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悪役王太子に転生した俺、原作通り婚約破棄するため男爵令嬢に近づいたら、婚約者の聖女が静かに壊れ始めた  作者: おなきく


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第6話 手紙の返事

「いかがですか、殿下」


 従者が恭しく尋ねた。

 俺はカップを置いて、頷いた。


「実に美味いな。コーヒーを淹れる腕も見事だ」

「恐れ入ります。より一層精進いたします。おかわりをお淹れしましょうか」

「うむ」


 今日は日曜日。

 一週間で唯一の休日だ。

 もっとも王族に務めがないわけではない。

 朝一番に宮殿内の王室礼拝堂でミサに参列した。

 それを終えると、あとは特に予定もなく、のんびりとくつろいでいた。


「少々お待ちください」


 従者がコーヒー豆をひとつかみ手に取った。

 読経のように呪文を唱えると、やがてその手のひらから漆黒の雫がぽたりと滴り落ちた。

 まるで素手で林檎を握り潰す大道芸を見ているようだった。

 そう、ここのコーヒーは文字通りの手作りなのだ。


「何度見ても不思議だな。何という魔法だ?」

「はい、エスプレッソ魔法でございます。粉砕から抽出までを一手に担う複合魔法です」

「ほう、なるほど。見た目よりずっと難しそうだな」


 出されたのは湯で割ったアメリカーノだ。

 味は前世で飲み慣れたものと変わらない。


「はい。昔、偉大なる大賢者様が創り出された魔法だそうでございます」

「大賢者?」

「はい。ワタナベ大賢者様でございますが……」


 従者が小首を傾げた。

 ああ、ここじゃ知らないほうが非常識扱いされるのか。


「すまん、まだ記憶が混乱していてな」

「あ、いえ。そうでございました。申し訳ございません、私としたことが……」

「いや、無理もない。記憶の混乱とはいえ、偉大なるワタナベ大賢者様を忘れるとは、どうかしていたよ」


 それにしても、やけに聞き覚えのある名前だ。

 どうやらそのワタナベ大賢者も、俺と同じ現代日本人だった気がする。

 もしかすると、俺がこの世界を中世風テーマパークのように感じるのも、その同郷の功績のせいかもしれない。

 あとで詳しく調べてみる必要があるな。


「殿下」


 そのとき、扉が開き、封筒を手にした別の従者が入ってきた。


「シモン男爵家のシルヴィ嬢からの書状でございます」

「うむ」


 丁寧に封された手紙を開け、便箋を取り出した。

 やけに分厚いと思ったら、便箋はなんと十枚もあった。

 いや、俺は三枚くらいしか送っていないんだが?

 それすら長すぎたと思っていたのに。


 俺はコーヒーを啜りながら、ゆっくりとその長文に目を通した。


(なんだか、妙に俺へ積極的になったような……?)


 先日の食事の席で会話を回していたのは、もっぱら俺だった。

 ……いや、もはや俺の独演会だったと言ってもいい。

 前世で参加した合コンでも、イケメンが席を立った途端、女の子たちの口数が目に見えて減ったことがあった。

 あの気まずさを思い出させるほどだった。


(おそらく、俺を利用できると踏んだのだろうな)


 シルヴィは自分がどれほど美しいか、十二分に自覚しているはずだ。

 そのうえ、俺は食事の席でわざと立て続けに彼女の美貌を褒めちぎった。

 自分の美貌を武器に、この馬鹿な王太子を丸め込み、カトリーヌの立場を奪うつもりに違いない。


(それにしても、妙に食べ物の話が多いな)


 料理の一つひとつを褒め称える文章が、手紙の大半を占めていた。

 恋文というよりは、まるで美食評論家のコラムのようだった。

 そこまで書くことがなかったのだろうか。

 まあ、これほど美味しい食事を振る舞った俺に対する感謝の言葉で締めくくられていたが。


 手紙が中盤を過ぎたあたりで、俺のシモン男爵領訪問に対する返答が記されていた。


『このような辺鄙な我が領地に殿下をお迎えすれば、何かとご不便をおかけするのではないかと案じております。されど、殿下が本当にお越しくださるのであれば、私のみならずシモン家一同、心より歓迎申し上げます』


 要するに、OKということだろう。

 もうすぐ新学期が始まるから、実際の訪問は少し先になる。

 なにしろ王太子の訪問だ。

 俺にも男爵家にも、準備は山ほど必要になる。


(だけど、なんだか後半になるほど王家への賛美が多くなるな)


 この世界の貴族が王族に手紙を書く際の礼儀なのだろうか?

 正直、突然王太子になった俺には、何の感慨も湧かなかった。

 むしろ、ちょっと引いてしまうくらいだった。

 おそらく原作のパトリックは、こんなおだてにも騙されてしまったのだろう。


 俺は従者に便箋を渡しつつ尋ねた。


「この手紙、代筆か? それとも直筆か?」


 従者は恭しく便箋を受け取り、慎重に検分した。


「代筆かと」

「そうか。ああ、そうだ。一つ頼みたいことがある」

「頼み……でございますか?」

「噂を流してほしい。宮殿内だけでなく、できるだけ多くの貴族の耳にも入るようにな」

「具体的にはどのような内容で……?」


 二つの目的があった。

 まず、カトリーヌがいまだに静かすぎるのが妙だった。

 もしかすると誰かが、彼女の耳に入らないよう情報を遮っているのではないか――そんな疑念があった。


 そしてもう一つは、俺が教会を決して軽んじていないと示すためだ。

 いずれにせよ、現状ではカトリーヌを聖女として認定しているのは教会である。

 教会が内心カトリーヌを快く思っていなくても、俺が彼女を蔑ろにしている噂が立てば黙ってはいないだろう。


「シルヴィ嬢を伴い、俺が直々に総本山へ巡礼する計画を立てている、と」

「……!」


 どのみち総本山へ行くには、シモン男爵領を経由する必要がある。

 それなら、シモン男爵領へ赴くついでに総本山も訪れ、教会側と直接調整すればいい。

 自ら出向くこと自体が、誠意の表れにもなるはずだ。


 俺の言葉を聞くや、従者はごくりと生唾を飲み込み、深く頭を下げた。


「承知いたしました。殿下の壮大なる御心、私ごときには到底推し量れませんが、微力ながら尽力いたします」


 壮大なる御心……?



 ◇◇



 華美な装飾が施されたルロワ公爵家の執務室。

 公爵は椅子に腰掛け、腕を組み、深く考え込んでいた。

 やがて公爵は、傍らの執事長へ低く抑えた声を向けた。


「……近頃の噂を聞くに、我々は殿下を見誤っていた。大きく、な」

「と、おっしゃいますと?」

「私は、殿下が新たな聖女を探すとおっしゃったとき、てっきりそのときから探し始められるものと思い込んでいた」


 だがパトリックは、美貌で名高いシモン男爵家の娘とすでに接触していた。

 その上、直々に男爵領を訪問するという意思まで示したそうだ。


「殿下は私を呼び出す前から、すでにすべてを計算しておられたのだ」

「確かに、いささか早すぎる気はいたしますな」

「しかし、シモン男爵といえば教会派の代表格……。なぜよりによってシモン男爵家なのだ?」


 単に教権を弱体化させることが目的ならば、辻褄が合わない。

 噂によれば、王太子自身が教会の総本山へ赴く計画まで練っているという。

 これはむしろ、教権を強化しようとしているようにも読み取れる。


 だが、それは常識的に考えてあり得ない。

 自らの権力を進んで差し出そうとする王太子などいるだろうか。


「そうか! そういうことか!」


 公爵の目がカッと見開かれた。


「殿下は、我々の想像など及びもつかぬ大きな絵を描いておられるのだ!!」


 王権と教権は、表向きはそれぞれ異なる領域を治めている。

 しかし、権力であることに変わりはない。

 天下に二つの強大な権力が並び立っている以上、衝突するのは当然と言える。


「ははは、これは一本取られた。まさか殿下に、これほど恐ろしい野望がおありだったとは」

「野望……でございますか?」

「そうだ。よく考えてみろ。二つの国が争い、戦が終わった。その後、一方の王が敵国の首都へ直々に足を運んだとする。これは何を意味する?」

「……!」


 ここに至ってようやく、執事長も公爵の思考に追いついた。


「『ここの主は私だ』という、勝利の儀礼でございますね」

「その通り。つまり――」


 公爵がニヤリと唇を歪め、言葉を継いだ。


「殿下は、教会そのものを丸呑みにするおつもりなのだ!」


  聖女を自らの手ですげ替えようとしているのは、教会から聖女認定の権限を奪い取る意思の表れ。

 新たな聖女に教会派貴族の娘を選ぼうとしているのは、教会派の貴族たちを直接掌握するため。

 そしてその延長線上に、王太子自らが新たな聖女候補を伴って総本山へ向かうという一手がある。

 王太子が選んだ人間を、教会に否応なく承認させるための、強烈な圧力である。


「カトリーヌを呼べ! 我々も黙って見ているわけにはいかん! 公爵家の総力を挙げて、殿下をお支えするぞ!!」

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