第86話 第八封印
地面の奥から響いてくる低い振動は、少しずつ大きくなっていた。
ゴゴゴゴゴ……。
それは地震とは違った。大地そのものが揺れているのではない。もっと深い場所で、巨大な何かが動いている。そのたびに古代都市の石壁が震え、崩れかけていた建物から砂埃が落ちてくる。
零司たちは誰一人として動かなかった。
視線の先には、地下へ続く巨大な扉がある。
扉はゆっくりと左右へ開いていた。
その奥には光がない。
ただ、底の見えない暗闇が広がっている。
「……第八封印って何?」
零司が尋ねる。
しかし、ルシアはすぐには答えなかった。
顔から血の気が引いている。
先ほどまで古代文明の研究者として冷静に説明していた男とは思えないほど、その表情には明らかな恐怖が浮かんでいた。
「ルシア?」
「……聞いたことがある。」
ようやく口を開いた。
「だが、存在するとは思っていなかった。」
ガルドが剣を構える。
「何が封印されている?」
「分からない。」
「また分からないか。」
ボルグが苛立ったように言う。
「さっきからそればっかりじゃねぇか。」
「仕方ないだろう!」
ルシアが初めて声を荒らげた。
「第八封印については、アストリアでも最高機密だったんだ!」
その言葉に、全員が黙る。
ルシアは息を整えながら続けた。
「アストリアには、七つの禁忌があった。」
「七つ?」
セリナが聞き返す。
「ああ。」
「世界の法則を壊す可能性がある研究を、七つに分類したんだ。」
ルシアは地面へしゃがみ込み、崩れた石片を拾った。
その表面には古代文字が刻まれている。
「第一禁忌は、魂の複製。」
「第二は、時間への干渉。」
「第三は、空間の永久固定。」
「第四は、生命の人工創造。」
「第五は、記憶の改変。」
「第六は、世界そのものの再構築。」
そして。
「第七が、存在消去。」
零司は無意識に自分の右手を見る。
「……デスビーム。」
ルシアは頷いた。
「そうだ。」
「デスビームは、アストリアが研究していた第七禁忌に最も近い。」
「でも。」
零司は地下の扉を見る。
「第八は?」
ルシアは答えなかった。
代わりに、アーク・ゼロがゆっくりと立ち上がった。
巨大な身体が軋む。
先ほどまで赤く輝いていた瞳は、今では青白い光へ変わっていた。
【第二命令を継続】
【保護対象の安全を確認】
零司の前へ移動する。
まるで盾になるように。
「お前も知ってるのか?」
零司が尋ねる。
アーク・ゼロは数秒沈黙した。
【記録情報】
【第八封印に関する情報】
【閲覧権限――拒否】
「拒否?」
ルシアが顔を上げる。
「あり得ない。」
「アーク・ゼロは最高機密までアクセスできるはずだ。」
【警告】
【閲覧権限を要求】
【拒否】
【理由――対象保護】
ルシアの表情が変わる。
「……対象保護?」
零司も眉をひそめた。
「僕を守るために、教えられないってこと?」
【肯定】
「じゃあ、解除する。」
零司が一歩前へ出る。
【拒否】
「なんで?」
【対象の生命に危険が及ぶ可能性】
「それでも知りたい。」
【拒否】
「僕が決める。」
【……】
アーク・ゼロが沈黙した。
その瞬間。
零司の指先に、ほんのわずかな光が灯った。
デスビーム。
それを見たアーク・ゼロのコアが強く反応する。
【権限確認】
【最高優先権限を認識】
【閲覧可能】
ルシアが目を見開いた。
「最高優先権限……?」
零司の目の前に、空中へ大量の古代文字が浮かび上がる。
その一部が自動的に翻訳されていく。
【第八封印】
【分類――未定義】
【危険度――測定不能】
【封印対象――存在しない】
零司は眉をひそめた。
「存在しない?」
「どういうことだ?」
ガルドが尋ねる。
しかし、その直後。
文字が変化する。
【封印対象】
【世界の外側】
その言葉を見た瞬間、ルシアが息を呑んだ。
「……世界の外側?」
「何だ、それ。」
ボルグが聞く。
ルシアは震える声で答えた。
「アストリアの研究者たちが、最後まで理解できなかった概念だ。」
「世界の外には、何がある?」
「分からない。」
「じゃあ、どうして封印できる?」
「封印したんじゃない。」
ルシアは首を横へ振った。
「向こうから来られないようにしたんだ。」
零司は地下の暗闇を見る。
「じゃあ。」
「今、開こうとしてるのは……。」
「世界の外側と、こっちを繋ぐ扉だ。」
その瞬間。
地下から巨大な音が響いた。
ドォォォォン!!
扉が完全に開く。
闇の中から、冷たい風が吹き抜けた。
だが、その風は普通の風ではなかった。
触れた瞬間、身体から力が抜ける。
セリナが膝をつく。
「魔力が……。」
「吸われてる……!」
ガルドが彼女を支える。
ボルグも盾を地面へ突き立て、踏ん張った。
零司は不思議だった。
自分には何も感じない。
むしろ。
胸の奥が温かい。
そして、アーク・ゼロのコアも同じように輝いている。
「僕とアーク・ゼロだけ……平気?」
ルシアが答えた。
「おそらく。」
「デスビームと同じ系統の力を持っているからだ。」
「世界の法則の外側に近い存在。」
その言葉を聞いた瞬間。
暗闇の奥から声がした。
「……ようやく。」
全員が凍り付く。
人間の声だった。
低く、静かで、どこか楽しそうな声。
「ようやく、こちら側から見えるようになった。」
零司は反射的に右手を上げる。
「誰だ。」
暗闇の奥で、二つの光が灯る。
赤い。
いや。
赤というより、血のような色だった。
「誰か、だって?」
声が笑う。
「それは面白い質問だ。」
足音が響く。
一歩。
また一歩。
何かがこちらへ近付いてくる。
その姿はまだ見えない。
だが、声だけで分かる。
こちらへ向けられているのは敵意ではない。
もっと不気味なものだった。
興味。
好奇心。
まるで珍しい玩具を見つけた子供のような感情。
「黒崎零司。」
また名前を呼ばれた。
零司の表情が変わる。
「……また僕の名前を知ってる。」
「当然だ。」
声が笑う。
「お前が生まれるより、ずっと前から知っている。」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味だ。」
やがて暗闇から、一人の男が姿を現した。
黒い衣服。
長い髪。
そして、異様なほど白い肌。
その男は零司を見ると、嬉しそうに微笑んだ。
「会いたかったよ。」
「デスビームの使い手。」
その瞬間。
アーク・ゼロのコアが激しく明滅した。
【警告】
【危険存在を確認】
【保護対象から離れろ】
男はアーク・ゼロを見る。
「まだ君が守っているのか。」
「随分と忠実だね。」
そして。
男の視線が再び零司へ戻る。
「でも。」
「もう遅い。」
「第八封印は開いた。」
男が笑う。
「これで、世界の外側からもこちらへ手を伸ばせる。」
零司は右手を構える。
「だったら。」
「閉じればいい。」
男は一瞬だけ驚いた顔をした。
そして。
「……なるほど。」
楽しそうに笑った。
「やはり、君は面白い。」
その瞬間、地下深くで何か巨大なものが動いた。
男は振り返ることなく告げる。
「さあ。」
「始めようか。」
「世界の外側を巻き込んだ、本当の戦いを。」




