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伝道師と為った、新撰組隊士 結城無二三伝  作者: 大野 錦


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其の十三 無二三、様々な事業をする

13話目です。よろしくお願いします。


 本郷中央会堂の事実上の事業打ち切りは、結城一家の生活を一変させた。

 無二三とマツが携わっていた寄宿舎の「鶏鳴館」は、通常の下宿屋と為り、其れ以前は寄宿料を受け取って運営していたのだが、下宿する者たちから、料金を取らざるを得ない。


 当然、この様なことは勝手に行ってはいけないので、無二三は本郷下宿業組合に入り、何故か其の副取り締まりの役割に就き、警察へ報告の連絡に行くことしばしばであった。


 長男の禮一郎も共立学校(開成中学)を離れ、無二三が嘗て通っていた東洋英和学校(麻布中学)に転入する。

 所謂、給費生では無く、イビー派のハーパー・ハヴロック・コーツや江原素六の口利きなのか、かなり月謝を抑えて貰った様である。

 その代わりとして、様々な学校内の雑務等を禮一郎は命じられたが。


 そして、禮一郎の下の妹二人。

 トヨとマサは東洋英和女学校(現在の東洋英和女学院中学部・高等部)に給費生として入ることが決まった。

 こちらもサラ・アグネス・ウィントミュートの口利きだったが、流石に月謝免除までは難しかった様だ。

 給費生とは、月謝免除の代わりに、卒業したら一定期間、学校内の仕事をしなければ為らない。


 因みにこの東洋英和女学校の設立者の一員として、関わっていたのは平岩愃保。

 然も、この頃。

 彼は理事長を務めているのだが、東洋英和女学校の理事長の職は、其の死まで就いていた。


 無二三とマツには、この下にも子供たちが居る。

 明治二十七年(1894年)時点で、甲府で生まれた康造(こうぞう)、韮崎で生まれたトミ、去年東京で生まれた朝章(ともあき)

 マツの母親も足が悪いが未だ健在で、無二三は自身を含めると、この六人の家族の面倒を見なければ為らない。



 翌明治二十八年(1895年)。

 世間ではこの年に終結した日清戦争に「勝った! 勝った!」と大騒ぎだったが、結城一家は其れ処では無い。


 寄宿生たちが無二三の窮状を心配して転宿してしまう。


「結城先生は私たちが引き続き下宿しているから、下宿業に為り切れないんだ。私たちは此処を去り、先生が此処を売れば、先生は本当の下宿業が出来るだろう」


 そう寄宿生の代表が言うと、一同は応じて他に転居し、無二三はこの湯島天神町の「鶏鳴館」を引き払う。

 そして、無二三は湯島両門町の岩崎邸の裏に改めて下宿屋を開く。


 処が、これは失敗だった。

 完全な下宿屋なので、氏素性の分からぬ者が多い。

 以前の教会関係の寄宿生たちは賃金を払っていたが、彼らは不払いが多い。

 夜逃げなども当然で、全く商売に為らなかった。


 特に困ったのが下宿人たちの飲酒問題である。

 無二三は酒飲みだったが、受洗以降は控えていたので、子供たちは元より妻のマツも酒の出し方が分からない。

 抑々、無二三自身が酒の用意など下宿屋にしていない。


「おかみさん一本つけてください」


 天神町の寄宿生たちはマツを「お母さん」と呼んで親しんでいたが、両門町の下宿人たちは「おかみさん」呼ばわりしていた。

 たまに様子を見に顔を出す禮一郎にも「小僧」呼ばわりして揶揄う。


「酒が飲みたいのなら、外で飲んで来い」


 無二三が酒を所望する下宿人に言うと、今度は酔っぱらって帰ってきて、大騒ぎを起こす。

 これには康造以下の小さな子供たちには教育上良くない、と判断した無二三は下宿屋を辞める決心をする。



 無二三と合わせるかの様に、この頃のチャールズ・サミュエル・イビーも精彩を欠いていた。

 帰国した彼は会堂の運営資金を定期的に送金していたのだが、恐らく体調を崩したのだろう。

 程無くすると、イビーのカナダからの送金は途切れがちに為る。


 無二三が次に始めたのは菓子屋である。

 下谷黒門町にてパンや焼き菓子を売る店を開く。

 パンと焼き菓子はマツによる、イビーの妻のネリー直伝だ。


 そして、信じられない話が起こる。

 開店前に無二三は隣家に焼き菓子を持って行ったのだが、この隣家は同じ菓子屋だったのだ。


 徳川時代よりの由緒ある細工和菓子屋で、無二三は最初にこの細工菓子を見た時に、玩具屋だと勘違いしていたのだ。

 老舗の菓子屋から、自身の焼き菓子を突き返されて、初めて無二三は隣家が菓子屋だと知る。


「場所を変えれば問題ない」


 本郷森川町に移転して、改めてパンと焼き菓子屋を始める。

 畜産を学んだ無二三は乳製品に詳しい。

 水飴に牛乳を混ぜた新菓子は其れなりの評判と為り、更に当時のとある若手の医学士が「これは好いものだ」と推薦文まで書き、自身の勤める大学病院に採用する。


 クリスマスの時期に為ると、無二三はこの牛乳入りの水飴を十字架や仔羊に象って、各教会に売りに行っていた。



「何故だ……?」


 毎月の収支を調べる無二三は赤字続きなのに首を傾げる。

 先ず、店を開く際に借金をしている。


 借りる先は、東京に居る維新時代以降の知人や教会関係者なので、利子もつけず返却は何時でも好い、と言われていたが、利益を上げると、無二三は律儀に返却していた。


 あの隠棲先の大積寺の開墾地を抵当に入れて金を借りていた。

 こちらはあわや抵当流れに為ろうかと云う時に、ウィントミュートが在留宣教師たちから義金を集め、如何にかこの開墾地は無二三の手に戻っている。


 赤字の一番の原因は、先の牛乳入りの水飴の様に、新規に菓子を作っては試食していて、又この様な事情から教会への恩として、無料で日曜に東京の各教会へ配っていた。

 何処から聞きつけたのか、日曜の祈祷会では、この菓子を目的に人々が溢れかえる珍現象まで起こる。


「……菓子屋は駄目だ。矢張り俺には伝道の道しか無い」


 無二三は菓子屋を畳んで、コーツの元を訪れる。


「結城サン、ちょうど好かったです。下谷の根岸講義所が空いています。申し訳ありませんが『福音士』としての立場に為りますが……」


「コーツ牧師、問題ありません」


 こうして結城無二三は伝道師に戻った。

 彼の商売は一年程しか続かなかった。


其の十三 無二三、様々な事業をする 了

続きます。

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【江戸怪奇譚集】
― 新着の感想 ―
鶏鳴館の名前は、鶏が3度鳴く前に、3度、「私は、新選組を知らない」と言わざるを得なくなるような不吉さを感じます。 それはともかく、結城無二三の事業赤字は、侍商売や殿様商売と呼ばれる杜撰さが原因で、不運…
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