アオハルデッドライン 11
アオハルデッドライン
11
さぁ、歌いなさい
あなたの歌声は、海の彼方
彼の人のところまで届くでしょう
さぁ、踊りなさい
その血の雫は
遥か彼方、彼の人の心臓を貫くでしょう
「セイレーンの雫について知りたい……?」
昼食時の客足のピークを終えてようやく昼休憩に入るというその時、店内の軽い清掃をしていた翔太に話しかけられた美琴は驚いたように振り返った。
「そお、昨日ちょっと銭湯で小耳に挟んでしもて。気になるんで美琴さんやったら何か知っとるんとちゃうかなって」
「……うーん、まぁいっか……翔太くん、恋愛とか興味なさそうだもんねぇ、モテるけど本命には慎重なタイプでしょ?」
「美琴さんがそう思うんやったらそうなんやろね」
モップの柄に気だるそうに両手と顎を乗せて不敵な笑みを浮かべる翔太に、美琴はひゅぅ、と口笛を吹いてから腰につけていたエプロンを無造作に外した。
「5年前にこの海の家の近くで、観光客が見つけたのよ。5センチくらいの大きさの天然石。海で取れる天然石って大概は青か白でしょ?でもその天然石は赤でさ、珍しいなっていうので一躍有名になったの」
「何でセイレーンなんて物騒な名前が付いたん?」
「さぁ……?海で流れる血みたいなとこから連想したんじゃないの?あたしはあんまり詳しく知らないのよね。ただその石のご利益?を貰うのに片思いのお客さんが来るのは事実ね」
この海の家に出稼ぎに来るのは夏の間だけなので、天然石に関することには詳しくないと言い切る美琴を翔太は意味深に見つめた後、更に質問を続ける。
「"見つけたら願いが叶う"っちゅー話は、どこから?」
「それは……勝手に希少価値上げる為に誰かが流した噂なんじゃないかな……単なる石にそんな事出来るはずないわよ」
「ふぅん」
美琴は、何かを知っていると翔太はこれまでの質問から確信した。だが今はそれが、どれ程の危険を孕んでいるのかわからない。むやみに相手を刺激することは避けて、翔太は興味を失ったように掃除を終えた。
そこへ丁度夕方付近の仕込みの為に少し材料を切っておこうと、帝が昼休憩を早めに切り上げてやってくる。
「……みかちゃん」
「駄弁ってねぇで仕事しろよアルバイト」
「つれへんこと言うやん〜、そういうとこ好きやで」
美琴と翔太の間に流れる不穏な空気を察したのか、帝は深い溜息をつきながらまな板と包丁を取り出した。
「女ナンパしてる暇あんならテーブル消毒してこいや」
「いやん、もしかして嫉妬ぉ?」
「しねぇよばーか!!」
と、軽口を叩きあう二人に、美琴はぷはと吹き出して豪快に笑い出す。へいへい、と翔太が客席の消毒作業へ行ってしまったあとで、美琴は帝へ話しかけた。
「ねぇ、帝くんはさ、彼女とかいるの?」
「いねぇッス」
「……そうなんだ。綺麗な顔してるのにね」
「綺麗な顔って、……それ言われて喜ぶ男いるんすか?」
「ほんと?勿体ないなって意味だったんだけどな」
キッチンに少しだけ寄りかかりながら、美琴の後ろで一つにまとめた黒髪が揺れる。帝は特に気にもせずに手元にある鶏肉の筋を切ることに集中していた。
「……帝くんはセイレーンっていると思う?」
「は……?」
突然意味の分からない質問をされた帝が顔を上げるのと、休憩を上がった拓真と遼介の二人が厨房に戻ってくるのは同時だった。美琴は二人の姿を視界に入れるとまるで何事もなかったかのようにすぐに表情を変えてしまう。
「休めた?夕方まで頑張ろうね!」
「はい」
「は、はい……」
ジリジリとした真夏のきつい日差しは、夕方になっても止むことなく容赦なく振りかかる。漸く夕方の〆作業を終えて葵は美琴から奢ってもらったコーラの瓶片手に、あっちぃ〜!!と叫びながら砂浜に寝転んだ。
「葵それ逆に熱くない?」
「うわっちぃ〜!!!やっべ背中火傷した!!!」
ヒィ、と半泣きになりながら砂浜から起き上がったその背中についた砂を、笑いながらユウキが叩いて落としてやる。真っ赤に染まり沈んでいく太陽を見つめながら、何かを考え込んでいる様子の遼介の隣へ翔太が並んだ。
「……セイレーンの雫について知りたいん?」
「いや、ちょっと気になってな」
遼介はそう言うと、手にしている瓶のコーラを持ちながら両腕を組んだ。
「セイレーンっていうのは人魚の事だろう?人魚の涙ならわかるが、雫っていうのは何のことだろうと思って」
「確かに、そうやねぇ」
それは翔太も気になっていた。セイレーンと人魚は厳密には全く違うが、アンデルセンの人魚姫をモチーフにした石なのだとしたら命名はセイレーンの涙、もしくは人魚姫の涙、ではないのか。涙ではなく雫となるともしかして色が血のような赤であるという情報も含めれば、それは"血"なのではないか、と遼介は考えているのだ。
「人魚の血、っていうと……俺は一つしか思い浮かばない」
「不老不死、か?」
「そう……日本の八百比丘尼だ」
「やおびくに?ってなんだ?どっかの国?」
話を聞いていたらしい葵が不意にそう話しかけてきたので、遼介と翔太はぽかんと口を開けた。本気で何のことかわかっていない葵に、ユウキが解説役を買って出る。
「八百比丘尼っていうのは日本の伝説上の尼さん……女性のお坊さんの事だよ。人魚の肉を口にした事で不老不死になったっていわれてる」
「ふろーふし……」
「年も取らないし死にもしないって事さ」
更に横から拓真がそう口を挟むと葵はふへぇ、と苦々しい顔をしながら唇を尖らせた。
「そんなん俺はやだなー、だってさぁ、いつかは死んじゃうかも知れないから今を全力で楽しめてるんじゃん?」
「葵……」
「絶対死なないし年取らないってなったらその瞬間から何もかもどうでも良くなっちゃわね?」
相変わらず核心を突くような葵の言葉に、遼介はふ、と顔を綻ばせた。ザザ、と寄せては返すさざ波の音に紛れてしまうほど小さな声で、拓真がぽつりと呟く。
「でもそれを引き換えにしても……叶えたい願いが人にはあるのかもしれないよな……」
「拓真?」
「絶対に手にはいらない思いを手に入れたい、とか」
その拓真の細い声にユウキがハッとしたように顔を上げる。思わず見つめ合ってしまってからユウキは、その心の繊細さ故に気がついてしまう。拓真が、自分と同じように誰かに恋をして苦しんでいるのではないか、ということに。
「ったく、んなもん石だの人魚の肉だの頼ってねぇでてめぇの力で勝ち取らなきゃ何の意味もねぇだろーが」
結んでいた髪の毛を些か乱暴に解いて後頭部を搔くと、帝はくだらねぇなと一蹴して瓶のコーラを飲み干した。
「ま、その誘惑に屈するのも人間……抗うんもまた人間ってやつやな〜」
「お前こそ人魚の肉食って無駄に長生きしてんじゃねぇだろうな?その達観した態度」
「そうやったらどないする?」
帝との掛け合いを楽しんでいた翔太が、その耳元にふぅ、とわざと息を吐きかければ心底嫌そうな顔で帝がバッと距離を取る。その様子を見て拓真は、先日目の前で見てしまった二人の濃厚なキスシーンを思い出してしまった。
(……っ、何をこんな時に思い出してるんだ俺は……!!)
「あれ……」
やいやい言い合う帝と翔太のやり取りを笑って眺めていた葵が、目敏く何かを見つける。
「帝どーしたの?その腰に着けてるやつ」
帝が着ている七分丈のチノパンのベルト部分にぶら下がっている何かの羽根、のようなものを葵は指差した。白と黒の入り混じったような鳥類の羽根の意味に気が付いた遼介と翔太だけがギョッとして目を見開く。
「何か知らんが、美琴って奴がさっきくれた」
「ちょっ、ずるくね!?何で帝だけ〜!?」
「まぁお前らの倍は働いてっからな俺」
帝がそう言って見せてくれた、美琴に貰ったという鳥の羽根からは禍々しいじっとりとへばりつくような醜悪なオーラが放たれていた。単なる鳥の羽根ではない、あれは完全なる呪物であると判断して、翔太はしれっとした顔でそのまま移動すると帝に向かって迫った。
「なぁみかちゃん」
「はぁ……?な、んだよ」
「抜け駆けはあかんと思うねんなぁ、ほら、俺ら健全な男子高校生なわけやしぃ?」
「顔近付けてくんな」
距離を取ろうとする帝を今度は背後から遼介がすまん……と申し訳なさそうな声で羽交い締めにする。
「はぁ!?」
「みかちゃん擽りの刑に処す!」
「待て待て待て待て待て!!ばっかやろふざけんな!!」
「何それ楽しそー!俺もやるー!!!」
と、意味はわからないが楽しそうという理由で葵も参戦し、帝のありとあらゆる敏感そうな所を三人で背後から正面から側面から攻めに攻め、さり気ない仕草で翔太が静かにその羽根を奪い取った。ついでにセクハラまがいにむに、と尻を揉んだせいで帝の怒りは頂点に達する。
「何人のケツ触ってんだこのボケがっ!!!!」
ごちん!と勢いよく脳天を殴られた翔太を、ユウキは可哀想なものを見る目で見つめた。痛たたたたと目に涙を滲ませつつ、奪い取った羽根を翔太は自分のズボンのポケットへとしまい込んでしまう。
がさ、という物音がして拓真は目を覚ました。誰かが起きたのかと薄目で確認してみたが、視力の悪さ故に視界の中で動くものがあるかどうかわからない。今日こそはぐっすり寝たかったと心の中で愚痴って、枕元に置いていたメガネを装着すると視界がクリアになった。
ぐごー、と寝息を立てて盛大に大の字で寝ている葵、胸の前に両手を組んで不思議な格好で寝ている遼介、布団を頭から被っているらしい帝、右側に猫のように丸まって寝ているユウキ、両膝を立てて寝ている翔太、と大部屋のメンバーは全員いる。と言うことは今の物音は一体何か、気になって拓真は布団から出ると大部屋の襖を開けた。
(……下の食堂のおばあちゃんかな)
ふと手元のスマホを見たが時刻は2時15分だった、果たしてそんな時間まで老人が起きているだろうか。廊下に出て階段の下を覗いてみたが、食堂には明かりがついていないので気のせいかと大部屋へ戻ろうとしたその時だった。
ずる、ずる
と、何かを引き摺るような不気味な音が聞こえたと同時に拓真には突然"海の匂い"が強烈に鼻を掠めた。海が近いので微かに潮の香りはするがそれとは違う、まるで顔面に海水をぶっかけられたかのような匂いだった。
(な、んだこれ……っ)
身体中が危険信号を鳴らす、ここにいてはいけない、と。それなのに拓真の身体は動く事が出来ずに、その場に縫い止められた。ずる、ずる、と引き摺るような音はすぐそこまで迫っている、音の出処はどうやら階段下の玄関の方らしかった。ここにいることを悟られてはいけないと、拓真は己の呼吸を意図的に止めた。
「さぁ…………い、なさい……、……はうみの、……た……」
呟くような途切れ途切れの歌声に、拓真はその声が美琴のものだと確信する。美琴は一体何を引き摺っているというのか、怖くて確認することができなかった。
どれくらいそうしていたのか、引き摺る音と共に美琴の歌声が遠ざかったのを確認してから拓真は階段を駆け下りた。玄関へと続く廊下は、何かで濡れているようでテカテカと光っている。スマホの光でそれを照らしながら、拓真はその跡が何処へ続いているのか追いかけた。
「……ここは……美琴さんの、部屋……か?」
引き返す事はもう出来なかった。拓真はドアノブに手を掛けると一気に開けて、美琴の部屋へと侵入する。
シンプルな部屋だった。夏の間だけの出稼ぎだと本人が言っていた通り、部屋にはあまり生活感がない。乱雑に脱ぎ捨てられた服は見ないふりをして、拓真が辿り着いたのは木製の勉強机だった。不自然に一つだけ立てかけられている写真立てと何か本のようなものが、そこには置かれている。スマホを構えながら、拓真は恐る恐るその本を開いて覗き見た。日付は今日の日付、女性らしい文字があまりにも悍ましい事実を突きつけてくる。
7月28日
ついにあの日が来る。器は、今年も見つかった。去年のよりは頑丈で、生命力もある。きっと大丈夫。
「……器……」
は、と気が付いた拓真は日記と思わしきその本のページを前の方へ巡っていく。日記はすべて海開きが始まる頃からの数日、そして必ずどの年も7月28日で終わっているようだ。
そして7月28日の日記にはどれも、失敗した、今度はもっと頑丈なものを選ばなくては、と書かれている。その前日のページを読んでいた拓真はある一文に戦慄した。
「……羽根を、渡した?」
羽根、と言われて思い浮かんだのは帝が美琴から貰ったというあの白と黒の鳥の羽根だ。あの羽根は、器を選定した後に何かしらの為にその本人へ贈られるものだったのかと推理して、拓真は慌てたように本を閉じた。
(帝が危ない……っ!!)
嫌な予感がして、拓真は美琴の部屋を飛び出す。階段を駆け上がろうとして、階段を下りてくる影に気が付いた。
「しょ……翔太……」
「何や拓真やないか、こないな夜中に便所?」
「翔太こそ……何処へ行くんだ……?」
「ちょお、散歩」
寝られへんねん繊細やからと軽口を叩いて出ていこうとする翔太の腕を、拓真はすれ違いざまに掴んだ。これまでの短い付き合いだがわかる。こうやって煙に巻こうとするときの翔太は、絶対に何かをする時の翔太だ。
「……一人で行くのか」
「一人になりたい気分やねんけど」
「そうやってカッコつけて、危ない目に遭って、翔太は怖くないのかよ……っ」
拓真は、美琴の姿を確認することすら怖かった。今正しく家を出ようとしている翔太は、あの美琴と正面から対峙するつもりなのだろう。
弱虫な自分が嫌いになりそうだ。翔太と比べて何て怖がりで男らしくないんだろうと、自己嫌悪に陥る拓真の腹を、翔太の拳がコン、と軽く殴る。
「怖いに決まっとるやんけ」
「……え……」
「死ぬかも知れへんよ、毎回。今まで生き延びれたのは奇跡に近いんは俺にやってわかる。それでも……守りたいもんがあるから立ち向かってんねん……お前も、そうやろ?」
そう言って翔太はヒラヒラと、帝から取り上げたあの白と黒の羽根を拓真へ見せてくる。
「素直に守らしてくれる男ちゃうからな、こういう手段に出るしかなかったんよ」
「……帝の、ことか」
「お前、帝に惚れてるやろ」
翔太の問いかけに拓真はう、と言葉に詰まって何も言えなくなる。それを肯定と捉えたのか翔太はニヤリと笑うと、拓真の耳元へ低い声で囁いた。
「ライバルやね、よろしゅう」
だからそれ以上はこちら側へ来ようとするな、と、翔太は暗にそう言っていた。ポンッと何気なく翔太が拓真の肩を叩いた瞬間キーン、と耳鳴りがして拓真はその場から動けなくなる。拓真が自分の後を追ってこないように、そして遼介たちを呼びに行かないように、翔太が何かをしたのは明白だった。寝癖一つない金糸が海風に揺れる。
(……っこのままで)
(このままでいいわけがない……)
遠ざかっていく背中を黙って見守ることしか出来なかった自分を拓真は激しく責めた。
(動け俺の足……っ動け、動けよ……)
(守らなくちゃならないものが、俺にだってあるんだ!!)
遼介や葵やユウキと同じように、翔太だって友達だ。生霊に取り憑かれて絶望するしかなかった日々から連れ出してくれた、自分を、こんなにも怖がりな自分をライバルだと、そう認めてくれた翔太を失いたくない。
ガクガクと震える足を、拓真は気力と根性だけで一歩踏みしめる。ふ、と身体全体を拘束していた何かが解けた感覚がして、拓真はそのまま無心で階段を駆け上がる。
音を立てて開いた襖の向こうで寝ている遼介の肩を揺さぶり、拓真は叫んだ。
「起きてくれ遼介っ……!!頼む、このままじゃ、っ……翔太が危ない……!!!」
半泣きになりながらも遼介を揺さぶっていた手は、遼介本人によって止められる。いつから起きていたのか、遼介は優しい眼差しで拓真を見つめていた。
「……大丈夫だ、全部わかってる」
「遼介……っ」
「助けに行こう」
布団から立ち上がる遼介に、物音で目を覚ましたらしいユウキがキョロキョロと周りを見回して口を開けた。
「……あれ……しょーちゃんとみかちゃんは?」
「……え?」
「帝ならそこに」
寝てるだろ、と言いかけて拓真はハッと息を呑んだ。入り口側に寝ていたはずの帝の布団は、カモフラージュで荷物を入れて膨らませているだけで中はもぬけの殻だった。
「えぇ!?どゆこと……??」
あいつらどこ行ったの?と葵が呑気に目をこするがその問いかけに答えられるものはいない。遼介のこの様子からして恐らく翔太が大部屋を出る時には遼介は起きていたはずだ、そうなると帝はどの時点でいなくなったのか。
「……布団を頭から被って……いるように見えた、だけ?」
あの時、拓真が物音に気が付いて起きた時に見たのは布団を頭から被って寝ているように見えただけのカモフラージュで、もしもあの時点で帝がすでにもう居なかったのだとしたら。
ずる、ずる
と、何かを引き摺るような音は
「……帝だったのか……!!!」
脱兎の如く大部屋から飛び出して行った拓真を、遼介たちは追いかけた。
迫る波打ち際、ぽかりと浮かんだボートにずる、ずる、と引き摺って来た相手を乗せようと悪戦苦闘していたその時だった。砂を蹴る音がして、美琴は顔を上げる。
「……何や、羽根の力は借りん事にしたん?」
「っ……あなた」
ポケットに手を突っ込んで翔太は取り出した羽根を美琴へ見せつけるように左右に振った。
「この羽根は持ったやつの意識を奪う呪物やな、幸い俺は陰陽師なんで羽根の効果は綺麗さっぱり祓わせてもろたで」
「そう……あなた、陰陽師なの」
「そいつ、返して貰おか?」
美琴が引き摺っていたのは拓真の読み通り、気を失っている帝だった。女性の力でも引き摺る事が出来るように体の下にはビニールシートが敷かれている。
「……この子の方から来たのよ、私に何か隠してることはないかって、……私から、……血の匂いがするって……!!」
美琴の言葉に翔太はわずかに目を見開いた。帝は、美琴の正体に気が付いていたのか。そして一人で確かめようと接近して気絶させられた、というのが真相だろう。
異変には気が付いていたがまさか己の身体が狙われているとは想像もしていなかったに違いない。
「悪いけど返せないわ……!!この子は、必要なの!!」
そう叫ぶと美琴は腰につけていたポーチから小型のナイフを取り出すと、帝の首にぴたりと這わせる。
「儀式の邪魔しないで……!!」
「あんた、何しようとして……っ……」
「恋人を生き返らせようとしたんですよね」
美琴の目的を聞き出そうとしたその時、翔太の後ろかろ声がが響いて振り返る。駆けつけて来ていたのは拓真、遼介、ユウキ、葵の4人だった。
息を弾ませたまま、拓真は冷静な口調で美琴に先程自分が見た彼女の部屋の日記について話始めた。
「赤い天然石、セイレーンの雫には……死者を蘇らせる力がある、あなたはそれを何処かで知った。美琴さん……あなたの机の上に飾られていた写真を見ました」
「……っ勝手なことを……!!」
「一緒に写っていた男性は、あなたの恋人……ですよね」
仲睦まじげに美琴の肩を抱いて、左手の薬指にはめられたシルバーの指輪を見せる様に撮られたツーショット写真。シンプルな写真立てに飾られたその写真と日記の内容を照らし合わせた拓真は、彼女の真実へと辿り着いていた。
「ただ、蘇りにはその魂を移す器が必要だ。だからあなたは……毎年この海の家で、水難事故を装って生贄を選んでたんですね」
「じゃあ、今年は帝が選ばれたってこと……?」
震える葵の声に拓真は無言で頷いた。翔太は冷たい目で美琴を見下ろすと、片手を差し出す。
「ここまで追い詰められたらあんたももうおしまいやろ、さっさと帝解放して自首するんやな」
「……っ、いやよ……!!!!!!」
美琴はそう絶叫すると、帝の首筋に這わせたナイフを持つ手に力を込めた。ぴ、と皮膚にナイフの刃が立てられて細く血が流れていくのを見て翔太はぎり、と歯噛みした。
「あんた達に何がわかるの!!大切な人を失ったことがある!?結婚しようって誓いあった人が、っ、大好きな海で死んだ事があるの!?分からないくせに、偉そうに説教しないで!!!」
これ以上美琴を刺激しては帝が危ない、歯痒い気持ちで前に出ようとする拓真を遼介が冷静に制した。すると、感情を爆発させた美琴の肌が突然メリメリメリ、と音を立てて剥がれ始める。皮膚が無理やり剥がれ、血が吹き出しその場所から次々に生えてきたのは、鳥の羽根だった。
「……なん、だよあれ……っ……」
「セイレーンっていうのは、人魚だと混同されやすいが元々は鳥なんだよ。人と鳥が融合したような形をしているんだ」
あっという間に下半身が鳥のような悍ましい姿に変貌していく美琴を見つめて、遼介がそう説明した。ぷっくりと割れた背中からは巨大な白と黒の入り混じった羽根が開き、胸から下は完全に鳥と化している。
美琴は完全にセイレーンとなった身体で、ゆっくりとその唇を開いた。
「さぁ、歌いなさい
あなたの歌声は、海の彼方
彼の人のところまで届くでしょう」
それは、歌だった。何処までも悲しく、何処までも淋しく美しい、まるで波の音のような歌声。聴くものの魂を、海の底へと誘う死の歌。
ち、と舌打ちをした翔太は、自らの両耳を塞ぐとその場の全員に向けて全力で叫んだ。
「聞いたらあかん!!海の中引きずり込まれんで!!」
だがもうその忠告は遅かった。葵と拓真はおろか、遼介とユウキも歌を聴いてしまった。ふらふらとおぼつかない足取りで海へと入っていく友人たちの後ろ姿を見つめるしかない翔太の視界に、美琴の姿が映る。
いつの間にかナイフの代わりに持っていたのは、何処までも真っ白な鋭利な石。その石に、美琴は用意していたアンプルの中に入っていた血液を流しかける。すると、石は見る見るうちに血液を吸って赤く、血のように染まっていった。
(あれは……っ、白水晶……!!)
他者の欲望や願望を増幅させる力を持つ白水晶こそが、セイレーンの雫だったのだ。美琴の増幅させられた願いが永遠の命、蘇りの命だった為に白水晶はその姿をセイレーンに変えてしまったに違いない。
美琴は血を吸った白水晶を高々と上げて、今にも帝の胸へ突き立てようとしている。一刻の猶予もないと判断した翔太は、隠し持っていた札を使って九字を切ると素早く呪文を唱えた。
「ナウボウ・アラシャヤ・ナンボウ・シッチヤ・シッチヤ・ハラシッチヤ・ハラシッチヤ・ハラシッチヤ・ハラシッチヤ・ソワカ」
(……来い)
(来い)
翔太が唱えたのは、祖父直伝の雷を召喚する密教の呪文である。強い術師が唱えれば忽ち雨雲がその場を覆い尽くし、大地を穿つ程の雷が振り注ぐと言われるそれを駆使して雨雲を呼び寄せた直ぐ後に、もう一度翔太は呪文を唱える。
「オン マカラギャ バゾロ シュニシャ バザラサトバ ジンバラロシャナ ソワカ」
見る見るうちに海の上を覆い尽くした真っ黒な雲から、雷が放たれるより先にその呪文は、今にも海の中に突っ込んで行きかけている遼介たちを覆い隠す。
ピカッと雲間から走り抜ける雷は美琴の振り上げた手に落ち、歌声が止んだ事で遼介たちは呪縛から解き放たれた。
「っ邪魔ヲ……邪魔ヲするなァああっ!!!!」
爆音に近い雷の音が響いて、全身が黒く焦げ付き所々から血を噴き出しながらも美琴は白水晶を手から離そうとはしなかった。
2度に渡り膨大な呪文によって神を呼び出した翔太は、反動で全身に走る痺れに動けない。最早執念で白水晶を振り下ろそうとしている美琴を、誰も止められないと思った次の瞬間だった。
「っもうやめてください……っ」
海の中から引き返して砂を蹴り上げ、美琴と帝の間に割って入ったのは拓真だった。ぶるぶると震える手を広げて帝を庇うように立った拓真は、真っ直ぐに美琴の目を見た。
「あなたにとっては器にしか見えてないだろうけど、っ、帝には帰りを待ってる家族がいるんです……!!」
「……っ、退ケなサい……!!」
「小さい幼稚園児と小学生、それから、帝のお母さんが帰りを待ってる……何事もなく無事で帰ってくるって信じてる、その願いを……っ、あなたは奪えるんですか!?」
帰りを待つ、という言葉に美琴の手が止まる。時間稼ぎにしかならないとは分かっていても、説得が出来ないと分かっていても、拓真にはそこを退く事が出来ない理由がある。
"守りたい"と強く思ってしまった。帝の不器用な、家族への愛溢れる精神丸ごと含めて"守ってやりたい"と。
必死に声を裏返しながらそう主張する拓真の背後から不意に、美琴の振り下ろしかけた手を掴む腕が伸ばされた。
「……っ帝……」
「ギャーギャーうるせぇ、起きちまっただろーが」
照れ隠しの低い声が拓真の耳を擽るようだった。ボートから起き上がった帝は、美琴の手を押さえながら立ち上がる。
「器だの何だのさっきから聞いてりゃ、あんた、彼氏の何が好きだったんだよ」
「……っ、全部よ……全部好きだった!!だからこうやって蘇らせようとしてるんじゃない!!蘇ればあの人の永遠の命が手に入る……!!!」
「好きだっつーなら、中身だけじゃ駄目だろ」
あんた、彼氏の外見はどうでも良かったわけ?と聞かれて美琴は悔しそうに下唇を噛み締めた。魂だけ返ってきて果たしてそれが恋人だと断言出来るのかと帝は問いかける。別の人間を器にしただけの傀儡が出来上がるだけではないかと。
「……っ、高校生のガキに、何がわかるの……!?」
「わかんねぇしわかりたくもねぇな」
吐き捨てるようにそう言うと、帝は美琴の腕を掴んだまま遼介へ視線をやった。その一瞬たった一度のアイコンタクトだけで、遼介は全てを察して動く。
「その姿、あんたの恋人が見たらどう思う」
「……なん、ですって……」
「悲しいだろ、惚れた女がこんなバケモンになって年下の子ども襲ってるなんて……成仏したくたってしきれねぇよ」
帝と拓真によって稼いだ時間は、遼介がボートの方へ気付かれずに近付くには十分だった。美琴の背後をとった遼介は、そのまま黒水晶の埋まった手で美琴の頭を掴む。
キィン、と金属音が鳴り響いて遼介の中に美琴の想いが流れ込んで来た。サーフボードを持った男性、前日に言い争ったせいで言えなかった『気を付けてね』、戻ってきた恋人はもう息をしていなかった。泣き崩れ途法に暮れる美琴の元に現れたのは、あの黒いワンピースの女だった。手渡された白水晶に、恋人の血液を注いで別の人間に刺せば恋人は蘇ると洗脳された事。
震える手で、死んだ恋人の身体から身を抜き取った事。
「……気が付いていないかも知れませんが、あなたが命を奪った何人もの人にも……帰りを待つ人がいたはずですよ」
静かにそう告げると、遼介は美琴の頭に乗せた指先に力を込める。セイレーンと殆ど同化してしまっている美琴を救う術は、鬼になった高畑の時と同様に"殺してしまう"より他にない。またしても遼介が己の手を血に染めるのかと拓真が思わず目を閉じた瞬間、身を翻したユウキが遼介の前に立ちはだかった。
「ゆ、ユウキ……っ」
「大丈夫……きっと美琴さんは気付いてる、自分の罪の深さに、取り返しのつかないことをしたことを悔いてる」
だから、さっきから口調がもとに戻ったの気付いたでしょ?と言われて遼介は息を呑み、思わず美琴の頭から手を離した。ユウキは美琴の方へ身体を向けると、殆ど化け物と化していたその体を柔らかく抱き寄せる。
「……ずっと、後悔していたんですよね」
「あ、あ、ぁ……っ」
「でも止められなかった。今あなたは、自分の罪と向き合っている……今ならまだ、間に合うはずです」
どうか、その罪を償う覚悟を持ってくれ、とユウキは温かく優しい声色で告げる。美琴はその目からボロボロと大粒の涙を流しながら、ユウキの腕のなかで泣き崩れた。
流れる涙が不浄を拭うように、徐々に彼女の身体を覆っていた鳥の羽根が砂のように消えていく。
くだらない事で喧嘩をした。朝になっても会話をしたくなくてご飯も作らずにサーフィンへ行くという恋人を、送り出すことすらしなかった。気を付けて行ってきてね、といつも言っていた常套句をその日だけは、言わなかった。
帰ってきた恋人は、物言わぬ抜け殻になっていた。
「っ、誠くん……っごめんね、ごめんなさい、……!!」
悲痛に泣き叫ぶ美琴の声が、朝焼けの滲む美しいまでの真っ赤な空にいつまでも響いていた。
to be Continued




