第36話 王城より薬草屋
翌日。国王からの招待を受けた冒険者なら、普通は緊張で眠れなくなる。何を着て行くべきか、どんな言葉遣いをすべきか、失礼があればどうしようかと考え続けるものだ。しかし零司は違った。
朝食を食べ終えた後、真剣な顔で王都の地図を広げていた。
問題は王城ではない。
薬草屋だった。
王都には地方では見かけない薬草や素材を扱う専門店が数多く存在する。昨日から気になって仕方がなかったのだ。
「この店と、この店は見たいですね」
地図へ印を付ける。
「こちらも気になります」
宿の主人は複雑な表情でそれを見ていた。
王城からの招待を受けた人間が、当日の朝に薬草屋巡りの計画を立てている。
常識では考えられない。
だが昨日から見ていて理解した。
この青年に常識は通用しない。
いや、正確には本人は至って常識的なつもりなのだ。
周囲の常識が壊れるだけで。
結局、零司は約束の時間よりかなり早く宿を出た。そして王城とは逆方向へ歩き始める。
もちろん薬草屋へ向かうためである。
王都最大級の薬草専門店へ入った瞬間、零司の目が輝いた。
棚一面に並ぶ乾燥薬草。
瓶詰めされた希少素材。
地方では見ることすら難しい高級薬品。
宝物庫だった。
「すごい……」
思わず声が漏れる。
店員も少し誇らしそうだった。
しかし数分後には困惑へ変わる。
零司が質問する内容が異常だったからだ。
「こちらの薬草ですが、根の部分は廃棄していますか?」
「え?」
「葉より根の方が効能が高いと思うのですが」
店員が絶句する。
さらに別の商品を見る。
「これは乾燥時間が長すぎますね」
「分かるんですか?」
「香りが抜けています」
「……」
店員の顔色が変わった。
本物だ。
この青年は本当に理解している。
その後も零司は次々と素材の状態を言い当てていく。
気付けば店主まで出てきていた。
王都でも有名な薬草商である。
そんな彼ですら驚いていた。
知識が深すぎる。
冒険者ではなく研究者か職人のようだった。
結局、零司が店を出た時には大量の薬草を購入していた。そして本人は非常に満足していた。
「王都へ来て良かったですね」
その言葉に周囲は苦笑する。
昨日ベヒモスを倒した英雄の感想がそれなのか。
誰も突っ込まなかった。
もう慣れ始めていた。
その頃、王城では別の意味で騒ぎになっていた。
「まだ来ないのか?」
国王が尋ねる。
側近が答える。
「現在確認中です」
会議室にはアレスや騎士団長の姿もあった。
本来ならすでに到着している時間である。
しかし姿が見えない。
何かあったのか。
それとも断ったのか。
様々な予想が飛び交う。
すると一人の騎士が慌てて飛び込んできた。
「報告します!」
「何だ」
「零司殿ですが……」
騎士は言いづらそうな顔をした。
嫌な予感が広がる。
「薬草屋にいました」
沈黙。
数秒後。
騎士団長が吹き出した。
アレスは額を押さえた。
国王は目を丸くしている。
「薬草屋?」
「はい」
「なぜだ?」
「薬草を買うためかと……」
再び沈黙。
やがて国王が笑い始めた。
豪快な笑いだった。
「面白い男だ」
普通なら王城へ急ぐ。
しかし彼は薬草を優先した。
そこに打算も野心もない。
むしろ自然すぎて笑えてくる。
一方で、会議室の隅にいた老貴族だけは不満そうだった。
先日の会議で零司を認めなかった男である。
名前はバルモア侯爵。
王都でも有力な貴族だった。
「無礼ですな」
その一言で空気が少し冷える。
「陛下を待たせるとは」
国王は笑ったままだったが、侯爵は続けた。
「所詮は平民です。礼儀を知らぬのでしょう」
アレスの眉がぴくりと動く。
またか。
最近この手の発言を聞くと頭が痛くなる。
侯爵はまだ続ける。
「ベヒモス討伐も偶然かもしれません」
会議室の何人かが露骨に嫌そうな顔をした。
現場を見た者たちはもう否定する気になれない。
だが侯爵だけは違った。
認めたくないのだ。
自分より下だと思っていた存在が規格外だという事実を。
その時だった。
会議室の窓が微かに震えた。
誰も気付かないほど小さな揺れ。
しかしアレスだけは反応した。
魔力の流れが乱れた気がしたのだ。
嫌な感覚だった。
昨日、ベヒモスから感じたものと似ている。
ほんの一瞬だったため確信は持てない。
だが胸騒ぎがした。
王都のどこかで何かが動いている。
そんな予感だった。
そしてその頃、地下深くの祭壇では黒衣の人物が静かに立ち上がっていた。
祭壇を囲む金色の紋様が脈打つように光っている。
「王城へ向かうか」
低い声が響く。
計画は少し変わった。
だが問題はない。
むしろ都合が良かった。
標的が自ら集まろうとしているのだから。
闇の中で不気味な笑みが浮かぶ。
一方、何も知らない零司は最後の薬草屋を出たところだった。
「そろそろ行きましょうか」
ようやく王城へ向かうらしい。
だがその時には、王都の様々な思惑が既に彼へ向かって動き始めていた。




