黒く窪んだ穴だけが葵を見つめていた。ひひひひひ、と心底楽しそうな声が、歯のない口から異様な程の腐臭と共に発せられる。





『堕ちろ、堕ちろ』






「っぅわぁあああああああああっ」

 思い切り叫んだ事で解放された視界に、ぼんやりと寝室の電気が映る。天井を見上げたまま葵のその大きく見開かれた目尻から涙が伝って枕に落ちた。

 夢だとわかったのに、目は覚めたのに、その場から暫く動くことすら出来なかった。何度も何度も息を吐いて整えてから、葵は跳ね起きて寝室を飛び出す。

 祖母を起こさないようにそっと、サンダルに足を突っ込んでスマホだけを手にして家を出た。さっきの夢は何だったのだろうと葵は目尻に溜まった涙を乱暴に拭う。

「……ちょっと散歩しよ……」

 きっと眠りが浅いせいで変な夢を見たのだと己を無理やり納得させて、葵は夜の街を一人で散歩し始めた。少し遠回りをして、河川敷の方を回って帰宅すれば疲れて夢も見ずに眠れるだろうと踏んで家と反対方向の河川敷へと歩く。

 疎らに街灯の光る河川敷を歩いていると、向こう側から誰かが走っているのが見えて葵は避けようと道の端に寄った。時刻は夜の十二時くらい、まばゆいほどの星空が広がる空の下を葵はぼんやりと歩く。

 一人になると思い出すのは、両親が亡くなった時のあの悪夢のような日の事だった。







『お、おい、誰かまだ生きてるぞ!!』

『子供だ……!!担架持って来い!!』

『生きてるぞ!!……この子は生きてる!!』









 叫ぶ大人の声がまるで残響のように葵の耳の奥にはこびりついている。黒煙の立ちのぼるひっくり返ったワンボックスカー、めちゃくちゃになった車内はひしゃげて上も下もわからず鳴り響くクラクションと救急車のサイレン、忘れたくても忘れられない光景は、今もなおずっと葵を責め続けるようだった。

「……母さん……父さん……」

 噛み締めた唇から血が滲んだ。涙なんて出ない、もうずっと前から葵は泣いていなかった。両親の葬式の時も、祖母以外の親戚が葵の受け入れを拒否した時も、絶対に泣かなかった。泣いたら、自分は可哀想な奴だと認めてしまうことになるのが嫌だった。

 亡くなった人は星になるというが、ならばあの幾千の星のなかに両親がいるのだろうか。見てくれているというのだろうか。掴めない星に手を伸ばして、バカバカしいと葵は手を下ろした。







(……大丈夫)

(俺は、大丈夫)









 じっと耐えるその背中で、トクン、と枯れ木のような老人が腹を揺らした。






 




 


 to be Continued








 

 






 

 

 

 


 

 

 


 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

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