第30話 ベヒモスの方が可哀想でした
の方が可哀想でした
王都東地区は地獄と化していた。
石造りの建物が崩れ、通りには瓦礫が散乱している。住民たちは必死に避難を続け、兵士たちは少しでも時間を稼ごうと奔走していた。
しかし、その努力は焼け石に水だった。
ベヒモスが一歩踏み出すだけで建物が潰れる。
巨大な腕が振るわれるだけで石壁が砕け散る。
まさに災害だった。
魔獣というより、歩く天災。
王都の兵士たちは必死に攻撃していたが、矢も魔法もほとんど効いていない。
「駄目だ!」
「止まらない!」
「騎士団はまだか!」
悲鳴と怒号が飛び交う。
その中には、レオハルトの屋敷で働いていた使用人たちの姿もあった。
彼らは必死に避難していたが、巨大な魔獣の姿を見て顔面蒼白になっている。
そして当のレオハルト本人は、正門から東地区へ向かう街道を全力で走っていた。
護衛たちが止めても聞かない。
家族がいる。
屋敷がある。
じっと待っていることなどできなかった。
だが途中で足が止まる。
遠くに見えたからだ。
ベヒモスの姿が。
実際に目の前で見ると圧迫感が違う。
巨大な山が歩いているようだった。
本能が告げている。
勝てない。
絶対に勝てない。
その瞬間、レオハルトは膝が震えるのを感じた。
初めてだった。
ここまで圧倒的な存在を前にしたのは。
⸻
その頃。
当の零司は普通に歩いていた。
避難する住民たちとすれ違いながら、東地区の中心部へ向かう。
「逃げてください!」
兵士が叫ぶ。
「危険です!」
零司は素直に頷く。
「はい」
だが歩みは止まらない。
兵士は困惑した。
返事は良いのに行動が真逆である。
⸻
やがて瓦礫の山を越えた先で、ついにベヒモスが見えた。
近くで見るとさらに大きい。
建物の三階部分ほどの高さがある。
分厚い筋肉。
巨大な牙。
黒い皮膚。
確かに強そうだった。
零司はしばらく観察する。
そして率直な感想を述べた。
「大きい牛みたいですね」
もちろん違う。
全然違う。
だが本人は真面目だった。
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ベヒモスも零司に気付いた。
巨大な赤い瞳が向けられる。
その視線だけで普通の人間なら動けなくなるだろう。
実際、近くにいた兵士たちは凍り付いていた。
しかし零司は変わらない。
「すみません」
むしろ話しかけた。
「そこをどいてもらえますか?」
兵士たちは耳を疑う。
何を言っているんだこの人は。
相手はベヒモスだぞ。
会話が成立するわけがない。
当然ながらベヒモスも返事をしない。
代わりに咆哮を上げた。
凄まじい衝撃波が周囲へ広がる。
窓ガラスが砕け、瓦礫が吹き飛ぶ。
普通なら立っていられない。
だが零司の服が少し揺れただけだった。
「駄目ですか」
残念そうだった。
⸻
次の瞬間。
ベヒモスが前脚を振り上げる。
巨大な影が零司を覆う。
兵士たちは悲鳴を上げた。
直撃すれば人間など跡形もなく潰れる。
誰もがそう思った。
だが。
零司はその巨大な前脚を見上げながら、少しだけ困ったような顔をした。
「危ないですね」
そして。
右手を上げる。
人差し指を向ける。
それだけだった。
⸻
遠くから見ていたグラッドは思わず目を閉じた。
結果が分かり切っていたからだ。
オルフェンも同じだった。
むしろベヒモスに同情している。
門番たちはまだ理解していない。
レオハルトも理解していない。
だから食い入るように見つめていた。
⸻
零司は小さく呟く。
「デスビーム」
黒い光が走った。
本当に一瞬だった。
雷より速く。
矢より速く。
目で追うことすらできない。
そして。
ベヒモスの動きが止まった。
巨大な前脚が空中で静止する。
咆哮も止まる。
風も止まったような気がした。
誰も声を出せない。
⸻
次の瞬間。
ベヒモスの額に小さな穴が開いた。
それだけだった。
爆発もない。
派手な演出もない。
ただ小さな穴。
しかし。
その巨体はゆっくりと傾き始める。
ドォォォォォン!!
地面が揺れた。
王都全体が震える。
巨大な魔獣が倒れたのだ。
それだけで地震のような衝撃が走った。
そして。
動かない。
二度と。
⸻
沈黙が訪れる。
兵士たちは口を開けたまま固まっていた。
住民たちも動けない。
レオハルトも立ち尽くしている。
何が起きたのか理解できなかった。
いや。
理解したくなかった。
Sランク災害級魔獣。
王国軍総動員級の存在。
それが。
たった一発だった。
⸻
零司は倒れたベヒモスを見ながら首を傾げる。
「少し強かったでしょうか」
その言葉を聞いた瞬間。
グラッドは顔を覆った。
オルフェンは空を見上げた。
護衛騎士たちは遠い目をする。
もう慣れ始めている自分たちが怖い。
⸻
そしてレオハルトだけは呆然としていた。
数十分前。
自分は何と言ったか。
Fランク。
最底辺。
王都では通用しない。
本物の強者を知らない。
そう言った。
その結果がこれだった。
目の前には倒れたベヒモス。
そして平然と立つ零司。
レオハルトの価値観が音を立てて崩れ始めていた。




