31話『純化作用』
「ふい〜あっちぃ……」
夏休みが始まって数日経った今日、俺は久しぶりに家に出てコンビニ外の壁際にアイス片手に座り込む。
女友達グループから誘いを受けていたプール遊び、その決行日は今日との事。昼頃にプール付近のコンビニに集合という話だったのでこうしてカンカン照りの中やってきたわけだが、まさか俺が最初に到着するとは。
コンビニ内の飲食ブースは高校生らしき人達や大人の人が座って既に満員。店は人の出入りが盛んで、冷房の効いた店内でウロウロしながら待つわけにもいかず、仕方なしに屋外の日陰下で人を待つ。
まだギリギリ七月だってのに景色が揺れて見える。アスファルトが熱されすぎてホットプレートみたいになってるのか、はたまた夏の日差しが見せる幻影なのか。
コンビニを出た後に少しだけスマホでやり取りをしてからアイスを取り出したらもう既にぐにゃんぐにゃんに溶けてるし。
本当にこれは人が耐えられる気温なわけ? 即蒸発しなけりゃどれだけ暑くてもOK理論なの? 警戒レベルMAX並の異常事態でしょーよ。
どうにかして道路から冷風が出るような大規模工事とか執り行ってもらいたい所である。
「理子〜! 先来てたんだ早いね〜!」
溶けて滴るアイスの先を地面に向けていたら女子が二人やってきた。一番目立つ子と、その子の隣をいつもキープしている子だ。
「おつかれー。二人とも、今日はなんだか気合入ってるね。服可愛い」
「えー? そうー? 理子も可愛いよぉ!」
「そんな事ないよーう。どうせ水着に着替えるんだし、服はテキトーなの選んできたし」
「なに着ても可愛いってー? まあ確かにその通りだけどー、理子ってばボーッとしてるくせにそういう所はちゃんと言うよねー!」
「?」
そういう所って、なんだろう。てか『なに着ても可愛い』だなんて言ったつもりないんだけどな。こういう時に言い返したりすると変に無駄なやり取りのパスが何回が増えるから面倒くさいし流しとくけどもさ。
続いて別の女子も続々集まり、5人というそこそこの大所帯になった所でプールへの移動を開始する。俺は列の前、中心に配置された。一番目立つ女子が俺の右側、仲良しポジの子がその左側を歩く。
ふむ。グループのムードメーカーちゃんも最前組に混じって喋りながら歩いてる。最後尾を歩いてる子には誰も話しかけないのか?
別に俺、目立つポジションで歩きたいわけじゃないから全然後ろを歩く形にしてもらってもいいんだけど。なんでいつも前の方に固定で行かされるんだろ。
「ビキニじゃないんだ? スタイル良いのに、意外〜」
更衣室で水着に着替えるときに女子から指摘を受けた。
ビキニって、あんな下着と大差ない形のものを好んで身につけるわけがなかろうに。本当はオフで遊ぶ用の水着自体買う予定なかったのに、プール行く予定が出来てしまったせいで選ばざるを得なくなったんだ。そりゃ布面積多いやつを選びますとも。
「ワンピースタイプの水着でも線が出てるの良いな〜! 理子ってやっぱり成長早いよねぇ、お母さんもスタイル良いの?」
「えっ。あー……まあ。それなりに?」
唐突にお母さんという単語を出されて息が詰まりかけた。今付き合いがある連中は小学校時代関わりがなかったメンツだから、俺の過去とか何も知らないんだもんな。話題に出してくるのも自然か。
お母さん、か。
着替え終えた他の子達に先に行くよう言って、水着に着替えた自分の姿を鏡越しに見る。
「……遺伝してるなぁ」
鏡に映った自分の顔を見ながら呟く。
幼少期に酷いことをしてきた大人と似たような、子供っぽさのあるあどけない顔つき。
顔に似合わず膨らんだ胸。締まった腰つき、カーブを描く尻から太もも。
以前にも増して自分の姿が母親そっくりに、というか外見をそのままコピーしているかのように成長している。
時々、"自分"というものが分からなくなる。
見た目は母親の生き写し、表の性格は外向けに作った偽りで塗れていて内面はぐちゃぐちゃ。男時代の俺とは全てが何一つ重なる点が無さすぎて、まるで他人になったかのような感覚に囚われる。
今の俺が『昔の瑠璃川理仁』から引き継いだものって一体なんだろう?
考え事をする時の内面での"俺"という一人称、それ以外にあるのだろうか。
鏡を見ても違和感を抱かなくなってしまった以上、俺は今の"嘘のような自分"を受け入れ、男だった頃の記憶を逆に嘘として消化してしまったのかもしれない。
……じゃあ、もしあの日々が嘘だったとしたら。俺が今お父さんに向けている感情も、慎也に対して抱く罪悪感や嫌悪感も、嘘なのだろうか。
元から女だったのなら、多分ここまで拗れることはなかった。
普通に心から異性に惹かれる事が出来たのなら慎也からの好意を素直に受け入れられたし、他の男からの視線も、気持ち悪くは感じるんだろうけどお父さんへの執着で相殺するだなんて行動には移らなかったはずだ。
男だった頃の記憶が嘘だなんて事実はないんだから、こんな事考えても仕方ないのに。母親似の姿に変貌してしまった自分を見ているといつもこんな考え事をしてしまう。
普段は家の中で考えていることなのに、まさか出先でも同じような思考に陥るだなんて……。
女子に囲まれて無邪気にはしゃぐ。男としてはクラスメートの女子の水着姿なんて興奮して然るべきものなのに、全くと言っていいほどそういう気が起きない。肌が綺麗だなとか、ボディラインがシュッとしてるなとか、そういう所には多少目が行くけれどそれだけ。
プールサイドでみんなと話している間、俺は相槌を打ちながらもどこか上の空だった。
女子って、こんな時まで恋バナとかで盛り上がるんだもんなー。
学校内だったら男子もいるしそういう話題に思考が寄っちゃうのも分かるけど、なんで女しかいない空間であの男子がどうだとかこの男子はこうだとかって話になるんだ? 他人のこと気になりすぎでしょ。
「てかさてかさ、彼氏とはどうなのよ?」
げ。
いやまあ、予想はしてたけども。予想してたからこそ話題の方向性がどうか変わらないものかと祈り続けていたんだけども。この思い神には届かなかったか。
「まあ……普通だよ」
曖昧に誤魔化してみる。
「デートとか行ったー?」
「キスはまだしてない? 初心だもんね〜理子ちゃん」
「付き合って短くないんだしもうしてるでしょ〜。それよりその先が気になる。進展した?」
「し、進展って?」
何の事か分からないていでとぼけてみる。しかし周りはニヨニヨした目で質問を繰り返してくる。
女子でもそういうのって気になるんだな。というか、こっちが必死にとぼけてんのにまるで"経験者"とでも言いたげな目で見るのやめてほしい。未経験だしちゃんと処女なんですけど。なんで彼氏がいるってだけで自動的にそういう目で見られないといけないんだよ。
……てか、彼氏持ちとは言うけど慎也との関係は今すっごい微妙だしな。
慎也から迫られたのが原因で学校サボり抜いたのに、初体験なんて迎えてるわけがないじゃないか。なんて、経緯を知らない相手に思っても仕方ない事なんだけどさ。
ぶっちゃけた事を言うと、今はもう慎也の顔も思い出したくない。意識したくない。怖い。
「あはは。私達、まだ全然そんなんじゃないから……」
苦しくなってきたので無理やり会話を終わらせようと下手な笑顔を作って立ち上がる。その後、逃げるようにプールに着水し一番近くにいた女子の手を引っ張って水遊びを再開した。
女友達と別れ、家に帰ってすぐにお父さんに飛びつく。
「早々ハグはおかしいねんて」
「ただいまお父さん!」
「順序逆や。ただいま言うてから抱きつっ、ちゃう。抱きつくのがまずおかしいな?」
おかしいと言われたので降りて隣に座り込む。距離を離そうとしたから袖を掴んでそれを阻止し、頭を預けた状態にする。
ふーむ。全てのプレッシャーから解放された心地良さで体が小さく揺れてしまう。
「頭撫ーでてっ」
「なんでやねん」
「なんでやねんがなんでやねん。いつものじゃん」
「いつものではない。隔日空けてんねんちゃんと。この疑問は形骸化させへんよ?」
「駄目なの?」
「その目つきやめえ」
「……駄目なの?」
「声のトーン落とすなて。なんか日を増すごとに母親に……」
何が言いかけた途中でお父さんの言葉が止まる。大体何を言いたいかは分かる、俺がお母さんに似てきてるって言いたいのだろう。
普段なら言われた瞬間胃の中が汚泥と化したような最悪な気分になる言葉だけど、今はどうでもいい。
そんな事より、いつも以上にお父さんが意固地になって頭を撫でてくれないことに胸が痛み始める。不安が募る。ノリのつもりだったのに、本当に眉が重くなって唇が勝手に少しだけ開く。
「……撫でたらええんやろ、撫でたら」
少し間を空けてから観念したかのようにお父さんが指で俺の髪を梳くき始めた。
明確に拒絶されてしまったのでは。もう二度と、この感覚に浸れないのでは。そういった不安が蓄積しつつあった頭が蕩けて、いつも以上の安心感に頬が綻ぶ。
「言う事は極力聞いたるさかい、縋るような顔で見るのは堪忍して。ほんまきついから、お前にその顔で見られんの」
なんか命乞いにも似たテンション感で言われた。どうやらお父さんは俺に泣きそうな顔を向けられるのはしんどいらしい。
なら不安になるような事をしなければいいじゃないか、と抗議したくなる気持ちをぐっと抑えて口を小さく動かし「わかった」とだけ言った。自分でも驚くくらい甘い、弾んだ声だった。
夏休みに入って2週間。慎也からのメッセージは未読無視している。
数件来ているのは通知で分かるのだが、どんな内容が書かれているとしても読む気にはなれなかった。
初めから慎也の事は異性として好きだったわけじゃない。
そもそも女の子のフリをしていただけで告白を受けた当時の俺の中身は、少なくとも慎也に対して思う感情は男の頃のままで仲の良い幼馴染止まりだった。それが今、こっちの意志を無視して手を出してきたっていう事実によりマイナスに傾いてる。話なんかしたくないに決まっている。
メッセージのことは考えない。慎也の事なんて知らない、存在しないものとして捉える。
現実逃避。
意識しそうになったらすぐにお父さんの所へ行く。
これ、俺にとっては精一杯の防御のつもりなんだけど、もしかしたら相手視点めちゃくちゃ残酷な事をしているのかもしれない。
でももうどうでもよかった。心は慎也に向いていない、幼馴染としての最低限の愛情すらもう持っていない。
心底興味のない友達とのやり取りを終えてスマホを閉じてから、軽く跨っているお父さんの胸板に頭を寄せる。
お父さんは口では色々言ってくるけど、やっぱり俺を拒絶してはこない。だから俺も離れない。むしろもっと強くしがみつく。
(お父さんだけでいい)
本人には聞こえないよう、口パクで言って目を閉じた。




