第2話 決戦!瀬戸内海国立公園 Act2 海水7
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―東京大学公共政策学教育部都市開発学科長が伴賀が用意してくれた役職名だった。
急いで付け加えると綾川教授も忍学科長と同じく常駐していない大学教員だが、綾川はインテリジェンス~防諜戦を専門として、それを経済・経営に応用する危機管理学の学者という位置づけである。
対し、忍教授は民俗学が専門だが、東大にその学問がないので近接する文化人類学の先生である。
伴賀は高3の春休みと夏休みを利用して大学見学をしに来て、東大のオープンキャンパスで忍、その頃は准教授に出会った。
そこそこ野心家であった伴賀だから、起業しようとか考えていたので、経済学部や法学部を考えていた。
だが忍准教授はその時に夏、こんな話をした。
「ああ、きみは周防大島出身か、あの広島と愛媛の間は昔は最大拠点だったんだ。琵琶湖から淀川の連なりで京都、大阪、神戸、そして和歌山・淡路島から始まる瀬戸内海、瀬戸内海は中国地方、四国、九州に囲まれ、まさに古代日本の大動脈だった。その中でも伊予国や周防大島は半島や大陸に出る直前の要所であった」
この時に忍先生の研究室に暑いというのにホットコーヒーを出してきたのが、入学してまさに先輩になる関本美藤で今夏に娘の亜樹子が産まれたばかりなのだ。
「ええ、地政学的に面白い間取りだと思います。ですが、日本海側、柳田國男が言う〈海上の道〉オホーツク海、樺太、北海道、東北、満州、朝鮮半島、東シナ海から奄美大島、沖縄、台湾、そして東南アジアの方が豊穣と思われます」
これは若者の反抗ではなく、同郷意識で話す連帯感のようなキナ臭い香りを感じたのだ、つまりお国自慢的なもの。
「うん、その通り、だが日本海はやはり寒く・凍てつく海だ。大陸・半島に島国日本が両脇にあるとはいえ、一千㎞の距離がある。だが瀬戸内海はどうか?中国地方と四国は恐ろしく近い、その間には千を超える島々、古代より和寇を始めとする海賊、戦国武将が持つ水軍、名だたる商人たちの貿易船、それらが航海してきた。これがどういうことか、伴賀くん、私が何を言いたいか判るかね?」
云い終わると忍先生はコーヒーをすする。
「あのー、つまり、瀬戸内海は、交通や流通のための演習場だった、と?」
伴賀が顔色を見ながら答える。
「まぁ、仮説だから答えはないけど、私はそう考えている。瀬戸内海の両岸と島々は泳いでも渡れるような近さだ。アフリカで発生した人類は何十万年かけて世界中に散らばった、先史以前に不可能だ!と思われるがまぎれもない事実だ。だから、何万年もかけて船舶技術を上げ、犠牲を大勢出し、少しづつ海路を広げて大海原に出た。だがいきなり大海はムリだ。だから、狭い内海や海峡がある土地は文明が栄える。これは山口昌夫の〈周縁と中心〉以上の地政学上のセオリーとして私が提唱している」
「ああ!なるほど!イギリス・フランス間のドーバー海峡か!」と伴賀が嬉しそうに。
「そうそう、地中海に黒海、確かに大きな川や湾に文明が生まれるはよくあるけど、近い海・狭い内海が大海への練習場になって、文明が発展し、別の大陸を目指したとは誰も云ってない、忍先生のオリジナル仮説だ」これは若かりし関本くん。
「宮本常一が聴いた徳島の漁師の話、若い頃に明治維新があり、鎖国が解けたのを聴いたので、今は亡き父と、沖縄・宮古島まで漁に出た、その周辺の漁師と気が合い、台湾でも漁をした。東南アジアにまで行き、そこで『オレたちはこのままオーストラリアに行くがどうする?』と云われたが、女房や娘を待たせてあるからと言って帰国したという証言がある。それだけではない、南米のインカの遺跡には黒人やポリネシアンに混ざって日本人らしい人形があり、八幡浜からカナダに手作りの船で行ったものもいる。これらはいきなり奇人変人が思いつきでやったのではない。そういうルートやコネクションがあったからできたんだ。そういう情報や蓄積が世界中でもトップクラスに高いのが瀬戸内海なんだと思う、だから、ただのお国自慢ではないよ」と伴賀に向かって忍先生、ニヤリ。
「じゃあ、どうして今はその大動脈が無いんですか?」と伴賀。
「モンゴルだな。モンゴル帝国軍は陸路を最大限に活用してユーラシア大陸を支配し尽くしたからだろう。あの集権化で陸路が世界的に注目された。その反動で大航海時代が来るけどね。でも海路は不安定なんだ、陸路と違って。そのモンゴルも日本相手で台風で負けている。逆に秀吉の半島占領の折にも台風に苦しめられた。現代のおいても米国の誇る第七艦隊だって、台風で半壊の危機に何度もあっている。人類が何十万年もかけて地球中に散らばったのだって、海路の地獄のような、きまぐれな女のようなこの豹変が問題で、毎回違うビッグマックを出すようなファストフード店じゃあ、商売にならないと同じだ」と忍先生。
「でも、人類の発展は時間かかってけど、海による発展が根底にあった。今ではネットで膨大な情報が得られ、雨雲レーダーだって昭和の時代より格段に進歩している」
―フシギだな、僕が先生の説を弁護している。
「うん、伴賀くんの言う通り、海路にはまだまだ芽がある。そして海路にはそれを利用する耐性も必要なんだよ。海上生活者・船上生活者を知っているかね?今でもTVを見ると東南アジアの人々は船の上で、一階は川面で柱を建て、二階に住み、たくさんの船を持って生活する人々がザラにいる。私は倉敷が故郷なんだが、そんな人は昔いっぱいいたし、子どもの頃に千住で育ったが隅田川にもそんなひとはいた。千葉の霞ヶ浦・北浦はそんな水上生活者しかいなかったという研究発表もある。全世界的にそんな海上・船上・水上生活者がいた、それは何故か?そう!海路に慣れるだめだ!だから、私らはこんなかび臭い研究室で話すのではなく、海上こそ相応しいのだ!」
その忍先生の説に賛同して僕はここにいるんだ、と関本先輩は云った。
―人類はなんどもその生活スタイルや産業や文明の有り様を変えてきた。未来を創りたいならば歴史や過去を知れ!うん、これはオレのやりたいことに直結するかも。
20年間いろいろあって、伴賀はいちばん理想的なカタチとしてマリンドラゴンを建造し、部下たちに会社を任せ、もう三年マリンドラゴンで生活している。
「だがな、伴賀くん、あの瀬戸内海には今でも過激派組織の残党がいて、悪さを繰り返している。瀬戸内海を汚している」
学生運動をギリギリ知っている世代の忍先生はそうも云っていた。
そう、これが日左連を壊滅させて伴賀のもう一つの理由であった。
―伴賀くんたちは自分たちの船を造った。だが私には私のやり方があり、自ら水上生活者になってみた。だが決して世捨て人になったワケではない!
現在の忍先生はモーターボートを所持していた。
木曜の朝、小豆島に向かい、するとラーメンタンカーを既に土庄港に停泊していた。
「朝から二郎かよ!」と希雄くんが愉快に話している。
例の100g未満のラーメンと半熟卵を具にしたおむすびのセットはよく売れて、この島の島民全員が来たのではないかと思われるほどに盛況だった。
天鱈とその仲間は動画や写真撮影をして、零子はチャーシューを切っている。
「あのおにぎりとのセットのやつをもらおうか」と忍先生が話しかける。
「あ!ああー!新鮮なサカナのなめろうのひと!」レジを担当する亜樹子は食券を手売りしている。
「食べに来たよ。昔は神保町の直営店、よく並んだよ」と忍先生が返す。
「お礼にタダで・・・」
「いや、あの朝ごはんがそもそもお礼だったから、それはいい、それより私は写真もHPに貼ってないけど、東京大学公共政策学教育部都市開発学科の学科長で、倉敷キャンパスのセンター長、忍信夫だ。この学科とセンターの目的は瀬戸内海にかつての栄光を取り戻すこと!二回生、関本亜樹子さん、今回のあなたの戦い、大学を挙げて手伝わせてもらう!zoom会議での教授会のGOサインはゲットしたゼ!」
右親指を見せ、忍先生。
「もしかしたら、先生にはるか昔、会っていたかも、先生、うちの父をご存知ですか?」とビックリ中の亜樹子。
「うん、知っているどころか、関本くんは私の助手だった。私と同じで企業家でなく、民俗学者になりたがっていたよ」




