第75話 真実の間
巨大な扉は、まるで何千年もの眠りから目覚めるように、ゆっくりと音を立てながら開いていく。
ギギギギギ……
重苦しい音が神殿中へ響き渡る。
誰も言葉を発しない。
ただ、その先を見つめていた。
やがて扉が完全に開く。
その奥に広がっていたのは、想像していたような豪華な神殿でも、巨大な祭壇でもなかった。
ただ一脚の椅子だけが置かれている。
質素な木製の椅子。
玉座ですらない。
その椅子に、一人の老人が静かに腰掛けていた。
白髪。
白い髭。
どこにでもいそうな老人。
特別な魔力も感じない。
威圧感すらない。
まるで近所に住む好々爺のような雰囲気だった。
「ようこそ。」
老人は穏やかに笑う。
「第三試練、『真実の間』へ。」
ガルドは慎重に一歩前へ出た。
「あなたが試験官か。」
「そうじゃ。」
老人は静かに頷く。
「最後の試練は戦いではない。」
「また問答か?」
「少し違う。」
老人はゆっくり立ち上がる。
そして零司の前まで歩いてきた。
「わしが知りたいのは一つだけじゃ。」
老人は真っ直ぐ零司を見つめた。
その瞳は優しい。
だが、その奥には全てを見透かすような鋭さがあった。
「お主は何者じゃ。」
その一言で空気が変わった。
ガルドたちは思わず息を呑む。
少女も真剣な表情になる。
偽零司も笑みを消していた。
これが最後の試練。
真実を問う試験。
零司は少し考える。
「黒崎零司です。」
老人は首を横へ振った。
「名ではない。」
「では、人間です。」
「種族でもない。」
「冒険者です。」
「職業でもない。」
質問の意味が分からない。
零司は困ったように頭を掻く。
「何を答えればいいんですか?」
老人は微笑む。
「お主自身じゃ。」
「自分自身……。」
零司は黙り込んだ。
長い沈黙が流れる。
その間、誰一人として口を開かなかった。
少女は静かに零司を見守る。
ガルドも。
セリナも。
ボルグも。
この答えだけは、誰かが代わりに言うことはできない。
やがて零司はゆっくり顔を上げた。
「僕は……。」
そこで言葉が止まる。
思い浮かぶのは夢の中で出会ったフレージだった。
『私はもう目覚めません。』
『これから先を歩くのは貴方です。』
あの言葉。
あの笑顔。
零司は静かに目を閉じた。
そして自然と言葉が口からこぼれる。
「僕は黒崎零司です。」
老人は黙って聞いている。
「昔、誰だったとか。」
「何をしていたとか。」
「そんなことは知りません。」
「夢で何を見ても。」
「誰かの記憶があっても。」
「僕が歩いてきた人生は僕だけのものです。」
神殿が静まり返る。
零司はゆっくり笑った。
「だから僕は、僕です。」
その瞬間だった。
眩い光が神殿全体を包み込む。
壁一面の古代文字が黄金色へ変わる。
床に巨大な魔法陣が浮かび上がった。
【真実確認】
【人格照合】
【魂照合】
文字が次々と流れていく。
偽零司が目を見開く。
「そんな……。」
老人は嬉しそうに微笑んでいた。
やがて最後の文字が浮かぶ。
【一致】
【黒崎零司】
【フレージではない】
空気が止まる。
数秒後。
空の裂け目の向こうで管理者会議が大歓声に包まれた。
「終わった!」
「証明された!」
「本人じゃなかった!」
「やっと眠れる!」
何人かは涙まで流していた。
アークも深く息を吐き、初めて肩の力を抜く。
『……そうか。』
その一言には、一万三千年抱え続けた重荷が少しだけ下りたような安堵が滲んでいた。
一方で零司は何が起きたのか分かっていない。
「終わったんですか?」
老人は優しく頷く。
「うむ。」
「お主はお主じゃ。」
「誰にもなれん。」
「誰にも奪われん。」
「それで十分じゃ。」
老人の姿が少しずつ光へ溶け始める。
「試練の役目も、これで終わりじゃな。」
偽零司が静かに頭を下げる。
「長い間、お疲れ様でした。」
老人は最後に零司へ微笑みかける。
「良い人生を歩みなさい。」
その言葉を残し、老人は静かに消えていった。
同時に試練の塔全体が大きく揺れ始める。
天井から光が降り注ぎ、壁がゆっくりと崩れ始める。
偽零司はどこか寂しそうに笑う。
「試練の塔は役目を終えました。」
「これより自壊を開始します。」
その言葉に全員が顔を見合わせる。
「……え?」
ガルドが間の抜けた声を漏らした。
「え、壊れるの?」
「はい。」
偽零司は爽やかに微笑む。
「ですので、急いで逃げてください。」
次の瞬間、天井の一部が轟音とともに崩れ落ちた。
「先に言えぇぇぇ!!」
ガルドの叫びが試練の塔中へ響き渡った。




