第13話 新生徒会①
カトリーヌが差し出したスプーンを前に、俺はためらった。
このまま素直に食べていいのだろうか。
今は猛烈に腹が減っているし、丸二日も意識を失っていたのだから、粥は正しい選択だろう。
それに、自分で食べると言ったところで、魔力枯渇のせいか体に力が入らない。
(このままカトリーヌの好意に甘えてもいいのだろうか……)
俺が生き残るには、彼女との婚約を破棄し、国外へ追放しなければならない。
正確には魔王国へ向かわせる必要がある。
ここで素直に甘えてしまえば、今後の計画に支障が出るのではないか。
(重要なのは、カトリーヌに手ひどく裏切られたと思わせること)
よく考えてみよう。
なぜ原作のパトリック王太子は、ヒロインのカトリーヌにざまぁされる羽目になったのか。
単に政略結婚の相手が他の女にうつつを抜かしたからか。
それとも、片思いの相手が自分を振り向いてくれなかったからか。
(そうだ。原作ではたしか、浮気されたと書かれていた)
親同士が決めただけの婚約や、ただの片思いだったなら、あそこまでパトリックを憎むはずがない。
浮気されたと激しく非難されるほどだ。
パトリックはカトリーヌに気があるふりをし、彼女の好意を利用するだけだったのだろう。
だとすれば、今俺がすべきことは――
「ありがたくいただくとしよう」
差し出されたスプーンに自ら口を寄せ、粥を口に含んだ。
ほんのり塩気を帯びた熱々の米粒が、舌の上で柔らかくほどけ、喉の奥へ落ちていく。
久しぶりに口にした故郷を思い出すような味のせいか、鼻の奥がツンと熱くなった。
カトリーヌが満面の笑みを浮かべた。
「い、いかがですか!? お口に合いますか!?」
「ああ。とても」
「よかったですわ! 私、料理は初めてでしたので、もしお口に合わなかったらどうしようかと」
「……まさか自分で作ったのか」
「ええ、もちろんですわ! 妻が夫に料理を振る舞うのは、当然のことですもの」
貴族の夫人、それも王太子妃ともなれば、自ら厨房に立つなどあり得るだろうか。
百歩譲って関わるとしても、せいぜい指示を出す程度だろう。
カトリーヌは自信に満ちた表情で、もう一口分の粥を掬った。
「先代の聖女様は料理も大変お上手だったと伺っております。殿下はその方に似た女性がお好みだとおっしゃっていましたので、私、料理の特訓を始めましたの!」
「そ、そうか。私のためにわざわざ」
「はい! 他でもない、私の夫である殿下のためですもの!」
ふふっ、ふふふっ。
カトリーヌはなぜか不気味なほど嬉しそうに口元を綻ばせた。
なんだろう。
現代日本人としての記憶が戻る前は、元々こういう人間だったのだろうか……?
俺が知る原作のカトリーヌの姿とは少し違っていて、思わず首を傾げた。
◇
エルフの教授のおかげで魔法の問題はひとまず片付いた。
だが、二日という貴重な時間を無駄にしてしまった。
まあ、それでも口実ができたのだから良しとすべきか。
『落馬事故以来、しばらく魔法の訓練ができていなかった。久しぶりにリハビリをしようとしたところ、予期せぬ暴走事故が起きた』――そんな言い訳が通るようになったのだ。
(いよいよ明日は新学期か)
聞くところによると、この学園では新学期初日に始業式と入学式、さらに新生徒会の就任式までまとめて行うらしい。
その代わり、これといった授業はないそうだ。
なら、明日またシルヴィを食事に誘うか。
とにかくカトリーヌに浮気していると思わせるには、引き続きシルヴィに接近しなければならないし。
「殿下」
ひとり頷いて方針を固めていると、不意に従者が声をかけてきた。
「ブルーノ王国の第二王女、ルチア様がご面会を求めておいでです」
え? ブルーノ王国の第二王女?
お姫様ってことか?
俺の記憶が確かなら、ブルーノ王国は、ここリシャール王国の隣国だ。
リシャール王国は大陸部の発展が目覚ましく、内陸国としての色彩が強い。
一方、ブルーノ王国は沿岸部の比重が大きく、海運で栄えた海洋国家だ。
「……すまないが、まだ記憶が少し混乱していてな。私とルチア王女は知り合いだったか?」
「はい。私の知る限り、私的な親交が深いというほどではございませんが、公の場で何度か面識がおありです」
完全にビジネスライクってことか。
それにしても、やはり学生とはいえ、学園生活も公務の一環なんだな。
事実上、三年間は社交の訓練も兼ねているのだろう。
「わかった、通せ」
「はっ」
およそ一時間後、従者がルチア王女の到着を告げに来たので、俺は一階へ降りた。
応接室へ入ると、待っていた女子生徒が俺を見るなり席を立ち上がり、優雅にカーテシーをした。
「お久しぶりでございます、殿下。先日の事故の件、伺っておりましたが、ご無事で何よりです」
透き通るような白い肌と黄金色の瞳。
その輪郭を縁取る艶やかな黒髪が、ふわりと揺れる。
肩をあらわにした深い青のドレスは、その裾を床に優雅に垂らしている。
これまで見てきた令嬢の中では、彼女が最も日本人に近い顔立ちをしていた。
だが、男としてどうしても真っ先に目が行ってしまうのは――
(……おっぱい、でかっ)
鎖骨の下まで開いたドレスの胸元から、くっきりとした谷間とこぼれそうな豊かな膨らみが迫ってくる。
リシャール王国の貴族令嬢は、概して胸元を覆うデザインのドレスを着るが、ブルーノ王国は少し違うのだろうか。
とにかく、視線を奪われていると悟られないよう、気をつけねばならない。
俺はわざとらしくコホンと咳払いをしてから、口を開いた。
「王女殿下もご健勝のようで何よりです。私はまだ万全ではありませんので、飲み物はコーヒーにしたいのですが、構いませんか?」
「ええ、もちろんです。むしろ私のほうからコーヒーをお願いしたいくらいです。我が国ではエスプレッソにお目にかかれることが少ないですから」
「ブルーノではコーヒー豆があまり採れないのですか?」
「あ、いえ……」
何気なく投げかけた質問だったが、王女の指先がぴくりと震えた。
「むしろ我が国は、海上貿易でコーヒー豆を大量に輸入しております。それを貴国へ輸出しているのですが……」
「あ……わ、私の勉強不足でした」
こんなところでボロを出すわけにはいかない。
国家間の事情にうかつに踏み込むものではないと、内心で反省した。
俺が愛想笑いで誤魔化している間に、従者が「失礼いたします」と部屋へ入ってきた。
そして今日も相変わらず、目の前でコーヒー豆を両手いっぱいに握りしめ、魔法で器用にエスプレッソを抽出して見せた。
「やはり見事です。我がブルーノでエスプレッソ魔法をこれほど巧みに使いこなせる方は、ほんの一握りしかおりませんので……。いつになれば、魔法を軽視する風潮がなくなるのやら」
ああ、なるほど。
原材料は豊富にあるが、加工技術が乏しいというわけか。
なぜリシャール王国がこの大陸随一の強国なのか、わかる気がした。
ルチア王女がコーヒーを一口飲んだ。
「ん……やはり美味しいです。いつもこのような香り高いコーヒーを振る舞っていただき、感謝いたします」
「いえいえ」
別に俺の自腹でもなければ、俺が淹れたわけでもないからな。
俺もコーヒーを一口啜ってから尋ねた。
「それでルチア殿下、本日はどのようなご用件でいらしたのですか?」
すると従者は気を利かせたのか、そっと退室し、扉の外で控えてくれた。
やっぱりうちの従者は優秀だ。
ところが、ルチア王女の口から飛び出したのは、思いがけない言葉だった。
「まずは、殿下がお倒れになったと伺いましたので、在校生代表としてお見舞いに参りました。それと、明日は新学期です。新任の副会長として、殿下が抜かりなく準備を進めておられるか、確認に参った次第です」
「あ、左様ですか。……しかし、準備とは?」
俺に何か準備するものなんてあったか?
首を傾げる俺を見て、彼女は目を丸くした。
「で、殿下……? 当然、新生徒会の就任式ですとか、入学式での歓迎の辞ですとか……」
「……え?」
嫌な予感が、脳裏をよぎる。
まさか、まさか……。
「もしかして、私が生徒会長なのですか……?」
ルチア王女は静かに、しかしはっきりと頷いた。




