19話『自重でたわむ』
「ローリー子ーちゃんっ!」
「わっ!?」
ある日の練習終わり。ボールを片付けていたら背後から鶴舞に抱き着かれる。驚いて抱えたボールをボトボトと落としてしまった。
「あー!? ちょっ、なにするのさ鶴舞っ、先輩!」
反射的に大声で名字呼びしてしまったことに気付き先輩を付け足す。そんな俺の様子を気にすることもなく、鶴舞はボールを拾うのを手伝いながら言う。
「ちょっと残ってくれる?」
「え? わ、かった」
セリフ的になにかいけないことでもしてしまったのかと勘ぐったが、鶴舞は俺に対しいつも通りの笑顔を向けてきたので素直に声を返す。
他の部員たちが「じゃあお疲れー!」と帰っていく中、俺と鶴舞だけが体育館に残る。夕陽が窓から差し込んで、コートの床がオレンジ色に染まっている。
なんか、緊張するな……。
鶴舞は壁際に並んだベンチに腰を下ろして俺に手招きしてくる。余計緊張する。
せめて着替えたい。汗をかいた状態で近くに行きたくない……。
「座って座って」
「なにゆえ? どうしたのさ急に」
「なんか今日はロリ子ちゃんとゆっくり話したい気分なんだよね〜」
「ゆっくり? もう最終下校のチャイム鳴るよ?」
「知ってたかい。この学校は最終下校時間以降も出入りするのが容易なのだよ。先生達が利用してる車用の出入り口を通ればいいからね。そしてそこはザルなんだ。多少居残っても誰にも見つかる危険はない!」
「問題だなぁ。防犯という面において信用の無さがすごいや。この学校、簡単に不審者に侵入されて大事件起きそうだね」
「侵入されるような過去がなかったゆえの緩さだね。ここら辺は治安が良いらしい」
「前例がないってのは決して危険がないってのとイコールじゃないんだよなぁ」
少し緊張しながら鶴舞の隣に座る。距離を離したつもりだったのに肩が軽く触れ合った。あれ、俺ってこんなに空間認識能力低かったっけ? 無意識に近くに座った、のか。
うひぃ……。鶴舞から汗の匂いとシャンプーの甘い香りが混ざった香りがする。こんな事考えてる俺気持ちわりぃ〜! なんだか胸が苦しいし、落ち着けない自分に嫌気が差しちゃう。昔はクールキャラだったはずなのになぁそこら辺に関してはなぁ〜!
「ロリ子ちゃんさ、最近どう? 学校とか、部活とか、楽しめてる?」
「え。なんすか急に。別に、普通に楽しんでるよ」
「ほんと? 無理してない?」
「なんで」
「なんか、元気あるかな〜って。無理して笑顔を取り繕ってるように見えてさ」
鶴舞は膝を抱えるようにして俺の方を向いた。なんだそのポーズ、色っぽ。目の優しさとか、大人の余裕みたいな……違うな。包容力? みたいのを感じる。
一個しか歳違わないんだよ? なんでこんなので色気感じてんだよ俺。それに頼むから落ち着いてくれ、心臓。さっきからやかましいぞ。
「……無理してる事は、なくもないけど。でも最近は鶴ま……えっと。ぶ、部活が楽しいから。帰る頃には毎日元気に帰ってるよ。これはまじ、本音」
「本音かぁ。その言い方だと、部活以外は楽しくないんだ?」
「う……。まあ……そう、だね」
鋭い所を突かれて言葉に詰まる。図星だ。部活以外は、残念ながら楽しいとは言えない。
本当は、男子に変な目線を向けられたり女子について行くのがやっとで毎日毎日朝が億劫で仕方ない。
それに、周りに馴染むために毎日朝と夜に鏡と向き合うのも、何気に少しずつ心を摩耗している。学校に行く前に今の自分の現状、変わってしまった環境を嫌でも自覚しなきゃ行けなくなるし、夜に自分の顔を見ると結構な確率でお母さんの夢を見るし。
考え出したらなんか腹の下が重くなってきた。全部吐き出したらこの重みも多少はマシになるんだろうな。……でも、こんなよく分からない話、される鶴舞の身にもなったらとても話そうとは思えない。口を閉じておこう。
鶴舞は小さく笑って、俺の頭を軽く撫でてきた。
「ふふっ、素直でかわいいなあ。でも隠し事もしてる」
「し、してないよ」
「いいよ。話したくない事は無理して聞かない。尋問したいわけじゃないしね」
「……」
「……あははっ。もーっ!」
頭を撫でるのが頭を抱き寄せるに変わる。鶴舞が俺の頭に腕を回し、ぎゅーっと自分の胸に押し付ける。
何も口にしてないから鶴舞視点、俺は今大人しくされるがままにされているという認識なのだろう。当の本人は急にそんな事をされたせいで脳内ぐちゃぐちゃ、心臓急加速でF1カーのエンジンばりに高速回転してんだけどね。
寿命何年分縮むかな。このまま抱き寄せられ続けたらきっと俺の体は鉄を溶かすほどの高温を帯びるのだろう。コイルってめっちゃ熱くなるもんね。
「ロリ子ちゃんってさ。守ってあげたくなるタイプだよね」
「あ、の」
「なんかこう、放っておいたら跡形もなく消えてなくなっちゃうような儚さがあるというかさ。でも強く触れたらそれはそれで消えてなくなりそう。妖精みたいだね。魔法を使えない妖精」
「強く触れちゃだめって言うなら今のこれは処刑されかけてるって認識で大丈夫???」
「私はいいのー。ロリ子ちゃんに対してキュートアグレッション抱いているので。特例!」
「アグレッションは抱かないで??? それ向けられる側はたまったもんじゃないよね。理不尽な暴力だからね? 離して!」
「ロリ子ちゃんはこうされるの嫌い?」
「す、好きじゃない!」
「あらそう。それは失礼」
鶴舞がパッと俺から離れる。まだ言葉の続きだったんだけどな、一部の例外はいるけどって言う前に離れられちゃった。
……いやまあ、それでいいんだけどさ。離れられたら離れられたで、胸の中が寂しくなる。
「良かった。好きじゃないって言われてヒヤッとしたけど、表情を見るに今のである程度元気を取り戻せたみたいだね」
「え?」
「ロリ子ちゃん。今、無理して表情作ってないでしょ。なのに自然と照れ顔になってる。あははっ、恥ずかしがり屋さんだね」
「っ!」
慌てて顔を背けるとまた鶴舞が「あははっ」と暖かい声で笑った。
またこの感覚だ。胸の奥にじんわりと鶴舞の言葉とか、笑顔とかが染み込んでいく。
守ってあげたくなる。
見た目上は女同士なのに、こっちの心は男なのに。だから、相手からそんな事を言われても嬉しさなんかを抱くより情けなさを抱くべきだって分かっているのに。変な気持ちになる。
……嬉しい。すごく嬉しい。それを自覚して余計に頬が熱くなる。
自然と口が動く。勇気を出したわけでもなんでもなくて、本当に無意識に、鶴舞に対して思っていた言葉が溢れてしまう。
「鶴舞は……いつもみんなを明るくしてくれるよね。よく周りを見ていて、何か悩みを抱えてそうな子がいたらしれっと手を差し伸べてる。だからみんなから好かれてるんだろうな」
「んー? そう見えてる? 私、結構人の好き嫌い激しいタイプなんだけどな」
「じゃあ好かれてる人達は同じように鶴舞の事を好いてるよ。いつも暖かくて、自然と周りに輪が出来る。だから俺、部活に来るのが楽しいんだ。顧問とか他の先輩らはスパルタでちょっとだるいけどさ、鶴舞の笑顔を見ると、なんか……嫌な事全部なくなるというか。こんな俺でも幸せな気持ちになるというか」
鶴舞は目を丸くして、それから照れくさそうに笑った。
「うわー、褒め始めたと思えばびっくりするくらいストレートな物言い。照れるなあ。でも……ありがと。ロリ子ちゃんがそう言ってくれると、私も幸せな心地ですよ。やー、今日は暖かいねぇ」
「暖かいってか暑いけどね。体育館内は。サウナでしょこんなん」
「室温の話じゃなくて精神面でのお話だよ。心配して声掛けたつもりが、こっちまで元気を貰っちゃった」
鶴舞は少し間を置いて、窓の外の夕焼けを見ながら続けた。
「二年生ってさ、多分中学生活の中で一番色々大変な時期じゃない? 急に体が成長して色々変わり始める頃だし、人間関係も激しく動くし。嫌な人とか、怖い出来事とか、将来に関わる事とか、そういうのが集中してるのが中学二年だと思うんだよね。中弛み期って、色んな刺激があって本分が疎かになるってんでそう呼ばれてるわけじゃん? 三年生の私達は夏の引退まで部活動を駆け抜けて、あとは受験して高校生編って感じだから、そういう時期はもう終わって一旦落ち着いてくるからさ。それでロリ子ちゃんに声をかけたわけですよ」
「受験生の方が大変だと思うけどなぁ」
「ベクトルが違うかな。それに今は、全員が全員大変って時期でもないんだよね」
「そうなんだ。……鶴舞が最近部活で必死なのって、もう引退近いから? 前よりちょっと、余裕ないよね」
「わ、バレた!」
「バレるよそりゃ。ずっと見てるし」
「見られてたかー! あははっ、他人への関心が薄いのかなーって思ってたロリ子ちゃんがまさか私の方を見ていたとは。自分の事になると気付けないものだねぇ〜」
「……」
つい素直に言っちゃった。ずっと見てるって。全く意識してなかったわ、まっず。え、恥ずっ。
ていうか他人への関心が薄いって、そんな事思われてたの? 鶴舞の方こそ俺の事めっちゃ暴いてるじゃん。洞察力どうなってるの、捜査官???
「私はロリ子ちゃんみたいほど運動神経が良いわけじゃないから必死にならなきゃなんだよ。これで中学最後って考えたら、自分の全力に挑戦しないとって。だから、素直に部活を頑張ってくれてるロリ子ちゃんみたいな子がいるとさ、なんか救われるんだよね」
「救われる?」
「うん。自分一人が頑張ってるって思うとなんだかバカバカしくなっちゃうでしょ、現実って。私、明確な目標を持って一人で必死になれるタチじゃないからさ。スポーツ漫画のキャラと違って、努力の為に盲目になれるタイプじゃない。だから、同じ熱量で努力してくれる子がいると気持ちが脱線せずに済むというかさ」
「……」
どうしよ。そう捉えられてたんだ。俺が真面目に部活動に打ち込むのって、鶴舞が同じ部活だからってだけなんだけどな。鶴舞が居なかったらもっとちゃんとやらずに、 サボりまくってるし、足繁く部活に向かうこともない。
なんか、互いに互いの事を意識してはいるんだな。あくまで同じ部活の仲間として、みたいな視点だけどさ。
「……っ」
無言の時間が長引いたのでなにか声を掛けようと思った。が、夕陽に照らされた鶴舞の横顔があまりにも綺麗すぎて、言葉が出なかった。
……。
この時間がずっと続けばいいのに。なんて、ロマンチストみたいな事を考えてしまう。キャラじゃなさすぎて自分の思考に笑いが漏れそうになる。
何も言い出せずにいたら、鶴舞が急に俺の手を握ってきた。
「これからも、なにかあったら私に相談してね? 前も言ったけど一人で抱え込まないで。ロリ子ちゃん、そういうの苦手だから。一人じゃないからね」
「う、うん」
その手の熱が心臓にまで届き染み渡る。
きっとこんなの他のみんなへの接し方と変わらない、特別扱いとかじゃないフラットな気遣いなんだってのは百も承知だ。
なのに、やはり俺の心臓は軽率にこの熱のせいでうるさいくらい鼓動を早くする。当たり前だ。こういう温もりを向けられた事なんて今まで無かったんだから。
「……ありがと、鶴舞。孤独だった私を助けてくれて」
「これからも困った事があったら助けるよ。勇気をくれるので、元気をあげます。これで私達はウィンウィン!」
「……なんだそれっ」
ボソッと零れた小声が少し震えていた。どこがトリガーとなったのか、俺は胸の高鳴りを超えて涙腺にまで鶴舞の熱を及ぼしてしまったらしい。
鶴舞は「よしよし」って、もう片方の手で俺の頭をくしゃくしゃにして笑う。今回のそれは優しくて心地が良い、慈悲を感じる力加減だった。
片付けを終えて学校を出るとき、鶴舞が背中を押しながら言った。
「じゃあまた明日ね! 今日もお疲れ!」
俺は振り返って、無理することなく作れた笑顔でそれに応える。
「うん、またあした! じゃーね、鶴舞先輩!」
そう言って体の向きを戻し駆け足で帰り道を辿る。後ろでは「先輩ーーー!!? 他人行儀!!!」と叫ぶ声が聞こえたが今はそれを無視して走った。
胸の奥が熱い。なんか、この数分間でグッと鶴舞との距離が縮まった気がする! 気しかしない!!
鶴舞の笑顔と手の温かさがまだ体に残ってる。家に帰って鏡に相対しても今日だけは冷たさや嫌悪を感じず、ただただ高揚感に身を浸した自分の姿をそのまま映し出してくれる。
『いや、待って。なに舞い上がってるの? 女同士なんだよ?』
「えっ」
今、鏡の中の自分の口が勝手に動いた気がした。
改めて鏡が映す少女の顔を見る。
数秒前まで幸せしか感じてなさそうな顔してたのに、今になって見たら瞳からその熱が失せていた。
『女同士なんだよ。心がどうとか関係なく。こんな想い、伝えられるわけないのに』
「………………分かってるし。そんな事」
鏡の中の少女に対し、抵抗の意図を持って強い口調でそう返す。
その夜、玄関でいつものようにお父さんにノリで抱きついたとき。
今日の嬉しさと、叶わない切なさが混ざって、なんだかいつもより強くしがみついてしまった。




