第五話 トリニの村
『あれがトリニの村か?』
『ええ、そうよ。案外早く着いたわね』
遥か白い雲の向こう、緑の海の真っ只中に小高い丘が二つ聳えていた。なだらかな稜線を描く影が、雲の上からもはっきりと見て取れる。おそらく、結構な標高があるのだろう。その丘と丘の谷間に沿うようにして、小さな村が広がっている。石畳の敷かれた広場を中心に、赤い屋根を被った木造の家々が南北に長く連なっていた。丘の斜面には風車がいくつか建っていて、大きな三枚羽根が緩やかに回っている。
ヒースフェン領南部、トリニ村。人口約七百人と、ヒースフェン領の中では割合人口の多い村である。風車でくみ上げた水を利用して農業を行っており、財政は比較的豊か。ただし水の便や労働力の都合などからこれ以上の農地拡大は見込めず、また村自体の面積も限られることから発展の余地が少ないとされている。実際、ロセリアが領主となって以降は人口はほぼ横ばい、もしくは減少傾向となっていた。
『降りるわよ!』
『OK!』
クローニは急降下の衝撃に備えて歯を食いしばった。
直後、ファイアアローの機首が下がり、赤い機体が空を落ちて行く。流星を思わせる一直線の軌跡。世界が加速していき、たちまち赤い翼は雲を突き抜ける。やがて二人の視界が緑でいっぱいになり、その上に立つ人々の姿が見えた。領主であるロセリアを迎えるべく、村人たちが出てきているようだ。
魔導エンジンが動きを止め、翼から車輪が生えた。にわかに速度を落とした機体は、丘のふもとの平地へと降下していく。ガクンっと跳ねる機体。車輪が草をかき分けて行き、しばらく進んだ後に停止する。それと同時に、村人たちが一斉にファイアアローの方へと駆け寄ってきた。
「ようこそお越し下さいました、領主様!」
「村人一同、歓迎させていただきます!」
「ロセリア様万歳!」
歓声を上げる村人たち。さながら、凱旋した英雄を出迎えるかのような盛り上がりぶりだ。満面の笑みを浮かべ、口々に自身を称賛する村人たちに、思わずロセリアの顔が緩む。
「さすが私ね」
『いや、この人たちどうみても営業スマイル……』
クローニは周囲を一瞥すると、額に皺を寄せた。確かに村人たちは笑顔だが……その表情はどこかぎこちない。中には無理やりに笑顔を作ろうとして頬と顎の境界のあたりがプルプルと震えている者までいる。明らかに演技だ。
クローニに指摘され、ロセリアもすぐさまその不自然さに気付いた。彼女は一転して真面目な表情を取り戻すと、何故なのだろうと頭をひねる。いくら彼女が領主とはいえ、ここまでやるのは何かしらの理由があるに違いない。
『お前、この村に重税かけたりしてないだろうな?』
『えッ?』
『たぶんここの人たち、お前にビビってんだよ。だから丁重におもてなしして、早々に帰らせようとしてるんじゃないか?』
『そういうことか。でも別に私、この村に対しては何もしてないわよ』
ヒースフェン領は税率が低い。
トリニの村も例外ではなく、他領と比べれば重税どころか優遇税制のような状態となっている。重税が原因で領民に恐れられるなど、とてもありえなかった。他も特に何もやっておらず、思い当たる節はない。そもそも、いままで自身の領地に対して関心の薄かったロセリアは、良くも悪くもトリニ村との関わりは乏しかった。
『でもな、こりゃ明らかにあれだろ。ほんとに何もやってないのか?』
クローニと念話をしているロセリアは、傍から見ていると一人で考え事をしているかのようだった。その横顔は、やや不機嫌そうにも見える。そのせいか村人たちの態度は益々丁寧になっていた。もはや、見ていて悲しくなってくるような状態だ。
『……そういえば、前に一度来た時に魔法を撃ったことがあったわね。あれが原因かも。というか、あれぐらいしか思い当たることなんてないわ』
『ちょ、何やってんだよ!』
『仕方ないでしょ、ボケた村長が私のことを「ばあさんや」なんて呼ぶんだからさ。この美少女を相手にばあさんよばあさん!! カッチーンと来て特大の奴をぶっ放してやったわ。もちろん、ちゃーんと空に外したけど』
クローニは思わず固まった。彼はやれやれとばかりに頭を振る。
『お前、そりゃ誰でもビビるだろ……! はあ、ここに滞在してる間に誤解を解かないとな』
『私なんてまだましだと思うけどなぁ。フェルナなんて、胸小さいって言っただけで真理魔法よ?』
『そんなの比較対象にするな!!』
思いっきり声を上げたクローニ。その直後、二人の周りを取り囲んでいる村人の群れを割って、一人の老人が進み出てきた。萌黄色のやや上等な造りのベストを羽織り、長い樫の杖を突く彼は、先ほど二人の話題に出た村長であった。まさしく、噂をすれば影というやつだ。
「ようこそ、ロセリア様。初めまして、私は村長のオードルと申します。このたびのご視察、ご苦労様です」
「……あなたに会うの三回目よ?」
村人たちはビクッと肩を震わせた。彼らは波が引くように、ざっとロセリアから距離を取る。その顔からはすっかり血の気が引いていた。一方、オードルはのんきに髭をさする。
「おお、これはすみませぬ。なにぶん歳でしてな、お許しくだされ」
「まあいいわ。それより、すぐにお風呂に入りたいんだけど大丈夫?」
「風呂でございますか。早速準備させましょう」
ロセリアはおんぶ紐をほどくと、クローニを背中から降ろした。上空を飛んできたのでかなりマシにはなっているが、彼を包んでいる布からはどことなくすえた匂いがする。しかもまだ布は乾ききっておらず、じっとりと湿り気を帯びていた。この分だと、彼女の背中も濡れていることであろう。ロセリアはやれやれとばかりに肩を落としてため息をつく。
「ありがとう。ついでに、誰かこの子を預かってくれない? おもらししちゃってるから、お尻のあたりが濡れてるけど」
「わしが預かりましょう」
「頼むわ」
一歩前へ出たオードルの手に、ロセリアはクローニを預けた。すると、クローニの眉間に深い皺が寄る。彼は皺に埋もれたようなオードルの顔を一瞥すると、口元を歪めた。
『どうせなら、可愛い女の子に預けてくれよ……』
『仕方ないでしょ。だいたい、あんたが漏らさなきゃ預けることもなかったのよ』
『そう言われると何とも言えないけどさ……』
言い淀むクロ―ニ。その間に、オードルがロセリアに話しかける。
「このお子様は、ロセリア様の?」
「いいえ。違うわよ」
「では、お相手の連れ子で?」
ロセリアの額にすっと一筋の血管が浮いた。近くにいた村人やクローニは、本能的に背筋を強張らせる。
「そんなわけないでしょ! 知り合いの女が連れてきたの!」
「ほう、女同士で……。いやはや、最近の若い方は進んでおりますのう」
「だ・か・ら! どうしてそうなるのよ!!」
「では、やはりロセリア様のお子様で?」
「くぅッ!」
ロセリアの身体から紅いオーラが噴き出した。彼女の左手にそれが集中していき、やがて直視するのも困難なほどの強烈な光を放つ球となる。
『やめろロセリア、また評判が悪くなるぞ!』
『うるさい! ジジイに情けはいらないの!! だいたい、あんたのせいで今の私は気分最悪なんだから――』
「煉獄の炎滅!!!!」
空へと伸びる光。炸裂した魔力。
トリニの村の上空で、轟音とともに壮大な光の華が花開いたのであった――。
「ふー、すっきりした! やっぱりお風呂はいいわね!」
一時間後。村長宅で風呂に入り、服を着替えたロセリアは実にすっきりとした顔をしていた。その白い肌はいつも以上にツルツルとしている。軽快に鼻歌を歌う彼女の表情はとても晴れやかで、憑き物が落ちたようだった。
ほこほこと気持ちのいい湯気を立てながら、ロセリアは廊下を歩いていた。すると、見知らぬ若い男が廊下の角から現れ、彼女に近づく。背は高いが線の細い男で、ライトブラウンの長髪と優しげな顔立ちがどことなく軟派な印象を与える人物だ。その彼の御世辞にも太いとはいえない腕の中には、何故かクローニが抱えられている。
「あれ、あんたは?」
「俺は村長の孫のグーヤンっす。あなたがロセリア様っすね? 俺があなたの世話係になりましたんで、短い間ですけどよろしくっす!」
「……なんで、あんたみたいなのが世話係なのよ」
「みんなロセリア様のチョー凄い魔法にビビっちまったらしいんっすよ。俺はチョーカッケーって思ったっすけどね!」
すっきりしたばかりだと言うのに、ロセリアはまた頭が痛くなってきた。するとここで、グーヤンの胸に抱えられているクローニから念が飛ぶ。
『自業自得だな』
『……反省したわよ。こうなったらさっさと視察を済ませて、次の村に行きましょ。で、何から見る?』
『まずは畑だな。畑を見ないことには内政チートは始まらないぜ!』
『よくわかんないけど、畑ね? いいわ』
「早速だけどグーヤン、畑を見たいんだけどいいかしら?」
「いいっすよ、ついてくるっす」
軽いノリのグーヤンに連れられて、村長の屋敷を出るロセリアとクローニ。そうして屋敷から伸びる石畳の道を一分も歩くと、たちまち景色が変わってきた。家並みが途切れ、遥か丘の向こうに青々とした畑が見えてくる。現地で見ると畑は上空からよりもずっと広く見え、かなり大規模なようであった。
「結構広い畑ね。何を育ててるの?」
「えっと、結構いろいろ育ててるっすよ。左上のブロックが五葉クローバー、右上のブロックが紅蕪。左下のブロックがクロ麦で、右下がロート麦っす。年によってどこで育てるのかは違うっすけど、全体では毎年同じっすよ」
「へえ、一種類じゃないんだ。でもなんで、畑を四つにしてるの?」
「畑ってのは、同じ作物でやり続けると土地が駄目になっちまうんっすよ。だから間に五葉クローバーを挟んだりして、地力を回復させるっす。クローバーは家畜の飼料になりますから、無駄にもならないですし」
「農業って、ただ畑に種をまくだけじゃないのねえ……」
感心して息を漏らすロセリア。一方、クローニは「むう……」と唸った。眼を細め、口をもごもごと動かし、何やら考え詰めているようである。
『どうしたのよ』
『……なんでもない』
『あんたまさか、ここまで来てなーんにもアイデアを思いつかないとかじゃ……ないでしょうね?』
クローニの額を汗が流れた。どうやら、図星の様である。
『しょうがないだろ、まさかノーフォークまでやってるとは思わなかったんだよ! ……大丈夫だ、農業で思いつかなくともきっと他の分野で何か思いつく』
『あらかじめ言っておくけど、もし視察を全部終えても何にも思いつかなかったら、わたし怒るわよ?』
そう言ったロセリアの顔は、満面の笑みだった。しかし、眼が全く笑っていない。鳶色の瞳の奥に魂をも凍てつかせそうな何かを感じたクローニは、ただひたすらにうなずいたのであった――。




