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第11話 特別な意味

 翌日。SPが登校すると、教室に入ってすぐにコイカミに捕まりました。コイカミはSPの姿を見つけるなり、待ち構えていたかのように声をかけてきます。


「おはよSPちゃん! ヒメちゃんのおうちどうだった?」

「お、おは、おはよう。楽しかった、よ」


 SPは少しどもりながらも、昨日のことを思い出して答えました。


「例のうるさい執事さんは? いつも食べきれないほどのお弁当を持たせてくるシェフさんは?」

「あ、あのね、みんな、いいひとだったよ……! こ、紅茶も、スイーツも、とっても、お、美味しかった……!」

「ほほーう、それはよかったねえ。なんか幸せそうな顔してるし」

「えっ」


 思いがけない指摘に、SPは目を瞬かせました。


「うん?」


 コイカミは不思議そうに首を傾げています。

 SPは昨日のことを思い出しました。帰ってから、キュラドと二人で紅茶を飲んだこと。課題を手伝ってもらったこと。そして、これからも寝るまでの時間を一緒に過ごしていいと許してもらったこと。思い返すうちに、頬がじわじわと熱くなっていきます。

 コイカミはそんなSPの様子をじっと観察していました。


「……ふーん。ヒメちゃんのおうちから帰った後キュラド様といちゃいちゃしたんだ~」

「えっ! え、ええっ! ち、ちがう! いや、そ、そうじゃなくて……!」


 SPは慌てて否定しようとしましたが、言葉がうまくまとまりません。否定すればするほど、昨日のことを意識しているのが丸わかりになってしまいます。

 コイカミは呆れたように声を上げました。


「いや、わかりやすすぎ!!」


 コイカミはSPの反応を楽しむように、そっと身を寄せました。周囲に聞こえないよう、耳元で囁きます。


「こりゃあ、何があったか詳しく問い詰めなければいけませんなあ?」

「や、やめてよぉ……」


 SPは困ったように身を縮めましたが、コイカミは引き下がる気配もありません。


「だーめ。ほら、教えて?」


 ぐいぐいと迫られ、SPはとうとう押しに負けました。周囲を気にしながら、コイカミの耳元へそっと顔を寄せます。


「……ふんふん、ほほう。……えっそれは……! ええ~!」


 SPは話し終えると、恥ずかしそうにそっと離れました。

 コイカミは興奮を隠しきれない様子で、SPの顔をまじまじと見つめます。


「お、思ったより進展してる……! 今後も目が離せな~い!」

「……で、でもね。ヒメちゃんに……お、お泊り、誘われたこと、言いそびれちゃった……」


 赤らんだ頬はそのままに、SPは眉を下げて打ち明けました。


「なるほど、それはすぐ言った方がいいね。今日帰ったら絶対言いなよ?」

「う、うん……」


 SPは小さく頷きました。キュラドに伝える場面を想像すると、また少し肩に力が入りました。


「あーあ、こんなに好き同士なんだから、さっさとお互いの気持ち確認して付き合っちゃえばいいのになー!」

「えっ、い、いや……」


 突然の言葉に、SPは再び頬を赤くして視線を泳がせます。


「じれったいったらありゃしないよ。キュラド様の気持ちまだ分かんないわけ?」

「……わ、わからないんじゃなくて、なんていうか……そう、だったらいいなって、お、思ってるけど……」


 SPは両手をぎゅっと握り合わせました。キュラドが自分と同じ気持ちだったら、どんなに嬉しいだろう。けれど、期待して、もし違っていたらと思うと、簡単には信じられません。

 そんなSPを見て、コイカミは何かを思いついたように、にやりと笑いました。


「いいこと教えてあげる。夜中、わたしのところに来てるキュラド様がどんなお話してるか」

「えっ」


 SPは思わず顔を上げました。

 コイカミはSPの反応をうかがうように、意味ありげな笑みを浮かべながら、少しもったいぶるように間を置きます。


「あれは……そう、SPちゃんが泣きながら帰ってった日の夜……」


 *


 深夜。校舎の中はすっかり静まり返り、窓の外には夜の闇が広がっていました。そんな中、コイカミの前に、キュラドが静かに姿を現しました。


「あ、キュラド様! ねえ、SPちゃん大丈夫だった!? わたし心配で……」


 コイカミは矢継ぎ早に尋ねました。しかし、キュラドから返ってきたのは、予想もしない一言でした。


「……眠い」

「は?」


 あまりにも簡潔で、話の流れにもそぐわない返答でした。コイカミは思わず聞き返し、キュラドの顔をまじまじと見つめます。

 キュラドはそんな視線を気にする様子もなく、わずかに目を伏せました。普段なら決して見せないような疲労が、その表情にははっきりと浮かんでいます。

 やがて、キュラドは淡々と話し始めました。


「日が昇り、ようやく眠りについてしばらくした頃だった。妙な胸騒ぎがあった。眠っている場合ではない、そんな気がしたんだ」

「う、うん……」


 コイカミは相槌を打ちながら、キュラドの言葉に耳を傾けました。


「……様子を見に行ってみたら、一人で絶望するエスがいるではないか。案の定だ。全く、愚かな奴だ。俺の忠告も聞かずに……」


 コイカミは黙って聞きながら、キュラドの表情を観察していました。呆れたような口ぶりとは裏腹に、キュラドの表情は慈しみに満ちている気がしました。

 コイカミはその話を聞き終えると、しばらく考えるように黙り込みました。そして、ふと気づいたように口を開きます。


「でもさ、眠いってことは、そのままずーっと一日中一緒にいてあげたんでしょ? 城に連れ帰って、泣き止むまで……」


 キュラドは一瞬だけ黙りました。その沈黙が、コイカミの推測を肯定しているように思えます。


「まあな。研究対象が使い物にならなくなっては困るからな」


 コイカミは口元に手を当て、にやりと笑いました。


「……愛だねえ。キュラド様、本当にSPちゃんのこと大好きなんだ」

「それは、違う……」


 キュラドはすぐさま否定しました。けれど、その声にはいつものような鋭さがありませんでした。言い切ったはずなのに、どこか迷いが混じっています。コイカミはその変化を聞き逃しませんでした。


「違わないって。好きじゃない相手のために、寝る時間を削ってまで一緒にいてあげたりしないよ」

「……」


 キュラドは黙り込みました。反論しようとしたのか、口元がわずかに動きます。しかし、結局は何も言葉にできないまま、視線を逸らしました。


 *


「……っていうことがあったんだよね」


 コイカミは回想を終えると、SPの顔を覗き込みました。

 SPはすぐには返事をしませんでした。あの日のことが、少しずつ頭の中によみがえってきます。

 泣いて、何も考えられなくなっていた自分。そんな自分のもとへ、キュラドが来てくれたこと。城に連れ帰ってくれて、そばにいてくれたこと。力の暴走を止める方法を考えてくれたこと。あのときは、ただ嬉しくて、安心して。それだけで精一杯でした。


「キュラド……あ、あの日、お昼なのに……来てくれたんだ……。わ、我のこと、慰めてくれて、そ、それで……」


 思い返すうちに、SPの頬がほんのりと赤くなっていきます。


「好きじゃなかったらそんなことしなくない!?」


 コイカミは身を乗り出し、力強く言いました。


「で、でも……キュラド、違うって、い、言ってたんじゃ……」


 SPは期待を抑えるように、視線を落としました。


「あーもううるさいうるさい! なんで両想いなのにお互いこんな感じなワケ!? キュラド様もキュラド様で『恋とはなんだ?』とか意味わかんないこと言うし! じれったすぎて体がかゆくなっちゃうよ!」


 コイカミは頭を抱え、もどかしさをぶちまけました。二人の様子を間近で見てきた彼女にとって、どうにも納得のいかない状況のようです。


「え、なに……? こ、恋とは……?」


 SPは目を丸くしました。キュラドの口からそんな言葉が出てくるとは、思ってもいなかったようです。


「だから、あのアホ吸血鬼、恋を知らないんだってば!」

「え、え……ええ……?」


 コイカミの断言に、SPはますます混乱した様子で瞬きを繰り返しました。


「はあ、もういいや。キュラド様にはじっくり『恋とは何か』って教えておくから……。じゃ、頑張ってね」


 コイカミは静かに姿を消しました。

 コイカミが消えていった虚空を見つめながら、SPは、まだ衝撃を受け止めきれずにいました。


 *


 昼休み。SPとハナヒメが二人で昼食をとる光景は、すっかりいつものものになっていました。

 向かい合って座る中、SPはどこか落ち着かない様子で手をぎゅっと握りました。何度か口を開きかけてはためらい、やがて意を決したように顔を上げます。


「あ……あの、ヒメちゃん。お、おと、お泊まり会の、話……なんだけど……」

「ええ。ご予定はいかがでした?」


 ハナヒメは穏やかに微笑み、SPの言葉を待ちました。

 ところが、いざ話そうとすると、SPの口からは思うように言葉が出てきません。握った手にさらに力がこもり、視線が落ち着かなく動きます。

 しばらく迷った末、SPはポケットに入れていたメモを取り出しました。そこに書いておいた言葉を、ひとつずつ確かめながら読み上げます。


「き、昨日言ってた、お友達……。さ、最近は毎日……放課後に会ってて……」

「まあ……」


 ハナヒメの目が、興味深そうに輝きました。


「だから、き、金曜は、お泊まりしてくるねって、そのひとにちゃんと……お話したいなって、思ってるの。それまで、待ってて……くれる……?」


 SPはメモを握ったまま、恐る恐るハナヒメの顔を窺いました。


「ええ! もちろんですわ! そんなことよりそのお方とのお話をもっと詳しく教えてくださいまし! あ、それこそお泊まりの時に根掘り葉掘り聞かせていただきますわよ!」


 待っていたとばかりに、ハナヒメは身を乗り出しました。先ほどまでの穏やかな微笑みはそのままに、目だけがキラキラと輝いています。


「わ……わかったよぉ……」


 SPは困ったように肩を縮めました。お泊まり会の約束は無事にできそうです。ただ、その夜に待ち受けているであろう質問の数々を思うと、今から少しばかり気が重くなるのでした。


 *


 深夜、キュラドは学園の屋上に姿を現していました。夜風が吹き抜ける屋上で、コイカミは彼の顔を覗き込みました。いつもと比べて、どこか不機嫌そうに見えます。


「……エスめ。週末は友人の泊まりに行くと言っていた」

「あ、ちゃんと言えたんだSPちゃん。良かったよね、いいお友達ができてさ」

「フン……」


 キュラドは短く鼻を鳴らしました。コイカミはその反応を見逃さず、にやりと笑います。


「……ねえ、分かった? SPちゃんが自分を置いてどこかに行っちゃうの、寂しいでしょ? 会いにきてくれると嬉しいでしょ? それが恋なんだよ」


 キュラドはすぐには答えませんでした。しばらく考え込むように黙ったあと、静かに口を開きます。


「……恋という言葉の定義は理解した。だが、その理論で言うならば不可解なことがある」

「え?」

「『相手のことをもっと知りたい』『会いたい』『触れたい』……それは相手に対して好意があるからだ。これは友情や親愛と何が違う?」


 キュラドの問いに、コイカミは一瞬言葉を詰まらせました。勢いよく説明していたものの、いざ理屈を求められると、簡単には答えられないようです。


「違うよ〜……でも、うーん……なんて言ったらいいのかな……いざ言葉にすると難しいよね……」


 コイカミは腕を組み、うんうんと唸りながら考え込みました。


「うーん……そうだなあ、人間の場合、相手に恋をして、お付き合いをして……結婚して子どもを作るのが生物としてのゴールなのかなあ……?」


 コイカミはなんとか説明しようと、思いついたことを口にしました。しかし、キュラドは納得するどころか、あっさりと切り返します。


「だったら、俺には関係のない概念だ。何故ならば、俺には生殖機能がないからだ」

「い、いや……そういう話されても困るって……。なんか違うなあ……もっとこう、相手と手を繋ぎたいとか抱きしめたいとか、キスしたい……とか……そういう感じ……」


 説明しながら、コイカミの声が次第に小さくなっていきました。自分で口にしておいて、なんだか妙に気恥ずかしくなったようです。


「……キス?」


 キュラドはしばらく何かを考え込みました。

 コイカミはそんなキュラドの横顔をしばらく見つめ、ため息をつきました。


「分かった、あとで図書室行こ。恋愛小説の一つくらい読んでみたら、キュラド様でも理解できるかも……」

「女神」


 不意に名前を呼ばれ、コイカミはキュラドへ顔を向けました。その瞬間、目の前にキュラドの顔が迫っていました。あまりに突然のことで、コイカミが反応する間もありません。キュラドは何を言うでもなく、そのまま彼女の唇に自分の唇を重ねました。

 しばらく固まっていたコイカミは、はっと我に返ると、慌てて距離を取りました。


「…………ちょ、なにし、てんの……」

「キスくらい何だと言うのだ。お前に対してもできる」


 キュラドは平然と答えました。


「…………」


 コイカミは口を開きかけたまま、何も言えずにいました。先ほどまで恋について説明していたはずなのに、まさか実演されるとは思ってもいなかったのでしょう。

 やがて、コイカミは呆然としたまま、黙って姿を消しました。

 夜風の吹く屋上には、キュラドだけが残されていました。

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