サーモンやソーセージの手巻きクレープ3
「そうしたら食べるだけだ」
ボリスの前を通っていたからその手がサッと上がったのが気になってアリシャが顔を向けるとボリスが口元を押さえていた。
「なに?」
アリシャの問いにボリスは目線だけ落として「アリシャにはわからないことをちょっと想像した」と口元を隠したまま答えた。
「えっと……」
戸惑うアリシャにボリスは、歩いて欲しいと顎で合図する。アリシャがボリスの前を過ぎると「卑猥なことだよ、今のは君が悪い」と後ろからついてきた。
その後はなんとなくギクシャクしながらマスを受け取り、宿屋に戻った。マスは半分をアヴリルに頼み燻製にしてもらうことにして、アヴリルはリアナとやると請け負いリアナを探しに出ていった。
アリシャはマスを丁寧に捌いていき、身とそれ以外に分けていく。いつもならマスを捌くくらい訳ないのに、今日は集中出来ずに指を切ってしまった。
(今日はツイてない日なんだわ)
エドが両親にアリシャの話をしてくれた事以外はまるで良くない。もし、その話がなかったらもう布団の中に入って一日を終わらせてしまいたいくらいだった。
(それになんだか胸のあたりがゾワゾワする。風邪かしら)
料理をするのは好きなのに、それすら気分が乗らなくて困っていた。
その頃、坑道の前で二人組の男が馬に跨がったままドナ村を見下ろしていた。
「小さな村だ」
若い男が言うと隣の男がはいと答えた。
「村人の数も僅か」
馬がブルルと声をあげると、若い男は馬の首筋に手をあてがった。
「イザク、お前は感じるか《《これ》》を」
「……いえ、何も」
若い男はさも可笑しそうに薄い唇の端を上げた。
「馬の方がずっと敏感だな。この溢れ出るような魔力。感じぬとはな」
最後に楽しみだと男は呟き、馬の横腹を蹴った。馬は合図を読み取り丘を下っていく。二人の艷やかな長髪が風に揺れていた。
鍛冶屋の整備を終えたジャンとウィンが川の方から村の中心に向けて歩いてくる最中だった。馬に乗った二人のうち片方に見覚えがあったウインが帽子を取り寄っていく。
「秋口にいらしていた方ですね?」
一見すると冷たそうにすら感じるツリ目を下げて柔らかい物腰でイザクは表情を和らげて答える。
「覚えてくれているとは。イザクだ。今回も宿を取りたいのだが」
ウィンはイザクの隣で黙って見下ろしている女と見紛うほど整った顔立ちをした男を見上げた。顎は細く顔は面長で、眉も鼻も唇すら細い。その癖切れ上がった目は大きく何事も見透かされているように感じた。
「こちらの方も個室でしょうか」
聞くまでもなくその佇まいは高貴な出だと物語っていた。
「私の主だ。個室を二つ」
イザクの答えにウィンがジャンの顔を見た。ジャンは「ボリスに部屋を空けてもらうのがいいだろう。うちに泊める」と、ウィンの戸惑いを読み取って言った。
「今、個室を空けてもらってきます。馬は家畜小屋に繋いでください。ジャン、済まないけど馬を」
イザクが主だと言った男がジャンにそれには及ばんと声を掛けた。
「脚がよくないのだろう、ご老人よ。家畜小屋は見えている。案内は不要だ」
ローブを着ているとはいえ足元は見えており、庶民は履かない先の尖った靴を履いていた。
「では繋いでくだされば、世話はしておきましょう」
ジャンの言葉に馬の二人はゆっくりと家畜小屋に向かっていく。
「ジャン、とにかく伝えてくるよ」
ウィンが宿屋に走っていくとジャンも家畜小屋へと脚を引き摺りながら歩いていく。
バタバタと広間に駆け込んできたウィンにたまたま薪を運んできたエドが何事かと顔を上げた。ボリスはカウンター近くの壁側に棚を作っている最中だった。
「ボリス居たのか、良かったよ。君の部屋を明け渡してくれないか? 個室を使いたいって御人がやって来たんだ」
「ウィン、それはひどくないか? ボリスだってしっかり金を払ってるんだ」
エドがウィンに文句を言うが、ボリスは二人を制して「構わない。宿屋に客が来るのはアリシャにとって良いことだ」と、持っていた板を壁に立て掛けた。
そこでレオが部屋から顔を覗かせる。レオも個室を使っているので気になったのか出てきた。
「個室が必要なのか? 私も退いても良いが」
皆の視線が集まりウィンが「二人で来ているので二部屋あればいいみたいだが」と言うと、ボリスが直ぐに自分が出ていくと答えた。
「二階に行っても構わないし」
「ジャンがうちに来てもいいと言っていたし、もちろん僕らのところでもいい。アヴリルが喜ぶよ」
ボリスはそれらを断って宿の二階に泊まると決めた。
「荷物の移動も楽だし、今は棚作りが主な仕事だから宿屋がいい」
そう言い残すと広げたままの荷物を片付けると個室に入っていった。
「じゃあ僕はアリシャに伝えてくるから」
ウィンは残った二人を置いてアリシャの居る料理部屋に入っていった。
アリシャは薄く伸ばした小麦粉の生地をせっせと焼いて重ねているところだった。
「アリシャ」
忙しなく動くアリシャだが「ウィンね。手が離せないの。なに?」と、背を向けたまま答えた。
「客が二人来てる。一人は前に泊まっていったイザクさんだ」
薄い生地は平らな鍋でまたたく間に焼けるらしく、鍋を二個並べで作業しているアリシャはてんてこ舞い状態だ。
「イザクさん、覚えているわ」
「アリシャ、それを一度止めることはできるかい?」
「わかった。これを焼いたら──はい! 終わり。お待たせ」
アリシャは焼き上がった薄い小麦粉の生地を重ねるとやっとウィンの方を見た。




