第50話 伝説の始まり
市場は沈黙していた。
誰も理解できなかった。
Aランク級魔獣がいる。
その隣には巨大な植物型魔獣が二体。
そしてその三体が、なぜか零司の前で大人しくしている。
意味が分からない。
王都の歴史を遡っても、こんな光景は存在しなかった。
「……本当に知りませんよ?」
零司が困ったように言う。
しかし三体は動かない。
むしろ嬉しそうである。
緑色の植物型魔獣が葉を揺らす。
紫色の植物型魔獣も同じように揺らす。
Aランク魔獣は尻尾を振っていた。
市場の人々は現実逃避を始めた。
見なかったことにしたい。
だが見えてしまう。
「副団長」
騎士の一人が震えた声で尋ねる。
「どうしますか」
アレスは少し考えた。
そして答えた。
「……刺激するな」
結局それしかなかった。
⸻
そんな中。
アルフォンスだけは違った。
恐怖。
屈辱。
嫉妬。
様々な感情が混ざり合い、理性を焼き尽くしていた。
本来なら逃げるべきだった。
しかし人間は追い詰められると愚かな選択をする。
アルフォンスも例外ではなかった。
「ふざけるなあああ!!」
絶叫。
市場に響き渡る。
全員が振り返る。
「何なんだお前は!!」
指を突き付ける。
その先には零司。
「平民のくせに!」
「Fランクのくせに!」
「何でお前ばかり!!」
完全に逆恨みだった。
だが本人は気付いていない。
零司は少し悲しそうな顔をした。
「別に競ってませんけど」
本音だった。
薬草があれば割と満足なのである。
だがそれがアルフォンスには届かない。
「黙れ!」
怒鳴る。
そして腰の剣を抜いた。
市場がざわめく。
アレスが顔色を変えた。
「止めろ!!」
遅かった。
アルフォンスは零司へ向かって走り出していた。
⸻
次の瞬間だった。
ゴォォォォォ!!
凄まじい咆哮が響く。
市場全体が震えた。
Aランク魔獣である。
黄金の瞳がアルフォンスを睨む。
植物型魔獣二体も同時に前へ出る。
三体の殺気。
それだけでアルフォンスの足が止まった。
顔面蒼白。
呼吸すらできない。
死。
初めて本当の死を感じた。
「ひっ……」
剣が手から落ちる。
カラン、と乾いた音。
そして。
その時だった。
零司が前へ出た。
「だめですよ」
静かな声。
三体が同時に動きを止める。
「市場で暴れてはいけません」
叱られた子供のように。
三体が揃って項垂れる。
誰も言葉を失った。
⸻
アルフォンスは膝をついていた。
立てない。
恐怖で身体が動かない。
零司はそんな彼を見下ろす。
怒っているようには見えない。
だが。
どこか呆れていた。
「どうしてそこまで他人を見下すんですか?」
静かな問い。
アルフォンスは答えられない。
「薬草店のおじさんも」
「市場の人たちも」
「みんな頑張ってるじゃないですか」
市場が静まり返る。
誰も口を挟まない。
零司は続けた。
「強いとか弱いとか」
「貴族とか平民とか」
「そんなに大事ですか?」
それは零司の本音だった。
薬草の価値は身分で変わらない。
努力の価値も変わらない。
だから理解できなかった。
アルフォンスは何も言えない。
言い返す言葉が見つからない。
⸻
その時。
市場の端から拍手が聞こえた。
パチ パチ。
静かな音。
全員が振り返る。
そこに立っていたのは一人の男だった。
長身。
黒い外套。
背中には巨大な剣。
歴戦の戦士特有の雰囲気。
そして。
王都の冒険者なら誰でも知っている顔。
「面白いものを見せてもらった」
男が笑う。
市場がどよめく。
「まさか本当にいたとはな」
アレスの目が見開かれる。
「まさか……」
男はゆっくり零司を見る。
その視線には敵意はない。
だが圧倒的な存在感があった。
「黒崎零司」
名前を呼ぶ。
「俺はガルド」
そして市場全体が息を呑む。
王国最強。
Sランク冒険者。
《竜殺しのガルド》。
十年以上王国を支え続けた伝説だった。
ガルドは笑う。
「少し話をしないか?」
零司は首を傾げる。
そして。
「薬草の話ですか?」
市場中がずっこけそうになった。
ガルドだけが大笑いした。
「ははははは!!」
面白い。
本当に面白い。
こうして。
王国最強の英雄と。
Fランク冒険者の出会いは。
あまりにも締まらない形で始まった。
だが後に歴史書はこの日をこう記す。
――伝説の始まりであった。




