第57話 お前の後ろだ!!
「お前の後ろだ!!」
男の絶叫が森に響いた。
その声には恐怖が混じっていた。
いや。
恐怖どころではない。
絶望だった。
先ほどまで余裕を見せていた存在とは思えないほど顔が青ざめている。
だが。
零司は振り返った。
「後ろですか?」
誰もいない。
木。
岩。
焚き火の跡。
それだけだ。
「何もいませんよ?」
当然である。
ガルドたちにも見えない。
セリナにも見えない。
ボルグにも見えない。
少女だけが面白そうに笑っていた。
「見える人には見えるんだよ」
「何がです?」
「秘密」
即答だった。
⸻
男は後退りを続けていた。
信じられない。
あり得ない。
混乱が表情に浮かんでいる。
「なぜだ……」
「なぜ生きている……」
ぶつぶつと呟く。
零司を見る。
そして再び怯える。
見る。
怯える。
完全に悪循環だった。
ガルドですら少し同情した。
敵なのは間違いない。
だが。
ちょっと可哀想だった。
⸻
その時。
男の身体から黒い霧が溢れ始める。
先ほどより濃い。
重い。
周囲の木々が次々と枯れていく。
地面が腐る。
岩が崩れる。
存在そのものが災害だった。
セリナが叫ぶ。
「まずい!」
魔法陣を展開する。
ボルグも前へ出る。
ガルドも剣を構えた。
今度こそ戦闘だ。
全員がそう思った。
しかし。
零司は違った。
地面を見ていた。
真剣な顔で。
「どうした?」
ガルドが聞く。
零司はゆっくり顔を上げた。
少し悲しそうだった。
「薬草が枯れてます」
全員沈黙。
男も沈黙。
少女は吹き出した。
「そこなんだ」
当然だった。
零司である。
薬草は大事だ。
非常に大事だ。
⸻
男は怒った。
本気で怒った。
「ふざけるな!!」
怒声。
空気が震える。
「俺を無視するな!!」
黒い霧が膨れ上がる。
森全体が揺れる。
普通なら震え上がる光景だった。
しかし。
零司は真顔だった。
「無視してません」
「している!」
「してません」
「している!!」
何だこの会話は。
ガルドたちも困惑する。
世界の危機みたいな空気だったのに。
急に小学生の口喧嘩みたいになった。
⸻
男はついに激昂した。
黒い霧が一点へ集まる。
巨大な槍。
黒く歪んだ異形の武器。
見るだけで頭痛がする。
セリナの顔色が変わった。
「避けて!!」
危険。
本能が叫ぶ。
あれは直撃してはいけない。
絶対に。
しかし。
零司はその場から動かなかった。
男が叫ぶ。
「消えろ!!」
黒槍が放たれる。
音を超える速度。
一瞬だった。
誰も反応できない。
ガルドですら。
⸻
そして。
零司の額に当たった。
コン。
軽い音。
本当に軽い音だった。
黒槍は。
砕けた。
粉々に。
ガラスみたいに。
あっさりと。
消滅した。
森が静まり返る。
誰も喋らない。
男も喋らない。
零司が額を触る。
「痛くないですね」
当たり前のように言った。
男の顔から感情が消えた。
完全に。
何かが壊れたような顔だった。
⸻
少女は腹を抱えて笑っている。
「だから言ったのに!」
大爆笑だった。
「五十三万さんだって!」
男は震えていた。
怒りではない。
恐怖だった。
理解してしまったのだ。
目の前の存在が。
自分ではどうにもならないものだと。
⸻
そして。
男は最後の手段を選ぶ。
逃走。
全力で。
黒い柱へ向かう。
ガルドが叫ぶ。
「逃がすな!」
しかし間に合わない。
男は柱へ飛び込む。
あと少し。
あと少しで逃げ切れる。
その時だった。
零司が右手を上げた。
「仕方ありませんね」
静かな声だった。
男が振り返る。
そして絶望する。
零司の指先が向いている。
自分へ。
真っ直ぐに。
「私に向かってその口の利き方……」
零司がぽつりと呟く。
なぜそんな言葉が出たのか。
本人にも分からない。
だが続けていた。
「少々、無礼ではありませんか?」
少女の笑顔が消えた。
ガルドも固まる。
男は顔面蒼白になる。
まるで何かを思い出したように。
⸻
零司は首を傾げた。
「……あれ?」
今の言葉。
どこかで聞いた気がする。
だが思い出せない。
なので。
いつも通りに締めることにした。
「殺しますよ」
次の瞬間。
デスビームが放たれた。
細い光。
しかし威力は今までで最大だった。
黒い柱を貫き。
男を飲み込み。
夜空を裂き。
遥か彼方の山脈まで一直線に消し飛ばした。
数秒後。
轟音が世界を揺らす。
ゴォォォォォォォォン!!
騎士たちが転ぶ。
セリナが尻もちをつく。
ボルグが呆然と空を見上げる。
ガルドは剣を下ろした。
戦う必要すらなかった。
⸻
静寂。
そして。
零司だけが首を傾げた。
「おかしいですね」
嫌な予感がした。
少女も同じだった。
「何が?」
零司は消えた空を見ながら言う。
「今のデスビーム」
「はい」
「いつもより少し強かった気がします」
森が静まり返る。
ガルドが震える声で聞いた。
「少し?」
零司は真面目に頷いた。
「一割くらいでしょうか」
少女が顔を覆う。
「世界を消し飛ばす一割って何……」
その呟きは。
誰にも聞こえなかった。




