第46話 証拠より大切なもの
市場の空気が止まった。
アルフォンス自身は気付いていない。
だが周囲の人間は感じていた。
何かがおかしい。
風が吹いているのに、妙に静かだ。
人々の話し声も遠い。
まるで世界そのものが様子を窺っているようだった。
「証拠など必要あるか」
アルフォンスは堂々と言い放つ。
「侯爵家が調査すると言っているんだ」
店主の老人が顔を真っ赤にする。
「横暴だ!」
「黙れ」
使用人が前へ出る。
店主は押し黙るしかなかった。
相手は侯爵家。
平民ではどうにもならない。
アルフォンスは満足そうに笑う。
「分かったら店を閉めろ」
その時だった。
零司が静かに口を開く。
「それは困りますね」
穏やかな声だった。
怒気もない。
威圧感もない。
ただ純粋に困っているように聞こえる。
「困る?」
「はい」
零司は素直に頷く。
「良い店なので」
店主が少し目を丸くする。
アルフォンスは鼻で笑った。
「たかが薬草店だろう」
観測者たちの顔色が変わる。
やめろ。
それ以上はやめろ。
全員が同じことを思った。
しかしアルフォンスは止まらない。
「王都には他にも店がある」
「ですが」
「どうでもいい話だ」
零司の言葉を遮る。
「雑草を売る店などいくらでも代わりがある」
静寂。
完全な静寂。
市場から音が消えたような錯覚。
観測者の一人が思わず呟く。
「終わった」
隣も頷く。
「終わったな」
三人目も同意した。
「終わった」
だが。
何も起きない。
零司は立ったままだ。
怒鳴らない。
光らない。
デスビームも撃たない。
アルフォンスは勝ち誇ったように笑う。
「ほら見ろ」
何もできないじゃないか。
そう言いたげだった。
しかし。
零司は店の棚を見ていた。
並べられた薬草。
丁寧に乾燥された葉。
分類された根。
磨かれた瓶。
しばらく眺めた後。
ぽつりと呟く。
「そうですか」
その声は小さかった。
なのに全員に聞こえた。
「良い店なんですが」
それだけだった。
本当にそれだけ。
だが観測者たちは確信する。
今の方が危険だ。
前回より。
薬草を踏まれた時より。
よほど危険だ。
⸻
その頃。
王城。
アレスは執務室で書類を読んでいた。
そこへ騎士が飛び込んでくる。
「副団長!」
「何だ!」
「アルフォンスが動きました!」
アレスが立ち上がる。
嫌な予感しかしない。
「どこだ!」
「市場です!」
「対象は!」
「薬草店です!」
アレスは頭を抱えた。
「なぜそこへ行くんだ!!」
心の底から叫びたかった。
なぜ毎回地雷を踏みに行くのか。
もはや才能だった。
⸻
市場。
アルフォンスは上機嫌だった。
店主は黙った。
零司も何もしてこない。
勝った。
そう思っていた。
だから気付かなかった。
周囲の人々が少しずつ距離を取っていることに。
観測者たちが後退していることに。
そして。
空を見上げている者がいることに。
「では閉店作業を始めろ」
アルフォンスが命じた瞬間だった。
空から何かが落ちてきた。
轟音。
市場全体が揺れる。
悲鳴が上がる。
砂煙が舞う。
アルフォンスも思わず後退した。
何事だ。
煙が晴れる。
そして現れた。
巨大な影。
全長十数メートルはあるだろう。
黒い鱗。
鋭い牙。
黄金の瞳。
周囲の人間が顔面蒼白になる。
「ま、魔獣……!?」
誰かが叫ぶ。
Aランク相当。
王都近郊では滅多に見ない大型魔獣だった。
市場は一瞬で混乱に包まれる。
人々が逃げ出す。
使用人たちも青ざめる。
アルフォンスも顔色を失った。
なぜこんな場所に。
なぜ今。
そして。
魔獣は周囲を見回した後。
なぜか。
まっすぐアルフォンスを見た。
「え?」
嫌な予感。
ものすごく嫌な予感。
次の瞬間。
魔獣が咆哮した。
市場が震える。
アルフォンスが尻もちをつく。
「ひっ……!」
そして。
その背後では。
零司が静かに首を傾げていた。
「珍しいですね」
本当に不思議そうだった。
観測者たちは思った。
偶然か?
本当に?
本当に偶然なのか?
なぜ毎回こうなる?
誰も答えを持たない。
ただ一つだけ確かなのは。
アルフォンスの大後悔が。
これから始まるということだった。




