第40話 王城に“ルール”ができる日
天井に空いた穴は、その場にいた全員の思考を一時停止させていた。
黒い線が走った結果として生まれたのは、破壊というより「欠落」だった。削られたように消えた天井の一部は、物理的な破壊音すら追いついていない。数秒遅れて瓦が崩れ落ち、騎士たちが慌てて防御魔法を展開する。
しかしその中心にいた零司は、相変わらず首を傾げていた。
「やっぱり王城は構造が複雑ですね」
その感想に、誰も返事ができない。
侯爵バルモアは床に崩れ落ちたまま動かず、貴族たちは誰も目を合わせようとしない。さっきまで“証明しろ”と言っていた空気は完全に消え去っていた。
アレスは一歩だけ前に出て、零司の横に立つ。
「……零司殿」
「はい」
「次から、王城の中では少し威力を抑えていただけると助かります」
「抑えました」
即答だった。
アレスの表情が引きつる。
「今のが?」
「はい。かなり抑えました」
沈黙。
国王が小さく笑いそうになっているのを、側近が必死に抑えている。
これは冗談ではないと理解しているからこそ、笑えない。
その時だった。
国王が玉座から立ち上がる。
その動き一つで、広間の空気が引き締まる。
「零司」
「はい」
「一つ決める」
全員の視線が国王へ集まる。
「王城内での魔法使用を制限する」
アレスが小さく息を吐く。
ようやく来た、と。
だが国王の言葉はそこで終わらなかった。
「ただし、条件付きで許可する」
周囲がざわつく。
「条件?」
国王は零司を見たまま続ける。
「王城が危機に瀕した場合のみ、使用を認める」
アレスの顔が一瞬で曇る。
それはつまり、“必要なら撃て”ということだ。
危機の定義が曖昧すぎる。
しかし国王はさらに続けた。
「そしてもう一つ」
「零司、お前には“王城専属保護対象”の地位を与える」
その瞬間、広間が静まり返る。
貴族たちが一斉にざわつく。
保護対象。
それは“国家が守る側ではなく、守られる側として特例扱いする存在”だ。
異例中の異例。
前例はほとんどない。
アレスですら目を見開く。
「陛下、それは……」
「問題ない」
国王は即答した。
「この男は、国が管理できる存在ではない」
あまりにも率直な評価だった。
だが誰も否定できない。
先ほどの天井の穴が、その事実を証明している。
零司はその会話を聞きながら、少し考え込んでいた。
「保護対象というのは、薬草も守ってもらえるのでしょうか」
場が一瞬固まる。
アレスが頭を抱える。
「そこか……」
国王は少し笑いながら頷いた。
「もちろんだ」
「それは助かります」
零司は素直に納得した。
本当にそれだけだった。
王城の政治的意味も、貴族社会の力関係も、すべて無視して「薬草が守られるかどうか」で判断している。
その異質さに、逆に誰も口を挟めなかった。
その時、崩れ落ちていた侯爵バルモアがようやく顔を上げる。
「ば、馬鹿な……」
声が震えている。
「こんな者に特例を……」
アレスが横目で見る。
もう止まらないだろう、と思っていた。
しかし次の瞬間だった。
零司が静かに振り返る。
その視線が、侯爵に向いた。
空気が変わる。
さっきまでとは違う静けさ。
「あなた」
「な、何だ……」
侯爵の声が裏返る。
零司はゆっくり歩み寄る。
一歩、また一歩。
何でもない動作なのに、周囲の騎士が無意識に身構える。
アレスが思わず呟く。
「まずい……」
零司は侯爵の前で止まり、静かに言った。
「さっきの言葉」
「……どれだ」
「薬草のことです」
侯爵の表情が固まる。
思い出したくない記憶が一気に蘇る。
アルフォンスの件。
踏み潰した薬草。
あの時の空気。
零司は続ける。
「それは、困ります」
静かな声だった。
怒鳴っていない。
しかし圧が違った。
「それは……王都でしか手に入らないものなので」
侯爵の喉が鳴る。
初めて理解する。
この男は戦闘ではなく、“大事にしているものを侮辱された時”に一番危険になるのではないかと。
アレスの背中に冷たい汗が流れる。
(ああ……これが本体か)
侯爵は後ずさった。
もはや貴族としての威厳はない。
零司はそれを見て、少しだけ頷いた。
「分かっていただければいいです」
そしてすぐに興味を失ったように振り返る。
再び薬草の話に戻るかのように。
その瞬間、国王が小さく呟いた。
「面白いな」
アレスは心の中で強く同意した。
面白い、というより。
“扱い方を間違えたら国が壊れる存在”だ。
そしてその存在は今、薬草の心配をしている。
王都の常識は、また一つ壊れ始めていた。




