第54話 五十三万さん
森が静まり返っていた。
風も吹かない。
虫の声もしない。
まるで世界そのものが息を潜めているかのようだった。
大木の上に立つ銀髪の少女。
その赤い瞳は真っ直ぐ零司を見つめている。
「待ってたよ」
少女は笑う。
「五十三万さん」
零司は困惑していた。
「誰ですか?」
それが最初の感想だった。
五十三万も気になる。
だがそれ以上に知らない少女が森の奥にいる方が問題だった。
少女は目をぱちくりさせた。
「え?」
数秒。
沈黙。
そして。
「覚えてないの?」
「何をですか?」
「……本当に?」
今度は少女が困惑した。
何かがおかしい。
予想と違う。
そんな顔だった。
⸻
その時。
森の奥から複数の気配が近付いてきた。
ガルドたちだ。
零司がいないことに気付いたらしい。
「レイジ!」
ガルドの声が響く。
セリナもいる。
ボルグもいる。
騎士たちもいる。
そして彼らは少女を見た瞬間に固まった。
全員の顔色が変わる。
特にガルド。
今まで見たことがないほど険しい顔になっていた。
「おい……」
低い声。
戦闘前の声だった。
「なぜお前がいる」
少女は嫌そうに顔をしかめる。
「うわ、筋肉」
「質問に答えろ」
「やだ」
即答だった。
ガルドの額に青筋が浮く。
セリナも杖を構える。
ボルグも盾を前へ出した。
完全な臨戦態勢だった。
しかし零司だけが状況を理解していない。
「知り合いですか?」
「知り合いじゃねえ」
「知り合いじゃないよ」
珍しく意見が一致した。
⸻
ガルドは零司を庇うように前へ出る。
「レイジ」
「はい」
「そいつから離れろ」
真剣だった。
今までで一番真剣だった。
零司も少し驚く。
ガルドほどの男が警戒している。
それだけで異常だ。
しかし。
少女は楽しそうだった。
「相変わらず嫌われてるなあ」
そして。
ガルドを見ながら笑う。
「この前ぶっ飛ばされたのに元気だね」
空気が凍った。
セリナが固まる。
ボルグが固まる。
騎士たちも固まる。
ガルドだけが無表情になる。
それが逆に怖い。
「……いつの話だ」
低い声。
少女は指を折る。
「二百年くらい前?」
全員沈黙した。
零司も沈黙した。
ガルドを見た。
どう見ても人間だ。
二百歳には見えない。
ガルドも頭を押さえていた。
「また始まった」
「何がです?」
「こいつの冗談だ」
即答だった。
しかし少女は不満そうである。
「本当なのに」
「本当なら俺は化け物だ」
「そうだよ?」
ガルドの拳が震えた。
⸻
その時だった。
少女の視線が再び零司へ向く。
今度は真面目だった。
笑っていない。
赤い瞳が細くなる。
「でも良かった」
ぽつりと呟く。
「ちゃんと生きてた」
その言葉に。
零司の胸が少しだけざわついた。
なぜだろう。
初対面のはずなのに。
どこか懐かしい。
会ったことがあるような。
そんな気がした。
だが思い出せない。
「会ったことありましたっけ?」
少女は少しだけ悲しそうに笑った。
「ないよ」
そして。
小さく続ける。
「今の君とはね」
意味が分からない。
だが。
なぜか。
その言葉だけは妙に耳に残った。
⸻
次の瞬間だった。
森全体が揺れる。
大地が震える。
轟音。
空気が悲鳴を上げる。
全員が振り向く。
封鎖区域のさらに奥。
巨大な黒い柱のようなものが空へ伸びていた。
今まで存在しなかったものだ。
いや。
見えていなかっただけなのかもしれない。
セリナが青ざめる。
「なに……あれ……」
騎士たちも震えている。
ガルドの表情も険しい。
ただ一人。
少女だけがため息を吐いた。
「間に合わなかったか」
その声には焦りがあった。
初めてだった。
余裕そうだった少女が。
初めて焦っている。
「始まっちゃったね」
「何がです?」
零司が尋ねる。
少女は少しだけ迷う。
そして。
静かに答えた。
「世界のバグ取り」
誰も意味が分からなかった。
しかし。
その言葉と同時に。
黒い柱の中から何かが動いた。
巨大な影。
異形。
見ただけで本能が警鐘を鳴らす。
騎士の一人が膝をつく。
セリナの顔から血の気が引く。
ガルドが剣を抜く。
それほどの存在だった。
だが。
零司だけは首を傾げた。
そしてぽつりと呟く。
「あれ?」
全員が見る。
零司は黒い柱を見ながら。
本当に不思議そうな顔をしていた。
「どこかで見た気がします」
少女が固まる。
ガルドも固まる。
そして少女は額を押さえた。
「うわぁ……」
嫌な予感しかしない。
そんな顔だった。




