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22話『蛹化』

 お父さんと居る時は軽くなっていた体も、一歩外に出れば地球の重力に負けて重くなる。


 今日も変わらず家の外は色褪せたまま。果たしてこれはいつまで続くんだろう? 死ぬまでこの感覚が続いていくのだろうか。たった一回の失恋で? 食らいすぎだろ、俺。


 授業は時間が止まったかのように長く感じて、休み時間中の友達の話にもうまく笑えない。なるべく一人で過ごしたい、そんな思いが日に日に強くなっていく。



「帰りてー……」



 限界を感じ、一人で目的もなく廊下の窓を爪でカリカリ擦っていたら足音が聞こえた。

 誰かが俺に近付いてくる。振り返るとそこには、また慎也がいた。


 これで何度目だ? 用もないのに挨拶してきて、よく分からない話をする。

 意図がわからない、会話を振ってくるならこっちにも分かる話題を用意してほしい。「知らない」、「分かんない」って言ってる相手に話し続けたところで何も楽しくないだろうに、何の目的があって俺に付きまとうんだろう。



 給食の時間になった。俺と仲良くしてくれる女子達はクラス内でも結構目立つし発言力もあるので、普通なら注意されるであろう勝手な席交換をしても担任からは何も言われることなく黙認されている。



「牛乳いらなーい。理子、飲むー?」


「二本目は要らないかなぁ」


「えー? そんなにおっぱいデカイんだから牛乳大好きなのかと思った。じゃあどうしよ、てか配膳したやつが回収しろしー。私前々から要らないって言ってんのにさー」



 周りの女子がお互いに「だよねー」とか「記憶力無いのかなー」みたいな悪口を楽しそうな声音で言い合っている。

 なんか懐かしいな、小学校の頃に見たような光景だ。本人らは悪意なんてこれっぽっちもなくて、ただ事実を言ってるつもりで他人を馬鹿にする感じの話にシフトしていくんだよなー。


 視界の端に配膳係の男子が移る。彼は俺と目が合うなり気まずそうに視線を逸らしていた。


 俺は率先して悪口を言っている女子と仲がいいから、何か言われると思ったのだろう。別にどうでもいいし興味無い、悪口らしきことは言うけどそんな気まずそうな顔されても何も感じない。


 俺も普通に周りの子の悪口に乗っかり、配膳した男子の事は気付かないフリをしながら「嫌がらせなんじゃない?」とか「嫌ってわかってんのにやってるとか性格悪いよねー」と周りの言葉を言い換えただけのセリフを吐く。


 近寄り難いんだろうなぁ俺達グループ。そんな風に思いながら雑談に応じていたら、また慎也がやってきた。まじか、空気読む力皆無か???



「わり。理子、今のうちに次の授業のノート貸してくんね? 課題やり忘れた!」



 ……そんな事で? 男子に借りろよ。



「今、友達と話してんじゃん。……ちょっと待ってて」



 渋々机からノートを探し出し慎也に渡す。

 かなり素っ気ない言い方になってしまった気がするが、雰囲気的に話しかけるべきタイミングじゃないからそれは仕方ない。絶対に今じゃないし、借りる相手が俺なの謎すぎるからね。



「会話中ごめんな」


「ん。次は空気読んでね」


「お、おう。気をつける」



 俺の言葉が意外だったのか、慎也が一瞬驚いたような表情を浮かべ、傷ついたかのように目を細めながら曖昧に笑い離れていった。


 ……なんか今の顔、どっかで見た覚えがあるな。似たような顔する奴がいた気がする。まあどうでもいいけど。



 昼休み。一人で時間を潰そうとしたらまた足音が近付いてきた。


 いい加減分かる、慎也だ。俺が一人でいる時にこんな風にパタパタと上靴を鳴らして近付いてくるのは間違いなく慎也。振り向く前から分かる。


 何故か苛立ちが芽生える。


 なんなんだ? 別に話す時はこっちから話しかけてるし、今まではこんなに頻繁に話しかけてくることなんてなかっただろ。


 最初、女になった頃から明らかに接する機会が減って。また話すようになったけどその頻度も男同士だった頃より控えめで、なんだかんだやっぱり距離を取っていたくせに。なんで今になって頻繁に話しかけてくるんだよ。


 全部タイミングが悪い。狙ってるのかってくらい間が悪い。


 多分、今の俺は鶴舞との事で傷がまだ疼いていてすぐに苛立ってしまう精神状態だ。

 中学に入ってから慎也は俺を明確に女の子扱いしてくるようになった。今までそれを辞めるよう強く言ってこずに流してきたけど、今は状況が状況だ。慎也から女の子扱いされるのはたまらなく腹立たしい。



「おーい理子、なにしてんの?」


「別に。一人で散歩」


「散歩??? まあいいや。なあ、今度の土曜日遊ばね? あのゲームの新作買ったんだよ、また協力しようぜ!」



 ゲーム。

 男子が女子に対して、ゲームの誘いをしてくるのか。しかも家に集まってやろうって提案だよな。まじか。


 正気なのか疑って慎也の顔を見ると、慎也は照れくさそうに後ろ頭を掻きながらこっちの目を見返した。


 ……照れくさそうにってなんだ。なんで慎也が俺に照れる? 意味が分からない。けど、他の男子の表情と擦り合わせると、この表情はきっと照れによって生じた表情なんだよな。


 どうしよう。なんか、慎也から不快な瘴気みたいなものが溢れ出てるように感じた。臭いとかじゃなくて、もうなんか本能的に胸が重くなる感じのやつ。男子にエロい目で見られてる時の拒否感に近い。



「……ごめん。その日は無理」



 はっきり断ると、慎也の表情が一瞬凍りついた。いや、断られる事もあるだろそりゃ。何を驚いてるのこの人。


 俺は目を逸らして、ため息を吐いてからきびすを返す。うーん、ショックを受けたのなら悪いとは思う。でも、今は本当に放っておいてほしい。



「……」



 放ってほしいんだって。伝わらないよな、言ってないもんな。言ってないだけで態度や仕草や表情から察せられると思うんだけどね、普通。なんで分からないかな???


 放課後、部活に向かう廊下でも慎也が声をかけてきた。



「なあ理子。お前なんか最近疲れてね? 大丈夫か?」


「大丈夫だよ」


「……俺でよかったら話聞くぞ?」



 はい?

 慎也の目を見る。その目は、こちらが引くくらい真剣に俺を見つめていた。


 ……なんでだろ。苛立ちがギュンッて増幅して一気に頂点に達した。無理、その一言が頭の中を埋めつくした。



「いい。部活あるし、ほっといて」



 明確な拒絶の声。低くて容赦のない悪意に満ちた冷たい声が俺の口から真っ直ぐ慎也をぶっ刺す。


 言った瞬間、急に後悔に似た感情が生じて頭を埋めつくしていた苛立ちの熱に投入される。やってしまった、そんな言葉が脳裏に小さく響く。



「……そっか。えっと、悪い。ごめんな。……がんばれよ」



 慎也は肩を落とし、小さな歩幅のまま歩き去っていった。


 こんな慎也の姿、今まで見たことがなかった。


 慎也の背中を目で追っていたらなんだか頭の中がよく分からなくなる。


 部活中も頭の中はぐちゃぐちゃだった。


 先程の後悔。大切な幼馴染に対して発した言葉と抱いた感情。心の距離が遠のいてから俺の胸を突き刺してくる鶴舞の笑顔と明るい声。それらが混ざりあって渦を巻いて、練習にも集中できず俺は途中で帰ることにした。


 俺のせいでお母さんもお父さんも不幸になった。俺が我慢しきれなかったから。なのに、また俺は自分の"嫌"を優先して我慢せず周りを不幸にしようとしている。


 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。そんな言葉が繰り返し聴こえる。自分の口から盛れた小さな謝罪が、俺の精神を余計に深く蝕もうとする。


 全部が面倒くさい。全部が嫌だ。全部が息苦しい。家の外で関わる人間全員が俺の世界から酸素を奪っていく。



 いつもより早くに帰ってきたはずなのに玄関にお父さんの靴があるのが見えた。その瞬間、俺は鞄を放り投げて靴を雑に脱ぎ家に上がる。



「ん? なんや、今日はえらいはやっ、待て待て待てどふっ!?」



 リビングに居たお父さんの胸にしがみついた。



「力強い! まだそんな力残してたん!? つっよい強い強い!!! なあ! 絞め落とされるんか俺! 絞め落とされるん!?」


「……」


「無言やなほんで! なんかあったんやろなぁそこは分かるけど強いなぁ〜離れてくれへんかな〜!! 邪魔やねんな〜これ、ほんまにごめんなんやけどうっといんよな〜!!」



 今日はいつもより長く、強くしがみついた。何を言われようとも離れなかった。


 夕食のときも、いつものようにお父さんの隣に座った。いつもよりも近かったかは分からないけど、お父さんの足の小指に俺の小指が乗っかるぐらいの距離まで寄って食べていた。



「理子。最近お前、ちと俺に近すぎひん?」


「普通でしょ」


「普通なんやろか。足の小指重なっとるけど。皮膚もペッタリやな、二の腕離したら吸い付くんちゃうか」


「なんかキモいこと言ってる」


「お前や。第三者視点お前や、キモいの」


「なんでだよ。親子なんだからこれぐらい普通でしょ」


「どんな仲良し親子でも皮膚つくレベルで引っ付いて飯は食わへんよ。異常やで、この距離感」


「私の友達もみんなこんくらいの距離感だよ」


「やったら世界が異常やわ。なわけあるかアホ」


「ほんとだもん」


「本当やったとしてもな? 俺とお前、血ぃ繋がってへんやん。やばいやろ、いかつすぎる状況やと思わへんの?」


「思わない。家族なのに変わりない」


「変わりあれ。あと思春期無視すんな」


「お父さんは私に引っ付かれて嫌なの?」


「嫌やって言うたらどないなるん」


「泣く」


「異常やろ、輪をかけて。泣くなや」


「冗談だけど、私はお母さんの代わりでありお父さんに向けられるべき愛情を今周回遅れで堪能してる状況だから拒否権は無いと思ってるよ。正当な権利の行使、そして義務だよ」


「……それがその、度を越した甘えに繋がるんか?」


「度は越してないって。まじなんだって。まじで案外他の子もこんなんだよ? お父さんは男だから知らないだけだよ」


「若干説得力増す言い方しなや。……そうなん? 女の子ってみんなこんな、父親にベッタリくっつくもんなん?」


「中学まではそうじゃない? 高校からはお父さんの言う通り、まあ肉体的にまずいんだろうけど」


「中学でも十分まずいやろ。てかお前、成長早い方なんやからもう高校生換算でええやん」


「幼少期の劣悪な環境から反動で今甘え期に入っても別にいいじゃんって思考になるとは思わない?」


「男やったら受け入れるけどな? 女やねん」


「心は男」


「体が女やねん」


「てか、そこは男にベタベタされる方がキツくない? 私の場合は異性だから別に自然に受け入れられるラインかなって思うけど」


「育ててきた子供やって考えたら大差ないんやけどねぇ」


「あくまで普通の、一般的な家族の触れ合い程度に抑えてんだからいいでしょって。お父さん気にしすぎ。どうせさ、血が繋がってないからって変に気を使ってんだろ。その意識、良くないと思います。子供の心を傷つけてまーす」


「えぇ……」



 お父さんが困惑したのを落ち着かせるために一度箸を置いてお茶を飲もうとする。その瞬間、無意識に俺の左手が自然とテーブルに伸びていって、お父さんの右手に軽く重なった。


 事故みたいなものだと思う。多分。こっちとしては自然な動きだったし。醤油でも取ろうとしたんだと思う。


 ……あれ?


 手を引こうとしたけど、お父さんがそのまま手を動かさなかったので、俺はそのまま指をそっと絡めた。


 ……暖かくね? それにめっちゃ大きい。すご。大人の男の手だ。

 なんか、触ってると安心する気がする。



「……はあ」



 お父さんがため息を吐くが、やはり手は動かさなかった。


 その後、俺はご飯を食べながらほとんどその手を握り続けていた。指で指の形を撫でて確かめたり、爪の膨らみを指の腹で触ったり、手遊び用のおもちゃで遊んでるみたいだった。


 お父さんはそれから特に何も言わず、俺が手の仕草だけで握り返すか試した時だけ軽く手を握り返してくれた。


 なんだかんだ言って、お父さんとしても歩み寄ろうとしてくれていたらしい。それが嬉しくて、俺はいつまでもお父さんの手触りを確かめ続けた。

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