第31話 53万くらいかと思っていました
ベヒモス討伐の報せは、文字通り王都を駆け巡った。
いや、駆け巡ったという表現ですら足りないかもしれない。
東地区の住民たちは実際に見ていた。兵士たちも見ていた。避難していた貴族たちも見ていた。巨大な災害級魔獣が、一人の青年の指先から放たれた黒い光によって倒される瞬間を。
だから隠しようがなかった。
王都史上でも指折りの大事件である。
ところが、その中心人物だけは相変わらずだった。
「終わりましたね」
零司は倒れたベヒモスを見上げながらそう言った。
まるで薬草採取の依頼を終えたような口調だった。
周囲の兵士たちは返事すらできない。
終わった?
確かに終わった。
だが普通はそんな感想にならない。
騎士団総出でも被害覚悟の相手だったのだ。
それを一撃で終わらせておいて「終わりましたね」で済ませる人間を、彼らは初めて見た。
やがて遠くから馬の蹄の音が響く。
騎士団だった。
全速力で駆けつけたのだろう。
だが到着した彼らが見たのは、すでに絶命しているベヒモスと、その近くで平然と立っている青年の姿だった。
「……は?」
騎士団長が思わず声を漏らす。
無理もない。
途中まで覚悟を決めていたのだ。
部下の何割かは死ぬだろう。
自分も生きて帰れる保証はない。
それほどの相手だった。
しかし現実には戦いそのものが終わっていた。
しかも被害は最小限。
理解が追いつかない。
「誰がやった」
騎士団長が問う。
すると兵士たちの視線が一斉に零司へ向いた。
騎士団長もそちらを見る。
Fランク冒険者のタグ。
若い男。
武器なし。
魔力反応なし。
どう見ても普通だった。
だからこそ混乱する。
「冗談だろう?」
誰も笑わなかった。
それで察した。
冗談ではないらしい。
⸻
その頃、レオハルトは完全に固まっていた。
頭の中が整理できない。
いや、整理しようとしても無理だった。
自分は王都の名門貴族である。
幼い頃から才能を褒められてきた。
魔法も剣術も優秀。
周囲からも将来有望と言われ続けてきた。
だから自信があった。
Fランク冒険者など、自分より遥か下の存在だと。
だが結果はどうだ。
自分が恐怖で動けなくなった相手を、この男は一撃で倒した。
勝負にすらなっていない。
比較すること自体がおこがましい。
そんな事実を突き付けられていた。
⸻
「零司君」
オルフェンが近付いてくる。
研究者らしく興奮を隠せていない。
「ベヒモスを見てどう思ったかね」
「大きかったです」
「それは分かります」
即答だった。
周囲から小さな笑いが漏れる。
オルフェンは続ける。
「強さは?」
零司は少し考えた。
真面目に考えた。
そして。
「53万くらいかと思っていました」
空気が止まった。
グラッドが天を仰ぐ。
また始まった。
時々出る意味不明な発言である。
「五十三万?」
オルフェンが首を傾げる。
「何の数値です?」
「分かりません」
即答だった。
「分からないのか!?」
グラッドが思わず突っ込む。
「はい」
「じゃあ何で出てきた!」
「何となくです」
誰も理解できなかった。
本人も理解していない。
だが不思議と背筋が寒くなる。
レオハルトはそのやり取りを聞きながら、なぜか妙な恐怖を感じていた。
意味は分からない。
分からないのに怖い。
そんな感覚だった。
⸻
その時だった。
王都の奥から新たな馬車が現れる。
今度は先ほどまでとは格が違った。
豪華絢爛。
護衛の数も多い。
周囲の騎士たちが一斉に姿勢を正す。
「宮廷魔導師団だ」
誰かが呟いた。
王国最高峰の魔法使いたち。
貴族ですら頭を下げる存在。
その馬車が止まる。
そして中から、一人の青年が降りてきた。
年齢は二十代後半。
高価なローブを纏い、自信に満ちた顔をしている。
王都では有名人だった。
宮廷魔導師団副団長。
天才魔導師。
若くして頂点へ上り詰めた男。
彼はベヒモスの死体を見て眉をひそめる。
そして零司を見る。
Fランクのタグを見る。
鼻で笑う。
「なるほど」
レオハルトはその表情を見てしまった。
つい数時間前の自分と同じ顔だった。
相手を見下し。
格下だと決め付け。
理解した気になっている顔。
そしてグラッドも同じことを思っていた。
(ああ……)
心の中で合掌する。
(次の犠牲者が来たな)
宮廷魔導師団副団長はまだ知らない。
自分が今から常識を破壊されることを。
そしてその背後では。
誰にも気付かれないまま。
倒れたベヒモスの死体に、一瞬だけ金色の光が走っていた。




