表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/5

アオハルデッドライン 1







 


アオハルデッドライン



 




 


1 







 

 春の陽気が絶妙な眠気を誘って、窓から吹き抜ける風が心地よく髪の毛を揺らした。担任の抑揚のない声色をBGMに窓の外を眺めていた黒髪の少年皆川遼介は、ふぁ、と気付かれないように欠伸をひとつ落とす。

 何となく憂鬱な気分になるのは、この時期になると必ず思い出す嫌な記憶のせいだった。遼介は小学校2年の春、登校途中で見かけた子猫が車に轢かれそうになったのを見かけて、思わずその場に飛び込んで子猫を助け車に跳ねられた事がある。大量に血を流して薄れゆく意識のなかで見たのは、この世のものとは思えないほど青白い顔をした女が物陰からこちらを見てゲラゲラと楽しそうに笑う姿だった。

 最悪なことを思い出してしまったと後悔してチラ、と隣を伺えば派手な茶髪のクラスメイトが完全に机に突っ伏して寝ている。大した度胸だと感心していると、背後からツンツンと背中を突かれた。

「っ何だ……ユウキか」

「何だはないでしょ、りょーちゃん」

 擽ったくなるような柔らかい声を潜めて、遼介をりょーちゃんと呼んだのは上条ユウキ。ふわふわの柔らかい長めの黒髪を耳にかけて、シャープペン片手に笑っているところを見るに先程遼介の背中をつついたのはシャープペンだろう。

 寒いのか黒い学ランの下に着たベージュのカーディガンの袖を伸ばして、ユウキはちゃんと先生の話聞きなよ?と遼介に優しく忠告する。

「へーい」

 ユウキと遼介は幼稚園からの幼馴染みだ。家がたまたま隣同士で同じ年だった二人はすぐに意気投合して、兄弟のように育った。昔からその掴みにくい性格も相まって他の男子連中にやっかみで絡まれる事の多かったユウキを、遼介は何度も助けてきた過去がある。

 終業のベルが鳴って、クラスメイト達がざわざわと帰りの準備を始めると遼介はユウキを振り返った。

「なぁ、放課後一緒にラーメン食いに行かね?」

「良いよ」

「その後カラオケも」

「ふふ、了解」

 机のなかの教科書類をリュックにしまいながら、ユウキは快く放課後の寄り道に応じてくれた。同じ高校を受験してまさかクラスまで一緒になるとは思わなかった。受験の神様とやらがいるのなら、随分と大盤振る舞いをしてくれたものだと遼介は心の中で呟いた。

「滝山〜!滝山ってやついるか〜!?」

 不意に教室のドアを開けて、知らない生徒が大声を上げながら入ってきた。スポーツでもやっているのか随分とガタイのいい男子生徒はキョロキョロと人を探している。

 その声にどん!と机を蹴り上げるようにしながら、丁度遼介の隣に座っていた男子生徒が漸く顔を上げた。細く整えられた釣り眉にまつ毛の長い垂れ目、一目見て美形とわかるその男子生徒は気怠そうに片手を上げる。

「滝山は俺っすけど、何か用?」

「大曲先輩がお前に用があるってよ。体育館裏に来いって呼び出し食らってんぞ」

「……大曲って誰だよ」

 んな先輩知らねぇけど、と滝山帝は眉間に皺を寄せたが男子生徒は首を軽く竦めるだけで呼び出しの内容までは知らないようだ。ち、と軽く舌打ちをした帝は椅子から立ち上がるとだるそうにその長い髪の毛をかき上げ、リュック片手に教室を出ていこうとする。

「大曲ってあれだろ?柔道部の……」

「あぁ、やべぇって噂の?」

「気に入らねぇ後輩いびるの好きらしいぞ〜?あれは終わったな、あのロン毛」

 ひそひそと周りのクラスメイトが話している内容が耳に入ってしまった遼介は、考えるよりも先に身体が動いていた。

 遼介は椅子から立ち上がって走り出すと今にも教室を出ていこうとする帝の腕を掴んで引き留める。

「あ?何?」

「……あー……その、何か危ない先輩みたいだし、辞めておいたほうがいいんじゃないかと思って」

「ご忠告どーも」

「行くつもり?」

「……バックレた方が面倒なことになりそうだろ」

 揉め事には慣れているのか、ちっとも驚いた様子もなく帝はそう言うと遼介の腕を振り払った。後ろの方でハラハラしながらユウキが二人を見守っているが、経験上こういった時遼介は引き下がらない。

「じゃあ、俺も一緒に行っていいか」

「……はぁ?」

「あ、俺、皆川遼介。二ツ川中から来たんだ、同じクラスになったのも何かの縁だし……一人より心強くない?」

「俺は上条ユウキ、よろしくねぇ」

 人畜無害そうな二人の顔を交互に見つめていた帝は、はぁ、と呆れたようにため息をついてから視線を反らした。

「……滝山帝」

「かっこいい名前だなぁ、みかちゃんだ」

「おいちゃん付けすんじゃねぇよ誰がみかちゃんだ」

 天然っぷりを発揮していきなりあだ名をつけ始めたユウキに帝が鋭いツッコミを入れたが当の本人は偉く気に入った様子でちっとも気にしていない。

「勝手にしろ……ぶん殴られても俺ぁ助けねぇからな」

 帝が低い声で忠告すると、遼介とユウキはどういう事なのかと顔を見合わせて首を傾げた。3人の通う久留米高等学校の体育館は、最近建て替えた新校舎の方にある。

 年季の入った旧校舎を抜けて渡り廊下を歩き新校舎を出て曲がった先の体育館裏に、その人物はいた。

「大曲先輩って、あんた?」

「滝山帝ってのはてめぇか」

 クラスの中でも身長が高い方の帝より更に上背のある、がっしりした体つきの男子生徒が振り返った。柔道部という肩書がしっくりくる強い意思を感じさせる太い眉毛に高校生とはとても思えない角刈り姿の大曲恒彦は、唐突に帝の制服の襟首をが、と掴んだ。

「随分とモテるらしいなぁ?何だ?そのチャラチャラした髪の毛は……!!男児たるもの男らしい髪型をしろ!!」

「わぁーお……めちゃくちゃわかりやすい嫉妬」

「ユウキ……声がでかい」

 大曲恒彦の理不尽な言葉に思っていたことをぽろりと零してしまったユウキに、遼介は隣で頭を抱える。

 だが残念ながら怒りの矛先は帝から遼介たちへと向かってしまったようだった。

「お前も!お前もだ!!なんっだその髪の毛は!!黒髪なのは百歩譲っていいとしてお前っ、女みたいな髪の毛をして恥ずかしくないのか!!」

「だぁ〜っ、っせーな、先輩に関係ないっしょ」

 ユウキを名指しで女みたいだと罵るのを見てうるせぇと言わんばかりに呆れた低い声で帝が反論すると、大曲が顔を真っ赤にしてぶるぶると片手を震わせているのを見た遼介がすっ、と二人の間に入った。

「お言葉ですが」

「あぁ?」

「学校の校則には生徒の髪型については自由と書かれています。ユウキの髪型を女子のようだと言ったことについてはとても許せる発言ではありません、撤回してください」

「てめぇなんだよ」

「それから、帝のことを見た目でチャラチャラしていると勝手な決めつけをしたことについても撤回を」

 身長が高くガタイの良い大曲に凄まれても、遼介は一歩も引かなかった。まさか自分が庇われるとは思っていなかった帝は唖然としたまま口をぽかんと開ける。

「せんせー、こっちこっち〜!喧嘩してんで〜!!」

 不意に体育館の窓からそう聞こえてきた声に、大曲はぎくりと肩を震わせると悔しそうに三人を睨みながらも慌てたようにその場から立ち去っていった。

 大曲の背中にべー、と舌を出してからひらひらとこちらに手を振る派手な金髪の男子生徒に遼介は話しかける。

「ありがと、君は?」

「同じクラスやっちゅうのに覚えてへんのん?堀越翔太、1年間よろしゅうな」

「じゃあ、しょーちゃんだ」

 よろしくねぇとにこにこ笑うユウキに、翔太もおおきにとその糸目を細めて笑う。派手な色素の薄い金髪をおしゃれにワックスで固め、両耳に4つ程ピアスをつけている堀越翔太という男子生徒はすぐに女子に囲まれてヘラヘラと笑って何処かへ行ってしまった。助かったなと遼介が帝に話しかけると、帝は照れくさそうに眉間に皺を寄せてそっぽを向く。

「庇ってくれなんて言ってねぇ」

「……優しくない奴はぶん殴られても助けない、なんて助言はしない。喧嘩売られるのわかってたんだろ?」

 だから俺達を遠ざけようとしたんじゃないのかと言われて、帝はう、と言葉に詰まった。ユウキは二人を交互に見つめた後その腕に両手を絡ませる。

「ねぇ、ラーメン食べに行こうよ」

「あぁ、約束だったな」

「はぁ?待て、俺は約束なんかしてねぇぞ!?」

「行くよね?みかちゃん」

「みかちゃんって言うな!!」

 ユウキの天然っぷりにタジタジの様子の帝を遼介が笑って和やかな空気が流れるその3人の姿を、教室から1人の男子生徒がぼんやりと眺めていた。







  



 小さい頃から、素直になれない性格だった。忙しそうにキャンバスに向かう父親と専業主婦の母親のもとに生まれ育って、何不自由なく過ごしてきた。父親は年に数回しか家に帰ってこないが、それでも生活に不自由しない位に売れっ子の画家だ。広い家の中で、のんびりした性格の母親に思う存分に甘やかされて育った。

『ねぇ、名前ぇ……なんていうの?』

 話しかけてきたのは、近所の家の大学生くらいの女性だったと思う。風に揺れる長い黒髪が特徴的で、顔はどんぐりのように大きな黒目、鼻は小さく唇は控えめで有り体に言うのなら"美人"だった。

『やまむらたくま』

 近所の公園で一人ランドセルを背負って立っている小学生を不思議に思ったのか、女性は興味深そうに両手を後ろで組んで砂を蹴り上げるようにして歩み寄ってくる。

『たくま、んー、じゃあたくちゃん』

『なんの用ですか』

『お話したいから話しかけたんじゃん、駄目?』

『お母さんが知らない人に話しかけられてもついてったらだめって』

 山村拓真がそう言うと、女性は吹き出したようにケラケラと笑いながら目尻に溜まった涙を指でぬぐった。

『あーおっかし、私ついてこいなんて一言も言ってないじゃない。お話しよってゆっただけよ』

『……僕に、?』

『たくちゃんは一人で何してんの?』

 お友達いないの?と辛辣なことを聞いてくる女性に、拓真はムッとしながら口を尖らせる。

『お姉さんの名前は?僕だけが自己紹介するなんて、りふじんです』

『理不尽なんて言葉よく知ってるねぇ』

『名前、おしえて』

『私は菅原萌美、もえみって呼んでいいよ』

 それが小学校3年の春、突如として公園で話しかけられた年上の女性との長くて不気味で、思い出すだけで震え上がるような記憶の始まりだった。




 "たくちゃん"

 "たくちゃん、おいでよ"








 "こっちにおいで"









「……っ!?」

 突如として聞こえてきた幻聴のような声に、山村拓真は思わず勢いよく顔を上げて悲鳴を上げないように自らの口を手で押さえた。ごくり、と飲み下した生唾が酷く気持ち悪い。

 黒板を遮るほど長く片目を隠す前髪のお陰で、変化を悟られることはなかったようだと安堵して、拓真はゆっくりと息を吐いた。

「なぁ、大丈夫か?」

 後ろからそう話しかけられて、拓真は怯えたようにびくりと肩を揺らす。ちらと振り返れば後ろの席の遼介が心配そうにこちらを見ていた。

「なん、でもない、です」

「いや顔……真っ青だけど」

 朝のホームルーム前、ざわついた教室内で気付かれるはずがないと思っていたのに話しかけられたことに酷く狼狽して、拓真は片言で会話をせざるを得なかった。

「体調が悪いなら保健室……」

「っ、触んな!!」

 保健室に一緒に行こうかと聞きかけて拓真の肩に遼介が手を置いた瞬間、その手は弾かれて落ちた。何事かと眠そうな帝が伏せていた顔を上げ、ユウキは驚いた様子で目を丸くしている。

「……山村」

「俺になんか構うなよ……っ、そっとしておいてくれ!!」

「すまん、悪かった」

 遼介は潔く謝ると弾かれた手を引っ込めた。一瞬だけ、先程机に突っ伏していた拓真の背後に黒い影のようなものが見えて気になったのだが、本人がこの調子では取り付く島もない。教室内の空気は最悪で、何人かがひそひそと噂話をしているのが耳に入って、拓真は耳を塞ぎたくなった。

「そういう時もあるよな!俺、少し無神経なところがあって、気に触ったならごめんな」

「……へ?」

 当然怒り出すか軽蔑の眼差しか、それとももう関わらないでおこうと決めたような顔をすると思っていた遼介が、あっけらかんとした顔で拓真に向かって謝ってくる。

 隣の帝が容赦なく遼介の机の足を軽く蹴り上げた。

「お前デリカシーっつーもんがねんだよ、昨日も人の事勝手に拉致りやがって……ラーメンどころかカラオケまで付き合わされた俺の身にもなれ」

「帝、お前洋楽が好きなんだもんな」

「みかちゃん落ち着いてね、りょーちゃんはこれが通常運転だから」

 今にも怒りで遼介に掴みかかりそうな帝に向かって、ユウキがにこにこと笑いながら間に入った。変な3人組だと呆気に取られていると、遼介が拓真に手を伸ばしてくる。

「俺、皆川遼介。1年間よろしくな」

「……っよろしくする気はありません……!!」

「そう言わずに……折角席前後なんだし……山村拓真だろ?拓真って呼んでもいい?」

 誰かに手を差し伸べられたのは、これで2度目だった。一度目は菅原萌美の時、そして今回。蘇る嫌な記憶に拓真はわなわなと震えて何かを断ち切るように遼介に背を向ける。

「構わないでくれるかな、うざいよ君」

 どうせ友達なんて出来るはずがない、直ぐに自分と距離を置いて陰口を叩く癖に。陰キャだオタクだとレッテルを貼って、仲間はずれにする癖に。

 そう考えれば考えるほどに拓真の背中の黒い影のようなものは肥大化し、遼介は思わず顔をしかめた。遼介は幽霊は見えるが、人のオーラだとか抽象的なものは見えない。恐らく拓真に憑いているのは幽霊が何かの類いだと思うのだが、いまいちはっきり見えないのだ。

(声をかけた時一瞬和らいだから……もしかしてとは思ったんだけど……)

 振り払われた以上はもうしつこくする事も出来ないなと考えていた遼介の後ろで気配がして、咄嗟に振り返るとユウキの顔の前にす、と片手を出す。

 一瞬遅れて遼介の手の中に収まったのは、朝のホームルーム前にキャッチボールをしていた他の男子生徒がぶっ飛ばした紙くずだった。

「……わぁ……びっくりした」

「本物のボールじゃなくて良かったな」

 と、にこやかに会話する二人の横で帝は思いっ切り顔を引き攣らせた。ユウキの真横にいるならともなく、遼介は背を向けていたのだ。それなのに何かを察知したかのように振り返り、ユウキの顔面直前で紙くずをキャッチしてみせた。

(反射神経すっげぇなこいつ)

 思わずちらと遼介を見たが、当の本人はどこ吹く風でどうした?と小首を傾げている。

「すまんすまん、それこいつがぶん投げた紙やねん」

「……良いけど、気を付けろよ」

 ド派手な金髪を揺らして、昨日絡んできた堀越翔太が友人らしき男子生徒を連れてきて謝罪とともに遼介から紙くずを受け取る。

 友人と連れ立って席に戻ると、近くに座っている女子生徒の一人が翔太に話しかけて来た。

「駄目だよショータ、皆川くんは上条くんの騎士なんだから〜。ちょっかいかけたら怒られちゃうよ?」

「騎士?なんなんそれ?」

 女子生徒は少しだけ恥ずかしそうに隣に座っている他の女子生徒と顔を見合わせた後、声をひそめて翔太へと告げる。

「中学私たち同じだったんだけど、凄い噂になってたんだ。皆川くん、上条くんのことになるとキレやすいって。何人か上条くんをいじめようとした生徒が病院送りになったって言われてんだよね」

「そうそ、上条くんの外見も相まって一部の女子から姫と騎士って言われててさ〜」

 ひそひそと噂話を楽しそうなトーンで告げてくる女子の言葉に翔太はこっそりと遼介とユウキの方を見た。確かに男子にしては柔らかく美人な顔立ちのユウキと、誠実そうな好青年の遼介は一部で人気の出そうな組み合わせである。

「へぇ……姫と騎士、ねぇ?」

「それよりショータ、放課後ラウワン行かない?」

「おん、ええよぉ」

 堀越翔太は根っからの陽キャだった。生まれてこの方友人に困ったことはない。4つ上の姉の影響でおしゃれが好きな為、ド派手な金髪に耳に計5個のピアスの穴、鋭い三白眼と187センチのでかい身長も幸いして周りに人が絶えず、本人も関西出身故に話好き、というスペック持ちだ。

「そういやさ……山村くんも中学の時何か荒れてたって、梨花が言ってたよね」

「あぁ、梨花と同じ虹梁中学だったんでしょ?あそこめちゃくちゃの進学校なのに、よくうち受験したよね」

 虹梁中学は学区内で1位2位を争う進学校で、進学先はいつもかなり偏差値の高い高校が普通だ。そんなところから、ごくごく普通の久留米高等学校を受験したのかと翔太はふぅんと相槌を適当に打った。

「誰とも話さないし、話しかけてもめちゃくちゃ怒るから皆から避けられて、中学では殆どぼっちだったって」

「あぁ、いるよね〜、ストレスでおかしくなるやつ」

 始業のチャイムが鳴ったので、女子たちの噂話はそこで打ち切りになったのだが翔太は拓真が少し気になった。授業が始まってから昼休みの時間帯まで、拓真は一度も後ろどころか周りをキョロキョロ見もしないのだ。

(まるで何かに脅されとるみたいやなぁ)

 頬杖を付きながら翔太は拓真から目が離せなかった。そして昼休み、皆それぞれ仲の良い連中とご飯を食べようと移動している最中拓真の前にす、と現れたのは遼介だった。

「……は?」

「昼飯、一緒に食べない?」

「……関わらないで貰える?俺さっき、言ったよな?」

 刃に衣着せぬ言いようで、拓真は遼介を無視するとそのまま椅子から立ち上がる。一刻も早くここから立ち去りたくて、ふらついた足を叱咤した。

「なぁ、一人で食う飯って淋しくないか?」












 "一人で食べるご飯って味気ないじゃない?"














 遼介のその言葉にリンクするかのように脳内に響く萌美の声に、拓真は目を見開くと込み上げてくる苦い味がして思わず片手で口を塞いだ。

 もう駄目だと思った次の瞬間、遼介の後ろにいたユウキが自分の持っていたコンビニの袋をひっくり返して中身を机の上にぶちまけると、即座に拓真の口元へ持ってくる。

「ぐ、ぅ……ッ」

「大丈夫飲み込まないで吐いて」

「ぃ、やだ……っ……!!」

 吐いているところを見られたら、きっと軽蔑される。あいつゲロ吐いたぞとからかわれてしまう。恐怖で凍りついた拓真の周囲がざわつくのを悟った帝が、ポケットに手を突っ込んで座ったまま勢いよく自身の机を蹴り上げた。

「見てんじゃねぇよ」

 低く響く心地のよい声は教室に響き渡って、ざわついていた教室が一気に静けさを取り戻す。遼介は震えている拓真の肩に、柔らかく触れた。

「……へ?」

「ちょっと気持ち悪いかも知れないけど、許してくれ」

「えっ、ちょ、……!!」

 そう言うと遼介は拓真の肩に触れていた手を背中に回して、勢いよく2回叩いた。その瞬間、さっきまで重たくのしかかるような肩の重みと込み上げていた吐き気がすっかり消え失せてしまったのである。

「……い、まのは、?」

「少し気分良くなったか?」

「なん、何なんだよお前……っ!!」

 拓真は今自分の身に起こったことが信じられなくて、勢いよく遼介を押しのけるとそのまま教室の外へと走っていってしまった。

「りょーちゃん、あれは流石に強引すぎだよ?」

「……すまん」

 気になるのはわかるけど、とユウキがフォローしながら使わなかったビニール袋を畳んでいると、席を立った翔太が遼介へひらひらと手を振って近付いてくる。

「なぁ、ちょお顔貸してくれへん?」

「……俺?」

「そお」

 良いよ、と了承すると遼介は翔太と共に昼時には人の疎らな多目的室の前まで歩きがてら、他愛のない話をした。どこの中学から来たのかと問われた翔太は、関西にある中学だと答える。親の引っ越しで高校から関東の方へとやってきたのだと聞いた遼介は、なるほどと納得した。

「皆川はあれ、見えとる人?」

「……直球だな」

 周りに人がいないことを確認した後、立ち止まった翔太が掴めない表情で聞いてきた言葉の意味を遼介は理解している。あれ、というのは間違いなく拓真の後ろに憑いている黒い影のことだろう。

「俺、じーちゃんが京都で神社の神主やってんねん」

「そうなのか」

「……あれ、下手したらあいつ死ぬで」

 翔太の言葉に遼介は少しだけその吊り上がった意志の強い目を見開いた。見上げた軽そうな三白眼が、とてもウソを言っているようには思えない。

「さっき、あんた肩触るふりして背中叩いてあの影祓ったやろ。一時的に散りはするけどなぁ、あれまた戻ってくんで……山村に相当執着してはる」

「随分苦しそうだったから、一瞬だけでも楽にならないかと思って……やっぱりあれは一時的なものなのか」

 昔からああやると、小さい霊は何処かへ行くから時々"そういう人"を見かけたらやっていた行為なのだと遼介はあっけらかんと言った。

「どうやったら助けられる?」

「……あんた、あんな拒否られたのに助けるつもりなん?」

 驚いた顔をする翔太を、遼介は真っ直ぐな瞳で見つめ返す。打算も計算もないただ一直線に人を助けたいと思う純粋な気持ちがそこにはあった。

「当たり前だろ」

「何の義理もないやん」

「でも山村はきっと苦しんでる」

 苦しんでるってことは、生きたいって思ってるって事だと遼介は凛とした顔で言い放った。呆気に取られている翔太は、一瞬の間の後表情を和らげて笑う。

(アホやなぁ)

(……真っ直ぐなあほや)

 痒くもない頭を軽く掻いて口を開こうとしたその時、廊下がざわついている事に二人は気がついた。何かあったのかと思っていると、クラスメイトの女子の一人が慌てたように翔太の下へやってくる。

 ギョッとした遼介を他所に、彼女は翔太の両腕に縋り付くとパニック寸前の表情で告げた。

「っ大変、山村くんが!!!」

「……あかん」

「"翔太"!行くぞ……!!」

 いきなり翔太を呼び捨てにすると、遼介は目にも留まらぬ速さで廊下を走り出す。残された翔太はあーもぉ!と苛立った様子を見せながらも、遼介の後を追いかけた。






  

 


  

 

 



 『たくちゃん、約束してね』

 『わたし以外に友達作んないで、ずっと一緒にいてね』

 『約束だよ』







  

 



 最初は、わけのわからない年上の女性だと思った。それでも取っつきにくいと周りから嫌厭されていた拓真にとって彼女は唯一出来た年の離れた友達だと、そう思っていたのだ。

 彼女になら言えた。難しいゲームの攻略法が分からなくて苛ついた事も、中々帰ってこない父親への愚痴も、幼稚なクラスメイトに嫌味を言われたことも。

『皆たくちゃんが羨ましいんだよ』

『僕、そんな羨ましがられるような人じゃない』

『たくちゃん、殺してあげようか』

『……は……?』

 いつも通りの帰り道だった。

 夕暮れの長く伸びる影がほんとはいつも彼女の足元からは伸びていないこと、気が付いていたはずなのに見ないふりをしていた。拓真の手を掴む萌美の手が、息が止まる程冷たくて振りほどけない。

『たくちゃんをいじめるやつは、全員殺しちゃおう』

『な、に、いって』

『だって友だちは私だけで十分デショ?』









 『殺シテアゲル』





 





 無機質なノイズのようなその声は、真っ黒な闇のなかに消えた。拓真はその日、何かを振り払うようにして一心不乱に家まで走った。そしてその翌日に、自分に嫌味を言ってきたクラスメイトの何人かが遊んでいたところに大型のトラックが制御不能で突っ込んできて、全員が死んだ。

 あまりのことに崩れ落ちる拓真の周りで萌美の影が、心底楽しそうにケラケラと笑って告げる。







『だって、たくちゃんが望んだんじゃん』








 お前が殺したと、言われたのだと思った。











(違う)

(違う違う違う違う違う違うっ!!!)

(殺してない、俺は、おれは殺してない……!!!)







 

 


 遼介たちから逃げるように飛び込んだ男子トイレの個室で、拓真は震えながら己の耳を塞いだ。その瞬間ぴちゃ、ぴちゃ、と水音がして拓真は思わず顔を上げる。

(なん、だよ)

(俺が……っ何したっていうんだよ……!!!)

 真っ白な上靴のスニーカーを侵食する気持ち悪いほど真っ黒な液体が、足元から徐々に這い上がってくる。あまりの悍ましさに立ち上がって個室から出ようとしたが、足が動かない。精神的に参っているせいで幻覚を見ているのかと絶望した拓真の耳に、ノックの音が響いた。

「もしかしてだけど、山村くん?」

(……上条……?)

 声の主はユウキだった。拓真の事を心配したのか、追いかけてきたらしいユウキはそのままトイレの前で拓真に語りかけてくる。

「りょーちゃんの事、ごめんね。気分を害したと思うから、代わりに謝るよ」

「……っんで」

「え?」



 "何で俺の前で友情ごっこなんてするんだ"




 最低の言葉が口から出かかって、拓真は一気に負の感情に飲まれてしまう。何で、何で自分はどんなに頑張っても友達ができないのに、何でこんな呑気に生きている奴が糸も簡単にクラスの中心になるんだ。

 気がついたときには、拓真はトイレのドアを空け放って外に出ると、ユウキのその細い首に手を伸ばしていた。本気で殺そうと思った瞬間に横からパシッと勢いよく手首を掴まれて寸前で何者かに止められる。

「止めとけ馬鹿野郎」

「あ、……みかちゃん」

 放って置こうと思ったのだが結局ユウキを放っておけない性格が災いして、帝もトイレまで着いて来ていたのだ。案の定ブチ切れたらしい拓真がユウキに襲いかかるのを発見して、帝はため息交じりに止めに入った。

「お前も、絡まれんの嫌だろうけど何も暴力振るう事ぁねぇんじゃねぇか?」

「……っ離せ」

「手ぇ引っ込めろつってんだよ」

「離せ、離せ離せ離せ離せ離せ離せ離せ離せ離せ離せ離せ」

「あぁ?」

 ガタガタガタ、と異常なほど震える拓真の異変に、帝は眉間に皺を寄せて怪訝な顔をした。長い前髪に隠れた顔を少し覗き込んで、背筋に走ったゾッとしたものの正体を帝は知らない。殆ど本能で、帝は叫んだ。

「っ、上条逃げろ……!!」

「みかちゃん、危ない……!!」

 ぐるん、と上を向いた眼球、真っ白な肌に浮かび上がっているくっきりとした血管は異常なほど脈打ち、口からは泡を吹いている拓真からユウキを遠ざけようと帝が庇うが、それよりも一瞬早く拓真の手が帝の首を掴んだ。

「う、ぐっ……!!」

「友達ナンカイラナイ、イラナイ、ズット、ズット、たくちゃんは、ワタシトイッショ」

「っ山村くん……!!みかちゃんを離して……!!」

 帝と拓真の身長差は然程ないもののその細い腕からは信じられない程の力で帝の首を絞め上げているのか、帝の踵が若干浮いている。

 拓真の事を止めに入りながら丁度トイレに入ってきた男子生徒に、ユウキは叫んだ。

「先生呼んできて……!!早く!!」

「お、おぉ……!!」

 何とか帝の首から拓真の手を剥がそうとするが、ビクともしない。騒ぎを聞きつけたらしい野次馬が男子トイレの前でごった返しているのを、駆けつけた遼介と翔太がかき分けるようにしてトイレへ入ってくる。

「っユウキ!!」

「りょーちゃん!!みかちゃんが……!!」

 ユウキを見つけた遼介は、直ぐ様駆け寄って後ろ手に庇うと帝の首を絞めている拓真と対峙した。正気を失っているのだと気付いた遼介の肩に、翔太が突然手を置いた。

「俺を通してなら見えるやろ、見てみぃ」

 掴まれた肩からどっと遼介の中に、熱いものが流れ込んでくる。それまではぼんやりとしか見えていなかった黒い影が、翔太に触れられた事で弾けるようにくっきりと視界に映った。

 女だ。

 燃え盛るようなドス黒い炎を纏った女が黒髪を逆立たせて、拓真の背中に抱きつくように纏わりついている。

「あれな、生霊やねん」

「生霊……」

「せやからお前には見えへん、薄すぎるからや」

 菅原萌美は既に死んでいる霊ではなく、生きながらにして拓真に執着をし己の負の感情を纏わりつかせていたのだ。拓真の後ろで耳まで裂けた唇を震わせるように高笑いする女の首に、迷いなく遼介は手を伸ばした。

「やめろ」

『邪魔をするな……っ!!』

「身体に帰るんだ……戻れなくなるぞ」

『戻れなくていい……!!たくちゃんは私のものなの!!』

 女の姿を掴んだことで、遼介の中にノイズのように流れ込んでくる記憶。何処かの病室で一人、寝ている女が見える。見舞いの花は1輪もなく、静かに一人で機械に繋がれている姿は間違いなく拓真に取り憑いている女だ。

 寂しさや悲しさに耐えきれずに、彼女は生きながらにして悪霊となってしまったのだ。そしてたまたま波長が合った拓真を見つけて彼に取り憑いた。自分以外の人間を頼ることのないように、周りを呪い殺すことで拓真を孤立させたのだ。









「"拓真"、本当にお前が望んでることはなんだ」










 遼介は女を掴みながら、拓真に話しかける。不思議とその声は、意識を失っているはずの拓真へ真っ直ぐに届いた。

「周りから孤立することを本当に望んでるのか?」

(ちが、う)

「こうやって誰かを傷つけたいと思ってるのか?」

(違う)

 本当は、友達が欲しかった。素直になれなくて友達になりたいなんて言えなかっただけだ。周りの皆のようにくだらない話を沢山出来るような友達が、ずっとずっと欲しかった。

 望んではいけないと思っていた。望めばその子は自分のせいで死んでしまう。









「お前が望むなら、俺の手を取れ」












 友達になろう、と遼介は曇り一つない瞳で拓真に語りかけた。今までこんなに何度も手を差し伸べてくれる人なんて一人もいなかった。振りほどいたはずの手が、しっかりと拓真の手を掴もうと何度も何度も伸ばされる。

 震えながらゆっくり帝の首から離されていく手を、遼介は力強く握りしめた。

「っ、……皆川……俺……っ」

「ありがとう、俺の手を取ってくれて」

 漸く解放されてよろける帝を後ろからユウキが支える。ふ、と何かが抜けるように倒れ込んだ拓真を、遼介は片手で支えた。遼介が拓真の手を掴んだ事で、生霊の女性は完全に分断され喚くように悲鳴を上げる。

 ありったけの罵詈雑言や呪詛を吐いて再び拓真へ向かってくる生霊を、遼介は糸も簡単に片手で止めてしまう。

「……拓真はあなたの玩具じゃない。意志のある人間です……あなたの寂しさは、拓真では埋められない」

『ふざけるなぁ……!!返せ!!返せ!!!!』

「あなたは肉体から長い間離れすぎた……罪もない人を殺した報いは、やってきますよ」

『……ぇ』

 ほら、と遼介が言った瞬間女の後ろにぽっかりと何処までも真っ黒な穴が開いてみるみるうちに萌美は吸い込まれていく。いやだ、やめて、助けて、と叫ぶ声に、遼介は耳を貸さなかった。

 遼介は知っている。この世のものでないものは取り憑いた人間を失うと、"あちら側"から迎えが強制的に来ることを。無理やり拓真から萌美を引き剥がしたお陰で、彼女はこの世を漂うことを許されなくなったのだ。指先すら見えなくなるとポッカリと空いた穴は再び一つの綻びなく閉じた。

「……りょーちゃん」

「ユウキ、無事か?」

「うん、ありがと」

「お前、っ、俺の心配をしろや」

 けほ、とまだ少し痛む喉を抑えて苦々しく帝が言うと、遼介はケラケラ笑いながら帝の肩をペシペシ叩く。

「すまん、ありがとう怪我はないか?」

「ねぇよ」

 ち、と舌打ちをする帝を見ながら、翔太ははぁとため息を吐いて遼介の肩に置いていた手を避け帝に差し出した。

「あぁ?」

「保健室、付き添ったろか?みかちゃん」

「みかちゃん言うな」

 殆ど初対面なのに思いっ切りからかいに来た翔太を帝は睨みつけるが全く効いていないようだった。その上、遼介がへらへらと笑いながらとんでもないお願いをしてくる。

「ついでに拓真も頼む、帝」

「てめぇら、俺に厄介事押し付けてくんじゃねぇ……!!」

 こめかみに青筋を浮かべて抗議しているが、帝の苦労性な部分はきっと治らないだろう。遼介たちといるのなら尚更、と心の中で思いながら、翔太は満足げに微笑んだ。









(おもろい学生生活になりそうやな)










 to be Continued

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ