第13話 秘密の相談会
キトハの案内で階段を降り、食堂へと入ると、制服姿の青年がテーブルについていました。手元には紅茶のカップ。青年はゆったりと紅茶を飲んでいましたが、三人が入ってくると顔を上げました。
「お兄様、おかえりなさい」
「ああ、ヒメ。ただいま。そちらがお友達か?」
青年はハナヒメの隣にいるSPへと視線を向けました。
「ええ、SPさんですわ。エスさんとお呼びしておりますの」
「は……初めまして……」
SPは少し緊張しながら、ぺこりと頭を下げました。
「エスさん。初めまして、兄のリンシンです」
リンシンは穏やかに微笑み、SPに向かって挨拶を返しました。
SPは改めて顔を上げ、目の前の青年を見つめます。どう接すればいいのか分からず、少しばかり背筋に力が入りました。
リンシンは挨拶を終えても、SPから視線を外しませんでした。じっと見つめられ、SPはどうしたらいいのか分からず、落ち着かなげに視線を揺らします。
「あ……あの、なにか……?」
その問いに答える代わりに、リンシンは静かに立ち上がりました。そしてSPのそばまで歩み寄ると、懐から取り出した紙の束を彼女に握らせます。
「……これは俺の連絡先だ。こっちがメインでこっちがサブだ。いつでもかけてくれて構わない」
「あっ……あり、がとう……ございます……?」
SPは戸惑いながら、受け取った紙に目を落としました。そこには電話番号がいくつも記されています。
「それからこれが使用人たちに繋がる番号で、こっちは家の電話で……」
リンシンは紙の束を指し示しながら、ひとつひとつ丁寧に説明を始めました。
(あっ、リンシンさんってかなり過保護なタイプのひとかも……!)
「さてエスさん、食事ができているらしい。よろしければ一緒にどうかな」
「は、はい……」
ハナヒメに手を引かれて、SPは食卓に着きました。
ほどなくして、コリョーがワゴンを押してやってきます。テーブルの上に料理を並べながら、SPに気さくに声をかけました。
「よ、SPちゃん。今日も説明いる?」
「こ、こんばんは……せっかくだし、お、おねがいします……」
「よし。今日の夕食はなんかいろいろ美味いもんが乗っかったワンプレート飯! 超絶うまい! 野菜がめちゃくちゃ入ったポトフもあるぜ!」
コリョーは皿を指し示しながら、いつもの調子で説明します。
「よ……よくわかりました」
SPは並べられた料理を見つめ、こくこくと頷きました。
三人が食事を進めていると、玄関の方から男性の声が聞こえてきました。
「ただいま戻りました〜」
「あら、先生がお帰りですわ」
ハナヒメがそちらに顔を向けます。ほどなくして、食堂の扉が開きました。
「みなさん、ただいま戻りました」
入ってきた男性に、ハナヒメやリンシン、使用人たちはそれぞれ「おかえりなさい」と返事をしました。
「ヒメ、そちらの方がお友達ですか?」
「ええ。エスさんですわ」
「こんばんは、ケンインです」
「え、SPです……!」
ケンインと名乗った男性は、優しそうな雰囲気の青年でした。ただ、どこかくたびれた様子で、目元にも疲れが見えます。
「……すみません。めちゃくちゃ眠いので一旦部屋で寝てきます」
ケンインは眉間を押さえながら、そのまま食堂を出ようとしました。
ところが、その直後。厨房からコリョーが飛び出してきます。
「ケンさん駄目だ! 飯食え飯! クロさんそいつ捕まえといて!」
「……仕方ないですね。ケンインさん、少しだけでも何か召し上がってください」
クロツカが静かにケンインの行く手を塞ぎます。
「うう……眠いのに……」
ケンインはしぶしぶ食卓につきました。
ケンインが席につくと、コリョーは食事を手早く運んできました。料理を並べ終えると、ケンインに向かって念を押します。
「残さず食えよ、ケンさん」
そう言い残し、コリョーは厨房へ戻っていきました。ケンインはまだ眠そうな顔をしながらも、しぶしぶポトフに手をつけます。そして、一口食べると、ふっと表情が和らぎました。
「おいしい……」
先ほどまでの疲れた様子が、ほんの少しだけ癒されたようでした。
SPはそんなケンインの様子を眺めながら、屋敷の人々へ視線を巡らせます。
(だんだん、このお屋敷の力関係が見えてきたな……。今度、キュラドに話そ……)
SPは食卓を囲む人々を見回しながら、ぽつりと呟きました。
「ヒメちゃんのおうち……に、賑やかで、いいな……」
食事の合間にもあちこちで会話が交わされ、誰かが話せば別の誰かが応じる。屋敷の人々が自然に言葉を交わす様子は、SPにとってどこか新鮮なものでした。
「あら、そう言っていただけて嬉しいですわ」
ハナヒメは嬉しそうに微笑みます。
すると、リンシンが静かに口を開きました。
「父も俺も、口数が多い方ではないから。彼らがうちに来てくれて随分賑やかになったよ」
「わ……う、うちの父も、無口です……っ」
「そうなのか。似ているね」
リンシンは穏やかに頷きます。
そのやり取りを聞いていたハナヒメは、ふと何かを思いついたように顔を上げました。
「…………はっ! そうですわ、こんなに大人がたくさんいるんですもの。みんなに聞けばいいんですわ!」
突然声を弾ませたハナヒメに、SPはもちろん、リンシンも目を向けます。
「……ヒメ? どうした?」
ハナヒメは勢いよくSPの方へ向き直ります。先ほどまでの穏やかな食事の空気とは打って変わり、その表情は真剣そのものでした。
「エスさん、私、秘密を一人で抱え込むなんてできませんわ! かといって全てお話するわけにもいきませんの! だからここにいる全員に共有してもよろしいですか!?」
ハナヒメがすごい剣幕で尋ねてきます。あまりの勢いに、SPは思わず背筋を伸ばしました。話の内容はまだよく分かりませんが、ハナヒメが相当切羽詰まっていることだけは伝わってきます。
「え、ええ……ぜ、全員は、ちょっと……。とりあえず、き、キトハさんに、共有、してみたら……?」
SPは周囲の人数をちらりと見てから、控えめに提案しました。
「そうさせていただきますわね!」
ハナヒメはすぐさま頷きました。SPはほっとしたように小さく息をつきます。どうやら、今夜は食事だけを楽しんで終わるというわけにはいかなさそうでした。
ハナヒメはスマホを取り出すと、慣れた手つきで画面を操作し始めました。彼女のフリック入力は驚くほど速く、画面には次々と文字が入力されていきます。SPが画面を覗き込む間もなく、ハナヒメは送信ボタンを押しました。
直後、少し離れた場所にいたキトハのスマホから受信音が鳴ります。
「失礼いたします」
キトハは一言断ってからスマホを取り出し、届いたメッセージを確認しました。
画面を見つめるキトハの表情は、最初こそ穏やかなものでした。しかし、読み進めるにつれて眉間にしわが寄り、徐々に苦々しいものへと変わっていきます。
「…………ああ、これは……」
「そうでしょう!? 私がどれほど困っているか!」
ハナヒメは待ってましたとばかりに身を乗り出しました。
キトハはスマホから目を上げ、少し考えるようにハナヒメを見ます。
「ですがヒメ、エスさんにも共有できる範囲でお話した方がよろしいと思いますよ。例えば……」
そう言いながら、今度はキトハがスマホを操作し始めました。
しばらくして送信ボタンを押すと、今度はハナヒメのスマホから受信音が鳴ります。ハナヒメはすぐに画面を確認し、内容を読むと、ぱっと顔を明るくしました。
「なるほど、そうですわね!」
二人はそれぞれスマホを手にしたまま、何やら納得した様子で頷き合っています。その様子を、SPだけでなく、食卓にいる他の全員も不思議そうに見守っていました。
目の前で会話が進んでいるはずなのに、何を話しているのかはさっぱり分かりません。SPに至っては、自分に関係する話をしているはずなのに、完全に蚊帳の外です。
そんな空気をよそに、厨房からコリョーが声をかけてきました。
「おーい、ヒメ。もう食器下げていいか?」
「お願いしますわ。あと食後の紅茶もお願いしますわね」
「任せとけ」
「こほん、それではエスさん。大事なお話ですわ」
ハナヒメは咳払いをひとつすると、改めてSPの方へ向き直りました。
「は、はいっ」
SPは背筋を伸ばし、ハナヒメの言葉を待ちました。
「まず、私に口止めをしているのはコイカミちゃんですわ」
「あ……や、やっぱり……? 今日、いなかったの……ぐ、偶然じゃ、ないんだね……」
SPは小さく息を呑みました。朝から姿を見せなかったコイカミのことが、心の片隅でずっと気になっていました。
「ええ。彼女はとある重大な秘密を抱えていて、その件で悩んでおりましたの。そしてそのお話を私にだけしてくれましたわ。『SPちゃんには言わないで』と念を押されて」
「それは……ど、どうして……?」
SPは不安げにハナヒメを見つめます。
「エスさんに嫌われたくないから、だそうですわ」
その答えに、SPは困惑したように首を傾げました。SPは答えを求めるように、今度はキトハの方へ視線を向けました。
「……僭越ながら、意見を申し上げます。私はこのお話をエスさんにお話ししても、エスさんがコイカミさんのことを嫌いになるかどうかは分かりません。ですが、エスさんがショックを受けるであろうことは予想できます」
キトハは落ち着いた口調でそう述べました。
「私も同感ですわ。ああ……どうしたら……」
ハナヒメは頭を抱えるようにして、深く悩み始めます。
「ヒメ、ここはひとつ。男性の意見を聞いてみては?」
キトハの提案に、ハナヒメはぱっと顔を上げました。
「それですわ! エスさん、この中から誰か一人を指名してくださいまし!」
「ええ……」
突然の指名に、SPは眉を寄せました。
周囲に視線を巡らせると、食卓にはリンシンやケンイン、使用人たちがいます。誰を選べばいいのか、そもそも何について意見を聞くのかも、まだよく分かっていません。
SPはしばらく迷った末、控えめに一人を指さしました。
「……じゃあ、あの、コリョーさん……」
「俺!? マジで!」
厨房の方から、予想外の指名に驚く声が返ってきました。
コリョーは厨房から出てくると、キトハの方へ歩み寄りました。キトハがスマホを差し出すと、コリョーはその画面を覗き込みます。
「ほー、これは……ああ〜……」
画面を読み進めるうちに、コリョーの表情が何とも言えないものに変わっていきます。
「……そうでしょう?」
「だなあ……」
二人は短いやり取りを交わし、そろって難しい顔をしました。コリョーはしばらく腕を組んで考えたあと、ようやく口を開きます。
「……これ、俺の責任重大じゃね……?」
「コリョーには荷が重かったようですね」
「なあキトハさん、ここら辺の話は言っていいやつ?」
「うーん、怪しいね」
「だよな? じゃあ俺から言えることなくね?」
コリョーは困ったように頭を掻きました。
「じゃあコリョーはこの人のことどう思うの?」
「え、最低だなって……」
「わかる……」
二人の間では何やら話が通じているようですが、SPには何ひとつ分かりません。困ったようにハナヒメの方に視線をやると、彼女も神妙な顔をして頷いていました。
結局、そうこうしているうちに話が広がっていき、SPが気付いたときにはもう既に、SPを除くこの場の全員に話が共有されていました。
しかし、話が伝わったところで状況が好転するわけではありませんでした。誰もが難しい顔をして考え込み、時折小さく唸るばかり。意見を交わしているようでいて、なかなか具体的な案は出てこないようでした。
SPはそんな一同の様子を眺めていましたが、とうとう痺れを切らしたように、控えめに手を上げました。
「あの……け、結局、これ、なんなんですか……?」
ようやく口を開いたSPに、ハナヒメがすぐさま反応します。
「エスさんお待ちになって。もう少し全員で知恵を絞ればいい案が浮かぶかもしれませんわ!」
「ま、待ってられないし、さすがに、き、き、気になるよ……!」
思わず声に力が入り、SPは勢い余って立ち上がってしまいました。その瞬間、食卓にいた全員の視線が一斉にSPへと集まります。
「あっ……」
自分が注目されていることに気づき、SPはハッとして椅子に座り直しました。気まずさをごまかすように、目の前の紅茶を一口飲みます。
カップを置くと、SPは改めてハナヒメの方を見ました。
「……と、とにかくね、ヒメちゃん。わ……我は、もう……覚悟できたよ」
「えっ? エスさん、何を……」
SPは一呼吸おき、ゆっくりと語り始めました。
「……聞くよ、お話。コイカミちゃんのこと、き、嫌いになったりなんか、しないよ……。それから、じ、自分が……その、傷付くかもしれないけど……でも、聞かなきゃいけない、気がする……」
「エスさん……」
「……それに、ね。今、こうやって、みんなが真剣に……わ、我のこと……考えてくれてるんだ……って思ったら……こ、怖いことなんか、ないよ」
SPは少しずつ言葉を紡ぎながら、食卓にいる一人ひとりへ視線を向けました。
先ほどまで何が何だか分からず、ただ話に置いていかれていたSPでしたが、今は違います。自分の知らないところで、これほど多くの人が自分のことを考えてくれていた。そのことが、何より心強く感じられました。
「よっ、SPちゃん! カッコいいじゃん!」
SPが決意を表明すると、コリョーが声をあげました。それにつられて、他の使用人たちからも次々と声が上がります。先ほどまで難しい顔で唸っていた食卓に、明るい空気が戻ってきました。
キトハはそんな様子を見届けると、ハナヒメの側へ歩み寄りました。
「……ヒメ、お話ししましょう。エスさんならきっと大丈夫です。我々も、寄り添う準備は万全ですから」
「キトハ……」
ハナヒメはキトハを見つめたあと、ゆっくりと周りを見渡しました。
笑みを浮かべて親指を立てるコリョー。穏やかに微笑むクロツカ。視線が合うと静かに頷くムイタ。胸に手をおき、目を潤ませているケンイン。それぞれの表情から、ハナヒメを支えようとする気持ちが伝わってきます。
最後にリンシンへ目を向けると、彼もまた、力強く頷いてくれました。
ハナヒメは一度目を閉じ、それからSPへと向き直ります。
「……分かりましたわ、エスさん。お話しいたします。どんなに傷付いても、私たちはあなたの味方ですわ」




