第12話 エルフの教授②
俺は何も答えられなかった。
今さら否定しても、もうバレている。
見え透いた嘘になるだけだ。
かといって認めれば、今の立場が危うくなる。
どうすべきか。
背筋に冷や汗がにじんだその時——
「なに、心配するんじゃないよ。さっき防音魔法を張っておいた。話が漏れる心配はないさ」
「……そうですか」
ルロワ公爵の時でさえ陽炎のように痕跡が見えたというに、この手際の鮮やかさには息を呑んだ。
ふと見れば、薄桃色の髪のカールスドッテル教授が、尖った耳をぴくりと動かしてにやりと笑っていた。
「で、あんたは日本人で間違いないんだね?」
「……どうか内密にお願いします」
「少なくともあんたが死ぬまでは他言無用にすると誓おうじゃないか!」
つまり俺が死んだあとは、バラすってことか。
相手はエルフなのだから、俺より長生きするのは間違いない。
まあ、どうせ俺の死後なら別に構わないか。
「で、あんたが私を呼んだ理由は?」
「魔法がまったく発動しないのです」
俺は症状を、試したことのすべてを残らず説明した。
教授はワインを一口含むと、あっさり言った。
「あ、なんだ、そんなことか」
「……え?」
「解決方法は簡単だよ」
俺は思わず身を乗り出し、次の言葉を待った。
簡単に解決するなら、それに越したことはない。
「だけど、タダで教えるわけにはいかないね!」
「ええ……。研究費とか、そういったものが必要ですか?」
「いや。私が望むのは一つだけさ」
教授は俺の額に人差し指を向け、言葉を続けた。
「あんたの日本での記憶。それを私におくれ」
「え……?」
ま、まさか、魔法で脳から記憶を抜き取る気か?
それとも記憶を食うとか?
ありとあらゆる想像が、頭の中を駆け巡った。
「何を妄想してるんだい。ただ普通に話してくれればいいのさ」
「あ、なるほど。別に構いませんが、秘密にしていただかないと困りますよ」
「もちろんさ。ああ、いっそ契約魔法をかけようじゃないか」
「契約魔法ですか?」
「本来は魔力をかなり食うから、大商人や高位貴族の取引にしか使われない代物だ。だがな、私を誰だと思ってる。由緒正しきエルフの一族だよ! 魔力なんて有り余ってるんだ!」
ハハハッ、とカールスドッテル教授は腕を組み、高らかに笑った。
まるで近所のオヤジが、自分の全盛期を得意げに語っているみたいだった。
「さあ、小指をこうやって出しな」
「はい」
教授に倣って小指を立てる。
すると彼女は小学生の指切りのように、自分の小指を俺の小指に絡めてきた。
「私たちがやるのは、ワタナベ式契約魔法さ」
「……」
ワタナベの野郎、日本文化を手当たり次第に広めまくってるじゃないか。
やがて教授は小さく咳払いをして目を閉じた。
何をすればいいのかわからないまま、俺もそれに倣って瞼を閉じた。
「我、カールの娘ブリッタ——」
カールスドッテル教授が俺に目くばせをした。
真似しろってことか?
「我、アランの息子パトリック——」
「違うよ! そりゃエルフ式の名乗りで、あんたは普通に名前を言えばいいのさ!」
「あ、そうなんですね」
だったら先に言ってくれよ。
教授はひとつ咳払いをして、最初からやり直した。
「我、カールの娘ブリッタ——」
「我、パトリック・ド・リシャール——」
「以下、カールの娘ブリッタを甲とする」
いや、これガチの契約じゃないか。
「……以下、パトリック・ド・リシャールを乙とする」
「甲は乙の求めに応じ、乙に一対一で魔法を教える。その対価として、乙は甲に日本にいた頃の記憶を偽りなく語る」
俺も同じように復唱した。
専属の家庭教師にでもなるつもりか。
まあ、リスクはあるが腕前は折り紙付きだ。
教授が続けて低く唱えた。
「甲は、乙の持つ日本に関する知識を悪意をもって転用すること、および乙の事前許可なく共有することを禁ずる。万が一、甲がこれに違反した際は、甲は乙が死亡するまで、乙によってすべての自由を奪われ、隷属するものとする。乙が偽って日本の記憶を語った場合も同様とする」
「……え?」
今、さらっとヤバい単語が聞こえたんだけど?
「だ、大丈夫なんですか? 自由を奪うなんて、まるで奴隷契約みたいですが……」
「なに! それだけ私の口が堅いってことさ。まったく気にするこたぁない。エルフ特有の誇張表現みたいなもんさ」
「そ、そうですか?」
「それに、あんたも嘘をつかなきゃいいだけの話じゃないか?」
「いやまあ、別に嘘をつくつもりはありませんけど……」
それでも、そんな物騒な条項を契約にさらっと入れてしまっていいのだろうか?
まあ、俺よりカールスドッテル教授の方が詳しいだろうから別にいいか。
何より、俺の秘密を守るには、これ以上の方法を思いつかなかった。
……それにしてもこの国、奴隷制まであるのか?
「甲はこの契約を最終確認し、同意する」
「乙はこの契約を最終確認し、同意する」
言い終えるや否や、絡めた小指の上に小さな魔法陣が二つ浮かんだ。
それが爪に染み込むと、全身の血管がドクンと脈打った。
「うっ……! きょ、教授、これは一体……?」
まさか、騙されたか?
実は暗殺者だったとか?
しまった、油断しすぎた。
こんなところで死ぬのか。
そんな考えが頭をよぎった瞬間、カールスドッテル教授がくすっと笑った。
「魔力の初体験ってやつさ」
「……え?」
「マナってのは魂を通して吸収され、排出されるんだよ。あんた、この世界に来て一度も魔法を食らったことないだろ?」
「そりゃ、まあ……」
「この世界の人間は、ごく一部の高貴な連中を除けば、子供の頃に一度くらいは魔法を食らうものさ。子供のイタズラでね」
雪合戦じゃあるまいし。
「だから自然と、体で魔力ってものを覚えるのさ。だけど、魔法がない世界から来たあんたの魂は違う」
「つまり、本来のパトリックなら魔法を使えたのに、俺の魂に入れ替わったせいで……」
「そういうことさ。ワタナベ大賢者様のお言葉を借りれば、ケチャップを買ったのに中蓋のシールを剥がしてないのと同じだそうだ。私にはそれが何の話か、さっぱり見当もつかないがね」
「……」
つまり俺は今まで、シールも剥がさずに、ケチャップの容器をギュッギュッと握りしめていたわけか。
本当に、教授の言う通り簡単な話だった。
原因さえわかっていれば、教授を呼ぶまでもなかった。
従者に魔法を撃ってもらえば済んだ話だ。
……まあ、原因がわからなかったのだから仕方ないが。
「さあ、じゃあ一度魔法を使ってみな。そうだね、最初はやっぱり手軽にライトがいいだろう」
「はい」
俺は初心者用の魔導書で見た通り、手のひらを広げ、小さく呪文を唱えた。
すると、俺の手のひらの上に明るい光の玉が——
「お、おお、教授? これって本来こんなにデカいんですか?」
みるみるうちに膨れ上がっていった。
最初はスーパーボール大だったのが、あっという間にサッカーボールほどに膨らみ、しまいにはバランスボールみたいな大きさになった。
「こ、こりゃあ、ま、まずいぞ!」
「きょ、教授!?」
「魔力が暴走してるよ!!」
「ええええ!?」
「死なないようにはしてやる!! 王家の血筋だから、器の大きさが半端じゃないってことをすっかり忘れてたよ!!」
広々とした王族専用の寮が白い光に呑み込まれるまで、さほど時間はかからなかった。
◇
どうやら、俺は気を失っていたらしい。
目を覚ますと、自室のベッドに寝かされていた。
「「で、殿下!」」
二人の声が同時に聞こえた。
一人は聞き慣れた従者の声。
そしてもう一人は——
「……カトリーヌ」
「聞きましたわ、魔力が暴走して気絶なさったと」
「少し失敗してしまってな」
「本当に危ないところでしたのよ。一歩間違えれば、この一帯ごと吹き飛んでいましたから」
「……」
いや、それならカールスドッテル教授は、何も考えずに見切り発車でやらせただけってことか。
教授という肩書きが泣くぞ。
俺が呆れて言葉を失っていると、カトリーヌは突然立ち上がり、足早に部屋を出ていった。
やがて、湯気の立つ器を手に戻ってきた。
「さあ、殿下。お腹が空いておいででしょう?」
「そうだな、かなり空いた」
「魔力枯渇を起こすと、そうなるものだそうですわ」
カトリーヌはそれをスプーンですくい、俺の口元へ差し出した。
何かと思えば、白米の粥だった。
「え? 粥?」
「ええ。教授がおっしゃっていましたわ。丸二日も意識を失っておられたから、急に胃に負担のかかるものを召し上がってはならないと。ワタナベ大賢者様もよく召し上がっていたそうですわ」
「……」
ワタナベ、マジで異世界でやりたい放題やってたんだな。
それより俺は、二日間も寝込んでいたのか?
「その……一応聞くが、まさかカトリーヌ、二日間ずっとここで……?」
「ええ、もちろんですわ。夫が倒れたというのに、妻がそばを離れるわけには参りませんでしょう?」
まだ婚約者で、正式な夫婦ですらないのに。
「うちの従者たちに任せても、特に問題はなかったと思うのだが……」
「従者は所詮、他人ですわ! 家族である私が看病するのは当然でしょう!」
その言葉に、傍らに控えていた従者の顔が、一瞬だけ歪んだ。
「カトリーヌ様、いくら婚約者とはいえ、これは例外中の例外であることをご承知おきください。カトリーヌ様があまりにも強くお望みでしたので、やむを得ず——」
「さあさあ、なにやらうるさい声が聞こえますけれど、気にせず召し上がってくださいませ」
ふーっと、カトリーヌはスプーンに息を吹きかけた。
「さあ、あ、あーん」
「……」
どうして俺は、こんなところでラブコメをやっているんだろうか。




