第3話 研究を始めよう
静まり返った城の一室にある研究室は、どこかひんやりとした空気に包まれています。
床に描かれた複雑な魔法陣が淡く怪しげな光を放ち、石造りの壁には古い魔術式がまるで生き物のように青白く浮かび上がっていました。
SPがティーカップを置いたのを確認すると、キュラドは机の上に置かれた羊皮紙を無造作に広げ、淡々と話し始めました。
「まずは俺の魔術の仕組みを理解しろ。お前の力と比較するためだ」
迷いのない声に、SPは緊張で身を硬くしながら、小さく何度も頷くことしかできません。
「魔術とは『世界の基盤に干渉する技術』だ。世界は『形』と『流れ』で構成されている。形は物質、流れは魔力だ」
難解な言葉の羅列に、SPは眉をひそめて小首を傾げました。
「か、形と……流れ……?」
「そうだ。例えば、この城は『形』を固定し、『流れ』を循環させて維持している。……この城は俺の精神によって少しずつ内装が変わるが、それも『流れ』の影響だ」
説明を重ねられますが、SPにとっては理解不能な領域のお話でした。
必死に言葉を追いかけ、ついていこうと頭をフル回転させますが、一向にその内容が脳裏に染み込んできません。
「え、えっと……つまり……きゅ、キュラドの……き、気持ちで……部屋が……?」
「気持ちではない、精神。もっと本質的なものだ」
きっぱりと訂正されてしまい、SPはさらに深い混乱の渦へと突き落とされました。
(本質ってなに……?精神ってなに……?わたしの脳みそじゃ無理……)
キャパシティをオーバーし、目が泳いでいるSPの表情に、キュラドはようやく気がついたようです。
整った眉を少しだけひそめ、呆れたように吐息を漏らしました。
「……理解できていないな」
「ご、ごめんなさい……!」
キュラドは怒る風でもなく、ただ静かに羊皮紙を片付けました。そうして、SPの正面へとゆっくり歩みを進めて立ち塞がります。
「……まあ、無理もない。俺の魔術は高度なものだ。そう簡単に理解できるものではない」
その声は淡々としていましたが、決してSPを責め立てるような冷たさは含んでいませんでした。キュラドは真紅の双眸でじっとこちらを見下ろしてきます。
「ではエス。お前の力の仕組みを説明しろ」
「わ、我の……?」
「そうだ。お前の力は魔術とは違う。どうやって物を動かしている」
突然質問の矛先を向けられ、SPは必死になって自分の感覚を言葉にしようと模索しました。
しかし、彼女が持つその不思議な力は、これまで全て感覚だけで扱ってきたものです。いざ理論的に説明しようとしても、適切な言葉が見つかりません。
「え、えっと……あの……こう……ぎゅーってして……ぐぐぐって……お、押す、みたいな……」
「ふむ」
「でも、ひゅって……抜ける時もあって……ご、ごめんなさい、う、う、うまく……言えてない……」
SPの拙い説明を、キュラドは遮ることなくじっと聞き入っていました。
そこには馬鹿にするような色など微塵もなく、むしろ未知の生態を観察するかのように、興味深そうに目を細めています。
「……なるほど」
「わ、わかったの……?今ので……?」
不安げに見上げるSPに対し、キュラドは顎に手を当てて、一人で納得したように頷きました。
「どうやらお前の力は、精神によって世界の『形』に直接干渉しているようだ」
紡がれる言葉自体は、やはりSPにとって難解極まるものでした。
「か、形……?」
「俺の魔術は『流れ』を操作する。だが、お前は『形』そのものを押し動かしているようだ。理論は違うが、干渉の結果は似ている」
キュラドに指摘され、SPは思わず自分の手のひらをじっと見つめました。
「わ、我は……そんな……す、すごいこと……?」
「自覚がないだけだ。お前の力は俺にも再現不可能だろう」
SPは思わず小さく息を呑みました。
「だから興味深い。お前の力は魔術ではないのに、魔術に近い。この世界の理から外れている」
彼の言葉が一つ紡がれるたびに、自身の胸の奥がざわついていくのを感じます。まるで、自分が決して只者ではないのだと突きつけられているかのようでした。
「で、でも、わ、我は……普通の人間……」
「普通かどうかはこれから確かめる」
その瞬間、キュラドの瞳が妖しく、そして美しく真紅に輝きました。
部屋の空気が変わり、床に描かれた魔法陣の光が徐々に弱まっていきます。それと引き換えにするようにして、部屋の中央の空間にぽつんと一つの布袋が現れました。
中にはぎっしりと土のようなものが詰まっているらしく、見た目の大きさ自体は大したことはありませんが、漂う空気からは重量感が伝わってきます。
キュラドは腕を組み、真剣な視線でSPを見下ろしました。
「エス。まずは肉体の限界を測る。この袋を手で持ち上げろ」
「……こ、これ……すごく重そう……」
「せいぜい20kg程度だ。安心しろ、潰れたら助けてやる」
そんな物騒な言い方をされては、少しも安心などできるはずがありません。
SPはへっぴり腰になりながらも、震える手でその不気味な布袋に触れました。そして意を決し、体中の全ての筋力を振り絞って持ち上げようと試みます。
「ん……んんんん……っ!」
顔を真っ赤にして力を込めますが、床からわずか数センチほど浮いたところで、か弱い腕が早くも限界を迎えてしまいました。
「ふむ。肉体ではこの程度が限界か」
限界を迎えて袋を手放し、SPは激しく息を切らしながらその場にへなへなと座り込みました。
「はぁ……はぁ……ご、ごめんなさい……」
「いや、問題はない。データは取れた」
キュラドは感情の起伏を一切見せず、淡々と手元の手帳にペンを走らせてメモを取っていきます。その様子を見て、SPは少しだけ不満げに口を尖らせました。
「次は『力』を使って持ち上げろ」
間髪入れずに次の指示が飛びます。SPは小さく頷いて深呼吸をすると、今度は両手を胸の前で構えました。
「……ぎゅーってして……ぐぐぐって……押す……」
先ほどキュラドに説明した、あの擬音だらけの感覚を頭の中で必死にイメージしながら、全神経を眼前の布袋へと集中させます。すると、袋の結び目がかすかに上へと持ち上がり、
「っ……!」
次の瞬間、ずっしりと重かったはずの布袋が、重力を失ったかのようにふわりと宙へ浮き上がりました。
先ほど肉体で持ち上げた時よりも、ずっと高く、そして驚くほど安定した軌道を描いて静止しています。
「……ほう。見事だな」
その様子を目の当たりにしたキュラドの赤い瞳が、たちまち極上の玩具を見つけたかのような、深い興味の色で満たされていきました。
「では、次だ。重量を段階的に増やす。そのまま耐えろ」
「こ、こ、このまま……?」
「行くぞ、集中しろ。30kg」
キュラドが指先をわずかに動かした瞬間、浮遊する布袋に目に見えない負荷が加わりました。
ズシ……と空気が重くなり、SPの額にじわりと冷たい汗が滲み始めます。
「40kg」
ズシリ……。さらに増していく見えない重圧に、SPの呼吸が次第に荒くなっていきました。
「まだだな。50kg」
ズシ……。限界以上の重みがのしかかり、SPの体がぐらりとバランスを崩しそうになります。しかし、ここで負けるわけにはいかないと、慌てて体勢を立て直しました。
「もう少し。60kg」
ズン……。部屋全体の空気が押し潰されるかのような感覚が襲います。
「……う……くッ……」
耐えきれず、宙に浮いていた袋の高度がじわじわと下がり始めました。SPは眉間に深く皺を寄せ、それでも対象から決して目を離すことなく、必死の形相でその重みに耐え続けます。
キュラドはその様子を注意深く観察していましたが、ふと目を見開きました。
「……止めろ。ここまでだ」
言うが早いか、キュラドがSPの肩へと手を触れました。その瞬間に重い布袋がズンと鈍い音を立てて床へと落下します。
支えを失ったSPもまた、糸の切れた人形のように床へ倒れ込みました。
「ふむ、これ以上続けるとまた身体に異変が生じるだろう」
「ご、ごめ……なさ……」
「十分だ。通常であればお前のような体格で、60kgの物体を持ち上げられるはずがない。お前の力は異常だ」
息も絶え絶えになりながら謝るSPに対し、キュラドは淡々と告げました。その言葉が、自分を褒めているのか、それともバケモノだと怖がられているのか分からず、SPの頭の中は混乱で一杯になります。
「少し休め。息が整ったら次だ」
容赦のない言葉ではありましたが、キュラドの眼差しにはどこか労るような光が含まれているようにも見えました。
少しの休憩を挟んだ後、キュラドは自身の指先から、小さな金属球をいくつも宙へと浮かび上がらせました。
「次は『反応速度』だ。この金属球が落ちる前に止めろ」
金属球が不気味に静止する光景を前に、SPは喉をごくりと鳴らしました。
ゆっくりと瞬きを一つ。五感を研ぎ澄ませて集中します。
キュラドが容赦なく指をパチンと弾いた瞬間、浮遊していた金属球が一斉に重力に従って落下を始めました。
「……!」
ほとんど反射的でした。SPが本能のままに力を使うと、落下していた全ての金属球が、床に触れる直前でピタリと停止しました。
「……見事だ。魔術だとこうはいかない」
目の前で起きた奇跡に、キュラドは心底嬉しそうに手帳へとペンを走らせます。SPは少し照れくさそうに頬を染め、俯きました。
「次が最後だ」
キュラドは手帳を閉じると、SPの目の前へと一歩近づき、長い指先を彼女の額へとゆっくり近づけていきました。
「最後は、俺の魔力に触れた時の反応を見る。力は使わなくて良い。少し見ていろ」
至近距離に迫る彼の存在に、SPは思わず息を呑みます。
キュラドの指先から、目に見えない淡い魔力の波紋が、同心円状に優しく広がっていきました。まわりの空気がふわりと熱を帯びて揺れたような、今までに経験したことのない奇妙な感覚がSPを襲います。
「……っ……!」
突如として胸の奥が激しくざわつき、SPの意志とは無関係に、サイコキネシスが勝手に発動しました。部屋のあちこちに置かれていた小物が、ガタガタと音を立てて一斉に宙へと浮き上がっていきます。
「だ、だめ……!」
「止めるな、様子が見たい」
制御を失って浮き上がる周囲の光景に、SPは驚愕して辺りを見回しました。
「わ、我は……何も……!」
「心配するな。これは共鳴だ」
SPは顔を青くしたまま固まってしまいますが、キュラドは気にする素振りも見せません。
「お前の力は魔術ではない。だが、魔術に引き寄せられる。……非常に興味深い」
キュラドの低く響く声には、情熱がはっきりと宿っていました。
やがてキュラドが指を払う仕草を見せると、浮き上がった小物は次々と落下していきました。
*
全ての実験が終わりを告げ、SPは椅子に深く座り込んだまま、大きく肩で息をしていました。
キュラドは腕を組んだ姿勢のまま、どこか満足げな表情でSPを静かに見下ろしています。
「……今日はここまでだ。よく耐えたな、エス」
「う、うん……」
SPは疲れ切った体で弱々しく頷くのが精一杯でした。
キュラドはその短い返事を聞き流すようにしながら、再びSPの前へと立ち塞がりました。赤い瞳が、薄暗い部屋の中で妖しく光を放っています。
「それでは帰る前に……」
「な、なに……?」
嫌な予感がして、SPは身を硬くしました。キュラドは表情一つ変えずに、恐ろしい言葉を告げます。
「……血を分けろ」
「え……?」
あまりにも唐突な要求に、SPは一瞬耳を疑いました。思考の理解が全く追いつきません。
「俺は魔術を多く使った。回復のために血が必要だ」
まるで行きずりの他人に「水を一杯くれ」とでも頼むかのような、あまりにも自然で淡々とした口調でした。その態度に、SPはみるみるうちに顔を真っ赤にして固まってしまいます。
「え、えっと……あ、あの……きょ、今日は……その……」
どのように切り返せば良いのか分からず、言葉が上手く出てきません。脳裏には、以前の「突然のキス」の記憶が過り、心臓が激しく跳ね上がりました。
しかし、キュラドはそんなSPの動揺などこれっぽっちも気にする様子はなく、迷わずに手を伸ばしてきました。
「黙っていろ。すぐ終わる」
SPが慌てて「ま、待って……!」と言いかけた、まさにその瞬間でした。
キュラドの冷たい指先がSPの華奢な指先に触れたかと思うと、彼はそのまま躊躇うことなく軽く噛むようにして、ほんの少しだけ、その生温かい血を直接吸い上げたのです。
「っ……!」
鋭い牙による痛みは、ほとんどありませんでした。
ただ、指先に触れた彼の凍えるように冷たい唇と、滑らかな舌の感触だけが、一瞬の間に脳を直接揺さぶるような鮮烈さで駆け抜けていきます。あまりの衝撃に、SPの頭の中は一瞬で真っ白に染まりました。
キュラドは満足したようにすぐに唇を離すと、自身の口元を指先でそっと拭いながら、妖艶に微笑みました。
「……悪くない。前より澄んだ味だ」
その仕草と褒め言葉に、SPは今度こそ耳の先まで真っ赤に変色してしまいます。
「な、な、な……っ……!」
恥ずかしさと混乱のあまり、言葉になりません。キュラドはそんな風に湯気を立てて取り乱しているSPを見て、不思議そうに小さく首を傾げました。
「何をそんなに怯えている。お前の血の味を確認することも研究の一環だ」
SPは破裂しそうなほど脈打つ胸を両手で必死に押さえ、呼吸を整えようと試みます。
「ち、違う……お、怯えてるんじゃなくて……あ、あの、う……うううう……」
キュラドはそんなSPの手を軽く持ち上げ、先ほど牙を立てた指先の傷口をじっと確認しました。
「安心しろ。傷はすぐに塞がる」
「そ、そういう、問題じゃ……」
「人間はほんの小さな傷で死に至ることもあるからな。治すのは吸血鬼にとって当然の作法だ」
ぶっきらぼうに呟かれたその言葉に、SPは一瞬だけ、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じました。
(……心配……して、くれた……?)
しかし、キュラドはそれ以上の言葉を重ねることなく、すぐに無情にも背を向けてしまいました。
「帰っていいぞ、エス。明日も迎えに行く」
SPが胸を押さえたまま呆然と立ちすくんでいると、視界がぐにゃりと歪み、気がついた時にはいつの間にか、寮の前へと戻されていました。
*
自分の部屋の扉を開けた瞬間、鞄を床へと投げ捨ててまともに揃えようともせずに、そのままベッドへとうつ伏せに倒れ込みました。
(疲れた……もう……むり……)
肉体的な疲労は大したことないはずなのに、体はまるで鉛のように重たく感じられます。それなのに、頭だけは妙に冴え渡り、先ほど起きた出来事を反芻して元気に暴走を始めていました。
(なんなの……今日……!)
こみ上げる感情を抑えきれず、枕に顔を深く埋めたまま、足をバタつかせます。
(重いものとか持たされて……反応速度とか試されて……なんか……なんか……!)
シーツをぐしゃぐしゃにしながら、ベッドの上でジタバタと暴れました。
(こき使われた……!!)
理不尽な実験への怒りがムクムクと湧き上がってきます。しかし、怒りで満たされかけた心に、すぐさま全く別の感情がどっと押し寄せてきました。
(でも……キュラド……すごく真剣で……なんか……かっこよかった……)
自分の思考の行き先にハッと我に返り、恥ずかしさのあまり再び枕にこれでもかと顔を強く押し付けました。
「うあああああああああ……!」
近所迷惑にならないよう、声にならない悲鳴を布団の中に閉じ込めます。
SPは恐る恐る、自身の指先を目の前にかざして確認してみました。キュラドの言う通り、そこにはもう傷跡一つ残っていません。
それなのに、彼に触れられたあの冷たい感触だけは、今でも生々しいほどはっきりと指先に残り続けていました。
(血……吸われた……また……吸われた……)
思い出すだけで、顔が一気に沸騰したかのように熱くなります。
(しかも……答える前に……!勝手に……!勝手に……!!)
強引に奪われたことへの怒りが再燃してきました。気がつけば、怒りの遣り所を求めるように、手のひらで布団の表面をぽすぽすぽすと何度も叩きつけていました。
(ひどい……!ひどい人……!!じゃなくて吸血鬼!!わたしの気持ちとか……全然……!)
憤慨してみせますが、やはりすぐに、彼の見せた別の表情が脳裏をよぎって割り込んできます。
(……でも……わたしの力、見事だ、とか……言ってくれた……)
彼に認められたという事実が、胸の奥をじんわりと温かく満たしていきます。
(重いもの、持たされたときも……途中で、やめてくれたし……心配……してくれた……のかな……ちょっとだけ……)
感情が迷子になり、仰向けに寝返りを打ちました。
SPは所在なげに白い天井を見つめながら、今日一番の深い、深いため息を吐き出しました。
(……もう……わけわかんない……怒ってるのに……なんで……こんなに……)
そっと胸に手を当ててみます。衣服越しに伝わる心臓の鼓動は、実験が終わって随分経つというのに、未だに信じられないほどの早鐘を刻み続けていました。
「……まあ……いっか……」
無意識のうちにそんな言葉が口から漏れ、SPは自分の言葉に驚愕しました。
(い、いやよくない……よくないけど……でも……キュラド……かっこ、よかった……かも……)
火照った頬は、いくら時間が経っても冷める気配がありません。
「……って、違うから!」
SPは慌てて頭から布団をすっぽりと被り、夜が更けるまでひたすら悶え続けるのでした。
平日21時は「エスパー少女と吸血鬼」
土日は「VAMPIRE ON AIR !!」を更新していきます!
「このキャラのここが好き!」「ここが可愛い!」などありましたらぜひ教えてください!
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