第8話 学園生活の始まり①
新学期を間近に控え、宮殿から学園へ移る日がやってきた。
その王立学園は王都から少し外れた場所にある。
聞くところによると、王立学園はこの大陸唯一の魔法教育機関らしい。
魔族を別にすれば、世界中の王族や貴族、ときには平民までが集うという。
創設はこの王国だが、実質は大陸各国の王侯貴族が集う国際的な学び舎だ。
(……それにしても、すごい行列だな)
正直、俺用の馬車が一台用意されているだけだと思っていた。
だが、まったく違った。
先発隊、前衛の護衛、荷馬車、そして後衛まで――大勢の人間が列を成していた。
人だけで150人を超え、馬は200頭近くいた。
王太子が公式に学園へ移るのだから、威光を示す意味もあるのだろう。
だが、いくらなんでも大げさすぎないか……。
退屈に耐えかねて、同乗している従者に尋ねてみた。
「あと何時間ほどかかるのだ?」
「三日ほどでございます」
「……」
一日あれば飛行機で地球の裏側まで行ける21世紀の現代人からすると、三日はあまりにも長い。
いや、魔法でエスプレッソすら淹れられるのに、エンジンは作れないのかよ。
蒸気機関くらいなら作れそうな気もするが。
そんなことを考えていると、従者がさっと俺の顔色をうかがい、馬車の小窓を少し開けた。
「殿下はこの遅れを不興に思し召された」
「はっ!」
馬車の横に控えていた騎乗の従者が、すぐさま前衛へ伝令に走った。
「殿下が、行軍が遅いと仰せだ! 歩調を上げよとのご命令である!」
「承知した」
前衛の騎士は、さらに命令を飛ばした。
「王太子殿下のご命令だ。間隔を詰め、速度を上げよ!」
「はっ! 殿下が遅いと仰せだ! 前の荷馬車、遅れるな!」
「御者!! 馬を遊ばせるな!! 全速前進だ!!」
「後衛、間隔を空けるな!! 速度を落とす者は殿下の御成りを侮辱したものとみなす!!」
いや、俺、何も言ってないんだが……。
だが、俺の内心など知る由もなく、車列の速度はみるみる上がっていった。
馬車の揺れも激しくなり、尻が何度も座席から宙に浮いた。
(……言葉だけじゃなく、表情まで管理しなきゃダメだな)
王族というのは、本当に面倒なものだと痛感した瞬間だった。
◇
「到着いたしました」
「うむ」
食事も睡眠も極力削り、停車時間を詰め、先発隊は強引に道をこじ開け、馬まで限界ぎりぎりに走らせた。
その結果、短縮できたのはたった半日。
……いや、半日でも縮まっただけ御の字か。
従者が馬車の扉を開けた。
何も考えずに馬車を降りた、その瞬間だった。
パァァァーッ――!!
正門の両脇から、高らかなラッパの音が響き渡った。
続いて、屈強な男が一歩前へ進み出ると、手にした銀の杖の先で地面をトンと突いた。
「リシャール王国王太子、パトリック殿下のお成りであーる!」
反射的に肩がすくむほどの、やけに大きな声だった。
おそらく魔法を使って、拡声器のように声を増幅させたのだろう。
だが、それ以上に驚いたのは次の瞬間だった。
「「わあああ!!」」
その一言を合図に、正門へ続く道沿いに並んでいた人々が、一斉に歓声を上げた。
「パトリック殿下万歳!」
「リシャール王国に栄光あれ!」
……瞬く間に、全身にすさまじいプレッシャーがのしかかってきた。
なんだ、俺って実はアイドルか何かだったのか?
だが、人々の顔を見渡してみると、歓呼している者ばかりではなかった。
中には、明らかに俺に冷たい視線を向ける者もいた。
(本物のアイドルじゃないんだから、ファンサなんてしなくてもいいよな?)
正直、ただの元サラリーマンに本物の王太子の振る舞いなど分かるはずがない。
だから教わった通り、視線を正面に据え、速すぎず遅すぎず歩いた。
……てか俺、どこに行けばいいのか知らないんだけど。
本来のパトリックなら今年で二年生だから道は知っているはずだが、俺は知らない。
原作のネット小説にしたって、校内の道順まで細かく描かれていたわけじゃない。
もし見当違いの道へ進んだら、とんでもない恥をかくのでは?
背中に冷や汗が伝いそうになった、そのときだった。
「殿下!」
不意に、誰かが俺の行く手を遮った。
華やかな金髪がふわりと揺れた。
「事前にお知らせいただければ、私が直々にお迎えに参りましたのに。なぜ教えてくださらなかったのですか!」
「……カトリーヌ」
数名の護衛が一瞬身構えたが、相手がカトリーヌだと分かると、安堵の息をついた。
まあ、ここで俺に万が一のことがあれば彼らの首が飛ぶからな。
この前もいきなり俺の寝室に押し掛けてきたし、周りの迷惑になるから、こういう突撃はマジでやめてほしい。
「あえて迎えに出てもらう必要はないと判断した。お前は婚約者であって、従者ではないからな」
「そ、それでもきっと、私もお役に立てたはずですのに……」
「二度言わせる気か?」
「も、申し訳ございません……」
カトリーヌは、しゅんとうなだれた。
前にも思ったが、意外とパトリックの言葉だけは素直に聞くんだよな。
まさか、本気でパトリックのことが好きなのか?
そのとき、女たちの話し声が耳に飛び込んできた。
「本当にみっともないですわね、カトリーヌ様は」
「ええ。公爵家の令嬢とは思えぬ、品のなさですわ」
「そういえば、あんな噂もありましたわよね? 実は公爵夫人が不貞を働いたとか」
「あらあら。それなら、あの見苦しいお姿にも納得がいきますわね」
あまりにも露骨な陰口。
しかも、わざと聞こえるように言っているのか?
たとえルロワ公爵家の敵対派閥だとしても、さすがに度が過ぎている。
(あ、俺が流した噂のせいか)
どうやら彼女たちは、俺がカトリーヌではなくシルヴィに目をかけているという噂を聞いたらしい。
だからこそ、公然とカトリーヌを貶めても構わないと踏んだのだろう。
あるいは、そうすれば俺の機嫌が取れると勘違いしているのか。
それとも、敵対派閥の令嬢が恥をかく様子を、いい気味だと楽しんでいるだけなのか。
声のした方へ、ゆっくり視線を向けた。
三人の貴族令嬢がびくりと身をすくませ、慌ててドレスの裾をつまみ上げ、カーテシーをとった。
俺が三人に歩み寄ると、裾を摘まんだ彼女たちの手が小刻みに震えはじめた。
たったこれだけで怯えるくらいなら、最初から陰口なんて叩かなければいいのに……。
「カトリーヌの品位について、ずいぶん楽しげに語っていたようだな?」
「い、いえ、滅相もございません」
「そうか? 私の空耳だったかな?」
傍らに控える従者へ目をやった。
やはり彼は意図を察し、即座に答えた。
「間違いなく彼女たちでございます」
「なるほど。このような見え透いた嘘をつき、私を愚弄する気だったか?」
「ち、ち、違います。た、ただ、カトリーヌ様の振る舞いが少々無礼なのではないかと……」
「まあ、急に私の前に立ちはだかるのは、いささか問題ではあるな」
「そ、そうでございます!」
その言葉に、彼女はぱっと顔を上げた。
怯えきっていた表情が、わずかに緩む。
まさか、俺が味方しているとでも思ったのか。
俺がもう一度従者に目配せすると、彼は間髪入れず声を張り上げた。
「無礼者! 殿下はまだ、面を上げよとは仰せになっておらぬぞ!」
「も、申し訳ございません!」
令嬢はすぐさま、再び頭を下げた。
俺は小さく咳払いをして言った。
「カトリーヌは教会と王家が認めた聖女だ。その品位を疑うことは、教会と王家の権威を疑うに等しい。お前は、教会と王家を敵に回すつもりか?」
「め、滅相もございません」
「ならば、いかなる理由で聖女の品性を下劣と評したのか、申してみよ」
「そ、それは……」
令嬢は口を固く結んだまま、顔を背けた。
ここで何を言っても、教会と王家の判断に異を唱えることになる。
黙り込むしかないのは当然だった。
もし王家からこの件が教会に伝わり、正式に問題視されれば、最悪、破門にまで至りかねない。
(これでルロワ公爵と教会の面目も保てるってわけだ)
いくら問題児とはいえ、カトリーヌも学園では家の看板を背負っている。
教会にしても、自分たちが選んだ聖女が侮辱される状況を快く思うはずがない。
まあ、純粋にカトリーヌが可哀想だと思ったのもあるが。
それに、カトリーヌにはできれば加害者側にいてもらわないと、後の断罪イベントが起こしにくい。
「内心でカトリーヌを疎むのはお前たちの自由だ。だが、それを私の耳に入る形で口にするのはまったく別の話だ。違うか?」
「お、おっしゃる通りでございます。今後、このようなことは二度といたしません」
「よかろう。もう下がるがいい」
「は、はい……」
これで、カトリーヌが面と向かって悪口を浴びせられることは、少しは減るだろう。
陰口なんて、誰が相手でも防ぎきれるものではないし。
三人の令嬢が逃げるようにその場を去ると、俺も再び元の進路へ戻った。
すると、カトリーヌが胸の前で両手を祈るように組み、うっとりと呟いた。
「ああ、殿下。私のためにあそこまでしてくださるなんて、私、感激ですわ」
「別に、お前のためではない」
「殿下は昔から、素直でいらっしゃいませんものね。私、これからも殿下のために一層自分を磨いてまいりますわ! それでは、これで失礼いたします!」
カトリーヌはドレスの裾を両手で持ち上げ、ぱたぱたとどこかへ駆け去っていった。
え、何だったんだ。
ただ挨拶しに来ただけだったのか?
まるで嵐のようだったな。
まあ、別にいいか。
長旅の疲れをさっさと癒したくて、俺は足を速めた。
いや、だから寮ってどこなんだよ?
そう途方に暮れかけた矢先、視界に見覚えのある姿が飛び込んできた。
俺は迷わず、その姿に声をかけた。
「シルヴィ嬢」
「ひえっ!?」
……なんだよ、その悲鳴。




