【お得意様第一号】
カーテンから漏れ出る陽光に照らされクロエはむくりと体を起こすと、小さな欠伸を二つ繰り返してからベッドから下りる。
「ん、んぅ……」
覚束ない足取りで階段を下り、洗面台に向かうと鬱蒼とした密林のような寝ぐせの付いた自分の姿。梳かすのも面倒だったので軽く顔を洗うだけ済ませ裏庭に出ると、既に先客が両手剣を振るっていた。
「おはようクロエ殿。いやぁ、あの薬は凄まじいのう! たったの一晩でほとんど動かせるほどに治癒しているぞ!」
「……一応、魔法のお店……ですから。おはようございます」
治癒した腕の調子を確かめるようにぶんぶんと軽快に、時に大胆な剣舞を披露するグレアの喜色満面な表情を見れてクロエはホッと胸をなで下ろした。何事も無く、無事に帰ってこれた。魔女と対峙して生還できたこの僥倖は何事にも代えがたい。
「さて、わらわがギルドへ行く時間までまだ少しある。それで……じゃな」
「……はい」
何となく言いにくそう……というか、恥ずかしそうな面持ちのグレアはこほんと咳払いをした後こう切り出した。
「その……ほら、朝食じゃ朝食! 前の店で、今度はわらわがご馳走しようと、その……思って……な……」
「……?」
モジモジする理由がイマイチ分からず、首を傾げるクロエだったが、そんなクロエの意表を突くかの如くグレアが「うがー!」と吠えたのでビクリと肩が跳ねた。
「と、とにかく食べに行くぞ! ほら、さっさと着替えて支度をするのじゃ!」
「いや、あの、でもサヴリナさんのパンの方がー……あーれー……」
「……朝っぱらから何やってるんだろ、あの二人?」
店の中へ強引に押し込まれていくクロエの姿を見降ろしながら、マルクは屋根の上で顔をこすって欠伸を一つこぼした。
※
以前、朝食を食べそこなった南地区にある食堂。
今日も今日とて賑わう市場の人々をすり抜けながら件のお店に一直線。店の様子はあまり変わっていないらしく日替わりメニューの看板が定位置に設置されている。今日のメニューは……魚介のパスタにスープとパンのセット。何か貝のようなモノがフォークとナイフを手にし、オマケに吹き出しには『♪』マーク。その手はどこから出てきたのか。……というか、貝も魚介の中に入るのではないだろうか。相変わらず謎なセンスに包まれた看板である。
「頼もう!」
威勢良く声を出しながら店内に入ると、つい先日見た店主がやや低姿勢で迎えてくれた。店の中の様子もある程度修復が進んだと言った感じで床板に穴が空いていたりもしたが食事を取る分には支障がなさそうだ。二つほど丸テーブルが減ってしまっていたがどうにか席を確保しメニューを開く。
「すまぬ、注文したいのだが」
メニューを指差しながらテキパキと注文を済ませるグレアに少々驚きつつ、クロエも慌てて自分の食べたい物を探し適当なランチメニューにフルーツサラダを付け加えて息を吐いた。
「……あの」
「あぁ、料金のことなら気にしなくて良いぞ。今回はわらわの奢りじゃ。じゃんじゃん食べて……あいや、あまり食べられると今後の活動費が……いや、しかし、奢ると言った手前金のことは……や、だがクロエ殿は……」
「……? 私は?」
すると、何故かグレアの顔が見る見るうちに赤く染まり始め、追求しようとしたところで二人が頼んだ料理が運ばれてきた。ちなみにグレアは表の看板にあった魚介のパスタセット。クロエはホイップクリームが山のようにそびえるパンケーキ。
「ご、ごほん! では頂こうか」
ご馳走されたことに感謝しつつ、クロエとグレアはゆっくりとフォークを伸ばしていく。時々料理の感想を言い合いながら食事を堪能し、ゆったりとした朝の時間が進んでいく。
「そういえば、クロエ殿のお店が再開するそうだな」
「へ? えっと……はい」
サヴリナから聞いたのだろうか。少なくともクロエの口からグレアに話した覚えはないのだが。
「あれだけの薬を売る店とあれば繁盛間違い無しじゃな。あっという間に大富豪になれるかもしれんのう」
「いや……別に、お金持ちには興味が……」
再開する、と言ってもガンガン売り上げを伸ばしたいとかそういう利益のことについては一切考えていない。お店を再開するというのは、クロエの個人的な約束を果たそうとしているだけに過ぎない。
「私は、あのお店を守れれば……それで、いいんです。時々人が来て、時々買い物してくれればそれで」
「と言うことは……ふむ、馴染みの客が出来ればいいんじゃの」
「馴染みの……お客さん」
それは願ったり叶ったりだが、しかしそんな風変わりな人物はそうそうお目に掛かれるものではない。武器屋や防具屋なら御贔屓の冒険者がすぐに出来そうだがクロエのお店は魔道具店。傷薬が置いてあると言えど、他の店に比べたら風変わりで少し入りづらい嫌いがある。
「ならば、このわらわがクロエ殿の店のお得意様第一号になってやるぞ! それが仲間……いや、と……友としての、努めじゃ!」
「…………え?」
拳を握りしめそう宣言したグレアに対し、クロエは聴き慣れない言葉にフォークを落としかけた。
「あの、えと……いま、何て?」
「へ? あいや、そのッ……だな……」
夕焼けのように染まった頬をかきながらグレアはおずおずと躊躇いがちに、モゴモゴと今しがた豪語した口を細め蚊の鳴くような声でこう言った。
「……クロエ殿は、わらわにとって……じゃな。城を出て、初めてまともに会話をした人間であの……こ、こう言っては迷惑かもしれんと思ったのじゃが……わらわは、クロエ殿を友達と……思っておるのじゃ」
「…………」
無言を返され、グレアは上目遣いに視線を送りながら萎んだ声でそっと呟く。
「め、迷惑……じゃっただろうか。その、至極勝手じゃとは思っているのじゃが……」
「……いえ、迷惑なんて、とんでもないです」
不意にぼやけた視界をナプキンで滅茶苦茶に拭うと、クロエはロクに切りもせずにパンケーキをフォークで運んでかぶりつく。
そんな事を言われたのは初めてで、どう反応していいか分からなかった。
「……ありがとう、ございます。その、凄く……嬉しいです」
「本当か!? そ、そうか! それを聞けてわらわも安心できた。……その、改めて言うのも少々恥ずかしいが……これからも、よろしく頼む」
「……こちらこそ」
差し延べられた手を取る少女と少女。
その日、グレアは初めてクロエの笑顔をお目に掛かれた。
残念ながら、その両頬はホイップクリームだらけだったけど。
マ「お帰りクロエ……? どうかした?」
ク「え? どうかしたって……何が?」
マ「珍しく顔がニヤついてる。そんな顔、ずいぶん久々に見た気がするよ」
ク「そう……かな。よく、わかんない」
マ「サヴリナのパンを暴れ食いした時もそんな顔になるよね。ホイップクリーム付けちゃってさ」
ク「へ? クリーム…………ッあ」
マ「ありゃ、慌てて洗面所に行っちゃった。アレはアレで面白かったのに。……お、上手い事言っちゃったかも。なーんて」




