28話『黒ずんだ翅』
いつからだろう。男女を問わず、クラス中の視線がこちらに集まるようになった。
下卑た性欲をこちらに向けて瞳に焼き付けようとする男の視線のみならず、女からも正の方向を含まない冷気の伴った視線が俺に向けられている。
衣替えで夏服に変わった頃が顕著だった。布の多い冬服は胸の存在によって大きく前に膨らみ、腰から上が太いシルエットになって傍から見たら"太っている"ように見えていただろうからこんな現象は起きていなかったんだと思う。
肌が透けて見えるほどの生地の薄い布を纏い、校則の指定で裾が広がらないようスカートの下に入れ込みしっかりと体のラインが出るようになってから、こちらに向けてくる視線が明らかに増えた気がする。
休み時間、いつもの女子の輪に入ると、輪の中で一番声が大きい(声量という意味ではなく、我を通してくるという意味で)女子がすぐに俺の腕を掴み、肩に寄り添ってきた。
その女子の手にはカメラが起動されているスマホがあった。斜め上からの位置で、俺すらも巻き込んだ形でその女子が自分を画角の中心近くに来るよう映しつつ、距離感や角度を調整してカシャシャシャと連写する。
「びっくりしたあ。急に撮らないでよ」
「ごめんごめん! プロフ変えたいからちょっとね! 可愛いんだし許して!」
「なんですかその理由??」
「ツーショじゃなくてみんなでって言ったじゃーんなんで占領してんのー!」
「あたしは理子といちばん仲良い親友だからいいんだもーん! ねー、理子!」
「え? ……うん。そうだね確かに」
心にもない言葉をニコッと笑って言う。
親友? いちばん仲良い? 仲良くはあるけどそこまで深い関係でもなかったよね? 前まではそこまで積極的に俺と二人きりになろうともしてなかったし。急な発言に戸惑いが隠せない。
「理子ー! 夏休みなったらプール行くよ! お祭りとか行くし泊まりも考えてるから! もちろん理子も行くでしょ!」
「う、うん。誘ってくれるならもちろん」
「誘うに決まってんじゃんウチらの仲だよー? という予定を組むグループラインを新たに組むので写真撮りまーす! ほら、理子!」
「ん? え??」
何故か。本当に何故か女子達が俺の左右に我先にと集まり始める。声が大きい女子は俺の右隣をキープ、そのまま近くの暗そうな男子に声をかけ、写真を撮るよう頼んでいた。
俺が真ん中? ど真ん中?? 今までこのポジションはそれこそ右隣の女子が常にキープしていたはずだったのに、俺は隅の方か誰かの後ろに立ってるのがほとんどだったのに、なんで真ん前ど真ん中に立たされてるの???
という事があって、女子からの視線や扱いの変化の意味を察するようになった。
服が似合っている。ちゃんとしている。可愛い。
脚が長い。目立つ。モテる。
可愛い子だから中心。可愛い子だから誰にでも優しい。可愛い子だから断らない。可愛い子だから相談を受けてくれる。
要は、衣替えしたことにより女らしさが目立ったことで、勝手に女子視点のカーストが繰り上がり俺は正式に『一軍女子』のレッテルを貼り付けられ、品定めをされるようになったというだけの話だった。
男とは違った意味合いの視線が胸元やスカートの丈、脚のラインに集まる。
乱れていないか、汚れていないかという品定めと、あとはなんか、嫉妬? みたいな感じの目。
みんなが俺を褒めてくれる。その褒め言葉には『可愛い子』としての評価・分類を深めようという感覚が強かった。
何か言われる度にただ笑顔を作って「そんなことないよ」と返す。そうしなければならない。
わざわざ褒め言葉を一旦拒否し、他の女子に「自信なさすぎー」だの「素直に受け取れし!」みたいなツッコミをする"隙"を作らなくちゃならない。
いつも笑顔で、控えめで、清楚で、前向きで、友達思い。そんなキャラ設定を周りが無言で強制してきて、従わざるを得なくなり以前よりも発言の自由度が減る。
テンプレート通り、誰もが想像できるような当たり障りない言葉しか吐けなくなってしまう。
そして、仲の良いグループの輪から外れたところで話していると、関わりのない女子たちがひそひそと囁く声が聞こえてくる。
「瑠璃川さんって急に目立ち始めたよね。なんか計算し始めた? どうしたんだろ」
「彼氏いるのに明らか男ウケ狙ってるよね」
「顔は可愛いのに今までがパッとしなかったの絶対なんか裏あるって。付き合いだしてからでしょ? ガチで男狙い始めたんでしょ」
無いわ、裏なんて。狙ってねーわ男ウケ。
ただの衣替えだろ。他のみんながやってるのと同じ行動を寸分たがわずなぞっただけなんだよなぁ。
なんだかなあ。色んな言葉に取って付けたような『可愛い』という表現が付属され、指定のポジションを強要されるこの感じ。
逆にこっちから他人に向けて『可愛い』って表現使うと、周りの女子はそれに乗っかってくれるけど言われた当人は一瞬固まったり不快そうな顔をするし、周りからも時々「うわっ……」て声が聞こえたり後になって何故か言った相手が泣いててそれを慰めてる子がこっち見てて、みたいな現象が起こるようになった。
なんだか、立ち位置としては輪の中心にいながら、どこか「外側」にいるような疎外感を拭えない。
本質的に、やっぱり女子とは相容れないんだと思う。俺は本物じゃなくて、偽物の女の子だから。
お母さんの劣化コピーである俺が、生まれつきの女の子と心を通わせるなんて、そんなのハナから無理に決まっていた。
息苦しい。見ないでほしい。そんな本音とは裏腹に、嘘の笑顔を保ち続ける。
授業中、左斜め前の席から視線を感じる。机に突っ伏して寝たフリをした男子が肘の下から俺の足を見ている。
じっとりとした汗が下半身を伝う。足を閉じて膝同士を擦り合わせる。自分の震えが大きくなるのを感じて不快感に奥歯を噛む。
男女問わず小さな接触が繰り返される。それがわざとであろうとなかろうと、他人に触れられる度にザリザリ音を立てて心がすり減っていく。
後ろの席の男子が消し筆箱を落とす。ガシャンという大きな音に身を震わせたあと、前の席の女子が俺の顔を見て「驚きすぎでしょ」と笑った。
ペンや消しゴムを全て拾い終えるまで、俺の後ろで、尻の近くでゴソゴソと動かれる気配を感じる。
気持ち悪い。
体育の時間中、三角座りをして女子と話していたらチラチラと短パンの隙間に目線を向けてくる男子がいた。
その男子と目が合うと彼は無関心を装った表情で目を逸らした。
遠くから飛んできたピンポン玉が胸にあたり床に落ちる。すぐに別の男子が大声で「悪い! それこっち投げてくれー!」と言ってくる。
卓球台から俺の座ってる地点まで距離があるのに、どうやってここまで飛ばしてくるのだろう。
「どうしたの? 理子ち」
「ひゃっ!?」
隣に座っていた女子の指が首筋に触れる。女子はすぐに指を離したが、その感触は肌から離れたあとも少し長く残っていた。
気持ち悪い。
体育館でも、廊下でも、階段でも、渡り廊下でも教室でも。遠くの方やすれ違いざまに胸と下半身に視線を感じる。他人の熱が感じられる距離にまで接近されて、何度も何度も身を引いて足元がもつれそうになる。
「やったなてめえこんなろっ!!」
「どわっ!?」
廊下でふざけ合っていた男子が突き飛ばされた勢いを殺さないまま俺に衝突してきた。
肘で胸を打たれて尻餅をつく。ぶつかってきた男子は背後にいた俺に「わりーわりー」と苦笑いで薄っぺらい謝罪をした後すぐに突き飛ばしてきた男子の方へと向かっていった。
「大丈夫? 理子」
「アイツら女子にぶつかってくるとかまじサイテー。周りちゃんと見ろっての」
すぐに立ち上がらず溜め息を吐いたら近くに居た女子ではなく、いつも喋っている女子連中が駆け寄ってきて体に触れてくる。
……。
心配してくれているのに、ちっとも胸が暖かくならない。心に嘘を吐いて、なれもしない"普通の女"を演じてるからそう思ってしまうだけなのかもしれないけど、全てが薄っぺらく感じてしまう。
男子にぶつかられた時の感触と、他の女子の手から伝わってくる体温。その全部が、ねっとりと皮膚に染み込むような感じがしてまた不快感が湧いてくる。
純粋と不純の境界が曖昧になり、浄不浄の感覚がごちゃ混ぜになる。
こんなどん詰まりの精神に陥った時、他の人ならトイレに駆け込んでゲロを吐いたりするんだろう。ドラマとかでもそういう光景はよく目にするし。でも俺にはそんな事をする余裕すらなかった。
男子の「性的な視線」の他に女子の「監視の視線」が俺の退路を断ち、"可愛い女子"のポジションを強制してくる。
お母さんは、これの何倍もの視線に晒されながらアイドルをやっていたのか。よくそれで精神が保っていたなって思った。
……こんな感覚を耐え続けて可愛いフリをし続けるとか、異常者でもないと不可能だ。
お母さんのことを少しも理解できない。
下校時刻。珍しく集合場所ではなく久々に慎也の方から俺の元に訪れてきた。
表情が少し硬く、目には若干の鋭さがある。
「一緒に帰ろうぜ」
「うん。でも珍しいね。いつもなら私が来るまで他の男子と喋ってるのに」
「今日はそのメンツが早くに帰っちまったから待ってる間暇で仕方なかったんだよ。恋人なんだし、迎えに行くこと自体はおかしくないだろ?」
少し間を開けてから頷く。
並んで歩きはじめ、校門を出て生徒の数が少なくなってきたあたり。慎也が自然と俺との距離を縮め、小指に手が当たった。
俺はまた無意識に体を離す。
「……なあ、理子」
「なに」
「お前さ。俺の事、避けてね?」
慎也の問いかけにすぐに答えることはできなかった。
地面の方を見たまま、歩く速度も変えずに口を小さく動かす。
「避けてないよ」
「じゃあ今のは?」
「今のって?」
「軽く手が当たったら体ごと離れた」
「……それは。だから、緊張してるから」
「付き合い初めて何日経ったと思ってるんだよ」
「まだ半年も経ってないでしょ」
「1週間も付き合ったら手くらい自然と繋げられるだろ。普通」
「……勝手に普通とか決めないでよ。私は人とベタベタ触り合うタイプじゃないし、慎也は幼馴染で男として仲良かった時期もあるんだから、余計緊張するに決まってんじゃん」
責めるような口調になってしまったので、小声で「ごめん」と謝る。それが相手に届いているのかは分からない。
慎也はため息を小さく吐く。
「別れたいなら正直に言ってくんね。俺、女子の表向きの態度とか口先だけ仲良いフリするみたいなやつ、嫌いだって昔言ったよな」
「…………別れたいだなんて、思ってないし」
自分で吐いたその言葉をきっかけに腹の底に冷気が溜まり始めた。散々すり減った精神面を補強するように、嘘の仮面が強固になっていくのを感じる。
俺の口から出た冷ややかで、薄っぺらくて、平坦な声に対し。慎也はブツブツと今まで溜めてきた不満を滲ませた言葉を吐き出し始めた。
「手も繋がないし、デートも渋るし……付き合ってるのに、ずっと距離感じる。笑顔を向けてくれはするけどさ、それもどこか嘘くさいんだよ。今のお前」
「……」
「俺、なんか悪いことした? 言ってくれないと分からねーんだけど」
何も答えられない。そのままツカツカと歩いていたら慎也に手首を掴まれた。
鳥肌が一気に全身を駆け巡る。でもそこで悲鳴なんて出したら余計火に油を注ぐ事になるし、何より慎也が傷ついてしまう可能性が高い。
冷たい感情を向けてはいるが、それはそれとして、俺のせいで慎也が不幸な気持ちになるのは嫌だ。俺一人が我慢して、それで丸く収まるのならそれでいい。
腕を掴まれたまま、一生懸命"普通の女の子の驚いた顔"を作って、慎也の方を振り向く。
「な、なに? なんか今日怒ってる? どうしたの、慎也」
「嫌がらないのかよ。手首掴んでんだぞ」
「えっと……緊張してるだけで、別に慎也に触られるのが嫌とかそういうんじゃないから。誤解させてたらごめんなんだけどさ、本当に、心から、本心から嫌いになったとか別れたいとか思ってるわけじゃないから。だからさ……」
手を離して。そう言おうとした口を無理やり閉じて言葉を中断する。
慎也は意外そうな顔をしたあと、まだ疑いの晴れないような目を俺に向けて歩き出した。
離して、とハッキリ言わなかったせいだろう。慎也に手首を掴まれたまま、途中から指と指を絡めて恋人繋ぎみたいな状態になりながら歩く。
気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。
気持ち悪いって思っちゃいけないって、分かってはいる。でも思考が勝手に『気持ち悪い』という言葉をループさせて、その文字列で頭の中が黒く書き潰されていく。
「なんだ。繋ぎさえすればなんてことは無いのかよ。てっきり嫌われてるのかと思ってたわ。……つか理子、顔赤くない?」
「……えへへ。恥ずかしいから、ね」
「恥ずかしい? ……恥ずかしくて泣きそうな顔になるか? お前今、涙堪えてるだろ」
「も、もういいだろ! 分かれ道まで来たんだから手繋ぎ終わり!」
空気が若干弛緩したのを感じ、すぐさま手を離しヨタヨタと距離を取りながら慎也から目を逸らし帰路に沿って歩く。
「はあ……」
やっと。やっと一人になれた。
慎也が居なくなって、周りには誰もいない静かな道路。気を張る必要がなくなり、鼻から深く息を吸った瞬間に胃の中が一気に熱を持った。
電柱に寄りかかってその影に向かって嘔吐する。
びちゃびちゃと音を立てて地面に汚物がぶちまけられる。酸っぱい匂いが鼻を突いて惨めさに満ちた不快感が頭の中でいっぱいになる。
「……お父さん」
視界が滲んでボーッとする頭の中で、お父さんと一緒に居る時の安心感を思い出す。
限界だ。
感情を誤魔化すのにも限界を来たしている。
普通の社会で、普通の世界で、普通の女の子を演じようとすればするほど、普通じゃない方向への渇望が強くなる。
「たすけて、おとうさん」




