第25話 王都の研究者
二百体を超える魔物の群れが消滅してから一時間後。
宿場町は異様な熱気に包まれていた。
本来なら今頃、町のあちこちで悲鳴が上がっていたはずだった。北門は破られ、兵士や冒険者に死傷者が出ていたかもしれない。運が悪ければ町そのものが壊滅していてもおかしくない。
だが現実は違った。
二百を超える魔物は一瞬で消え去り、被害はほぼゼロ。住民たちは助かった喜びから広場へ集まり、酒や料理を持ち寄って即席の宴会を始めていた。子供たちは走り回り、大人たちは生還を祝って杯を交わしている。
その光景を見ながら、グラッドは深いため息を吐いた。
「あれだけの魔物がいたんだぞ……」
隣にいた護衛騎士隊長が苦笑する。
「分かっている」
「いや、分かってないだろう」
グラッドは真顔だった。
普通ならAランク冒険者を呼ぶ案件だ。最悪の場合は騎士団の出動すら検討される。それを一人で解決した男が、今は何をしているか。
視線の先。
宿の食堂。
そこでは零司が料理を前に幸せそうな顔をしていた。
「おかわりお願いします」
「まだ食べるのか?」
「今日はたくさん動きましたから」
本人は至って真面目だった。
二百体の魔物を消した直後とは思えない。
グラッドは額を押さえた。
どう考えても疲れるのは周囲の方である。
食堂の客たちも似たような気持ちだったらしく、誰もが遠巻きに零司を見ていた。
町を救った英雄。
そう呼ばれてもおかしくない。
だが誰も近付こうとしない。
尊敬より先に畏怖があった。
何しろ目の前で常識を破壊されたばかりなのだ。
「本当に何者なんだ……」
誰かが呟く。
誰も答えられない。
グラッドですら答えを持っていなかった。
ただ一つだけ分かる。
自分では絶対に敵に回したくない。
それだけだった。
そんな時だった。
食堂の扉が静かに開く。
派手な音ではない。
しかし、なぜかグラッドは反射的に視線を向けていた。
入ってきたのは一人の老人だった。
年齢は六十代後半だろうか。
黒いローブを身に纏い、杖を持っている。どこにでもいそうな老人に見えるが、妙に存在感があった。
特に目が違う。
知識欲に取り憑かれた研究者特有の目だった。
老人は店内を見回し、やがて零司を見つける。
その瞬間。
口元が僅かに歪んだ。
まるで長年探していた宝物を発見したような笑みだった。
グラッドの胸騒ぎが強くなる。
「初めまして」
老人は零司の席まで歩いていき、丁寧に頭を下げた。
「私はオルフェン。王立魔術研究院の客員研究員をしております」
食堂がざわつく。
王立魔術研究院。
その名を知らない者は少ない。
王国最高峰の研究機関であり、魔法や魔道具の研究を行う頭脳集団だ。
地方の宿場町で会うような人物ではない。
零司は肉を咀嚼しながら首を傾げた。
「研究員?」
「ええ」
「薬草の研究ですか?」
オルフェンの笑顔が少しだけ固まった。
周囲の客たちは吹き出しそうになる。
この男は本当にぶれない。
世界最強かもしれない存在を前にして、話題が薬草なのである。
「残念ながら違います」
オルフェンは咳払いをした。
「私は魔法の研究者です」
「そうなんですね」
興味はなさそうだった。
オルフェンは一瞬だけ困った顔をしたが、すぐに笑顔へ戻る。
「実は、あなたについて少し興味がありまして」
その言葉に周囲の空気が変わった。
グラッドも護衛騎士たちも自然と耳を傾ける。
オルフェンの態度は穏やかだ。
しかし視線だけは鋭い。
獲物を観察する猛禽類のような目だった。
「私ですか?」
「はい」
オルフェンは頷く。
「ブラックワイバーンの件。そして先ほどの魔物の群れの件。実に興味深い」
零司は少し考えた。
そして答える。
「ワイバーンは大きかったですね」
「そこではありません」
オルフェンは即座に否定した。
食堂のあちこちから笑いが漏れる。
だがオルフェン自身は笑っていなかった。
彼の視線は零司の右手に向いている。
正確には人差し指。
まるでそこに秘密が隠されていると知っているかのようだった。
「その技は魔法ですか?」
オルフェンが聞く。
零司は首を横に振る。
「違います」
「では闘技?」
「違います」
「特殊能力?」
「違います」
オルフェンの眉が動く。
「では何ですか?」
零司は少し考えた。
本当に少しだけ考えた。
そして真顔で答える。
「デスビームです」
食堂が静まり返った。
グラッドは思わず顔を覆う。
護衛騎士たちは遠い目をする。
オルフェンだけが真面目な顔で考え込んでいた。
「デスビーム……」
「はい」
「そういう名称なのですね?」
「たぶん」
「たぶん?」
「昔からそう呼んでいた気がします」
オルフェンはさらに考え込む。
だが何も分からない。
当然だった。
本人も分かっていないのだから。
しかし、その瞬間だった。
零司の背後に立つランプの灯りが揺らぐ。
オルフェンの視界が一瞬だけ歪んだ。
そして見えた。
黄金に彩られた巨大な玉座。
星々を従える絶対者。
小柄でありながら、世界そのものを見下ろすような存在。
退屈そうな顔で頬杖をつきながら、こちらを眺めている何か。
オルフェンの呼吸が止まる。
瞬きをする。
幻は消えていた。
そこにいるのは相変わらず肉を食べている青年だけだ。
しかし冷や汗は止まらない。
研究者としての本能が告げていた。
目の前の存在は危険だ。
知ってはいけない領域に片足を突っ込んでいる。
そんな感覚だった。
それでもオルフェンは笑う。
研究者だからだ。
未知を前にして引き返せる人種ではない。
「なるほど」
そう呟きながら、彼は決意する。
この青年について調べよう。
徹底的に。
その判断が、後に人生最大の後悔になることも知らずに。




