27話『事実として本能だから悪い事じゃないし、責めたり避けたりするのはお門違い甚だしいね』
夏休みを目前に控えた7月。夏の日差しが容赦なくコンクリートを照らしつけ、熱気で景色が歪み暑苦しさで息も詰まる。不快な時期。
学校では相変わらず毎日、女の社会に身を置きながら慎也が現れれば「普通の彼女」として近くにより、恋する女の子を演じ続けている。
笑顔を作り、慎也の隣を歩き、クラスメートにからかわれても照れたふりをする。
作り上げた表情に反比例するように、日毎に心が冷え込んでいく。
気候の変化と共に服装も通気性を重視した涼しげな夏服に変えざるを得なくなり、薄い半袖ブラウスと膝丈上のチェックスカートを身に付ける。
胸の膨らみや腰のラインが以前よりくっきり浮き出ている。そのせいだろうか? 男子たちの目が余計粘着質に、素肌に生々しく当たるような感覚に襲われる。
胸元や脚のラインに視線が這う。
以前はそこまで気にならなかったのに、今は肌が粟立つような不快感が走る。同じ人間としてではなく性欲を掻き立てる下品な見世物扱いをされている。
気持ち悪い。鬱陶しい。悔しい。汚らわしい。
なんで、ただ生きているだけなのにこんな視線に晒されないといけないんだろう。なんでそんな目で見てくるんだろう。俺以外にも女なんて沢山いるのに、なんで俺ばっかり。
一人の男子がすれ違いざまにわざとぶつかってくる。
そいつはあたかもぶつかる気なんてなかったかのような顔で「ごめん。狭いよなここ」と白々しく言って俺の胸に肘を押し付けてきた。押し付けながら通り過ぎて行った。
不快な熱が胸にこべりつく。自分の肘を掴み腕を寄せると、胸が挟まり形を変えて膨らみが強調された。
(……気安く触んな)
口に出来なかった悪態を心の底で吐く。
授業中、隣の席の男子がノートを落としたふりをして姿勢を低くし俺の脚を見てくる。ジロジロと、穴が空きそうなくらい執拗に視線を向けられる。
堪らずそいつを睨んだら、そいつはなんでもないかのような淡白な表情をして一瞬俺と目を合わせてからノートを拾う。
その顔面を蹴り上げてやれたらどんなに心地良かっただろう。苛立ちと怒りが募り、机の上を指が踊る。
昼休み。慎也と一緒に廊下を歩いている途中、男子が近付いてきた。
その男子も例に漏れず俺の胸や足を舐め回すように見た後、こっちの目を伺うような視線で話しかけてくる。
「よお。なんか瑠璃川、最近めっちゃスタイル良くない? ダイエットでもした?」
「なにそれ。セクハラですか」
「誰がお前にセクハラなんてするかよ。純粋な疑問じゃん。なあ? 鰐淵」
「おー、そうな。流石に今のは過敏すぎじゃね? 理子ってそういうの気にするんだなー」
「は? え、いや、今のはさ。……や、なんでもない」
本来俺の味方であるはずの、彼氏であるはずの慎也までもがこちらに気にしすぎているという旨の発言をしてきた。反論しようと思ったが、今の自分の役割を思い出して口を閉じる。
彼氏が気にしないんだったら、彼女も気にしなくていいんだよな? 他のカップルがどうかはよく分からないけど、そこを基準に考えるのならまあ、今のは流すべき所なんだろう。きっと。
……。
いや、流石に腑に落ちないって。
確かに男子は笑顔で、一見邪な感情とかないかのような表情でサラッと言ってきたけどさ、内容が内容じゃない? 普通、男子が女子の体つきについて口出しする事なんかないだろ。
「そんな腰細いの知らなかったわ。若干ぽっちゃり系なのかなーなんて思ってた」
「はいそれはライン超えなお前。人の彼女になーに失礼なこと言ってんだ」
更に不快な事を言い始めた男子に対しやっと慎也が怒りを顕にしてくれた。俺は慎也の少し後ろに隠れて、短く「ありがとう」とだけ伝えておく。
「あいつ本当デリカシーないよなぁ。ごめんな理子、今ので傷ついてたりは」
「あっ。ご、ごめん」
慎也は自分の後ろに隠れた俺を心配し、肩に触れようとしてくれていた。なのに俺はまた小さく体を引いてしまい、慎也と距離を取る形になった。
俺に触れられず空を切った手で頬をかきながら、改めて慎也が「大丈夫か?」と訊ねてくる。気付いてないフリをしてくれたけど、明らかに避けられたってのが露呈した感じだ。
もう一度軽く謝り、付け足すように「まだ、緊張してるから」とだけ言う。"緊張している"という言い訳は一体いつまで通用するのだろう。罪悪感よりも、そっちの不安の方が勝っていた。
部活の後、更衣室に向かう途中でまた嫌な出来事に遭遇した。
体育館の裏手、男子の溜まり場。そこに居た数人の男子が俺の姿を確認すると、一人が仲間を肘で突いて何かを囁いている。
その囁きが合図だったのだろう。皆が一斉に俺の脚や胸元に視線を這わせる。
ニヤニヤと、下卑た笑いを浮かべながらこちらを観察してくる。気にしない方が無難かなと、特にリアクションもせずに背を向けたら今度は尻辺りに視線が集まった。背中にも。
「ピンクか。馬鹿だろあいつ、そりゃ透けるわ」
「……っ」
一人の呟きが羞恥心をぶっ刺してくる。ピンクという指摘、それは今日着けているブラの色だった。
一人が両手で何かを揉むようなジェスチャーをして、別の誰かが小さく「いいなー」と漏らす。気にしていない素振りを貫くつもりだったのに、俺は足早にその場を離れ更衣室に逃げ込んだ。
更衣室には他にも人がいる。変に声を掛けられたりしないよう、平然を装いつつ自分の荷物に目を落とす。
(なんなんだよ。どいつもこいつも、どいつもこいつも!)
不快感が、嫌悪感が、胸の奥で熱を帯びてくる。限界まで熱が沸き上がり強く地団駄を踏みそうになるのを必死に抑え、拳を握ったり歯を食いしばったりしてこの感情をどうにか逃がそうと試みる。
男子全員が同じような視線を向けてくる。吐き気がする。それは慎也ですら例外じゃない。慎也も、俺の体を眺めている時は不快な温度を持った目をしてくる。
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。
性欲があるのは生物として自然なんだろう。思春期の時期に盛んなのも生物的に仕方ないのだろう。
だからなんだ? それは、俺がそういう目で見られるのを許せる理由になり得るのか? 他人を下品な見世物扱いして許される理由になるの? ならないだろ。
そこに関しちゃ何も仕方なくない。俺に汚い性欲をぶつけるな、自分一人で勝手に悶々としてろ。知ったこっちゃない、鬱陶しい不快だ死んじまえ全員!!!
「……はあ。はぁ……くそっ」
深い深呼吸をして、頭の中に浮かぶ文句を噛み潰しながら、緩んだ涙腺から涙をこぼさないよう慎重に制服に着替える。
放課後。いつもの待ち合わせ場所で待っていた慎也の所へ行く。慎也は俺に「おつかれ」と言った後、当然のように隣に並んできた。
笑顔は作れた。けど、隣に慎也が立っているのが嫌で、歩き出した慎也に合わせずに立ち止まったまま俯く。
「? どうした、理子。帰るんだろ?」
「ごめん、今日はちょっと疲れてて。一人で帰ってもいいかな」
「え? 一人でって、なんで。待ってたんだけど」
慎也の声が、少しだけ刺々しく感じた。
俺を責めてる、それは確実。でも慎也がどんな表情をしているのかは分からない。こっちを見てくれなかったから。
酷い事を言ってる自覚はある。けど、そんなのどうでもよかった。
俺は淡々と、ただ思いついた言葉を無感情のまま慎也の背中に向けてぶつける。
「余裕ない時に一緒に帰っても、話なんか弾まないしつまんないだろ。どうせ今日も手は繋げないし。だからごめん、待っててくれてありがと。それと」
「分かった。いいよおつかれ!」
苛立たしげに言葉を遮った慎也が歩幅大きく俺から離れていった。
後日、謝らなきゃだ。慎也を困らせないために、傷つけないために、嫌で嫌で仕方ない恋人関係なんていう嘘を承諾したのに結局傷つけてしまった。
意識を向けられることへの拒絶感を我慢出来ず、また他人に負担をかけてしまった。迷惑をかけてしまった。慎也の優しさを、裏切ってしまった。
……優しさ。その優しさって、本当に本心から来る優しさなのかな。
優しさってなんだろう。恋ってなんだろう。それって結局、汚くて浅ましい"欲"を体良く見せるための嘘の言葉みたいなものじゃないのか?
慎也に対して何も感じない。抱くべき罪悪感がない。だからこそ、胸が痛くなる。
(もう、嫌だ)
愛とか恋とか欲とか想いとか、全部が重くて、受け付けられない。それらを受け入れられない自分の冷めきった心が辛い、まるで中身が腐っていくような重厚な倦怠感に襲われる。
結局、瑠璃川理子は瑠璃川埜乃愛の偽物だから、「普通の女の子」になりきる事なんて不可能なのかもしれない。
命を奪った責任を、償いを、罰をまっとうすることができない。
家に着くまでの道中でしゃがみこむ。今日は保たなかった。嘘が、剥がれ落ちていく。




