第79話 禁域の入口
王都を出発してから五日。
零司たちは世界の北端へ向けて進んでいた。
最初の数日は、特に問題はなかった。
街道は整備されており、途中の村々では補給もできた。
しかし北へ進めば進むほど、人の気配は少なくなっていく。
村は減り。
商人の姿は消え。
やがて道そのものがなくなった。
「ここから先は、地図にない場所だ。」
ガルドが馬車から降り、目の前に広がる荒野を見る。
そこには一本の道もなかった。
ただ、遠くに巨大な山脈がそびえ立ち、その向こう側には黒い霧が漂っている。
あれが禁域。
世界中の人間が恐れ、誰も近付こうとしない場所。
「空気が違いますね。」
セリナが周囲を見回す。
「魔力の流れが普通じゃありません。」
確かにそうだった。
普通の土地なら、大地から自然に魔力が循環している。
しかしここでは違う。
魔力が渦を巻いている。
まるで何か巨大な存在が、この場所全体から力を吸い上げているようだった。
ボルグが腕を組む。
「これだけで分かるな。」
「何が?」
零司が聞く。
「面倒な場所だってことだ。」
全員が苦笑する。
しかし、誰も否定できなかった。
試練の塔。
神代の遺産。
そして未知の存在。
ここから先は、今までの冒険とは違う。
「アークさん。」
零司が水晶を見る。
しかし反応はない。
何度試しても、返事は返ってこなかった。
『禁域では通信不能』
その言葉を思い出す。
本当に孤立したのだ。
「大丈夫ですか?」
セリナが尋ねる。
「うん。」
零司は頷く。
「むしろ少し楽しみかもしれない。」
その言葉に全員が驚く。
以前の零司なら、未知の場所に対して不安を見せていた。
だが今は違う。
試練の塔で、自分が何者なのかを受け入れた。
フレージの記憶があろうと。
デスビームという異常な力を持っていようと。
それでも自分は黒崎零司だ。
そう理解したからだ。
「変わったな。」
ガルドが小さく笑う。
「え?」
「いや。」
ガルドは前を見る。
「前より迷いがなくなった。」
零司は少し照れくさそうに笑った。
「そうかな。」
「そうだ。」
その時だった。
先頭を歩いていた少女が足を止めた。
「待って。」
声が低い。
いつもの軽い雰囲気ではない。
「どうした?」
ガルドが聞く。
少女は地面を見つめていた。
「ここから先。」
「もう禁域の中。」
全員が息を止める。
まだ境界線は見えていない。
しかし少女には分かるらしい。
「何で分かるんだ?」
ボルグが尋ねる。
少女は少し黙った。
そして答える。
「昔、来たことがあるから。」
その一言に全員が反応する。
「え?」
零司が驚く。
「でも、禁域は誰も入ったことがないって……。」
「正確には。」
少女は霧の向こうを見る。
「戻ってきた人がほとんどいない。」
空気が重くなる。
ガルドが眉をひそめる。
「お前は?」
「私は……。」
少女は言葉を止めた。
何かを思い出すように目を細める。
「昔、ここで助けられた。」
「誰に?」
零司が聞く。
少女は答えなかった。
その代わり、禁域の奥を見つめる。
「だから分かる。」
「あの存在は……まだいる。」
その瞬間。
禁域を覆っていた霧が大きく揺れた。
風ではない。
何かがこちらへ反応したようだった。
ゴォォォォ……。
地面が低く震える。
遠くから巨大な音が響く。
まるで眠っていた何かが、目を覚ましたように。
セリナが杖を構える。
ガルドも剣を抜く。
ボルグは盾を構えた。
「来るぞ。」
誰もが警戒する。
しかし零司だけは違った。
敵意を感じない。
むしろ。
懐かしいような感覚があった。
「……何だろう。」
零司は胸に手を当てる。
デスビームを初めて使った時とも違う。
試練の塔で感じたフレージの気配とも違う。
もっと古い。
もっと深い。
自分の知らない何か。
その時。
霧の奥から声が響いた。
「ようやく来たか。」
低く落ち着いた声。
人間の声だった。
だが。
次の瞬間。
禁域全体の魔力が震える。
「黒崎零司。」
名前を呼ばれる。
零司は息を呑んだ。
「なぜ……僕の名前を?」
霧の奥から、一人の青年が姿を現す。
銀色の髪。
金色の瞳。
そして、どこか悲しそうな笑顔。
「待っていたよ。」
青年は零司を見る。
「君が来る日を。」
その瞬間。
零司の頭の中で、知らないはずの記憶が一瞬だけ流れ込んだ。
白い塔。
滅びた都市。
そして――。
フレージではない。
別の誰かの姿。
零司は頭を押さえる。
「今の……何だ?」
青年は静かに笑った。
「やはり。」
「まだ目覚めていないんだね。」
ガルドが一歩前へ出る。
「お前は何者だ。」
青年はゆっくり答える。
「僕かい?」
「僕は――」
一瞬の間。
そして。
「この世界で最初に、デスビームを見た者だ。」
禁域の奥で。
新たな物語が始まった。




