第32話 宮廷魔導師は認めない
ベヒモス討伐からしばらく経っても、王都の混乱は収まらなかった。
それも当然だった。
東地区を壊滅寸前まで追い込んだ災害級魔獣が、たった一人の冒険者によって討伐されたのだ。しかもその冒険者は、王都の誰もが見下すFランク。事情を知らない者ほど、その事実を受け入れられなかった。
ベヒモスの死体周辺には兵士や騎士だけでなく、避難していた貴族や野次馬まで集まり始めていた。
「本当に死んでいるぞ……」
「信じられん……」
「騎士団が来る前に終わったらしい」
ざわめきは広がるばかりだった。
そんな中、宮廷魔導師団副団長アレス・フォン・レイヴンは巨大な死体を前に腕を組んでいた。若くして副団長まで上り詰めた天才魔導師であり、王都では知らぬ者のいない実力者である。
しかし彼の表情は険しかった。
納得できない。
どう考えてもおかしい。
アレスはベヒモスの額に残された穴を見つめた。
傷は一つだけ。
しかも小さい。
本来なら数十人、いや数百人が総攻撃してようやく倒せる魔獣だ。それがこんな小さな傷一つで絶命しているなど理屈に合わない。
だから彼は結論を出した。
「あり得んな」
周囲の視線が集まる。
「副団長?」
「何か分かったのですか?」
アレスはゆっくり首を振った。
「分かったことが一つある」
その視線が零司へ向く。
「この男が倒したという話は嘘だ」
空気が少し変わった。
王都の人間たちは思わず頷く。
その方が理解できるからだ。
Fランクが災害級魔獣を倒すなど、誰も信じたくない。
「事前に弱っていたのだろう」
「なるほど……」
「それなら説明がつく」
賛同する声が上がる。
一方でグラッドは頭を抱えた。
横ではオルフェンがため息を吐いている。
また始まった。
二人とも同じ感想だった。
強い奴ほど最初は認めない。
そして認めた瞬間に絶望する。
今まで何度も見てきた流れだった。
アレスは零司へ歩み寄る。
「お前が倒したと言うのか?」
「はい」
零司は素直に頷いた。
「どうやってだ」
「デスビームです」
即答だった。
周囲が静まり返る。
アレスの眉がぴくりと動く。
「ふざけているのか?」
「いえ?」
「そんな魔法は存在しない」
「そうなんですか」
零司は本気で驚いた顔をした。
アレスの苛立ちはさらに増した。
話が噛み合わない。
いや、会話自体は成立しているのに、根本的な認識が噛み合っていない。
「魔力も感じない」
アレスは断言する。
「お前は魔法使いですらない」
「たぶんそうですね」
「ならばベヒモスを倒せるはずがない」
「でも倒しました」
「だからそれが嘘だと言っている!」
アレスの声が大きくなった。
しかし零司は困ったような顔をするだけだった。
本当に倒したので説明のしようがない。
その様子を見ていたレオハルトは複雑な気分だった。
つい数時間前までの自分を見ているようだったからだ。
彼も同じだった。
Fランクだから弱い。
常識的に考えてあり得ない。
そう決めつけていた。
だが現実を見た。
見てしまった。
だからもう否定できない。
それなのにアレスは否定し続けている。
まるで少し前の自分だった。
「副団長」
その時、オルフェンが口を開いた。
「私は現場を見ています」
アレスが振り向く。
王立研究院の上級研究員であるオルフェンの言葉は無視できない。
「一撃でした」
静かな声だった。
「私だけではありません。兵士も住民も全員見ています」
「見間違いだ」
アレスは即答した。
「副団長」
「あり得ないことはあり得ない」
その言葉にオルフェンは口を閉じた。
研究者として理解できなかった。
証拠より先に結論を決めている。
だが人は時として、自分の常識を守るために現実を否定する。
アレスはまさにその状態だった。
すると隣でグラッドが吹き出した。
「何がおかしい」
「いや別に」
グラッドは笑いを堪えながら答える。
「ただ、俺も最初は同じこと言ってたなと思ってな」
アレスが眉をひそめる。
意味が分からない。
しかしグラッドはそれ以上説明しなかった。
どうせすぐ分かる。
そう思ったからだ。
その時だった。
ベヒモスの死体を調べていた兵士が突然叫んだ。
「副団長!」
全員が振り向く。
兵士の顔は真っ青だった。
「死体が変です!」
異変は誰の目にも明らかだった。
ベヒモスの黒い皮膚の下から、金色の光が浮かび上がっている。
まるで血管のように全身へ広がっていた。
オルフェンの顔色が変わる。
グラッドも息を呑んだ。
見覚えがあった。
ブラックワイバーンの尻尾に刻まれていた紋様と同じだ。
「まさか……」
オルフェンが呟く。
その直後だった。
金色の紋様が激しく発光した。
地面が震える。
兵士たちが後退する。
騎士たちが剣を抜く。
そして誰もが信じられない光景を目撃した。
ベヒモスの死体が動いたのである。
巨体が震える。
折れていた首が持ち上がる。
赤い瞳に再び光が宿る。
周囲から悲鳴が上がった。
「嘘だろ!?」
「生き返った!」
「あり得ない!」
王都が再び恐慌状態に陥る。
騎士たちは顔を青くし、貴族たちは我先にと逃げ出した。
つい先ほどまで余裕だったアレスも絶句している。
理解が追いつかなかった。
完全に死んでいたはずだ。
それが再び立ち上がるなど聞いたことがない。
しかし現実には起きている。
巨大なベヒモスは咆哮を上げ、周囲の建物を揺らした。
王都に二度目の絶望が訪れようとしていた。
そんな中、零司だけは不思議そうな顔をしていた。
「生き返ったんですか?」
誰も答えられない。
オルフェンも。
グラッドも。
アレスですら。
ただ巨大な魔獣を見上げることしかできなかった。
そして零司は軽く首を傾げると、再び右手を持ち上げた。
その姿を見たグラッドは小さく呟く。
「副団長」
「な、何だ……」
「今ならまだ謝っとけ」
「は?」
「たぶん次の三秒で、お前の常識は死ぬ」
アレスは意味が分からなかった。
だが、その言葉が妙に嫌な予感を伴って胸に残った。
そして零司の指先には、見覚えのある黒い光が静かに集まり始めていた。




