14話『希望なんだか絶望なんだか』
「あ、卜部」
帰り道。卜部を見かけて話しかける。
「うらっ……行っちゃった」
卜部は少しだけ立ち止まった後に俺の方をちらりともせずに早歩きで去っていった。
最近卜部が話しかけてこなくなった。
学校の帰りに待ち合わせ場所で待ってても姿を現さないし、見かけて声を掛けても一瞬気まずそうな顔をして無視してくる。廊下で顔を合わせても目が合った瞬間にそっぽを向かれるし、以前みたいに関わってくる気配がまったくない。
……まあ、こうなるのが当然だと思ってはいたけどさ。
一緒に話したり遊んでたりはしてたけど、結局俺と卜部の関係性って元いじめっ子といじめられっ子でしかないし。どこまで仲良くなってもそれ自体は変わらないし、まだ俺はちゃんと卜部に謝ったりしてないし。
今までがおかしかっただけでこれが普通、てか今まで卜部のこと『いじめられてた自覚とかなさそうでちょっとキモい』なんて思ったりもしてた。けど……。
「……なんで今更」
当たり前の事だと受け入れようとはするけど、モヤモヤする。
クラスで目立つようにからかったり、みんなの前で馬鹿にしたり。殴ったり、蹴ったり、物を投げたり。慎也に付き合わされてたのがほとんどだけど、でも、ちょっとだけ俺自身も楽しんでた節はあった。
反応が面白いからとか、気晴らしになるからとか。そんなんで卜部の嫌がることをノリノリでやってて、他の連中と同じように卜部をハッキリと見下していた。
……本人にはそんな事言ってないし、だからか妙に俺の事良い奴だって勘違いされていた。それを訂正せず、むしろそう思ってくれた方が都合がいいって放置してた。
…………めっちゃ最低じゃん、俺。やばい、自分に対してドン引きだ。
そんな事をしてたくせに、避けられたくらいで卜部に対して『なんで』って思うとかどう考えても間違ってるじゃん。どの口でそんな事言ってるんだ。
遊具で遊ぶようなノリで卜部に嫌がらせしてきたくせに、謝ることも自分は嫌な奴だってちゃんと言い聞かせる事もせず、暇つぶし相手になってくれるからって都合よく利用してた分際で、なんで。なんでこんな気持ちになってるんだろう。
「……っ」
胸の奥がざわついて、痛んだ。痛みを誤魔化すために自分の肘を抓ってるのに全然誤魔化せない。
卜部に俺の本性がバレてしまったんだろうなぁ。本当の俺は慎也や他のいじめっ子と同じ、いやそれ以上に卑怯な奴なんだって。そりゃ、避けられもするか。
「……どうしよう」
と、そこで普通なら『バレたならしょうがない。もう関わらないようにしよう』となる筈なのに、口が勝手に動き出した。
「嫌われた、よな。……そうだよな。俺、ずっとあいつに嘘ついてきたんだし。関わりたくないよなこんな奴」
分かりきっていることをまるでまだ確定していないかのように喋る。まるであいつと離れたくないかのような、嫌われたくないと自分から望んでいるような痛みが胸を刺してきて苦しくなりその場にしゃがみこむ。
「謝ったら、許してくれるかな」
許すわけない。それこそ今更すぎる。
今まで何度もちゃんと謝る機会があった筈なのに一度も謝ろうだなんて思ったことがなかったんだぞ? いじめられっ子の癖になんで俺と関わるんだ、なんて相手を見下した思いしか抱えてこなかった。一度も自分のやってきた行いの責任について考えてこなかったのになんで、今更謝って許されようとしているんだ。なんでそんなずるい事考えられるんだ、俺。
自分の気持ち悪さに頭を抱える。
「卜部っ!」
自分の卑怯さに頭を抱えた次の日。俺はまた相手の気持ちなど考えもせず、触れない方がいいという常識的な判断を選ぶこともなく、廊下を歩いている卜部の背中を見つけて走り寄っていた。
肩を落とし、元気なさそうな後ろ姿で歩いていた卜部が俺の声に気付き背筋を伸ばす。そして少しだけ早歩きをした後、背中が目の前に迫った瞬間あいつは走り出した。
「卜部、なあっ! ちょっ、待ってよ! 足速い!!」
卜部の走る速度がグングン速くなっていく。学校の中だってのに全速力!? クソッ、胸が揺れて痛い!! それになんでこんな追いつけないんだよっ!!?
「待ってって言ってんじゃん!!!」
ようやく卜部に追いついて背負っていたランドセルの紐を掴む。すると卜部は立ち止まり、肩を上下しながらこちらに振り向いた。
「うらっ」
「……えっと。は、離して」
「あっ…………ごめっ」
目が合って、すぐに表情が固まる。卜部が気まずそうに眉を寄せて、唇をへの字に曲げながら周囲をチラチラと警戒するように見回す。その様子を見て息が詰まり、つい言われたことに従ってしまった。
俺が手を離した瞬間に卜部がくるりと方向を変え歩き出した。やっぱり早足で。
「あ、あやまっ、卜部っ、まっ、ぅ……」
俺から逃げる卜部の後ろにくっつき『ちゃんと謝りたい』って言うつもりだった。でも何故か言葉が出なくて、代わりに喉が震えて変な声しか出なかった。
卜部の早歩きに着いて行けなくなり、校門を出た辺りから完全に声が届かないくらい距離が空いてしまい俺は足を止める。
どんどん卜部の背中が小さくなっていって、その後ろ姿を見ていたら視界が濡れたカメラで撮った写真みたいに少しずつボヤけていく。
「なんで、急に避けんだよ……っ。くそ……っ」
卜部に伝えたかったことが独り言として出てくる。
謝る為に呼び止めるつもりだった。でもそれも結局、避けられていた理由を聞き出すための表向きの理由に過ぎなかった。
これもバレていたのかな。
この期に及んでまた卑怯な事してるって思われたのかな。
余計嫌われちゃったのかな。
色んな考えが頭の中をぐるぐる回る。スカートをぎゅっと握って耐えようとしていたのに瞼から涙がこぼれる。
鼻を啜りながら校門の横に移動し、花壇の方を向いてしゃがみこむ。こんな姿、クラスの誰かに見られたらまた嫌な事を言われてしまう。
……俺ってこんなに泣き虫だっけ? なんか最近、感情を我慢するのが下手になっている気がする。
小さい頃は毎日悲しみしかなかったから我慢するのは得意な自信あったのに、女になってからちょっとした事で泣きすぎてないか?
他の生徒が友達と歩きながら楽しくお話する声が聞こえてくる。
漫画の話、ゲームの話、動画の話、服の話。どれもありきたりで話単体で見たら面白くもないような内容。でもみんな笑っている。話の内容に笑っているんじゃなくて、友達と話している事自体が楽しくて笑っているんだ。
寂しい。
今の俺は今までと違って学校で話す相手なんていない。唯一俺の相手をしてくれるのは卜部だけだった。その卜部にも、嫌われてしまった。
一人だ。
家の外で一人ぼっちになるのって、案外これが初めてなのかもしれない。
正直、ただ孤立するだけならここまで寂しい気持ちにならなかったと思う。というか、孤立云々は関係なくてただただ"卜部に嫌われた"っていうのが自分の中で大きなショックになってるんだと感じる。
「う、ぐ……っ」
考えていたらまた涙が出てきた。
足元を見ていたらアリが自分の靴の上を歩いてるのが見えた。このアリも、群れから離れて一人ぼっち。今の自分と重なって見える。
「お? こんな所に居たんだ」
靴から降りたアリがどこに行くのか眺めていたら、不意に現れた誰かの靴にアリが踏み潰される。
自分とは何の関係もない、話すら出来ないちっこい虫が踏まれただけなのに胸がぎゅっと痛くなる。
「おい。りーひーと!」
「えっ……し、慎也?」
アリを踏んだ靴の持ち主が俺の名前を、男だった頃の名前を呼んできたので驚いた。顔を上げると、慎也が心配するような目つきで俺を見下ろしていた。
「なんで泣いてんだ? お前」
慎也に指摘され慌てて瞼を腕で擦る。数回瞬きしたあと、それでも視界は滲んだまんまで立て続けに涙が出てきそうなのを察し俯いたまま言葉を返す。
「別に、泣いてねーし」
「泣いてるだろ。今涙拭いてたじゃん」
「……うぁっ!?」
黙っていたら急に慎也が俺の目の前でしゃがみ、両耳の前の方に手を置いて無理やり顔を上げさせられた。
「まだ泣いてんじゃん。どうした、女子になんかされた?」
「離せよ!」
「なーんか、女の格好するようになってから随分お前の泣いてる姿を見てる気がする」
「う、うるさいな……っ」
そう言って乱暴に頭を振って慎也から離れようとしたら尻もちを着いた。最悪。花壇の花を思いっきり尻で押し潰しちゃった。
「うわー。田辺が見たら怒るぞーこれ。まあ隣のクラスの担任だから俺らがなんか言われることは無さそうだけど」
「な、何しに来たんだよ!」
「何しにって、一緒に帰ろーぜって誘いに来た以外にあるかよ。放課後だぞ今」
慎也が当然のような顔をしてそう言う。
……一緒に帰ろうぜって、誘いに来た? 女になってからそんな事一度も言われなかったのに?
意味分からない。今まで距離を取ってきたのに。何か企んでるのか?
もう一度涙を拭って今度こそ出てこないのを確認してからジーッと慎也を観察する。
「な、なんだよ」
「…………他の男子連中はどうしたんだよ」
「あぁ? ……毎日同じ奴と帰ってるわけじゃないし、遊ぶ相手は日によって変わるだろ」
「他の男子と帰んないのって聞いてんだけど。なんで俺に声掛けるわけ?」
「声掛けちゃ駄目なのかよ」
「……駄目って事は無いけど。でも、慎也って女子嫌いじゃん」
「おう」
「おうって。……俺も女なんですけど」
今は、と付け足そうかどうか悩んで結局付け足さずにそのまま言う。
「他の女子は嫌いだけど、お前の事は嫌いじゃねえよ」
「……嘘つけ」
「嘘なんかついてねーよ。ばーか」
「いぢぢっ!?」
突然慎也が俺の頬を抓ってきた。手首を掴んで引き剥がす。
「なにすんだよ! びっくりするだろ!」
「なんか今のお前、めんどくさい女子みたいでムカついたから」
「め、めんどくさいって、だからって急に頬抓るなよ!」
「昔はこのくらい平気でやってただろ。俺もお前も。殴ったり蹴ったり」
「それは、そうだけど……」
言われてハッとした。確かに、今みたいに急に手を出してきたりするノリは男同士だった頃毎日のようにしていた。むしろその頃だったら頬を抓られる程度、大したリアクションもせずにチョップをし返したりしてたのになんで今過剰に反応しちゃったんだろう。
……女になってからそういうコミュニケーションを誰とも取ってなかったからか。卜部と仲良かった時期も、あいつから暴力的な接触を受けることはなかったし俺も慎也に対してするような力加減でツッコんだりはしてこなかった。
というか、言わなかっただけで卜部って俺に対して"女への接し方"をしてたような気がする。それは俺は当然のように受け取っていたから、知らず知らずの内に女として接される事が普通のように感じてしまっていたのかも。
「……うっ!?」
「理仁? おわあああぁぁっ!? どうしたどうしたなんでゲロ吐いた!?」
無自覚だった今の自分と男だった頃との自分との違い。女としての普通を素でやってしまっていた自分に母親の歪な笑顔が重なって胃の中の物が急に口から出てきた。
「おげっ、ううぅぅぅっ……!」
嫌なのに。自分は男だって強く言い聞かせてきて、女になった自分の顔が世界で一番嫌いなのに。それなのに当たり前のように女の服や下着を着て、髪を結んで、女らしい関わり方で人と関わって。心と行動が一致してなさすぎて、こんなんなのにまだ男だった頃の自分を忘れられたくないって思ってしまっていた自分に嫌気が差す。
こういうの、矛盾って言うんだって最近知った。俺は矛盾している。馬鹿みたいだ。なにが『鏡が嘘を吐いてる』だ、鏡が真実以外を映すわけないのに。俺自身受け入れてるんじゃないかよ、それが事実なんだって。
「ううぅぅっ」
「どこ行くんだよお前!? 大丈夫か!? 大丈夫には見えないけど!」
自分のゲロの臭いで余計気持ち悪くなってまた吐きそうになったので、立ち上がってフラフラと家の方へ歩こうとしたら慎也に手首を掴まれた。
「なんかお前やばくないか!? とりあえず水道行くぞ! ゲロ臭いまんま外歩くとかやばいだろ!」
水道でうがいして、服は汚れなかったのでそのままで慎也と共に緑道のバスケットコートに来た。
特にすることもなく、コート横のベンチに座ってボーッと景色を眺める。
誰にも見せたくない姿を、よりによって幼馴染に見られるとか。はあ……。最悪だ、どんどん嫌な気分になる。
「あー……その」
黙っていたら隣に座っていた慎也が歯切れ悪い調子で話しかけてくる。
「なんつーか、ごめんな。急に女の格好して学校来るもんだからさ、ビビってお前の事放置してた」
「うん」
「女子の事は嫌いだけどさ、人によって性格なんか違うし全員が全員嫌な女子と似たような考え方してるわけじゃないってのは一応分かってるんだけどさ」
「……」
「理仁は、理仁だしな」
「……?」
理仁は理仁。
……なんだそれ。俺はどんな姿になっても俺なんだから遠慮する必要なんかなかったって言ってるのか?
……さっきの出来事があった後にそんな事言うのか。以前の俺だったらあんな風にはならなかっただろ。何言ってんだこいつ。
「……俺、病気なんだ」
そう返すと、慎也は少し間を置いてから小さな声で「何言ってんだ?」と言う。
膝に置いた指に力が入る。
誰かに言う必要性がないから言わなかった。誰にも打ち明けられなくなってしまった今にして思えばその考えは間違いだったと気付いた事を、初めて他人に打ち明ける。
慎也の反応は分かりきっていた。俺の言葉を受けて困った後に、考える素振りをして、「馬鹿じゃねーの?」とあしらわれる。頭のおかしさを本気で疑われて、気持ち悪がられて、決定的にやばい女認定されて、今度こそ本当に一切話しかけられなくなる。
……でも、もう限界だった。
誰かに打ち明けたい。打ち明けて楽になりたい。もし打ち明けてこっちの事情を理解してもらえれば、なんてあるはずも無い話に縋らないと保たないくらい心が痛くて、辛い。
「雄性変体症って名前の、男が女になっちゃう病気。多分検索したら、めっちゃ調べれば出てくると思う」
「……まじ?」
「うん。信じてほしい。信じられなくても怒らないけど。……身体の形は女だけど心は男の頃のまま、だから。女であることを隠してたんじゃなくて、本当に女になった。だから……」
慎也が考えてるような、女みたいな考え方で動いたり女としての性格を持ってるわけじゃない。そう言いたかった。
そこまで言いたかったのに、最後まで言い切れなかった。
最近の俺は……多分もう男としての生き方を諦めて女として生きた方が楽だって思ってる。頭で嫌だって否定してもそれが正しい事だからって受け入れてるんだと思う。だから、考え方や性格が女とは違うなんてハッキリ言っていい自信も持てない。
「だから、その、慎也が嫌いな"女は他人を騙して影で笑ってる"みたいなやつじゃなくて……。俺はずっと男で、慎也と遊ぶのは楽しかった、それは絶対に本当」
「……」
「俺は俺って言ってくれたけど、それは違うと思う。……前の俺だったらさ、慎也の前で泣いたり吐いたりしないでしょ。家の外なのにこんな暗い感じにもならないし、慎也にもっと話に行ってるよ。……俺は、理仁じゃないんだよ、もう。名前変わってるし。理子だし。だから」
「確かにめっちゃ女みたいになってるわお前。めんどくせっ」
「っ!」
突き放すような言葉を言われた瞬間、頭をぶん殴られるような感覚に襲われた。
勇気を出してポロポロと言いたいことを口にしていた、それを黙って聞いてくれていたから少しだけ心が楽になってきていたのに。慎也からの拒絶反応を感じた瞬間指の先が冷たくなっていく。
「今ので泣きそうになってんのも女みたいだし」
「な、泣きそうになんか」
「そういう病気があるんだな? ならしょうがないじゃん。そこは疑わねーよ」
「……えっ?」
意外な言葉に体の震えが止まる。そして反射的に俺は慎也の方を向き、その目をじっと見つめてしまった。
「そんな顔するくらい俺って信用ないの? 理仁の言った事だったらすぐ信じてきただろ俺。そんで時々酷い目に遭った。かくれんぼ中に鬼やってる奴が遠くに行ったから隠れ場所を変えようとか言われて、出てみたら即見つかったりな」
「それは、だって勝ち残った奴がアイス奢りってルールだったし」
「勝つ為なら平気で嘘吐くような奴だよなお前。それを分かってんのに俺はずっとお前に言われたことを信じてきたぞ。嘘も言うけど本当の事も言う、それって普通じゃん」
「そう、だね」
「お前は普通の奴で、かつ俺の幼馴染。じゃあ今回の事も疑わず信じるに決まってるじゃんね」
慎也は本気でそう言っている。目を見れば分かる。幼馴染として、長い時間慎也を見てきたからそれが気を使って言ってるわけでも話に合わせてるわけでもなく本音なんだと言うのは伝わってくる。
「でもってそういう理由なら変に構える必要もなくなったわ。結局お前は俺の知る理仁のまま。裏切られる心配はなし。今日話しかけられて良かった〜!」
「いやだから男の頃とは色々違うんだって! 慎也の前で泣いたりしないだろって!」
「泣く時は泣くだろ、お前だけドロドロの畑に頭から突っ込んでた日は思いっきり泣いてただろ」
「それは泣くだろ! 息出来なかったんだぞ!?」
「じゃあさっきのも似たようなもんだろ?」
「どこがだよ!?」
「変な病気かかって長い間入院して、復帰したのに誰も相手してくれなくて女子からは一方的に嫌われてて。そんな状況がずっと続いたら俺は泣かないけど他の奴は泣くでしょ」
「俺は泣かないけどって、なんかその自信満々な感じムカつくな……」
「今のでムカつくんならやっぱり理仁のままじゃん」
そう言って慎也が笑う。
男だった頃はほぼ毎日俺に向けていた笑顔だ。女になってからは一度も向けられなかった、アニメのガキ大将が作りそうな能天気そうな笑顔。
その顔を見てたら目頭が熱くなった。悲しいとか、寂しいとか、そういう方向性とは違う涙で目の前が滲んで見えなくなる。
「ちなみに男の頃のままだって分かったからストレートに言うけどさ。お前、一々泣くのやめたら? めんどいわ、泣いてる奴と一緒にいるの。俺に励まされたいの?」
「励ましなんか求めてねーし! なんでお前みたいな思いやりの欠片もない奴が幼馴染なんだろうな!? 普通さ! どういう理由にしても泣いてる奴にそんな冷たい事言わないよな!?」
「あと男の頃より声がキンキンしてるから元気に喋られるの鬱陶しいんだよな〜。声変わりはまだだよな俺たち。なんで声変わり前なのに男の頃と声違うんだよ」
「手術したからだろ! 喉の形が違うの!」
「その膨らんだ胸もわざわざ手術でつけてもらったのか?」
「なわけないだろー!!! これはその、こんな言い方したくないけど純粋な体の成長でぶくぶく膨らんでんだよ! 遺伝だろどうせ!!」
「へぇー。元は男だったのになー。そりゃ女どもから嫌われるわなー」
「意味分かんないし。こんなの何がいいんだか!!」
「良さは分かるだろ。お前も男だったんだから」
「はあ?」
「ああいやごめんっ、今のはなんでもない!」
慌てた様子で慎也が言葉を撤回した。良さ?
……? 自分の胸なんか見ても何もエロさなんか感じないけど。慎也が言ってたのってそういう話だよね? 何言ってんだこいつ。
「明日もまた一緒に帰ろうぜ」
慎也の家の近所まで来ると、ランドセルを鳴らしながら振り向いた慎也がまた笑顔でそう言ってきた。
明日も、一緒。
卜部はきっと明日も、明後日も、俺とはもう関わろうとしてこないだろうし、だからあいつとの待ち合わせ場所に行く必要はなくて、だから時間的にあいつと慎也が鉢合わせになるなんて事もきっと無いんだろう。
慎也からの誘いはとっても嬉しい。胸にぽっかり穴が空いたような感覚が安心で埋まっていくような、温かい気持ちになった。
その誘いには勿論首を縦に振ってオーケーを出す。でも、俺からも一個だけ慎也に言いたいことがあった。
「あのさ、慎也」
「なんだよ。てかなんで不安そうな顔するのお前。それやめて? まじで」
「ごめん。でさ……卜部の事なんだけど」
卜部の名前を出した瞬間、慎也の顔が険しくなる。
慎也は卜部の事をとことん嫌っている。女子と同じか、それ以上に。
学校以外の場所であいつの名前を出されると機嫌を損ねるのは分かっていた、でもどうしても心残りがあって。こんな事になったからそれだけ勇気を出して慎也に言っておきたかった。
「卜部は女になった俺に優しくしてくれた、意外と良い奴だからさ。その……今後は、あんまりいじめたり、しないでやってほしい、というか」
「何を言い出すと思えばそんなことか」
そんなこと、と言われて何故か一瞬親指に力が入る。でも続けて言う慎也の言葉で小さな胸のモヤモヤは解消された。
「俺はもう卜部と関わるつもりはないし、あいつにちょっかいかけるつもりもねーよ」
「そうなの?」
「うん。お前と女子の喧嘩の一件で担任がそういういじめみたいなもんにピリピリしてるだろ最近。クラス替えも近いし、変に目立つ事はしたくねー」
「そっか。……よかった」
特に言い合いにならず、すんなり意見を聞いてもらって安心した。緊張が解れて一気に背中の疲れが吹っ飛ぶ。
「……卜部なんかの為にそんな事言い出すのかよ」
「? なんか言った? 慎也」
「別に」
俺に聞こえないくらいの声で慎也が何かを呟いたので、聞き返してみたらぶっきらぼうな態度を取られた。慎也が小声で喋るなんて珍しい事もあるもんだな。声の調整とか出来ない奴だと思ってたや。
「…………ちっ。なあ理仁」
「うん?」
「アレだわ。お前、今までずっと放課後は卜部ん家に居たんだろ?」
「居たよ。ゲームしてた」
「あっそ、興味な」
また小声。聞こえないって。今日風強いじゃん大きい声で喋ってくれよ。
「ならよ、毎日暇なんだろお前」
「暇だね。てかそんなの慎也が一番わかってるだろ」
「っ、そうだよ。俺が一番わかってる!」
今度は逆にめちゃくちゃでかい声で喋る。楽器みたいな音量調節するなぁ。
「暇ならよ! また毎日俺ん家来て遊ぼうぜ! ゲームなら家にも沢山あるし!」
「えっ、それもいいのか!? お前女は家に呼びたくないって言ってたじゃん!?」
「お前だから特別な。くだらないお人形遊びとか誘ってこないだろお前」
「当たり前だろ。てか俺らと同い年の女子がお人形遊びなんかしないだろ」
「似たようなくだらない事で盛り上がってんだろーどうせ。そういうよく分からない感じの事しないって分かりきってるからお前は家に来てもいい。てか理仁なんだから駄目な理由がない!」
「じゃ、じゃあ、今から行くのは……?」
「今からはちょっと。お前ゲロ吐いた直後だし」
「うがいしたじゃん!? まだ臭い!? 服には付かなかったよね!?」
「いやなんか、うがいしただけだとなんかゲロイメージが……今日だけはちょっと。まじでごめんなんだけど明日からで」
「くっそ……! なんであんな急に吐いたりしちゃったんだ俺、くそー……」
家に帰りたくなさすぎるのでもうちょっと粘ってもよかったかもしれないけど、あんまり粘ってうざがられてもし慎也にまで嫌われたら……と考えて素直に「分かった」と言う。
その場で慎也と一時間くらい喋って、風邪が冷たくなってきた辺りで手を振って別れる。
卜部ともう遊べないって考えると今でも胸が痛くなってため息がこぼれるけど、慎也とまた昔のように話せるって考えたら心が軽くなるから泣くまでにはいかない。
この胸の痛みもきっと少しすれば感じなくなる。元に戻れる。その上、慎也はもう卜部をいじめないって言ってくれたから俺としてはこれで十分だ。
「おう。理子ちゃんやん、学校お疲れ〜」
「……えっ。お、とっ、おじさんっ。こ、こんばんは……?」
帰り道を歩いている最中、家の方角から歩いてきた父親とバッタリ出くわした。
ていうか普通に今まで通り"おじさん"って呼んじゃったけど、母親が言うには父親が家に帰ってくる話だったよね。どうせ帰ってくるのなら普通に"お父さん"って呼ぶべきじゃん。なんで反射的にお父さんを引っ込めちゃったんだ俺。おじさん呼びしたらもう"他所の家の理子ちゃんモード"で話を進めていくしかないじゃんか。
「お、おじさんはお仕事の帰り?」
「ちゃうよ。人と話に行っただけやね」
「話?」
「子どもにはあんま分からへん話やから気にせんでええよ。ま、理子ちゃんにも一応関係ある話なんやけどね」
「私に関係ある話?」
気になる事を父親が言った。というか今日の父親の声、最近聞いていた感じじゃなくて昔家にいた頃の柔らかいけど冷たい声になってる気がする。それに、なぜか今日は俺の顔じゃなくて胸元を見て喋ってるし。
「そうや。理子ちゃん、お兄ちゃんは元気しとる?」
「お兄ちゃん?」
お兄ちゃん???
なんで俺に兄貴がいるような話し方をしてくるんだろう。他所の家の設定を作った時、どこかでそんなような事を言っちゃったのかな?
……多分言ったな。理子って自分の名前言うべきタイミングで何度か理仁って言いかけた時あるし。その言い間違えの言い訳として『お兄ちゃんがいる』って説明したような覚えがある。その時の事を覚えてて兄が元気か聞いてきたのか。
じゃあ設定が崩れないように話に合わせなきゃだな。
「お兄ちゃんは元気にしてるよ! でもゲームばっかりしてるからあんまり外出ないんだよね、多分おじさんは私のお兄ちゃんを見た事はないと思うー」
「いや、見た事はあるんちゃうかな」
「え?」
見た事ないよ。居ないんだもん、お兄ちゃんなんて存在。誰と勘違いしてるんだろう? 今の俺と顔が似てる子どもなんてここら辺に居たか?
「ゲームなんかするんやね、あの子。知らんかったわ。見ぃひんうちに家庭事情もえらい変わるんやねぇ」
「? そ、そうだね?」
何を言っているのかまるで理解できなくてもうテキトーに相槌を打つことしか出来なかった。そうしてるうちに父親は歩き出し、特に会話することもなく別れる形になった。
「あ、せやせや。理子ちゃん」
すれ違ったタイミングで父親に声を掛けられる。俺は呼び止められたと思って立ち止まり父親の方へ振り向くが、父親は俺の方を見ずに歩きながら言う。
「名札ついてんで」
「えっ?」
名札?
視線を下げて自分の左側の胸元を見る。そこにはくっきりと、『瑠璃川』と書かれた名札が服に留められていた。
「あ……っ、待っ」
背筋がぞわっとして父親を呼び止めようとしたが既に父親は遠くの方まで歩いていた。名札を見たまま数秒間固まっていたらしい。
嫌な予感がする。
俺は息子なのに、息子であることを隠して、他所の女の子のフリをしてる。
理子と名乗っている。
母親は俺が女になった事を父親に伝えていない。
兄がいると言ってしまっている。
「あ、あ……」
俺は一人っ子で、父親はもう何年も前に遠くへ行ってしまった。この街に帰ってきたのはつい最近の出来事だった。
瑠璃川なんて名字、全国を探してもそうそう見つからない珍しい名字だ。
俺の名札には『瑠璃川』と書かれている。
兄がいると言ってしまっている。
今の俺は女で、理子で、父親は俺の病気のことを知らない。
「待、って、お父さっ、ちがっ」
俺のせいで。そんな母親の悲痛な叫びが頭の中に響く。
全部説明しないと、なのに足が動かない。震えてその場から動けず、力なく地面にへたり込む。
耳を手で塞いで、地面に頭をつけて、目をぎゅっと瞑る。荒い息が漏れる。心臓が痛い、痛い、痛い、痛い。
まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい。
父親の冷たい目、冷たい声。母親を怒鳴る声、殴ったり蹴ったりする音。そんな過去のトラウマが波のように頭から全身を巡っていく。




