第89話 最後のデスビーム
静かだった。
あれほど激しく揺れていた大地も、空を覆っていた黒雲も、世界の外側へ続いていた亀裂も、すべて消えている。古代都市を包んでいた異様な魔力もすでに感じられず、長い年月の間、禁域を覆っていた重苦しい空気さえ嘘のように薄れていた。
零司は地面に座ったまま、目の前で膝をついているアーク・ゼロを見上げていた。
「……任務、完了。」
先ほど聞こえた声が頭に残っている。
その言葉の後、アーク・ゼロは一切動かなくなった。
「アーク・ゼロ。」
零司が立ち上がり、巨大な身体へ近付く。
返事はない。
黒い装甲へ手を触れると、冷たい感触が返ってくる。以前なら触れることすら危険だった存在なのに、今ではただ静かに佇む巨大な兵器にしか見えない。
「起きてる?」
当然、返事はない。
「……寝てるだけかもしれないな。」
零司が苦笑すると、後ろからガルドの声が聞こえた。
「そうだといいな。」
ガルドも近付いてくる。
その表情には疲労が残っていたが、それ以上に安堵が浮かんでいた。
「しかし、本当に終わったのか?」
「たぶん。」
「またそれか。」
ガルドが呆れたように笑う。
「でも。」
零司は空を見上げる。
「今度は、本当に終わった気がする。」
セリナたちも集まってきた。
全員が無事だった。
怪我はある。
疲労も酷い。
それでも生きている。
それだけで十分だった。
ルシアだけは、少し離れた場所に立っていた。
彼は崩れた古代都市を見回している。
「これで……。」
「アストリアは、本当に終わったんだな。」
零司はルシアを見る。
「悲しい?」
「もちろんだ。」
ルシアは答えた。
「私が知っているアストリアは、もう存在しない。」
「研究者も。」
「街も。」
「記録も。」
「ほとんど失われた。」
しばらく沈黙した後、ルシアは微笑む。
「だが。」
「最後に残ったものもある。」
「何?」
ルシアはアーク・ゼロを見る。
「こいつだ。」
「そして、お前だ。」
零司は首を傾げる。
「僕?」
「アストリアが最後に残した答えだ。」
「デスビームを持つ者を恐れるのではなく、その者自身に選択させる。」
「それが、エルドの残した答えだったんだろう。」
零司は少し考える。
「……難しいな。」
「何が?」
「僕がそんな大層な存在だって言われても、いまいち実感がない。」
ボルグが吹き出した。
「そりゃそうだろ。」
「世界を救った本人が、一番実感なさそうだからな。」
「だって。」
零司は右手を見る。
「結局、僕がやったのって、指から光を出しただけだし。」
一瞬の沈黙。
ガルドが頭を抱えた。
「……お前は本当に、それで済ませるつもりなのか。」
セリナも苦笑する。
「世界の外側まで消しかけた人の台詞とは思えませんね。」
「いや、でも本当にそうじゃない?」
「まあ……。」
セリナは困ったように笑った。
その時だった。
「……零司。」
ルシアが呼ぶ。
「ん?」
「一つだけ確認したい。」
「何?」
ルシアは零司の右手を見る。
「最後のデスビーム。」
「どうしたの?」
「お前は、あの力を完全に理解したのか?」
零司は少し考えた。
そして首を横に振った。
「全然。」
「全然?」
「うん。」
「最初からそうだった。」
「僕はデスビームが何なのか知らない。」
「どうして使えるのかも。」
「どこから来たのかも分からない。」
「でも。」
零司は右手を握る。
「一つだけ分かった。」
「何だ?」
「僕がどう使うかは、僕が決められる。」
ルシアは静かに頷いた。
「それでいい。」
「力の正体を全て理解する必要なんてない。」
「使う人間が、それをどう使うか。」
「結局はそこなんだろうな。」
その言葉を最後に、禁域には再び静寂が戻った。
長い戦いは終わった。
そして翌朝。
零司たちは禁域を後にする準備を始めた。
だが、一つ問題があった。
「……どうやって帰る?」
零司が地図を見る。
地図には王都までの距離が記されている。
かなり遠い。
しかも馬車は、アーク・ゼロとの戦いで半壊していた。
「歩くしかないだろう。」
ガルドが言う。
「何日かかる?」
「二週間くらいか。」
「二週間……。」
零司は肩を落とした。
「それは嫌だな。」
「お前、世界を救った直後にそれを言うか?」
「だって疲れてるし。」
ボルグが大笑いする。
そんなやり取りをしながら、零司たちは帰路についた。
しかし。
出発直前。
零司は一度だけ振り返った。
そこには、アーク・ゼロが立っている。
「お前はどうする?」
零司が尋ねる。
アーク・ゼロは答えない。
零司は少しだけ寂しそうに笑った。
「じゃあな。」
そのまま歩き出す。
数歩進んだところで。
「……零司。」
後ろから声がした。
零司が振り返る。
アーク・ゼロの胸にある白銀のコアが、淡く輝いていた。
【保護対象】
【帰還を推奨】
「帰還?」
【肯定】
「一緒に来る?」
少しの沈黙。
【肯定】
零司は目を丸くした。
「……でかすぎない?」
アーク・ゼロの巨体を見上げる。
身長だけでも十メートル近い。
これが街を歩けば大騒ぎになる。
ガルドが笑う。
「確かに。」
ボルグも肩を震わせる。
「王都に入った瞬間、兵士が全員腰抜かすぞ。」
セリナは困ったように笑った。
「でも、今さら置いていくのもかわいそうですよ。」
零司はアーク・ゼロを見る。
そして。
「じゃあ、一緒に行こうか。」
【肯定】
その返事と同時に、アーク・ゼロの身体が淡い光に包まれた。
巨大な装甲が少しずつ縮んでいく。
十メートル。
五メートル。
二メートル。
最後には、零司の隣に立てるほどの大きさになった。
零司は目を丸くする。
「……小さくなれるの?」
【肯定】
「最初からやってよ。」
【必要性を認識できませんでした】
「……。」
零司は無言になった。
ガルドたちが笑い出す。
こうして。
世界の外側を巡る戦いを終えた零司たちは、王都へ向けて歩き始めた。
その背後には、かつて世界を守るために造られた古代兵器。
その隣には、世界を滅ぼすこともできる力を持った青年。
しかし二人の間にあるのは、奇妙なほど穏やかな空気だった。
そして零司は知らなかった。
この旅が終われば、自分を待っているものが何なのか。
王都での騒動。
世界中へ広がった噂。
そして、自分の名前が「英雄」として知られていくことを。
本人が最も望んでいない形で。
零司は青空を見上げた。
「……帰ったら、普通の生活に戻りたいな。」
ガルドが笑う。
「無理だろうな。」
「何で?」
「世界を救った英雄が普通に暮らせると思うか?」
「……。」
零司は少し考える。
「じゃあ。」
「逃げようかな。」
「おい。」
その瞬間。
全員の笑い声が禁域の外へ響いた。
長かった旅は、ようやく終わった。
だが。
零司の冒険そのものは、まだ終わっていなかった。




