第90話 普通の生活
王都へ続く街道を、零司たちは歩いていた。
禁域を出てから三日。
あれほど長く感じた道のりも、仲間とくだらない話をしながら歩いていると意外なほど早く感じる。途中で立ち寄った村では食事を分けてもらい、宿では久しぶりにまともなベッドで眠った。世界の外側だの、第八封印だの、古代文明だのといった話をしていた数日前が嘘のようだった。
零司は荷物を背負いながら、大きく伸びをする。
「やっぱり、平和っていいな。」
「三日しか経っていないけどな。」
ガルドが笑う。
「それでも十分だよ。」
零司は空を見上げた。
青い空。
白い雲。
鳥の鳴き声。
魔物の気配は多少あるものの、禁域にいた時のような異常な魔力は感じられない。
それだけで、妙に安心した。
「王都に戻ったら何する?」
セリナが尋ねる。
「寝る。」
即答だった。
「それ以外は?」
「食べる。」
「……。」
「あと寝る。」
セリナが呆れたように笑う。
「せっかく世界を救ったのに、やりたいことがそれだけなんですか?」
「世界を救うのって疲れるんだよ。」
「普通はそんな経験しません。」
「じゃあ僕は普通じゃないってこと?」
「そういう意味じゃありません。」
そんな会話をしていると、前方に王都の城壁が見えてきた。
巨大な城門。
その前には多くの人々が行き交っている。
零司は少しだけ足を止めた。
「……帰ってきた。」
ガルドが頷く。
「ああ。」
だが。
王都の様子が少しおかしい。
城門付近に、かなりの数の兵士が集まっている。
しかもこちらを見ている。
「……何だろう。」
零司が呟く。
兵士たちが一斉にこちらへ向かってきた。
ガルドが剣へ手を伸ばす。
「待て。」
「敵意はない。」
ルシアが言う。
兵士たちは零司たちの前まで来ると、一斉に敬礼した。
「黒崎零司様!」
「……はい?」
零司が固まる。
先頭の兵士が大声で告げる。
「王命により、お迎えに上がりました!」
「え?」
「あなたは我が国を救った英雄として――。」
「ちょっと待って。」
零司が手を上げる。
「英雄?」
「はい!」
「誰が?」
兵士は不思議そうな顔をする。
「あなたです。」
「……。」
零司は後ろを振り返る。
ガルドたちは全員、視線を逸らした。
「お前ら。」
「何も言ってないぞ。」
ガルドが即答する。
「俺たちも噂が広まったことを知ったのは昨日だ。」
「そういうことです。」
セリナも苦笑する。
「禁域から戻ってくる途中、いくつもの村で噂になっていましたから。」
「どうしてそんなに早いの?」
「それだけ世界が危険な状態だったということでしょう。」
ルシアが答える。
零司は頭を抱えた。
「英雄とか……面倒くさいな。」
その瞬間。
王都の城門の向こうから、大勢の人々の歓声が聞こえてきた。
「零司様だ!」
「英雄が帰ってきたぞ!」
「世界を救った英雄だ!」
「デスビームの英雄!」
最後の言葉に、零司の顔が引きつる。
「……それまで広まってるの?」
ガルドが肩を震わせる。
「そりゃそうだろ。」
「お前、名前より技の方が有名になってるぞ。」
「最悪だ……。」
零司は本気で嫌そうな顔をした。
しかし。
歓声を上げている人々の顔を見る。
誰もが笑っている。
子供たちが手を振っている。
老人たちも嬉しそうにこちらを見ている。
禁域で失われかけたもの。
ノクスが壊そうとしたもの。
それは、こういう何気ない日常だったのかもしれない。
零司は小さく笑った。
「……まあ、いいか。」
城門をくぐる。
その瞬間、さらに大きな歓声が上がった。
王都の広場には多くの人が集まっていた。
中央には大きな舞台まで用意されている。
「……。」
零司が固まる。
「何これ。」
ガルドが笑う。
「歓迎式だろうな。」
「聞いてない。」
「俺も聞いてない。」
「逃げようかな。」
「もう遅い。」
兵士たちに囲まれている。
逃げ道はない。
仕方なく舞台へ上がる。
王都の代表者が前へ出た。
「黒崎零司殿。」
「この度の功績を称え――。」
長い話が始まった。
零司はぼんやり聞いていた。
魔王軍を撃退したこと。
禁域の暴走を止めたこと。
古代兵器アーク・ゼロを制御したこと。
そして、第八封印の危機を防いだこと。
次々と語られる。
だが。
本人としては、いまいち実感がない。
「……本当に僕がやったのかな。」
小さく呟く。
隣に立っていたアーク・ゼロが答えた。
【肯定】
「即答なんだ。」
【記録済み】
「そう。」
零司は笑った。
その時。
王都の代表者が一枚の勲章を差し出した。
「これを。」
「英雄の証として――。」
零司はそれを受け取る。
思ったより軽かった。
「……ありがとうございます。」
それだけ言った。
大歓声が上がる。
その日の夜。
零司は宿の部屋で一人、窓から王都の夜景を眺めていた。
勲章は机の上に置いてある。
金貨も大量に貰った。
食料も。
装備も。
王都での滞在場所まで用意された。
これだけあれば、しばらく困ることはない。
「……普通の生活か。」
零司は呟いた。
世界を救った。
古代文明の秘密を知った。
世界の外側とも戦った。
それでも。
零司が欲しいものは、案外簡単だった。
美味しいものを食べて。
ゆっくり寝て。
たまに仲間と遊んで。
面倒なことがあれば、デスビームで終わらせる。
「うん。」
「やっぱりこれでいいや。」
その時。
コンコン。
扉が鳴った。
「零司。」
セリナの声だ。
「起きてます?」
「起きてるよ。」
「明日の予定なんですけど――。」
零司は苦笑する。
どうやら、普通の生活というものは、そう簡単には戻ってこないらしい。
翌朝。
零司たちは王都を歩いていた。
街はいつも通り賑わっている。
商人が声を上げ。
子供たちが走り。
冒険者たちが酒場へ向かう。
誰もが、それぞれの日常を生きている。
零司はその光景を眺めながら歩く。
「平和だな。」
ガルドが頷く。
「ああ。」
その時。
小さな子供が零司の前に走ってきた。
「お兄ちゃん!」
「ん?」
「デスビーム見せて!」
零司の顔が引きつる。
「……嫌だ。」
「えー!」
「危ないから。」
「じゃあ、ちょっとだけ!」
「絶対嫌。」
子供が残念そうに去っていく。
セリナが笑う。
「人気者ですね。」
「こんなの人気者じゃない。」
零司は頭を抱える。
「技だけ有名になってるじゃん。」
ガルドが笑う。
「いいじゃないか。」
「英雄なんだから。」
「英雄は普通の生活できないんでしょ?」
「まあな。」
零司は空を見上げる。
そして。
ふと指先を見る。
そこに、ほんの小さな光が灯った。
デスビーム。
零司は少しだけ笑う。
「……まあ。」
「これがあるなら。」
「どんな面倒なことが起きても、何とかなるか。」
光を消す。
そして仲間たちと歩き出す。
その背中を、アーク・ゼロが静かに追っていく。
世界は今日も回っている。
大きな戦いが終わっても。
英雄が生まれても。
朝になれば腹は減る。
夜になれば眠くなる。
そんな当たり前の日常が、何よりも大切なのだと零司は知った。
そして。
黒崎零司の物語は、ここで一度幕を閉じる。
ただし。
彼が指先に宿した光が消えることはない。
もしまた世界が彼を必要とする日が来たのなら。
零司はきっと、いつものように言うだろう。
「……面倒だな。」
そして。
「殺しますよ。」
金色の光が、静かに灯る。
――俺だけデスビーム。
――剣も魔法もいらないので、世界最強です。




