第38話 その薬草のことかぁぁぁ!!
アレスの仲裁によって、正門前の騒動はひとまず収まったかに見えた。
しかしアルフォンスは納得していなかった。
侯爵家嫡男として生まれてから今日まで、自分の言葉が軽く扱われた経験などほとんどない。ましてや相手はFランク冒険者だ。アレスがいくら庇おうと、心の底では認められなかった。
「副団長ともあろう方が、なぜそこまで肩を持つのです」
「肩を持っているわけではない」
アレスは疲れた顔で答えた。
「現実を言っているだけだ」
「現実?」
アルフォンスは鼻で笑った。
「ベヒモス討伐の件も誇張でしょう。父上もそう仰っていました」
アレスのこめかみに青筋が浮かぶ。
現場を見た人間ほど、その発言がどれだけ危険か理解していた。
だがアルフォンスは止まらない。
「そもそもFランクではありませんか」
「……」
「そんな者が王城へ招待されるなど前例がない」
周囲の衛兵たちも居心地が悪そうだった。
零司本人は特に気にした様子もなく、紙袋の中身を確認している。
先ほど購入した薬草だ。
王都でしか手に入らない珍しい品も多い。
その時だった。
アルフォンスが嘲笑を浮かべる。
「しかし随分と貧相な荷物ですな」
零司が顔を上げる。
「貧相ですか?」
「雑草の束ではありませんか」
周囲が静まり返る。
アレスが嫌な予感を覚えた。
今までの流れとは何かが違う。
零司は普段、自分が馬鹿にされてもほとんど気にしない。
Fランクと言われても気にしない。
弱いと言われても気にしない。
だが今、視線は紙袋へ向いていた。
「雑草ではありません」
穏やかな声だった。
しかしアレスは背筋が冷えた。
「それは王都でも希少な薬草です」
「ははっ」
アルフォンスは笑う。
「どこからどう見ても草でしょう」
そして最悪の一言を口にした。
「そんなもの、燃やしても誰も困らん」
そう言って紙袋を足で蹴った。
中身が散らばる。
丁寧に選んだ薬草が石畳の上へ転がった。
一部は踏み潰される。
その瞬間だった。
空気が変わった。
本当に一瞬だった。
アレスは反射的に息を呑む。
グラッドやオルフェンほどではないが、彼も少し分かるようになっていた。
今まで見たことがない。
零司の感情の揺れだった。
零司は静かに散らばった薬草を見下ろしている。
表情は変わらない。
声も荒げていない。
だが周囲の温度が下がったような錯覚を覚えた。
「あなた」
零司が口を開く。
「何ですかな?」
アルフォンスはまだ笑っている。
そして。
零司はゆっくり顔を上げた。
「その薬草のことかぁぁぁぁぁ!!」
王城前に絶叫が響いた。
全員が固まる。
零司本人も固まった。
数秒後。
「……違いますね」
真顔だった。
「何がだ!?」
思わずアレスが叫ぶ。
「何か言いたくなったんですが違いました」
「そういう問題じゃない!」
衛兵たちも混乱している。
だが問題はそこではなかった。
零司の背後だった。
見えたのである。
アレスには。
衛兵たちにも。
騎士たちにも。
一瞬だけ。
黄金の玉座に座る何かが。
星々を見下ろす宇宙の支配者のような存在が。
アルフォンスも見た。
だから笑顔が消えた。
理由は分からない。
だが本能が叫んでいた。
逃げろ、と。
「ひっ……」
初めて声が漏れる。
零司はゆっくり歩き出した。
散らばった薬草を拾い集める。
踏み潰された葉を見つめる。
そして静かに言った。
「王都でしか手に入らないんです」
その声は怒鳴り声より恐ろしかった。
「三軒回ったんです」
一歩。
「店主さんとも話したんです」
また一歩。
「状態の良いものを選んだんです」
アルフォンスが後退する。
足が震えていた。
なぜか分からない。
目の前にいるのはFランク冒険者のはずだ。
なのに。
ベヒモスより怖かった。
「副団長……」
衛兵が震えながら尋ねる。
「何なんですかあれ……」
アレスは遠い目をした。
「知らん」
本当に知らない。
だが一つだけ分かる。
今の零司を刺激してはいけない。
それだけだ。
零司は踏み潰された薬草を持ち上げる。
そして小さくため息を吐いた。
「もったいないですね」
その言葉にアルフォンスの顔から血の気が消えた。
終わった。
そう確信した。
ベヒモスの気持ちが少し分かった気がした。
しかしその時だった。
「零司殿!」
アレスが慌てて前へ出る。
「落ち着いてください!」
「落ち着いています」
「本当に?」
「はい」
「本当に本当ですね?」
アレスの声には切実さが滲んでいた。
王城の修理費が脳裏をよぎっていたのである。
幸い、零司はそれ以上何もしなかった。
ただ薬草を拾い集めるだけだった。
だがアルフォンスは完全に腰が抜けていた。
王城へ向かう零司の背中を見送りながら、彼は理解する。
自分はとんでもない相手を怒らせたのだと。
そしてアレスも確信していた。
もし今踏み潰されたのが薬草ではなく、もっと大切な何かだったなら。
王都は無事では済まなかっただろうと。




