第20話 ブラックワイバーン
ブラックワイバーン。
その名を聞いた瞬間、護衛騎士たちの顔色が変わった。
王都の使者たちは魔物に詳しくないが、それでも空気で分かる。
まずい相手なのだと。
森の奥から現れた魔物は、確かに異様だった。
全長は十メートルを超える。
漆黒の鱗に覆われた身体。
鋭い牙。
大木を切り裂けそうな爪。
そして何より、その赤い瞳には獣特有の理性のない殺意が宿っていた。
護衛隊長が剣を抜く。
額には汗が浮かんでいた。
「なぜこんな場所にいる……」
本来なら山岳地帯の奥深くに生息する魔物だ。
街道近くに現れること自体が異常だった。
「隊長……」
若い騎士が震える声を出す。
「勝てるんですか?」
隊長は答えられなかった。
正直に言えば無理だ。
自分たちでは。
もしここにBランク冒険者のパーティーがいたとしても苦戦するだろう。
それほど危険な魔物だった。
ブラックワイバーンは低く唸る。
その巨体が一歩踏み出すだけで地面が揺れた。
馬車の中から悲鳴が上がる。
商人たちは青ざめ、子供を抱き寄せる母親は泣きそうな顔をしていた。
そんな中。
零司だけは首を傾げていた。
「大きいですね」
感想だった。
護衛隊長は思わず振り返る。
大きいですね、で済む相手ではない。
だが零司は本気でそう思っただけらしい。
「零司殿」
使者の一人が恐る恐る声を掛ける。
「はい」
「倒せますか?」
零司はブラックワイバーンを見る。
少し考える。
そして答えた。
「たぶん」
その曖昧な返事に全員が不安になった。
しかし次の瞬間。
ブラックワイバーンが咆哮を上げた。
凄まじい音圧だった。
近くの木々が揺れる。
馬車の馬たちが暴れ始める。
商人たちの悲鳴も重なった。
そして。
ブラックワイバーンは翼を広げた。
飛ぶ。
そう理解した瞬間、隊長の顔色が変わる。
地上ならまだしも、飛ばれたら手が付けられない。
「まずい!」
叫んだ。
しかし。
零司はのんびりと呟く。
「飛ぶんですか」
その声は、どこか感心したようだった。
ブラックワイバーンが空へ舞い上がる。
巨大な影が地面を覆った。
そして真っ直ぐ馬車へ向かってくる。
獲物を狙う猛禽類のように。
護衛騎士たちが絶望する。
誰も間に合わない。
その時だった。
零司が一歩前へ出る。
「おやおや」
珍しくそんな言葉を漏らした。
そして小さくため息を吐く。
「それは感心しませんね」
ブラックワイバーンは構わず突っ込んでくる。
牙を剥き。
爪を伸ばし。
人間など簡単に引き裂けると信じて。
だが。
零司は右手を上げただけだった。
人差し指を向ける。
いつもの動作。
それだけ。
「デスビーム」
黒い光が走る。
一瞬だった。
本当に一瞬。
次の瞬間。
ブラックワイバーンの姿が消えていた。
正確には違う。
消えたのは上半身だけだった。
残った下半身が地面へ落下する。
ズドォォォン!!
轟音が響いた。
森の鳥たちが一斉に飛び立つ。
土煙が舞い上がる。
そして。
静寂が訪れた。
誰も喋らない。
誰も動かない。
全員が目の前の光景を理解できずにいた。
ブラックワイバーン。
Bランク危険種。
熟練冒険者ですら命懸けで戦う魔物。
それが。
一秒も掛からずに終わった。
零司は煙の向こうを見ながら呟く。
「終わりましたね」
まるで薬草を採り終えたような口調だった。
使者たちは顔を引きつらせる。
盗賊の時もそうだった。
だが今回は規模が違う。
これが王都で噂になっていた男。
ようやく理解できた。
噂の方が控えめだったのだ。
護衛隊長が剣を下ろす。
そして苦笑した。
「助かりました」
零司は頷く。
「良かったです」
本当に良かったと思っている顔だった。
その時。
若い騎士がブラックワイバーンの死体を見て叫んだ。
「隊長!」
「どうした!」
「これ……」
騎士は震える指で死体を指差す。
全員がそちらを見る。
そして固まった。
ブラックワイバーンの下半身。
そこには金色に輝く紋章のようなものが刻まれていた。
自然の模様ではない。
明らかに人工物。
誰かが刻んだ印だった。
隊長の顔色が変わる。
「まさか……」
使者も目を見開く。
その紋章を知っていた。
王都でも極秘扱いされているものだからだ。
「どうしたんですか?」
零司が聞く。
使者はしばらく黙った後、小さく呟いた。
「面倒なことになったかもしれません」
王都へ向かうだけの旅。
そのはずだった。
しかしどうやら違うらしい。
ブラックワイバーンは偶然現れたのではなかった。
誰かが放ったのだ。
しかも王都に関係する何者かが。
零司は首を傾げる。
話がよく分からない。
だが一つだけ確かなことがあった。
「薬草採取は難しそうですね」
その言葉に護衛騎士たちは頭を抱えた。
どうやら本当に、この人はどこまでもこの人らしい。




