【第三の王女】
デネブとの死闘を終えてクロエが自宅へ帰宅すると、二人を待っていたのはサヴリナの柔らかな笑顔だった。
「おかえりクロエちゃん、グレアちゃんも」
「……ただいま」
ボロボロになったローブとドレス、全身は煤と傷だらけでフラフラの状態だったが、どうにか生きてここまで帰ってくることが出来た。抱えた荷物を玄関に散らかして、クロエとグレアは疲れた体をソファーに沈みこませた。
「疲れた……の」
「疲れ……ました」
「……二人ともお疲れ様。積もる話も、言いたいことも山ほどあるんだけど……その前に」
ちょんちょん、と店の勝手口傍にある銀色のドアを指差すサヴリナ。
「お風呂用意したから、入ってきたらどう? 二人とも、何だかちょっと臭いわよ?」
※
空色タイル張りの浴室は至ってシンプルな構造。
向かって正面にやや大振りな浴槽が構えていて、その脇にシャワーと洗面台が設えられている。ボロボロのローブを脱ぎ捨てたクロエは軽いシャワーを浴びた後飛び込むようにして湯船に肩まで浸かった。
「いい……気持ち」
身体中の傷がぴりぴりと染みるものの、今日までの疲れが全てゆっくりと染み出て消えていくような、少々くすぐったい感触が全身を包んでくる。乳白色に濁ったお湯の所為だろうか。入浴剤は、あまりこだわらない主義なのだけれど。
「……グレアさん? 入らないの?」
何故かグレアは脱衣所の中でウロウロと右往左往している様子で、扉に映った影が忙しなく動いているのが見える。折れた腕は、クロエが取り戻した魔力の力で完全治癒とまではいかないものの最低限動かすには支障ない程度に回復させている。何か、不都合なことでもあったのだろうか。
「ま……待たせたの。今行くぞ!」
ピシャーン! とやたら勢いよく開いた戸の向こう側に、白いタオルをしっかりと巻きつけたグレアが何故か仁王立ち。しかも、お風呂に入る前だというのに熟れたトマトのように全身が真っ赤でクロエは思わず首を傾ぐ。そんな怪訝な視線を受けつつ、グレアは油の切れた人形のようなぎこちない動作でタイルの床を一歩一歩と歩き湯船にダイレクトに突っ込んだ。
「…………な、なんじゃ!」
「……お風呂 初めて?」
「ち、違う、違うぞ! 普段の湯浴みは侍女と一緒だったからその……あ」
「……湯浴み? ……侍女?」
「なんだいなんだい。クロエったら気付かなかったの? この人、とっても高貴な御身分の人なんだよ?」
「んのっわ!? ま、マルク殿、何時の間に!?」
「クロエ、体洗ってー」
「……んー」
クロエは湯船から手を伸ばして小さなスポンジとせっけんを組み合わせると、黒猫の体を丁寧に洗っていく。
「ね、ネコもお風呂入るのじゃな……」
「……で、高貴な御身分……って?」
「最初から変だなぁと思わなかった? ほら、食堂で盗賊と揉めてた時も、王国出身なのにわざわざソレーユのギルドに来たってのも、色々引っ掛かるとこは多かったんだけどさ」
「あぁ……いや、そこから先はわらわが話す」
シャンプーハット相手に悪戦苦闘を繰り広げていたグレアは急に真顔になるとクロエに向き直って姿勢を正す。一応、クロエも姿勢を直しておく。
「その、改めて名乗らせてもらうと……だな。わらわはグレア・アンシュ・ネージュ。ネージュ国の第三王女じゃ」
「……王女、さま」
「へー、驚いた。ホントにお姫様だったんだ……って、お姫様がこんな場所でお風呂に入っててもいいの? お城でやることがあるんじゃない?」
「そうじゃな……普通は父上の隣に座っていたり、外交の手伝いぐらいするものじゃが……生憎、わらわは第三王女。そういう仕事は元より回ってこないのじゃ」
髪の泡をシャワーで落としてから湯船に浸かると、グレアは膝を抱え滔々と語りだす。金色の髪が乳白色色のお湯に絡んでプラチナ色に輝いている。
「……わらわはな、国には不必要な王女なのじゃ。城に居ても何にもすることも無いし、外交関係の役割は全て姉上たちが担うから何にも役に立つことはない。ただ何の不自由もなく暮らして、食べて、眠って……無為な毎日がひたすらに続いていく。わらわは、それが酷く退屈で窮屈だと思ってな……」
「それで“家出”したの?」
「いや、それも理由の一つじゃな。……先も言った通り、わらわは城に居ても何の役にも立たない存在じゃ。そんなある日、何やら父上が依頼したとかで城に冒険者がやってきた。たまたま居合わせたわらわは冒険者というものを初めて見て興味を持ってな、暇が出来れば彼らに頼みこんで色々な話を聞いておったのじゃ。己が剣を以てして魔物と戦い、困っている人々を助けて名声を勝ち取る……そんな冒険者に、わらわは心底憧れた」
「……憧れ……」
情熱は人を動かす。そんな言葉をクロエは思い出し、同時にもう長く会っていない自分の先生のことを思い浮かべる。
「誰かの役に立つ。そんな冒険者の姿にとても憧れたのじゃ。城でただ生きている自分とは違う、違いすぎるその生き様にな。自分もあんな風に誰かの役に立ちたい、自分という存在を誰かに必要とされたいと強く思った。
その日から、わらわの頭の中は冒険者になることでいっぱいじゃった。父上には思いっきり反対されたし、姉上たちにも馬鹿なことは止めておけと何度も説教された。じゃが、そんな程度でわらわは諦めきれなかった。父上や姉上に内緒で、嫌がる騎士団長に頼んで剣の修練を頼み、団員に混じって体も鍛えた」
「……やってることが完全に王女じゃなくなってるね」
「そうして六年耐え、ようやくわらわは城を抜け出し、この地に辿り着いたのじゃ。ネージュのギルドで登録などしようものならすぐにバレてしまうから、ソレーユのギルドをわざわざ選んだのじゃ。そして、この街でクロエ殿に、マルク殿に出会えた。……二人には、本当に感謝している。ありがとう」
湯船に浸かったまま丁寧に頭を下げるグレアに面喰ってしまい、クロエは数瞬ボケーッとそれを眺めた後、慌てて真似して頭を下げた。
「……こ、こちらこそ……です」
「明日にはギルドでわらわ用のティンクルスターが出来上がる。そうすれば、わらわは冒険者としてようやっとスタート地点に立てる。楽しみじゃな」
「クーローエー、グレアさーんも、ちょっとお風呂長過ぎやしませーん? ボクもう、茹であがっちゃうよ……」
「っと、そろそろ上がるとするかの」
「……うん」
ほんのり赤みを帯びたマルクを抱えてお風呂を出た後、用意されたコーヒー牛乳をちびちび飲みながら、パジャマに着替えたクロエは一人で裏庭でぼんやりと星空を見上げていた。
「……」
特に、これといった悩み事だとか考え事をしているわけではなく、ただ何も考えず見上げるだけ。コーヒー牛乳の瓶と夜風が火照った体を優しく冷やしてくれる。ふと、何となく自分の左手の平に視線を落とした。
マルクが変身した籠手――ブラックキャットと自分で名乗っていたが――の痕も何も無く、普段通りの自分の手。あれだけ怖がっていた魔法をたったの一日で使えるようになってしまったことにも驚いたが、それよりも彼が変身することの方がクロエにとってはよっぽど驚きだったような気もする。問い質せば、旅立った先生の事も聞けそうだが……
「クロエちゃん?」
「あ……サヴリナさん……」
「どうしたのクロエちゃん。寝れない?」
「えっと……その、うん」
思えばこの短い期間の間に色々な事があり過ぎた。食堂でのグレアとの出会い。冒険者を目指すために彼女と共に鉱山に赴き、思いもしなかった母親との再会。勝てるはずのない相手に果敢に挑むグレアの後ろ姿に相棒の豹変、そして再び手にした魔法の力。たった数日の間でクロエは想像以上のドラマを感じている。気持ちが昂ったり、揺れたり、ざわついたり。お風呂上りでは到底整理のしようが無かった。
「でも、クロエちゃんイイ顔してるわ。前より明るくなったって言うか、前向きになった感じかしら。お部屋に籠ってるよりずっとその方がいいわ。先生だって、そう言うんじゃないかしら」
「先生……かぁ」
クロエにマルクを託し、何処へと旅立ってしまったクロエの育ての親である“先生”。今頃何処で何をしているのか。それこそ長い付き合いだが、見た目とは裏腹に突飛な思考回路を持つ彼女には憧れつつも何度も振り回されたことを思い出す。
「この魔法店をクロエちゃんが守る……今のクロエちゃんなら、その約束も無事に果たせそうじゃない。お家賃とか、今度からクロエちゃんがちゃんと払うのよ?」
「え……あ、うぅ……」
実を言うと、先生が出て行ってからの家賃は全て滞納ということになっている。先生がいた時も払っていたかは……覚えていない。魔力を再び使えるようになったということは、つまり放棄していたお店の経営を本格化させるということになる。……少し、自信が無い。
「まぁ、困った時は私やグレアちゃんに相談しなさいな。グレアちゃんに至っては冒険者なんだから、私よりもずっと力になってくれるわ」
「…………が、頑張り……ます」
「うん、頑張って。……あ、そうだ。眠れそうにないならココアでも淹れる? 用意するけど」
「あ……えと、大丈夫です。もう、寝ますから」
「そっか。じゃ、私はお店に戻るわね。おやすみなさい」
「おやすみなさい……」
サヴリナを見送ったあと、再び一人になったクロエはもう一度空を見上げる。
一筋の流星が夜空を切って消えていく。願い事をする暇なんてほとんどなかったが、今のクロエに願い事など何もない。
「……もう、寝なきゃ」
明日になって、朝日が昇ってまた新しい日々が始まる。
少し前向きになれたクロエの日常と、新たに冒険者となったグレアの日常。
それも全て、明日からまた始まる。
小さな期待を胸に抱きながら、クロエはお店のドアを押し開いた。
グ「しかし、ネコがお風呂ってどうなのじゃ?」
マ「普通のネコなら嫌がるかもしれないけど、ボクは好きだけどなぁ。クロエに体洗ってもらうのけっこう好きだよ?」
グ「しかもお主……オスじゃろ?」
マ「まぁ、そーなるねぇ」
グ(……こ、これは混浴になるのじゃろうか……)




