第12話 言えないこと
ついに金曜日。SPは放課後のお泊まり会を楽しみに、弾んだ足取りで登校しました。
(キュラドにもちゃんと伝えられてよかった……)
SPはキュラドの反応を思い出して、クスッと笑います。
(やっぱり、ちょっと機嫌悪そうにしてたな。本当に、わたしがいない日が寂しいのかな……)
そんなことを考えていると、自然と頬が緩みました。このことをコイカミに伝えたら、きっと喜ぶだろう。そう思ったSPは、校内で彼女の姿を探し始めました。
「あれ?」
しかし、いつもならすぐに見つかるはずのコイカミが、どこにもいません。教室の周りを見回してみても、その姿は見当たりませんでした。
「こ……コイカミちゃん……?」
おそるおそる呼んでみても、返事はありませんでした。
「エスさん、おはようございます。今日のお泊まり会、楽しみですわね」
ハナヒメが明るい笑顔で声をかけてきました。
「あ、ヒメちゃん……あの、コイカミちゃん、み、見てない……?」
SPは少しためらいながら尋ねました。
「いいえ、今日はまだ会っておりませんわ。何かご用事でも?」
「う、ううん……特にないんだけど……」
SPは曖昧に笑ってごまかしました。コイカミがどこにもいないのは少し気がかりでしたが、毎日必ず顔を合わせるわけでもありません。今日はたまたま、まだ会えていないだけなのかもしれません。SPはそう考えて、あまり深く気にしないことにしました。
*
授業が始まるまでにお手洗いに行っておこうと、ハナヒメは一人で廊下を歩いていました。角を曲がったところで、後ろから制服を引っ張られる感覚がありました。
「あら、コイカミちゃん……」
振り返ると、そこにはコイカミがいました。いつもの明るい笑顔はなく、頬を伝ってポロポロと涙がこぼれています。
「どうしましたの? エスさんが心配しておられましたわ」
ハナヒメが声をかけても、コイカミはすぐには答えません。ただ、涙をこぼしながら、ハナヒメの制服をつかんでいました。
「ううう……」
ハナヒメは困ったように眉を下げ、小さくため息をつきました。
「……もう、仕方ありませんわね」
そう言うと、ハナヒメはコイカミの様子を気遣うように、そっとそばに寄りました。
「授業はおサボりすればよろしいですわ。とことんお話を聞かせていただきますわね」
ハナヒメはコイカミの前にしゃがみ込み、目線を合わせました。
「ごめん……ヒメちゃん……」
「何がありましたの? いつも元気なコイカミちゃんが泣いてるなんて……」
ハナヒメは心配そうにコイカミの顔を覗き込みます。コイカミはしばらく俯いていましたが、やがて小さな声で口を開きました。
「……SPちゃんには、言わないでほしい」
「それは……どうして?」
コイカミは唇をきゅっと結び、涙を拭いました。
「あの子が聞いたら、きっと……わたしのこと、キライになっちゃう……」
そこまで言うと、コイカミは声を上げて泣き始めました。ハナヒメは驚いたように目を見開きましたが、すぐに表情を和らげました。
「大丈夫ですわよ。何があったか分からないけど、エスさんは簡単にコイカミちゃんのことを嫌いになったりなんかしませんわ」
そう言って、ハナヒメはコイカミが落ち着くまで、背中をさすってあげました。
*
放課後。
「じゃ、じゃあ、ヒメちゃん。一回、に、荷物整理、してから行くね」
「ええ、また近くで待ってますわ」
ハナヒメと別れたSPは、足早に寮へと戻りました。学校のカバンを置き、私服に着替えます。それから、あらかじめまとめておいたお泊まり用のカバンを手に取りました。
(キュラドに、挨拶だけでもしてこうかな……?)
ふと思い立ったSPは、鍵を取り出しました。鍵を使って城へ移動すると、いつものように研究室へと向かいます。
「キュラド……?」
そっと研究室の扉を開けると、椅子に座って天井を見上げているキュラドの姿がありました。
「エス、どうした。今日は泊まってくるのだろう?」
キュラドはSPに気付くと立ち上がり、扉の前まで歩いてきました。
「う、うん……。今から行くから、あの……キュラドに、あ、挨拶……」
「そうか……」
SPはキュラドの顔を見上げました。
「キュラド……な、なにか、あった……?」
「ん?」
「……なんか、い、いつもと、ち、違う気がして」
「…………」
キュラドは答えず、SPの顔を見つめていました。
「エス……少し、話がしたい」
「え?」
キュラドの表情は、いつになく真剣でした。
「……もう、行くのか?」
「あ、あの……ヒメちゃん、待たせてるし……。明日じゃ、だ、だめ?」
SPは手にしたカバンをぎゅっと握りました。目の前のキュラドを見ていると、すぐに背を向けていいのか迷ってしまいます。
「…………」
何かをグッとこらえるように、目を閉じるキュラド。彼の表情を、SPはじっと見つめていました。何か言いたそうにも見えましたが、キュラドはしばらく沈黙したままです。やがて、ゆっくりと目を開きました。
「分かった。明日、ここで待っている」
「うん……。い、行ってくるね」
SPは小さく頷きました。研究室を出る直前、もう一度だけキュラドを振り返ります。キュラドはその場に立ったまま、SPを見送っていました。
結局、何を話したかったのかは分からないままです。SPは後ろ髪を引かれるような気持ちを抱えながら、城を後にしました。
*
寮の前まで戻ると、ハナヒメが待っていました。SPの姿を見つけると、ハナヒメはいつものように笑顔を向けます。
二人が迎えに来ていた車に乗り込むと、車がゆっくりと走り出しました。窓の外に流れていく景色を眺めながら、SPは先ほどのキュラドの様子を思い返していました。話がしたいと言っていたのに、結局、何も聞けないまま別れてしまったことが、なんとなく気になりました。けれど、せっかくのハナヒメとのお泊まりです。今は余計なことを考えず、二人で過ごす時間を楽しもう。SPはそう気持ちを切り替え、隣に座るハナヒメへと顔を向けました。
しかし、ハナヒメは窓の外を眺めたまま、ぼんやりとしていました。いつもなら楽しそうに話しかけてくるはずなのに、今はどこか上の空です。
「……ヒメちゃん?」
「えっ……あ、ああ……。どうしました?」
ハナヒメははっとしたようにSPへ振り向きました。
「ど、どうしたの? なんか、ぼーっとしてた……」
「……い、いえ。なんでもありませんわ。ただ……一週間疲れたな、なんて、思っておりましたの」
「そう……?」
SPは少し不思議そうにハナヒメを見つめました。
「そ、それよりエスさん! シェフが今日も張り切って待っておりますわ。彼はスイーツだけでなく、料理も絶品なんですわよ」
ハナヒメはぱっと声を弾ませ、話題を変えるように身を乗り出しました。
「う、うん。楽しみ、だよ……」
SPも笑顔を返します。
車内には再び穏やかな空気が戻りました。けれど、窓の外へと視線を戻したハナヒメの横顔には、まだどこか考え込んでいるような気配が残っていました。
車が屋敷に着くと、前に訪れたときと同じように、玄関でムイタが出迎えてくれました。二人はムイタの案内に従い、屋敷の中を進んでいきます。
「お兄様や先生が帰ってくるまで、私のお部屋でお話ししましょう」
「そ、そう、だね」
ハナヒメは慣れた様子で廊下を歩き、やがて一つの扉の前で足を止めました。
「こちらが私の部屋ですわ!」
扉が開かれた瞬間、SPは思わず室内を見渡しました。
「わあ……ひ、広い……っ」
「適当にかけてくださいまし」
ハナヒメに促され、SPは部屋の中へ入ります。広々とした室内には、ハナヒメらしい上品な調度品が並んでいました。
ハナヒメはクローゼットを開けると、中から私服を取り出し、着替え始めました。SPも荷物をそばに置き、落ち着かない様子で部屋を見回しています。
「あの……ヒメちゃんの……お、お父さんと、お母さん……は? お、お泊まりするなら……あ、挨拶、とか……」
SPはふと思い出したように尋ねました。
「……父は忙しくて、今日も帰ってきませんの」
「そう、なんだ……」
それきり、会話が途切れました。SPは、ハナヒメが母親について何も話さなかったことに気づきました。少し気になりましたが、それ以上尋ねるのはためらわれます。
何か言いかけて、結局、言葉を引っ込めました。部屋の中に、静かな時間が流れます。
着替えを終えたハナヒメは、SPの向かいに腰を下ろしました。けれど、そこから会話が始まることはありませんでした。いつもなら、学校であったことや最近気になっていることなど、ハナヒメの方から次々と話題を振ってくるはずです。ところが今日は、ただぼんやりと視線を落としています。
SPはそんなハナヒメの様子を窺いながら、何か話しかけるきっかけを探していました。
「…………あ、あの、ヒメちゃん?」
「……えっ? あ、な、なんでしょう?」
ハナヒメは少し遅れて顔を上げました。まるで、声をかけられるまでSPが目の前にいることを忘れていたかのようです。
「な、なんか、変じゃない……?」
そこまで言って、SPはハッとしました。
今日一日、コイカミは姿を現しませんでした。いつもなら、どこからともなく現れて話しかけてくるのに。
それに、キュラドも。話がしたいと言っていたのに、結局その内容を聞くことはできませんでした。別れ際の、あの何かをこらえるような表情も気にかかっています。
そして、目の前のハナヒメもまた、いつもとは違う様子でした。
SPは二人の顔を思い浮かべ、それから改めてハナヒメを見つめました。
「…………な、なんか、今日……みんな、変だよ」
「みんな……って、どういうことですの?」
「わ……わかんないけど……でも、ヒメちゃん、ど、どうして、一時間目のとき……い、いなかったの……?」
「それは……」
ハナヒメの視線が、SPからわずかに逸れました。言葉を探すように口を開きかけては、何も言わずに閉じます。
やっぱり、何かを隠している。そう思ったSPが、さらに問いかけようと口を開いた、その瞬間でした。
コン、コン、コン。
部屋にノックの音が響きます。 二人の視線が、同時に扉へ向きました。
「ヒメ、若がお戻りですよ」
扉の向こうから聞こえてきたのは、キトハの声でした。
「……あ、お兄様が。すぐ行きますわ!」
結局、SPは聞きたいことを聞くことはできませんでした。
「エスさん、兄を紹介しますわ。一緒に来てくださいまし」
「……うん」
ハナヒメが立ち上がり、扉へ向かおうとします。
SPはすぐには立ち上がりませんでした。膝の上で両手を重ね、指先をぎゅっと握りしめています。その様子に気づいたハナヒメは、足を止めて振り返りました。
「エスさん……?」
「あ……い、行くよ……」
SPは慌てて笑顔を作り、立ち上がろうとします。
「……エスさん、ごめんなさい。私、あなたに黙っていることがありますわ」
「えっ」
SPの肩が小さく跳ねました。握りしめていた指に、さらに力がこもります。
「でも、意地悪で黙っているわけではありませんの。あなたがこのことを知ったら傷ついてしまうかも、と心配してくれた方がいますの。その方とのお約束で、言えませんのよ」
ハナヒメは申し訳なさそうにSPを見つめています。
「そう……なん、だ……」
SPは俯きました。膝の上で組んだ指を、ほどいてはまた握り直します。
自分が傷つくかもしれないから、言えない。その言葉が頭の中で何度も繰り返されます。いったい何を知ったら、自分は傷つくのだろう。誰が、何を心配しているのだろう。聞きたいことは増えるばかりでしたが、問いかける言葉が見つかりません。
「……また、後でゆっくりお話ししましょう。私、隠し事はあまり得意ではありませんの」
「う……うん……」
SPは小さく頷きました。
ハナヒメの言葉を聞いて、強張っていた表情がほんの少しだけ和らぎます。今すぐには話せなくても、後でちゃんと話してくれる。そう思うと、胸の奥にあった不安が少しだけ軽くなりました。膝の上で握りしめていた手も、ゆっくりとほどけていきます。
「ふふ、行きましょう」
ハナヒメはいつもの柔らかな笑顔を浮かべました。
SPも小さく笑みを返し、立ち上がります。まだ気になることはたくさんありましたが、ハナヒメが自分に隠し事をしたままにするつもりではないと分かっただけでも、少し安心できたのでした。




